「絵馬」
「げ」
翌日、狙撃手の訓練室で招木は絵馬を待っていた。鳩原の問題は一旦取り繕ったが、絵馬はノータッチだったなと気づいたのだ。
絵馬は招木のやらかしを知らないが彼女を警戒しており、それが二人の師匠の不安を煽っている。だから解決したかった。それが鳩原や当真のためになるから。
その思いで露骨に嫌そうな顔をする絵馬に話しかけ、訓練の邪魔にならない場所まで後退する。周りに人はいないので二人きりで話ができそうだ。
「昨日はごめんね。途中で君を追い出してしまったし、最後は事態を放り出して帰って悪かった。あの後大丈夫だった?」
「大丈夫なわけない。ヒカリ絶対勘違いしてる」
「それが手っ取り早かった。秘密にするという目的は達成しているね」
「だからってさぁ……」
「君には先に言っておく」
「……?」
絵馬が鳩原をとても大事にしているのがわかるから、招木は単刀直入に言った。
「これから私は鳩原を追い詰める。人を撃てるようになるまで」
「はっ!?」
「鳩原にとってのそれが私の役目なんだと思う」
突然の宣言に絵馬は大声を出した。信じられないと目を開き、一歩下がって、あり得ない! とボディランゲージで表している。
近くにいた狙撃手たちが訓練を中止して二人に視線を向けるほどの大声だったが、その口から二の句が飛び出してくる前に招木が続きを滑り込ませた。
「だから絵馬、君が代わりに鳩原を支えてあげてほしいんだ」
「……は、はぁ? あんたさっきから何言ってんだよ」
予想外の発言の連続に絵馬の語気が急速に弱まった。そこには招木の話を聞こうとする冷静さを感じる。いや、それよりも呆れに近いだろう。
一瞬頭に血が上ったが、すぐに怒る気が失せたらしい。じっとりとした目で招木を射抜く。
「追い詰めるって、鳩原先輩にそんな酷いことするなよ。それに支えるって……」
「鳩原は遠征を諦めきれない。どうしても人を撃てるようになり、部隊のランクを上げて、遠征選抜試験を突破したいと考えている。それは知っているね」
「知ってるけど、」
「そのために鳩原は勇気を出して私を頼った。だから私は彼女がそうなるように応えたい。それには追い込む必要があると判断した。荒療治がね」
結局招木の手の中にはそれしか残されていなかった。自分が二宮の行いによってSEの苦手意識を克服した体験が根強く残っているからだ。
それにそれ以外の方法は鳩原が散々試しただろうから、最後の最後に声をかけた招木から提供できるのは荒療治だけだった。その役割を彼女が求めていると確信していた。
鳩原は覚悟を見せた。二宮隊に黙って招木に接触し、二宮の接触禁止令を既に破っている。その覚悟に報いるには、相応のものを返さなければならない。
「それ、二宮隊の人たちにバレたらやばいんじゃないの。接触禁止なんでしょ」
「やばいよ。今度は虐殺じゃ済まないかな。二宮にも犬飼にも二度とするなと釘を刺されているから」
「……それでもやるの?」
「やる。鳩原のためになるのなら」
「……」
「きっと彼女は辛い思いをするだろうし、逃げたくなると思う。だから君の力が必要になる」
「……オレの?」
これでやっと本題に入れる。絵馬が疑う素振りで眉根を寄せていた。
「追い詰められてばかりじゃ鳩原は潰れてしまう。そうならないように見てあげてほしい。様子を見て声をかけて励ますの」
「オレが? ……言われなくてもやるけど、なんでオレなの? 二宮隊の人は頼れないから?」
「違う。君が一番鳩原と仲が良いからだ」
「!」
絵馬が瞠目している。しかし招木にとってそれは不思議なことではなかった。
昨日、招木を呼び出すために鳩原は絵馬を頼った。他の誰かに絶対にバレてはならない事情に絵馬が関わることを許した。彼女の性格を考えれば、それは一番の信頼の証ともとれる。
鳩原は弟を探すために遠征を目指しているから、もしかすると絵馬を重ねているのかもしれない。
そのようなことを招木は想像していた。そこに着目した。
招木は鳩原を追い詰めることが決定事項となっていたので、これを利用すれば絵馬に使命を与えられる。それは不安や警戒を跳ね除ける強固な精神の支柱となるだろう。
これにより当真の相談も解決する。そう思いついた。……運がいいことに、思いついてしまったのだ。
しばらく絵馬は沈黙していたが、やがて深く頷いた。
「わかった。やるよ。オレが一番だから」
言外に「あんたが一番じゃないからね」と刺しに行く。招木はまばたきをして「ありがとう」と返すだけだった。
「……だけど、一つ条件がある」
「何かな」
「あんたと鳩原先輩を二人きりにはしない。何かやるなら、オレを絶対に呼んで」
昨日の反省を生かした監視目的の条件追加だ。断る理由はない。
「いいよ。私から二人きりになることはしない」
「絶対だからね」
「うん。それと、追い詰めるのはあくまで鳩原に声をかけられ、人を撃てるように特訓したいと頼まれた時だけだよ。鉛弾はお蔵入りになったし、鳩原が私を頼る理由はもうないかもね」
これだけ言っておきながら招木から鳩原に声をかける気はなかった。あくまで向こうが必要としてきたから、という名目が重要だったのだ。
鉛弾を質問するまで鳩原は招木に一切関わらないようにしていたし、逆もまた然り。その用事も済んだので、今後は二人が接触しない可能性だってある。
すると急に絵馬が苦虫を噛み潰したような顔になった。トリガーオフをして私服になると、ポケットから携帯を取り出す。
「連絡先、鳩原先輩が自分のをあんたに伝えておいて欲しいって、伝言預かってる」
どうやら鳩原はあれだけ酷いことをされても、招木を頼るつもりらしかった。昨日の泣き笑いを我慢するようなあどけない表情と、肩に乗せられた頭の重みを思い出す。
飴と鞭と言えるかわからないが、招木は鳩原にそれに近いものを与えているようだ。
招木も生身の姿に戻り、鳩原の連絡先を登録する。速攻で連絡した。これで二宮隊にはバレずにやりとりができるようになる。
「ちゃんとわかってるよね? 二人で会う時は、」
「絵馬を呼ぶ、ね。私からはそうするよ」
最後に念を押した絵馬が「絶対だからね」と言い残し、換装すると訓練に戻っていく。それと入れ替わりで当真が招木に話しかけた。その顔はニヤニヤと笑っている。
「もう連絡先交換するぐらいユズルと仲良くなったのか? 一瞬揉めてたみてーだけど」
「ケンカはしていないよ。それと、一昨日話した絵馬の問題は解決した。鳩原の方も大丈夫だと思う」
「え、もう? 早えーなおい」
その調子でカゲとも仲直りしろよと続く言葉を、招木は曖昧に流した。
─────────
「ペース下げるか?」
「いや、大丈夫。あと二周、頑張る」
「そうか」
木崎は招木の言う通りにペースを下げず、一定のリズムで地面を蹴る。その後ろからやや乱れた呼吸でついていく招木は、疲労を訴える手足を無視して体を前へと運んでいた。
二人は遊歩道を走っていた。冷たい空気を吸い込むたびに胸の奥がひんやりする。夕暮れの公園をランニングする行為は久しぶりのものだった。
「招木、フォームが乱れているぞ」
「わかった」
冷静な木崎の指摘に、招木は彼に教わった正しいフォームを指先まで意識した。
体を鍛える一環として木崎は筋トレをしたりランニングをしたりする。その場に招木が加わることもあった。
二人が出会った経緯は諏訪に彼女の体力づくりを頼まれたからだが、あれから約二年、招木は見違えるほどに成長した。
継続は力なりという言葉の通り、招木は雨の日も風の日も木崎のメニューを最後までやり遂げている。最近までマスタークラス到達の大目標があったので控えめにしていたがそれも終わり、防衛任務にも復帰したので、トレーニングも元の量に戻していた。
「お疲れ、よく走り切ったな」
「ありがとう。足が、少し、ヘロヘロかもしれない」
「本部まで帰れるか? 暗くなってきたし、うちに寄るなら車で送ってやれるが」
「いや、そこまでしてもらわなくて平気だよ。休めば帰れる」
「ちなみに今日の晩飯の担当は小南だ」
「お邪魔するね。実はお腹が空いていたんだ」
招木は小南の手作りカレーが大好きなので一瞬で手のひらを返した。彼女は大量にカレーを作るため急に一人分増えても問題ないことを、今までの経験から知っている。
「あ、待って。迅は?」
「今日は本部に用があると言っていたな。帰りは遅くなると言っていたが」
「なら会うことはないね」
「相変わらず仲が悪い」
迅と招木の不仲は変わらない。たまに招木が「未来の奴隷だねと言ったり冷たい態度をとっていることを謝らなければ」となっても、迅が尻を触って謝らせないようにしている。
という構造に招木も気づき始めていた。迅は謝られたくないのだとわかっていた。
理由はなんとなく想像できる。だから二人は並行した関係性のままだった。
「ふぅ、ありがとう。玉狛支部まで軽くなら走れるくらい、回復したよ」
「よし。では行くぞ」
少し休憩した二人は、先ほどよりもペースを下げて玉狛支部まで走って帰る。
話をする余裕が生まれた招木が本題を切り出した。
「木崎は鳩原の兄弟子だよね」
「ああ、そうだ」
「ならたまに鳩原の様子を見ておいてほしい。絵馬がかなり心配しているようだから」
「絵馬が? それはわかったが、なぜ急にそんなことを言う」
木崎は招木と鳩原に繋がりがあることも、招木と絵馬に繋がりがあることも全く知らない。彼女は狙撃手の特別訓練に付き合うことが時々あるが、二人と個人的な付き合いがあったなんて。
絵馬なんて今期に入隊した新人だ。社交的な性格ではない彼とどんなきっかけで仲良くなったのか。それほど親しかったのかと意外な気持ちだった。
しかし招木が首を振る。
「当真に相談されたんだ。鳩原の焦りを絵馬が感じていて、どうにかして欲しいと。それは私より兄弟子の君がより適任だと思う」
「確かに遠征絡みで鳩原に余裕がないのは感じていたが、それを当真がおまえに言ったのか」
「うん。私も最近弟子を迎え入れたからね。弟子を持つ者同士で親睦会をした時に聞いた」
これは真実だ。心地よいリズムで走りながら、招木は「木崎は鋭いからあまり嘘を言うべきではないな」と慎重になっていた。
絵馬の他にも鳩原を注視する存在が欲しかった。SEがある以上どこまで彼女を追い詰めるかわからないから、保険として木崎を選んだ。
彼は鳩原の兄弟子だし立場が近い。年上で判断力にも優れている。玉狛支部所属だから少し距離があるのもちょうどよかった。
二人の師である東も適任だが、近すぎると招木の行いを勘づく恐れがある。東は二宮を率いていたこともあり、そこから事態が露見するのを防ぐためだった。
「私じゃできないから、木崎に頼みたいの。二人を見守ってあげてね」
「……わかった。約束しよう。本部に行く時は気にかけておく」
「ありがとう」
しかし招木の思惑とは裏腹に、木崎は違和感を感じていた。
当真が招木を意識していたのは知っている。その種類があまり正統派なものではないこともわかっている。だからこそ当真が鳩原や絵馬のことを招木に相談したことを不自然だと思った。
頼るなら東が最適だからだ。招木も全くできないわけではないが、人のフォローや見守る姿勢においては、東に軍配が上がる。
『招木がよぉ、日佐人んことすっげぇ気にかけてんだわ。俺ぁそれ見てバカみてーに感動したんだよな』
飲み会で酔っ払った諏訪が酒を片手にそんなことを言っていた。木崎は本部に顔を出す頻度がそこまで高くなく、また諏訪ほど招木の近くにいる人間はいないので、彼の言う通りに招木が成長したことは疑っていない。
今回の件も、相談を持ちかけたのが当真でなければ信じていた。
しかし彼が招木に対して向ける感情は他と違うので、引っかかりを感じたのだ。
つまり当真は別の目的があって招木に話を持ちかけただろうと、彼の性格を知る木崎は考える。
鳩原や絵馬を心配する以外の、招木にしかできないような何かを企んでいたのでは、と。
「覚えておこう」
「お願いね」
木崎の返事を招木は素直に受け取った。そのすれ違いに木崎だけが気づいている。
招木の知る通り木崎は鋭い男なので、キャッチした違和感からほとんど正解に辿り着いていた。恐ろしい判断力である。
「ただいま」
「お邪魔するね」
「おかえりー、って、招木ちゃん! レイジさんとまた走ってたの? よくやるわね」
玉狛支部に辿り着くとエプロン姿の小南が出迎える。汗だくの二人を見て「さっさとシャワー浴びてきたら? もうすぐご飯よ」とリビングから追い出した。
ここには男女分かれた入浴スペースがあり、招木も利用したことがある。小南と体格が似ているので服を借りることもできた。
そこでさっぱりと汗を流し清潔になった体でリビングに戻ると、風呂上がり姿の招木を見つけて宇佐美が話しかけた。
「あっ、招木さん。こんばんは! いらしてたんですね」
「宇佐美、こんばんは。玉狛支部に移籍したんだよね。ここで会うのは初めてだ」
宇佐美はそれまで風間隊のオペレーターであり本部に所属していたが、学業を優先する理由で玉狛支部への配属変更がなされていた。本部で見ていた顔を玉狛支部で見るのは何だか不思議な感じがする。
それと同じ立場の人間がもう一人いた。
「お疲れ様です。たまにレイジさんとランニング行ってるの、マジだったんすね」
「うん。今日はこの後本部まで車で送ってくれるって。どうせ迅を迎えに行かなきゃならないから、そのついでだよ」
「あれ? 迅さんはもう帰ってくるから迎えはいらないって聞いてましたけど」
「は? 迅もう来るの?」
「嘘ですけど」
「烏丸」
「すみません」
烏丸である。彼もまた太刀川隊に所属していたが、最近玉狛支部へと移籍した。
絵馬を待つ間の狙撃手用訓練場にて「城戸派・忍田派を烏丸派が脅かすからですかね〜」と噂話をのんびりしたのは隠岐だった。その時は「そうかもね」とのんびり返事をした招木だったが、そんな噂話が通るほど烏丸のファンは本部に多い。
「人が増えたね」
カレーをよそってもらい、みんなでいただきますをして食事を開始。しばらく経ち、招木が独り言を言った。
招木もそこまで頻繁に玉狛支部に出入りしているわけではないが、宇佐美と烏丸が増えたことで場は賑やかになっている。向こうのテーブルでは烏丸が陽太郎の世話を焼いており、手慣れた感じには頼もしさすらあった。
その呟きを耳にした宇佐美が招木にニコッと笑いかける。
「招木さんってちょこちょこ玉狛支部に遊びに来てるって聞きました。これからはアタシとも遊んでくれます?」
「もちろんだよ。君の話はいつ聞いても面白いし」
「わっ、やった! ラッキーです」
「私のSEを熱心に研究していたのが懐かしいね」
宇佐美の好奇心は目覚ましいものがあり、一度気になり出したら止まらない一面がある。過去に幸運体質に興味を持った宇佐美にお願いされるまま研究に付き合ったこともあった。
彼女は風間隊において菊地原のSEに注目し強化聴覚の戦闘活用法を提案した才女だ。加えて親しみやすくコミュニケーション能力に優れており、玉狛支部に移籍したのも優秀な人材と見込まれたからだろう。
「アタシは勉強優先で支部配属を希望したんですけど、招木さんはずっと本部に所属してますよね。この間は鈴鳴支部もできましたし、移籍を考えたりはしないんです?」
「ないかな」
「えー、玉狛は?」
「迅がいるから嫌」
「迅さんが? 即答なんですね」
苦笑いをする宇佐美に、小南が「ずっと仲悪いのよ、この二人」と付け加えた。宇佐美はそのことを知らなかった。本部で二人が揃うところは見たことがないからだ。まあ迅がレアキャラというのもある。
「でもここには来てるわけですよね。会いたくない人がいるのに」
「小南や木崎、陽太郎に会えるから。雷神丸にも触れるし。それに事前に迅がいるかどうか確認しているから、よっぽどのことがないと会わないよ」
「徹底してる!」
「いつものことよ。そのうち慣れるわ」
小南が淡々と言った。招木がそれに頷いている。
「所属するのと遊びに行くのは別だ。私はこのままがいい」
「住んでるのも本部だものね。高校を卒業したら一人暮らしとかするの?」
「いいえ。大学に進学しても宿舎にいるのは変わらないと思うよ。興味がないわけじゃないけど、今の環境の方がメリットが多い」
続く小南の質問に冷静に返した。
招木はボーダー推薦にて大学に進学する予定だ。太刀川ほどではないが彼女もそこまで成績がいい方ではないので、ボーダーに所属していなければ絶対にない進路だった。
そして一人暮らしに関しても招木は特に利点を感じなかった。予算と手間と任務と色々な都合を考え、今後も宿舎に住むつもりである。
「それに泊まり組の話し相手になるのも楽しいよ。オペレーターの子たちが私の部屋に泊まることもあるし」
「あは。みんなでゲームやりましたね。国近先輩めちゃ強かったな〜」
「宇佐美もいつでも来るといいよ。勉強の息抜きにでも」
「いいんですか? 嬉しい、お菓子作ってお邪魔しますね!」
宇佐美が明るく言う。その頭には元チームメイトの顔が浮かんでいる。
菊地原のことだ。彼は招木のことをとにかく嫌っていて、明確に避けている。まあ菊地原は基本的に人との付き合いを苦手としており、その理由もわかっているので、宇佐美は静観していた。
ただ招木も菊地原もどっちも素敵なところがあるのに、見えていないのがもったいないなと思うだけである。
それは迅と招木の関係にも同じことが言えた。
「小南。カレーとても美味しかった。お持ち帰り用のタッパーと着替えは今度洗って返すよ」
「あたしが作ったんだから当然でしょ。でも、ありがと。また食べに来てね」
招木は小南特製カレーをテイクアウトした。夜食にするつもりである。
おかげで帰り道、木崎の車内がカレーの匂いに包まれ、招木と入れ替わりで乗車した迅が「レイジさんここでカレー食った?」と聞き、木崎が風評被害を受けた。
エプロン姿の小南におかえりって迎えられたい人生だった
ワートリ全体に言えるけど年頃の男女で共同生活(玉狛支部、鈴鳴支部、閉鎖環境試験など)しておいて色っぽい展開やラブコメにならないのすごすぎる
おかげでそういう展開を描いていいかすごく悩む
尻は揉まれているが