メルトリリス(偽)、呪術の世界に降り立つ   作:ひのき

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 夜蛾さんが上層部に捕縛された。

 

 その話を聞いたときは本当にびっくりして、一体どうすればいいのかと三日三晩頭を悩ませた。

 夜蛾さんは恩人だ。

 良い人だ。

 まさか犯罪や良くないことをするとは思えず、何か事情があるなら力になりたかった。

 

 でも、私がその情報を知ったのはすでに夜蛾さんが上層部に捕縛された後。

 もはや私には何もできず、呪術界の上層部に物申すようなことを正式な呪術師でもない私にはできるわけがない。

 忸怩たる思いがあった。

 いかにメルトリリスの体があろうと、まだ子どもで成長途上な私という存在はひどく無力だった。

 しかも相手は権力だ。

 暴力で解決できないのならば、私が積み上げてきた経験値など無意味である。

 

 ――と、不安な思いをしていたけど、なんか普通に夜蛾さんは帰ってきた。

 その腕に、お包みに入った小さなパンダを抱えて。

 

「パンダだ。成長したら仲良くしてやってくれ」

 

「は、はい。わかりました…………?」

 

 よくわからないけど、うなずいておいた。

 上層部って動物園か中国にあるの?

 

 

 

 

 パンダに続いて他にも新しい出会いがあった。

 

 五条さんが紹介してくれた呪術師の卵、伏黒恵君とその姉である津美紀ちゃんの二人だ。

 

「よろしく、桜ちゃん!」

 

 と、明るく笑いかけてくれた津美紀ちゃんとは、すぐにお友達になった。

 今では頻繁に一緒に遊びに出かけるくらいの仲だ。

 

 恵君はぶっきらぼうでひねくれているけど、姉の津美紀ちゃんのことを大切に思っている心根の優しい少年だった。

 あんまり話さないけど。

 でも、別に嫌われてはなさそう。

 彼は将来的に呪術師になるみたいで、歳も近いので術師仲間として長い付き合いになるのかな。

 少しずつ仲良くなれたら良いなって思う。

 

 ちなみに二人とも私よりも歳下。

 津美紀ちゃんは一個下で恵君は二つ下だ。

 でもみんな小学生だから、歳の差なんてあんまり関係なく、年齢による距離の壁はない感じ。

 

 どうやら二人には両親がいないみたいで、そんな二人を五条さんが親代わりというほどではないが、適度に気にかけているのだとか。

 私と似た境遇、同じような立場だ。

 身寄りのない二人を気にかけているという、五条さんのことを少しだけ見直す私だった。

 

 

 

 

 と、そんないくつかの出会いがありつつ。

 私が呪術高専に来るようになって、早いものでいつのまにか一年が経っていた。

 

 そんなある日のことだった。

 

「――やあ。君が裏月桜さんだね」

 

 街を歩いていると、突然にそんな声をかけられた。

 

 振り向く。

 そこにいたのは変な前髪をした男だった。

 どこかの寺の僧侶のように袈裟を身にまとったその男は、朗らかに微笑むと気さくに手を上げた。

 

「誰、ですか? どうして私の名前を……」

 

「いきなり声をかけてしまって悪かったね。私は夏油傑。フリーで活動している呪術師さ」

 

 警戒し、尋ねると彼は自らを夏油傑と名乗る。

 

 フリーの呪術師ということは、つまり呪術高専に所属していない呪術師だ。

 呪術高専は学びやであると同時に、呪術師へ仕事を斡旋する活動拠点でもある。

 だけど、呪術師は全員が全員呪術高専に所属しているわけではなく、別口で依頼を受けてフリーで活動したり、呪術師の家系に生まれ家の方針で仕事をする呪術師というのも多くいる。

 夏油傑と名乗った彼は、その一人らしい。

 

「君の名前を知っているのは、調べさせてもらったからだ。才能のある呪術師の卵を見つけ出し、身辺を調査するという依頼も回ってくるものでね」

 

 身辺調査、か。

 

 勝手に調査されているというのは少し嫌な気分になる。でも、たしかに初めて夜蛾さんに会ったときから、彼はこちらの事情をある程度把握している様子だった。

 つまり、あらかじめ調査した人がいるってこと。

 

 それが、目の前にいる夏油さんなのかな?

 

「聞いてるよ。今は高専で教えを受けているのだろう? 夜蛾先生や悟たちは元気かな」

 

「二人のお知り合いなんですか?」

 

「私も以前は高専に通っていたんだ。夜蛾先生は恩師で、悟は大切な親友さ」

 

「五条さんに、親友……?」

 

「信じられないかい」

 

「いや、えと…………()()五条さんに親友というのが」

 

「ああ。まあ、そうだね」

 

 夏油さんは困ったように苦笑する。

 私も苦笑した。

 

「少し甘いものでもどうかな。最近の悟や先生のことを聞かせてほしい。代わりと言ってはなんだが、昔の彼らのことを教えよう」

 

「ちょっと興味あるかもです」

 

「私の家族が気に入ってるカフェがあるんだ。彼女たちは君くらいの歳の娘だから、きっと君も気に入るだろう」

 

 突然話しかけてきた夏油さん。

 

 最初は警戒していた私だったけど、彼が五条さんの親友で夜蛾さんの教え子だというなら大丈夫だろう。

 こうして相対していてもすごく優しい感じがするし、あの二人と同様、きっと彼も良い人だ。

 服装と前髪くらいしか、怪しいところもないし。

 

 私のことを知っている様子なのはびっくりしたけど、身辺調査をしたからという理由なら納得。

 大丈夫かな。

 

 あとは、まあ。

 五条さんの学生時代の話は気になるし。

 ということで、私は彼に連れられてレトロな感じのカフェへとやってきた。

 

「好きに頼んでいいよ」

 

 と、夏油さんは言うので、遠慮せず大きなパフェと甘い紅茶を注文させてもらった。

 

 それからしばらく、私と夏油さんは昔の五条さんのことや、最近の高専での出来事など楽しくお話をした。

 

 そうして、たくさんお話をして。

 帰り際。

 夏油さんは私に、真剣な顔で聞いてきた。

 

「君は今、幸せかな」

 

「え、と……?」

 

「君のことを調査させてもらったと言っただろう? 申し訳ないが、私は君の過去を知ってしまっている。だからどうにも、心配でね。それで今日、たまたま見かけた君に声をかけてしまったんだ」

 

「…………そうだったんですね」

 

 気遣わしげに私を見る夏油さん。

 

「実の親に虐待され、施設でも排斥され、君を引き取った男はクズだった。その歳で背負うにはあまりにも残酷な運命だ。それはすべて、非術師が原因だ」

 

「非術師ですか?」

 

「ああ。彼らは君のことを理解しようとはしなかった。異物だと排斥し、寄り添おうとはしなかった。唾棄すべき保身。醜悪な連中だ」

 

 私を気遣い心配する一方で、夏油さんは侮蔑するようにそう吐き捨てた。

 非術師に対する憎悪を覗かせた。

 

「憎くはないか? 怒りはないか?」

 

 たしかに私の境遇はひどいの一言だ。

 父親からの虐待、孤児たちを集めた施設でのイジメ、引き取った養父の裏切り。

 あまりにも重く、つらいばかりの人生だ。

 

 ただ、それを受けたのは私じゃない。

 ()じゃなくて、裏月桜(わたし)という少女だ。そんな彼女の心は、すでにその境遇に耐えきれず壊れてしまった。

 成り代わるようにこの体を預かった()は、虐待もイジメも、裏切りも受けてはいない。

 だから、憎悪も怒りもない。

 さすがに裏月桜(わたし)の境遇に対して思うところがないわけではないけど。

 なので、夏油さんには悪いけど、彼の心配はまったくもって杞憂のひと言でしかなく。

 私は非術師を呪うような思いなんて一つも持ってない。

 

 つまりこれは、ただの認識のすれ違い。

 勘違いだ。

 

 だから私は、心配する夏油さんを安心させるためにもにっこりと笑って首を横に振った。

 

「いいえ、まったく」

 

「…………」

 

「たしかに、父は私を虐待しました。でも、それは彼の深い絶望があったからです。私としては納得はできないけど、理解はできます。施設の子どもたちも、まだ分別がつかない年齢で、ただ無邪気なだけ。養父は…………まあ、あれは普通に悪人ですね」

 

 夏油さんは黙って、私の言葉を聞いていた。

 

「たしかに理解も、寄り添われることもなかったかもしれません。だからって憎悪や怒りを向けるのは違うと思うんです。恨みはあるかもしれません。でも、それは憎悪や怒り――呪いとは程遠いです」

 

「君は非術師を肯定すると?」

 

「肯定も否定もないですよ。非術師なんて大きな括りだと、良い人も悪い人もいるんですから。特定の非術師に嫌なことをされたからって、ひとまとめに嫌うなんて極端な考えにはなれません」

 

 私は頭の中に津美紀ちゃんを思い浮かべる。

 

「最近、非術師のお友達ができました。その子はとっても優しくて、善人で、良い子なんです」

 

「…………」

 

「私は非術師に嫌なことされました。でも、好きな非術師もいるんです。だから肯定とか否定とかじゃないです」

 

 夏油さんは、真っ直ぐに私の目を見る。

 

「君は今の呪術界をどう見てる? 人知れず呪術師がその命をかけ呪霊と戦い、非術師は何も知らないまま当たり前のように平穏という幸せを享受している。この歪みを」

 

「みんなが幸せなら、良いと思います」

 

「偽善か?」

 

「そうですね。偽善です。私が呪霊を倒すことで、どこかの他人が幸せになる。それを思うと、私自身も幸せになるんです。誰かを助けたって思えるのは幸せです。実際にお礼や感謝を言われたらもっと幸せです。そのために呪霊を倒すという偽善を、私はしたいと思ってます」

 

「それは理想論だろう」

 

「理想論は悪いことじゃないですよ。それが素敵で善い考えだから、理想なんです」

 

「そうか。君は…………懐かしいどこかの誰かに似てるな。これはどうも、勧誘はできそうにないね」

 

「えと、勧誘?」

 

「なんでもない。気にしないでくれ」

 

 言って、夏油さんは肩の力を抜くように息を吐いた。

 

「ハア。私としたことが、君のような子どもと何を真剣な話をしているんだか」

 

「あはは。心配してくれたんですよね? 大丈夫です。過去がなんであれ、私は道を踏み外すようなことはしませんよ。だから安心してください」

 

「安心、か。まあ、そうだね」

 

 夏油さんは優しい顔で微笑んだ。

 

「君のその理想が、理想のままで終わらないことを祈っているよ。どうか君はいつまでも正しく、幸せになるんだ。もしもその青い理想に先があったならば、私はそれを見てみたい」

 

 そう言って、夏油さんは私に背を向けた。

 私はその背に声をかける。

 

「パフェ、美味しかったです。ごちそうさまでした!」

 

「フフ、喜んでくれたなら何よりだ。悟にも教えてやると良い。あいつは甘党だからね」

 

「夏油さんが誘わないんですか?」

 

「実は、喧嘩中なんだ。今日私たちが会ったことも悟たちには内緒にしておいてくれ」

 

 その言葉を最後に、夏油さんは立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 ――夏油傑。

 それが、最悪の呪詛師の名であると私が知るのは、この日の出会いよりもずっと後の出来事だった。

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