ロンドンに咲く狐草 作:みこみこーんマークII
これは夢だ。
過去の記憶と経験を脳が整理しようと、睡眠時に起こる現象。
夢の中の自分はそれを理解せず、その夢を外側から客観的に俯瞰している自分はそれを理解している。
しかしそれを止めることは、今の俯瞰している方の自分は出来なかった。
夢だと半分理解していても、まだ夢の中の自分が夢を渡り歩いているからだ。
だから、
――夢の中の自分は、静かな屋敷の中をゆっくりと歩く。
不思議といつもより雰囲気が違って感じられた。
そしてその静けさの正体を自分は知る。
屋敷の廊下の端、破れた障子から見える部屋の中。
見知った顔もあれば見知らぬ顔も。
人々の■■が屋敷の至る所に冷たく横たわっていた。
みんな、人ができるとは思えないほど苦痛に満ちた表情で。
そんな屋敷の中を、自分はひたすら歩む。
歩くたびに頭の方から鈴の音のようなもの、足元からは分厚い布地を引き摺るような音がする。
――身体が重たい、まるで自分の身体ではないようだった。
それでも自分は進む。
目的地は何処なのだろうか。
夢の中の自分はそれを知っているのか、その歩みに迷いはなかった。
――気が付けば、屋敷を出てススキ野原に出ていた。
ススキを掻き分け、開けた場所へと出た。
そこには先客がいた。
■■■■だった。
あぁ、そうだ、そうだった。
■■■■に来るように言われてきたんだった。
出るなと言われた部屋から連れ出されて、召使い達に化粧と着物をや装飾品を着飾られて。
『ついにこの時が来たのですね』と声を掛けた老齢の召使いは、その直後苦しみだして■んだ。
『美しい』と褒め称える者たちも、自分を直視したあと■んだ。
……じゃあ、あの■■は全部――
"美月"
■■■■が名前を呼んだ。
呼び方も漢字も女っぽくて少し嫌だったが、それでも■■■■に名前を呼ばれるのは嬉しかった。
"こっちに来なさい"
そう言われて、駆け寄った。
身体が重くて結局歩いてるのと同じ速度だったが、それでも自分では駆け寄ったつもりだった。
"嗚呼、本当にこの日が――美しいよ、美月"
近くまで来ると、■■■■が跪いて、自分の手を優しく取って握った。
――自分の手はこんなに細くて白かっただろうか?――
"■■■■?"
少し様子がおかしい■■■■に呼びかけてみた。
――自分の声はこんなに高かっただろうか?――
"なんだい……くっ、がふっ"
■■■■が苦しみ出した。
みんなと同じだ。
口や鼻、目から飛び出た血液が地面や自分の着物を汚す。
――何故こんな着物を着ているのだろうか?――
"あ、あぁすまない。汚してしまった、でも赦して欲しい"
■■■■が地面に倒れ込んだ。
もう跪く力もないようだ。
"あ、ぐっ……あ、あの時も、君の声を聞いていた。聞いていたのに、私は弓を弾いた。そして矢は――ぐぁぁぁ!"
ついに苦痛に耐えきれなくなったのか、悲鳴を上げた。
全身から噴水のように血を吹きして。
"ゆるしてくれ、ゆるしてくれ……君は何も悪くなかった、悪くなかったのに――"
■■■■は■んだ。
■■から噴き出た血液が、地面に大きな湖を作った。
それはやがて赤色から、透明な透き通るような色に。
まるで水面が映し出す天然の鏡だった。
それを覗きこんだら、知らない女性が映った。
桃色の長く美しい髪。
――自分の髪はこんな色でこんなに長かっただろうか?――
思わず吸い込まれそうな琥珀色の瞳。
――自分の瞳はこんな色だっただろうか?――
昔の人が着ていたような着物、髪飾り。
そして、頭から生えた獣の耳。
着物を押し上げるように生えた獣の尻尾。
明らかに人外で、それでも美しい女性だった。
――自分じゃない――
思わず手を振ると、水面に映った女性も鏡合わせで手を振った。
――これは自分じゃない――
いや、間違いなく自分だ。
――自分じゃない、自分じゃない――
目を逸らすな。
――違う、違う、違う違う違う違う違う!――
"お前がみんなを■したんだ"
「――ぁ、かふ」
詰まっていた酸素をようやく吐き出せた。
視界には最近ようやく見慣れてきた天井が。
「はぁ、はぁ……うっ」
ひどい寝汗で冷えた体温。
先程まで観ていた悪夢の内容が断片的に浮かび上がり、間も無くして胃液が上昇してきた。
慌てて洗面所に駆け込み、吐き出すものを遠慮なく吐き出した。
幸いにも出たのは胃液だけだった。
蛇口を捻って水を出して、掌を容器代わりにして口の中をゆすぐ。
「…………ぁ」
そして息を整えようと、顔を上げた。
洗面所の備え付けの鏡が自分を映す。
桃色の長い髪、頭部から生えた二つの獣の耳。
そこには、夢で観たあの女性の顔――
「うっ……」
整い掛けてた息がまた乱れ、心臓の鼓動が異常に速くなる。
これ以上出すものはないというのに、また吐き気が込み上げてきた。
「く、薬……薬を」
対処法が自然と口から確かめるように出た。
洗面所から出て、ナイトテーブルの上に置かれていた小瓶を手に取り、焦るように蓋を開けて中の黄色の錠剤を1つ取り出した。
そしてそれを口の中に放り込み、舌と唾液を使って無理やり飲み込んだ。
水で流し込むのが理想で、ナイトテーブルの上に水差しとコップも用意していたが、水を注いで飲む動作をするのすら惜しんだ。
はやくこの動悸を止めたくて、焦る気持ちを抑えたくて。
「…………ふぅ」
ベッドに寄りかかるように座って、安静にすること5分ほど。
さっきまでの動悸や緊張感が嘘のように無くなっていた。
しかし倦怠感がやや残り、寝不足なのも感じる。
二度寝でもした方が良いかと一瞬考え、今日はまた同じ悪夢を観そうな予感がしたので、やや早いが起床することにした。
――それにしても、寝汗がひどい。
冷え切った身体、汗を吸い取って濡れた衣服。
このまま放っておけば風邪の一つや二つ余裕で引いてしまうだろう。
つまり、身体を今すぐに温めて、着替える必要がある。
だが自分にとってそれは億劫なものだった。
面倒だとかそんな理由ではない。
むしろ湯浴みは好きな方だ。
だが、その行いは見たくないものを見なければならない。
より正確に表すと、自分の裸体を視界に収めるのがだ。
「…………」
しかしそうも言ってられない。
不衛生でいる方がもっと嫌だ。
意を決して洗面所に再び赴く。
そして服を脱ぐ前に、鏡をもう一度覗いてみた。
――そこには、変わらず
桃色の長い髪に、獣の耳が生えた。
この鏡の前に立っているのは自分だけ。
だから鏡に映し出されるこの女性は、間違いなく自分だ。
そう、この女性の顔が、
そしてそれは、本来の自分の顔ではなかった。
「――ごめんなさい」
薬のおかげか、吐き気もすっかり治り、自分の顔を見ても冷静でいられた。
だから、つい謝罪の言葉が出てしまった。
鏡に映る自分に対して。
何に対して謝罪したのか、それをもし他人に聞かれても上手く説明は出来ないだろう。
自分でもよく分かっていないのだから。
ただ、罪悪感のようなものなのからきている、というのは何となく分かった。
"あなたの顔が嫌いなわけではないのです"
"ただ、あの日の出来事を思い出してしまうのです"
"ごめんなさい、ごめんなさい――"
頑張って言語化するなら、こんな心情なのかもしれない。
「――あ、尻尾が……」
自分の心情を反映してしまったようで、お尻の少し上らへんから生えている
図らずもモップ代わりにしてしまった尻尾、ついでに洗ってあげなくてはならないだろう。
ちなみにこの尻尾、頭の耳同様に飾りなどではなく、本当に自分のお尻の上らへんから生えている。
どちらも形や色からして、狐のものだと思われる。
そして感触も触覚も機能してるし、不思議なことに自分の意思で動かせる。
しかし、
――そこまで思考して、洗面所に来た本来の理由を思い出した。
汗を吸いっとて濡れた寝巻きや下着を脱ぐ。
当然、服を脱いだのだから裸体が露わになる。
骨格、肉付き、膨らんだ乳房、くびれ、臀部――
自分の身体は、誰がどう見ても
「……ごめんなさい」
また謝ってしまった。
今回の理由は自分でも明白だった。
シャワーで身と心を清め、ついでに尻尾も丁寧に乾かしてブラッシングをした。
お陰様でフワフワの毛並みになったが、少し時間をかけ過ぎてしまった。
なのでいつもより早起きしたが、部屋を出る時間はいつもと同じくらいになっていた。
――外へと通じる扉を開ける。
まだ朝日は出ておらず、少し肌寒かった。
「――ふぅ」
外の空気を深呼吸をして肺へと送り、ゆっくりと吐き出した。
草花の匂いが鼻腔を刺激する。
自分が今いる場所は、ロンドン郊外にあるとある邸宅。
色とりどりの花が咲き誇る庭先だった。
この庭の片隅に建てられた、小さな小屋が自分の
元々は昔雇っていた人が使っていたらしく、生活に必要な物は揃っていて、わりと快適だ。
ガーデニングされた花の隙間に敷かれた、石畳の道を歩いてレンガ造りの邸宅へと向かう。
壁を這うように蔦が伸びているが、放置しているというわけではなく、これも結界の一種らしい。
自分の知る結界とはだいぶ違うので、正直半信半疑だったりする。
間も無くして、玄関の扉の前に辿り着く。
預かっているやけに古そうな鍵を鍵穴に差し込み、鍵を開錠する。
扉を静かに開けるが、木か金属かその両方か。
微かに軋む音がした。
「――おはようございます」
顔だけを覗かせて、小さな声で挨拶をした。
――一応の確認だ。
案の定、返事は返ってこなかった。
邸宅の中は静まり返り、古時計の音だけが中から聞こえてくる。
おそらくというか、間違いなく邸宅の主人はまだ寝ているだろう。
そして、こうして自分が邸宅に来て最初に行う仕事が、その主人を起こすところから始まるのだ。
そんなわけで、早速二階へと続く階段を登る。
登りきった先の廊下の突き当たりまで進み、そこにある部屋の扉をノックした。
「…………リーシャさん?」
ノックに対する返事はなく、邸宅の主人の名前を呼んでも同じだった。
念のためその動作を3回ほど繰り返すが、それでも返事がなかった。
「……あ、開けますよ」
こういう時は、部屋に入って直接起こしてくれ。
そう頼まれている。
だから、今から自分が女性の部屋に入ろうとしているのは、正当な理由があってのことで、決してやましいことがあるわけではない。
誰に言い訳しているのか、そんな悶々としたことが脳裏によぎりながら、扉を開けた。
鍵は掛かってなかった。
扉を開けると、そこは邸宅の主人の私室であり寝室。
家具や壁紙、床のカーペットに至るまで統一されたようなアンティーク部屋。
まるでこの部屋だけ映画のセットのような場所。
だがその高級感を台無しにするかのように、テーブルや本棚の周辺には何やら物が散乱していた。
――おかしい、三日前に片付けをした筈なのだが。
「リーシャさん?」
もう一度邸宅の主人の名前を呼び、部屋のベッドへと視線を向けた。
だが、ベッドはもぬけの殻だった。
まさか、既に起床していたのだろうか。
いや、ベッドのシーツなどは昨日自分が整えたままの綺麗な状態だ。
つまり、このベッドは使われていない。
そうなると、ベッドの主人は何処にいったのだろうか?
「まさか――」
嫌な予感がした。
昨日、仕事が終わって自分の部屋に帰る前。
邸宅の主人は
深酒しないように注意をして、自分は邸宅を出たのだが――
「…………」
一階に戻って、その部屋まで赴く。
そこには案の定というべきか、ソファをベッド代わりにして寝ている邸宅の主人――リーシャ・アルソンの姿が。
「また散らかしてる……」
周囲には読んでいた本が散らばっていた。
それらを拾い上げ、一旦床に積み上げておく。
「リーシャさん、朝ですよ。起きてください」
寝てしまう前に、毛布だけは用意したのか。
包まって蓑虫のようになっているリーシャを揺さぶりながら声を掛ける。
すると、揺らした衝撃で毛布が解けたのか、その中身が露わになった。
「!? え、ちょっと……!」
肌色が視界に入ってきた。
思わず変な声を出しながら、その場から二、三歩ほど後退り両手で視界を覆った。
しかし網膜にもう焼き付いてしまったのか、毛布の中の下着姿のリーシャが浮かんできてしまう。
「なんで……服を脱いでるんですか」
恨み言のように呟くが、本人はまだ眠りの中。
こちらの動揺など知らぬといわんばかりだ。
――しかし、何処か安堵した自分がいることに驚いた。
ある日を境に女性の身体になってしまい、未だ違和感はあるものの見慣れてしまった女人の身体。
こうして、他の女性の身体を見て動揺するということは、まだ自分の中身は男のままらしい。
……そしてこのあとどう起こしたものか。
しばらく悩んだ末に、自分は名案を思い付いた。
それは、寝ているリーシャに背を向けて、彼女の顔目掛けてこの狐の尻尾を振り下ろすこと。
ぺちん、もふ。
擬音にするとこんなだろうか。
これならリーシャのあられもない姿を視界に収めることなく、彼女に覚醒を促す刺激を与えることができる。
「…………うぅ」
――問題点をあげるとすれば、臀部を人に向けて突き出している自分が少し恥ずかしいことだろうか。
第三者がもしこの場にいたら、変な事していると勘違いされるだろう。
早く起きてくれ、そう願いながら尻尾を振り下ろすスピードや力を強めたり、逆に顔に押し付けたりすること数分。
「――ふぁ、くちっ! もうなに……顔がくすぐったい」
盛大なくしゃみと共に、ようやくリーシャ・アルソンは起床した。
「おはようございます、リーシャさん」
「んー……おはよう? ミヅキ」
寝惚けている頭でもリーシャが自分を認識できたのか、自分の名前を口にする。
「――なんで後ろ向いてるの?」
「リーシャさんが服を着てないからです」
それと、おそらく真っ赤になっている顔を見せたくないから。
「服……? あぁ、そっか。服ね服――どっかいっちゃったみたい」
「なんでですか……」
服の行方はあとで探すとして、この場をどうにかしなければならない。
「あの、自分はここ片付けてるので……着替えしてきてください」
「おっけー、ごめんね、助かるわ」
そうして大きな欠伸をしながら、リーシャは2階へと向かったようだ。
「……はぁ」
ようやく平常心を感じ始める。
……朝食の前に、軽くここを片付けるとしよう。