招木は約束を守れなかった。ワンシーズン中のマスタークラス到達は叶わなかった。
バイパー、7318。8000に満たない数字。それが招木の手の甲に浮かんでいる。目標設定時の数字は5569。1749ポイントの上昇だ。
ポイントを稼ぎにくいと散々言われた戦闘スタイルと、途中から捨てた攻撃手としての道。実力に対しあまりに短い制限時間。
さまざまな不利を抱えていた。そんな中でよくポイントを稼いだな、頑張ったなと周囲は慰めるだろう。
加古、那須、諏訪隊、出水、熊谷や奈良坂、多くの人の期待を招木は背負っていた。応えるために懸命な努力を続けた。
だが気持ちが強くなったところで招木には実力が足りなかった。わかりきっていたことが現実になっただけだった。
「……、……まずは報告だ。それから、謝罪を」
応援してくれた皆に会いに行こう。マスタークラスに届かなかったことを報告し、サポートしてくれたのにごめんねと謝らなければならない。
招木は詰めていた息を吐くと、歩き出した。
背負いたいと思った期待の重みが、報いることのできなかった自責の念が、両肩にのしかかっていた。
─────────
「どうぞ」
「お邪魔します」
招木は三輪隊の作戦室を訪れた。奈良坂に報告するためである。月見の声を合図に入室すると、そこには隊長以外の三輪隊がいた。
隊員の米屋と奈良坂、オペレーターの月見。そして新たに加入した古寺。四人分の視線を受けた招木が軽く頭を傾ける。
「こんにちは。陽介が対戦ブースにいないの、珍しいね」
「えー? たまにはこっちにいますよ」
「こんにちは、招木さん。奈良坂先輩に用があるんですよね」
「私たちは外すからゆっくりしていって」
「ありがとう」
事前に連絡していたので招木の訪問目的は理解している。奈良坂以外の三人が奥に引っ込み、招木は手近な長椅子に勧められた。
そちらに移動した彼女は購入していたお菓子が入った紙袋を差し出し、奈良坂に深々と頭を下げる。
「今日は君に謝罪するために来た。約束を破ってしまってごめんね」
「招木さん」
「私は自分の納得のために奈良坂や那須の期待を裏切った。君には発破をかけてもらったのに、目標を達成できなかった。不甲斐ない。本当にごめん」
「いいです、大丈夫ですから。頭を上げてください」
奈良坂が困った声を出した。紙袋を受け取り、ひとまず招木を座らせて続ける。
「那須にはもう言ったんですか」
「真っ先に伝えたよ。熊谷にもね」
「だったらいいです。俺は話を聞いただけですから。俺にまで気を遣う必要はないですよ」
紙袋の隙間から覗く高級茶菓子にちらと視線を落として言えば、招木は首を振った。
「気を遣っているわけじゃないよ。君は那須を心配し、私は無理な約束をした。無責任に君を安心させたこと、その気持ちを不意にしたことを謝罪している」
「……」
「特に君は最初から、マスタークラス到達が厳しいこと、それよりも先に那須を勇気づけてやってほしいことを伝えてくれていた。それを却下して自分の目的を優先した上で、成し遂げることができなかったのは私の実力不足が原因だ。だから私は君に謝罪するべきだと思った。ごめんね」
招木は事前に考えていたかのようにすらすらと言葉を並べた。奈良坂が那須を心配していたことを真摯に受け止め、裏切ってしまったことを心の底から悔やんでいる。
奈良坂はほんの数秒目を閉じて、小さく頷いた。
「……わかりました。そこまで言われたら、断るのは野暮ですね」
正直に言って、奈良坂は招木が8000ポイントを稼ぐことができるとは思っていなかった。最初から本人に伝える程度には、無謀な目標だと考えていた。
しかしそれを責めようとは思わない。招木が無茶な時間制限を設けたのは、奈良坂が急かしたのが原因だと理解していたからだ。
けれどそれを言い出せば那須と招木の両方に不義理だ。よって奈良坂は招木の謝罪を受け入れるだけに留める。
喉に刺さった罪悪感を無理やり飲み込んだ。
「正式な師弟関係とは別で、那須とは時々会って指導してくれているんですよね。本人から聞いています。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ。中途半端な関係を長引かせるつもりはないから、それだけは信じてほしいな」
「もう疑っていませんよ」
師匠となる存在が自分のために頑張ってくれていること。定期的に様子を見に来て関わりを積極的に持とうとしてくれること。それらが那須にどれだけの影響を与えているか、招木は無自覚だ。
今回は約束を破ってしまったが、奈良坂はこの人が再び自分たちの信頼を裏切ることはしないと信じることにした。
それだけの誠意を彼女は示したと認識している。
「……おまえか」
そこへ扉の開閉音の後、三輪が入室した。招木の姿を見て小さく呟く。招木も三輪を視界に入れて立ち上がった。
「お邪魔しているよ。とはいえ、用事は済んだし戻ろうかと思っているけど」
「もう帰るんですか? 招木さんが来ると知ってみんなここに居たんですよ。月見さんが特に楽しみにしていましたし」
「そうなの? 三輪が来て勢揃いしたから、作戦会議でもするのかと」
「その予定はないです。そうだろう、三輪」
「ああ」
奈良坂に確認を求められた三輪が首肯する。招木が訪問するとわかっていたので隊としての予定は入れていなかった。
月見と招木は友達だし、米屋は最近招木が個人戦を断るせいで話す機会が激減したから、会うのを楽しみにしていた。古寺もラッキーガールに関心があり、みんな作戦室で待機していたのだ。
三輪は用事があって席を外していたが、早く終わってしまったので戻ってきただけだ。
招木に会うつもりはなかった。顔を見るとぶつけたい言葉が重なっていく。そうなるとわかっていたから予定を入れていたのに、うまくいかないものだと小さな苛立ちを覚える。
「奈良坂への用は済んだのか」
「そうだね」
「ならおまえに話がある。奈良坂、すまないが二人だけにしてくれ」
「? わかった」
三輪が招木にしたい話とは。隊長の珍しい切り口に物珍しさを感じた奈良坂だったが、素直に作戦室の奥へと下がっていく。
二人だけになった空間で、三輪はさっきまで奈良坂が座っていた席に腰を下ろした。招木を真正面から見据え口を開く。
「マスタークラスを目指しているらしいな」
「知ってるんだ」
「奈良坂と陽介から聞いた。最近は対戦ブースに入り浸り、個人ポイントを稼いでいると」
何を言い出すかと思えば、三輪は招木の目標について触れた。
招木にとって三輪は鉛弾を教わった師匠のような存在である。だが仲良しかと言われると首を傾げる。彼とはよく顔を合わせるわけではないし、友人でもない。顔見知りよりは親しいと思うが、招木が三輪を誘っても彼が頷くことはほとんどなかった。
そんな数少ない三輪の了承は、招木が強くなるための相談についてだけだった。
「今期、いや、前のシーズンのランク戦を見た。スコーピオンを外し、立ち回り方を変えたな」
「うん」
「囮や撹乱で味方に獲らせる戦法にかなり寄っている。以前よりも自分で敵を撃破することから遠ざかった」
「そうだね」
「なぜ変えた? 個人戦では自分が相手を倒さなければポイントは得られない。しかしランク戦では真逆のことをしている。その意図はなんだ」
三輪が自分の戦闘記録を見ていることに驚きつつ、招木は即座に答えた。
「考えが変わったんだ。私は射手としてやり直そうと思った。スコーピオンは近接戦闘で活きるけど、攻撃手のポジションに近くなるほど幸運体質が発揮されて……結果として私の望みから遠ざかると判断した。だから戦闘スタイルを変えた」
「望みとは何だ」
「独りにならないこと。敵を倒すことに執着すれば、仲間の存在を無視する。それは私の本意じゃない。だからスコーピオンを外した。自分の適性を理解した上で、それを磨くことにした」
すると三輪は眉間にシワをぐっと寄せた。求める答えではなかったらしい。彼のまとう雰囲気が鋭くなっていくのを感じた。
「それは」
三輪が一旦言葉を区切る。一言一句を強調するかのように低い声で問うた。
「近界民を殺すことよりも、重要なことなのか?」
三輪にとって招木は、自分と同じ近界民を殲滅する同志だった。
招木は第一次侵攻で家族皆殺しの目に遭っていて、三輪が直接ボーダーにいる理由を尋ねたところ「近界民に近づくため」と答えた。
彼はそれを「近界民を駆逐するため」と解釈した。自分と同じように家族を殺されたのだから、奴らを恨んで当然だと考えた。
だから加古に呼ばれて招木の実験に付き合ったし、招木に鉛弾を教わりたいと頭を下げられて了承した。
すべては彼女を強くして共に近界民を殺すためだった。
『おまえは囮役を軸に置いているようだが、その手で撃破したいと思わないのか』
囮や撹乱に特化したいと相談を持ちかけられた時、三輪は招木の攻撃意識の低さを指摘した。しかし招木は「それが諏訪隊の作戦方針だから」と別のアンサーを出した。
その時はそれで納得した。彼女は自分の弱さを理解していたから。
しかしそれから招木は着実に実力をつけていった。ランク戦でもB級隊員相手にそれなりに戦えるようになっていった。
『ようやく前に出たな。それでいい』
ランク戦で戦った時、招木が積極的に点を獲りに行く姿勢に三輪は満足した。
彼女がマスタークラスを目指して個人戦に熱中していると隊の仲間から聞かされた時、ようやくその手で戦うことを選んだんだなと噛みしめた。
バトルロイヤルで招木が攻撃手ばりの活躍を見せた時、心から歓喜した。
やっと。やっとおまえも近界民を積極的に殺すようになったのだと確信した。
これからは容赦なく近界民を排除していくんだと期待した。
それなのに。
『なぜ招木は前に出ない?』
前シーズンに開催されたランク戦での新たな招木の戦法は、その手で敵を殺すことから遠ざかっていった。
どうして。そんな疑問が積み重なっていく。抱えきれないほどに膨れ上がる。
おまえがようやく心を決めたと思ったのに。家族を殺され、近界民を憎む同志として、これからやっていくと思ったのに。
仲間だと、思ったのに。
「近界民を殺すこと?」
目の前の招木が三輪の質問を繰り返し、まばたきをして言った。
「それがどうかしたの。ボーダーの存在意義として理解しているけど、私の優先事項ではないかな」
招木はあっさりと三輪を突き放した。
その瞬間、三輪の頭は沸騰したかのように熱くなり、感情を抑えられなくなった彼は大きな音を立てて立ち上がった。
怒りに突き動かされるまま捲し立てる。二年近く抱えていた我慢の限界だった。
「ふざけるな! おまえは以前言っただろう、ボーダーにいる理由は近界民に近づき、殺すためと!」
「殺す? ……ああ」
急に態度が変わった三輪を見上げ、招木は遠い記憶を思い出すように視線をずらした。すると三輪の背後の方の扉からこちらを心配そうに見てくる四人を発見する。
三輪の大声とガタン! と響いた物音に何事かと覗き込んだのだ。しかし隊長が「二人にしてくれ」と言ったから間に入ることもできず、見守ることしかできない様子である。
彼らの不安げな表情を見た招木は「大丈夫だよ」と手で合図をし、目線を三輪に戻した。
「君と出会ったばかりの頃は、確かに近界民に近づくためにボーダーにいた。でもそれは殺すためじゃない。興味があったから近づきたかったんだ」
「興味だと……!?」
「そう。今は違うけどね。あの時の私はどうかしていた」
腹立たしいほど平常心のこもった声だった。
自身の激昂を微塵も気に留めていないのだと感じた三輪の苛立ちは、収まるどころか、膨れ上がった。
両手を机に叩きつけ、声のボリュームを上げてさらに目の前の女を問い詰めた。
「ああ、そうだ。おまえはどうかしている! 殺すためでないのなら、なぜ近界民に近づきたかった!?」
しかし怒りはそう長くは続かなかった。
三輪の苛烈な視線と招木の冷静な眼差しが絡み、すぐに解ける。
「感謝していたから」
乱れた息遣いの合間に、その言葉が静かに響いた。
「家族全員殺してくれたことが嬉しかったから。だから近界民に憧れのような……そんな感情を抱いていた」
……絶句した。
招木の発言は三輪の理解の範疇を超えていた。耳に聞こえた言葉はすぐに意味を持たなかった。ワンテンポ遅れて理解した彼は言葉を失い、立ち尽くし、茫然と招木を見下ろしている。
その表情からは怒りが抜け落ちていた。それほどの衝撃だった。
感謝? 大切な家族を殺した近界民に、人類の敵に憧れていた?
この女は何を言っている。意味がわからない。頭がイカれているんじゃないか。
足元から崩れ落ちるような悍ましさが迫り上がって、三輪は震える吐息を漏らした。
全身が焼けるような激怒を上回る不可解な発言に、凄まじく動揺した。
「でも、初めての防衛任務で近界民が自分の手で簡単に殺せるものになってしまって……それで興味を失った。今は大切な人を守るためにここで戦っているよ」
招木は三輪の狼狽をスルーしている。声のトーンに変化はなかった。どこまでも一定で揺らぎがない。普段の招木そのものだった。
だが今の発言には想いが込められているように感じられた。
大切な人を守るために。三輪はぐつぐつ煮えたぎる頭の奥で、その部分に切実な響きを感じ取った。
「三輪。座って。私の過去の発言が君を誤解させていたのなら謝るよ。ただ私は君が何に怒っているかがわからない。それを教えて欲しい」
同志だと思っていたのに裏切られたこと。
憎むべき近界民に今は関心すらないこと。
同じ傷を持つはずだったのに見当違いだったこと。
さまざまな衝撃を立て続けに食らった三輪は、無言のまま力なく椅子に座った。その動きに覇気はなく、魂が抜けてしまったように見えた。胸にぽっかりと穴が空いた喪失感を抱え、どうすることもできずにいる。
招木はひとまず三輪の怒りが消えたこと、様子を伺う四人が少し安堵した顔を見せたことを確認すると、もう一度同じことを繰り返した。
「私は君のことを知らない。だから怒らせてしまった」
「……」
「どうして君は私が近界民を殺したがっていると思ったのかな」
「……それ、は」
「うん」
三輪は思考回路がショートしてしまったのか、小さな声で呻いた後、しばらく黙り込んでしまった。
招木も口を開かない。三輪の答えを待っている。急かすことはしなかった。石像のように身じろぎせずじっと待つだけだった。
時計の秒針が一周する頃、ようやく三輪が訥々と言う。
「……おまえが、あの日……家族全員を近界民に殺されたと知ったからだ」
今の招木は自分の異端を自覚している。家族に死んで欲しかった自身の異常性を理解している。
普通は家族を殺されたなら近界民を恨むのが当然であり、近づきたい・好意的であることがおかしいのだとわかっていた。
だから三輪の推察は正しいし、自分がおかしいから彼を勘違いさせたと考えた。
これは私の責任だな、と静かに思った。
「……オレも同じだったから」
「三輪も?」
「同じ日に、姉を、失った。……だから近界民を憎んでいる。家族や友人を殺された人間でなければ、本当の危険さは理解できない。奴らは殺すべきだ。そのために戦っている」
「それが君の目的なんだね」
以前招木が三輪に鉛弾と教わりに行った時、彼は『目的のために自分を追い込んで当然だろうが』と言った。その目的とは近界民殲滅であり、事あるごとに招木の攻撃意識を煽る発言をしていた意図がようやくわかった。
三輪は招木を近界民殺しの仲間と認識していた。しかし招木が一向に近界民への積極的な殺意を見せてこないことを不審に思って、今回話を振ったのだ。
そして誤解があったと理解した。すれ違いに両者が気づいた。今はその事実に驚いて精神的に無防備になっている。
「だから、ずっとおまえを仲間だと思っ……」
そこまで言ってから、三輪は舌打ちをしてテーブルに視線を落とす。言いたくなかったらしい。よほど堪えているようだ。
そこに優しく語りかけるように、招木は意識してゆっくりと話した。
「教えてくれてありがとう。君の怒りはもっともだね。誤解させてしまって、ごめん」
「……なぜおまえは嬉しかった。なぜ近界民を殺したいと思わなかった」
半ば思考停止した頭で三輪が無意識に尋ね、すぐに後悔する結果となった。安易に踏み込んだことを自覚するより早く、招木は言葉を継いだ。
「家族に死んで欲しかったんだ。虐待を受けていたから」
「!」
三輪が息を呑んだ。少し離れたところから、隊員たちの動揺の息遣いも聞こえてくる。
「鉛弾を食らった時、懐かしいと言ったよね。日常的にああいう重しをつけられたり、食事を与えられなかったり、座敷牢に閉じ込められたり、酷い扱いを受けていたんだ。私にはSEがあり、誰からも人間扱いされなかった。だから家族を恨んでいた。あの人たちを殺して地獄から解放してくれた近界民は、私にとってのヒーローだった」
招木は三輪と真剣に向き合いたいと思い、そう発言した。「もちろん、さっきも言ったように今は考えが変わったよ。近界民は倒すべき存在だと理解している」と付け加えることを忘れない。
こうして改めて振り返ると危険思想が丸出しだ。だから当時の招木の異常性を察した小南や木崎は不安になり、嵐山は目を配っていた。迅が暗躍していたことにも何となく招木は気づいている。
しかし本人にとってこれは過去のことだ。虐待も歪んだ価値観も昔のことであり、解決している。
一方でこの様子の三輪は進行形だ。怒りや恨みの感情があの日からずっと続いている。だからここまで差が開いた。
今は三輪の怒りを鎮め、隊長の異変に驚き後ろで見守っている彼らを安心させるために必要なことだと思って話した。それだけだ。ここまで話さなければ目の前の男の誤解は解けないだろうから。
「──……」
しかし三輪にとって、そして裏で耳を澄ませている四人にとってあまりにショッキングな内容だった。彼らの頭を真っ白にするには充分だった。
迂闊に口を開けない重苦しい空気の中、招木は三輪をまっすぐに見つめていた。
「君の感覚は正しいよ」
三輪は肩を僅かに揺らした。眼前の女に意識が引っ張られる。視線が吸い寄せられ、淡々とした瞳から目が離せなくなった。
「大切な人を奪った敵は憎くて当然だし、近界民は排除するべきだ。私はそれに賛同している。どうやら君は私を近界民殲滅の味方だと認識していたようだけど、それは嘘でもない。昔はどうあれ、今は仲間だ」
「……!」
そして招木は三輪を肯定した。今までのようなすれ違いを生む上部だけの言葉のやり取りではなく、明確に三輪のスタンスを理解した上で同意した。
実感を伴わない虚像の味方だったのに、ここにきて急に肩を並べてきたのである。
これに三輪はいよいよパニックになり、頭を殴られたような衝撃を受けたまま固まってしまった。キャパオーバーである。
数年信じてきた仲間に裏切られるどころかはなから味方ですらなかったと発覚し、自身の勘違いをまざまざと突きつけられた上に想像だにしなかった凄惨な過去をあっさり知って、しまいには手を差し伸べられた。
三輪の感情はジェットコースター並みに乱高下し、脳がこれ以上の情報を受け取ることを拒否し始めたのである。
「私の昔の話は誤解を解くために伝えただけで、忘れていい。楽しい気分にはなれないからね」
招木の言葉が右から左へと流れていく。意味を持った単語として認識できず、音の響きをぼんやり感じるだけである。
ただ猛烈に脳みそが痺れるようだった。これは処理できない情報量に溺れそうになっただけだったが、三輪はそれを"喜び"に感じ取った。
怒りや喪失感で空っぽになった部分を怒涛の勢いで埋める肯定に、虜になってしまったのである。
「……」
三輪と招木では重みが違う。三輪が持つ近界民に向ける過激な殺意を、招木は持たない。彼女はあくまで組織の一員である以上、敵は排除しなければならないという一般論で話している。
しかし三輪は『大切な人を守るために』という招木の重みを既に知っている。
知らない間に勝手に味方認定されて勝手に裏切られたと怒りをぶつけられた彼女は、「そんなの知らない、君が勘違いをしただけだ」と反発してもおかしくなかった。
それなのに三輪に真正面から向き合い、過去を話し、あまつさえ受け入れた。『今は仲間だ』と断言した。熱量の差はあるだろうが、君の考えは正しいと同調した。
三輪が求めていた同志に、仲間に、自ら成ったのである。
「仲間……」
無意識のまま三輪が囁く。
三輪はその肯定を本物だと本能で感じ取った。
今度こそ虚ではない質感のある仲間を得たと、痺れる頭で感覚的に理解した。
─────────
「招木ちゃん」
招木が作戦室を出てすぐ後を追った月見は、背後で扉が閉まったことを確認しつつ、何を話せばいいか迷ってしまった。
奈良坂に用事があるからと招木が自身の作戦室に訪れると知らされた時は、ウキウキしてお菓子を用意していたのに、とんでもない話を聞いてしまった。
最初はそのつもりはなかった。
友達がとても大切な目標に取り組んでいると隊のみんなや幼馴染の太刀川から聞かされていて、それを達成できなくて落ち込んでいるかもしれないから、元気づけたくて待っていた。
招木はあまり顔に出す方ではないから、一緒に美味しいものを食べて話をしたかった。
『家族全員殺してくれたことが嬉しかったから。だから近界民に憧れのような……そんな感情を抱いていた』
それなのに、隊長と二人だけで話をしたかと思えば温度差のある応酬が始まり、招木の衝撃的な過去が飛び出してきて、部外者である自分を含めた数人が聞いてしまったことが心苦しかった。
月見が気持ちをどう伝えるべきか悩むうちに、振り向いた招木が頭を下げる。
「月見。変な話をしてしまってごめんね。彼らの様子を見てあげてほしい。私が話したせいなのに、君にお願いしてしまって申し訳ないけど」
「それはもちろん……構わないけれど」
「今はおかしな考え方はしていないから安心してね。近界民は危険だし、倒すべき存在だと認識している」
「それは疑っていないわ」
「ならよかった」
そこが問題ではないのだ。月見が不安になっているのは、招木の重い過去を思わぬ形で知ってしまったことだ。
しかし招木は『忘れていい』と伝えたつもりになっているので、それに触れることはなかった。
月見の頭に浮かんでいるのは、招木と初めて会った時のことだった。
月見、加古、綾辻、招木で女子会をした時、本当に珍しく招木が過剰に反応を示したことがあった。
あれは確か……『傅いているみたいですね』と綾辻が言った瞬間だった。思い切り振り払われた手の痛みは、感触よりも記憶として月見の中に残っていた。
あのトラウマチックな反応は、招木の虐待の過去に起因している。それを知ってしまったから、これまでの自分の言動が彼女を苦しませていないかと心配になった。
「大丈夫。月見と話して、嫌な思いなんてしていない」
「え……」
突然、招木が月見の不安を見透かすように言った。少し離れていた距離を詰めると、月見の手をとり両手で優しく包む。
「終わったことだから本当に気にしなくていいんだ。忘れていい。気にせず、これからも仲良くしてくれると嬉しいな」
「ええ……ええ。もちろんよ。友達だもの」
そこまで言われてしまえば、これ以上意地になるのはどちらの為にもならない。切り替えた月見は小さく微笑むと、手を握り返して顔を寄せた。
「ね。招木ちゃん。さっきの話、私は変だと思わないわ。あなたのことだもの」
「月見」
「何かあったら……いいえ、何もなくても。相談してね。友達で、仲間なんだから」
「うん。わかった。ありがとう」
月見は表情を少しだけ和らげた招木の後ろ姿を見送って、小さく呟く。
「……あの子たちを安心させなきゃ」
そして三輪隊の作戦室に戻る。友人に託されたからという理由もあるが、そもそも月見は三輪が心配だから東隊解散後に彼についていったのだ。
こういうときに役に立たなくてどうするの、と気負う月見の顔に、不安はどこにもなかった。
本当は三輪がブチギレして決裂して終了予定だったんですが、想定以上に招木が人間的に成長しており落ち着かせる方向に舵を切ったのでこうなりました。
なんでこうなった。ブチギレ裏切り者めルートの方がマシだったかもしれない。
一つの地雷の中継点はここでしたが、他にも地雷(菊地原や鳩原など)は埋まっているのでいつ爆発するか楽しみですね。