あっ幸運体質だ、ラッキー!   作:睡眠人間

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私事

「お疲れ様。早いな、みんな。ちょうどよかった」

 

 嵐山隊の作戦室に入室した嵐山が室内をぐるりと見渡して言った。そこには綾辻、佐鳥、時枝、そして新たに加入した木虎が待機している。

 今日は雑誌の取材が控えており、現時刻は集合予定時刻よりかなり早いが、抱えている仕事が非常に多いので自然と作戦室に早めに行って仕事をするような人間しかいないのだ。

 記入していた書類から顔を上げて皆が挨拶を返す。木虎が付け加えて質問した。

 

「嵐山さん。ちょうどいいって、何かありましたか?」

「私事で恐縮だが、皆に紹介したい人がいる」

「えっ?」

 

 誰だろう。まさか新しいメンバー? いや戦闘員は四人で満員だし、新たな広報部隊の顔見せとかだろうか。そんな話を根付さんから聞いていたような。

 そのようなことを考える彼らの頭はとても無防備だった。事務仕事が立て込んでいて疲れていたのもある。クタクタの脳みそが悲鳴を上げかけていた。

 そこへ嵐山に促されるように女が入室する。

 

「あ、招木さん」

 

 綾辻が名前を呼ぶ通り、登場したのは招木だった。諏訪隊の隊服に身を包み淡々とした表情を浮かべる女である。

 今更紹介されなくとも知っている。この中で一番入隊歴が浅いのは木虎だから彼女に紹介するのかな? とぼんやり思ったが、時枝がちらと視線を向ければ木虎がフルフルと首を振った。既に知り合いらしい。

 招木は反応する隊員たちに目で挨拶を返しながら嵐山の隣に立った。

 

「ん〜?」

 

 その距離感の近さに、佐鳥が怪しむようにして顎に指をかけてムムムと唸る。今更取り立てるようなものではなく、この一年ですっかり慣れてしまった距離感だが、今日のは何かが違う気がした。

 

「あの〜……確認なんですけど」

「何かな」

「お二人って付き合ってないですよね?」

「そのことなんだが」

 

 こほん、と咳払いをした嵐山が招木の肩に手を置いた。

 え、え、と佐鳥が小さく声を漏らした。その紹介の感じは、まさか。

 ジワジワと予感を抱き耐えられなくなった綾辻は口元をハッと手で抑え、時枝が半端に腰を上げた。木虎が首を傾げている。

 興奮気味の三名と疑問を顔に出す一名。それぞれの視線を受ける嵐山が口を開いた。

 

「俺たち、付き合い始めたんだ」

「よろしくね」

 

 数秒後、嵐山隊の作戦室に複数人の叫びが響き渡った。

 ここにボーダーいちのビッグカップルが誕生したのである。

 

 

 

─────────

 

 

 

「嵐山と付き合うことになったぁ!?」

「うん」

「よろしくお願いします」

 

 諏訪隊の作戦室にて、招木は嵐山を連れてそのような報告をした。嵐山隊でやったように、諏訪隊にもきちんと報告しておくべきだろうということで、心の準備もなくぶっ込まれたそれに彼らは驚きの声を上げる。

 いや、諏訪だけは準備をしていた。準備というか予感だ。

 以前からいい感じだった二人。招木の人付き合いが急に悪くなった理由。今までは気軽についてきた二人きりの食事やお出かけを断るようになった理由。

 並んで入ってくる二人を見てそれらが急速に頭の中で組み上がっていき、ウッと諏訪はよろめいた。

 そこに上記の報告を告げられて、一番でかい声を出していた。

 

「は〜……招木と嵐山が……え〜……、はーっ」

 

 堤も汗を滲ませるようにして言う。小佐野は「えーヤバ。おめでと」とさっくり祝い、笹森は「前からずっと付き合ってると噂されてたけど違ったんだ……」と内心思いつつ祝福の拍手を送っている。

 しばらくの間放心していたが復活した諏訪が嵐山に詰め寄った。

 

「おまっ、招木だぞ!? いいのかよ!?」

「諏訪? どういう意味なのかなそれは」

「諏訪さんの言う通りだ。もっと他にいるだろうに」

「堤まで」

「まぁきっかけ知りたいよね」

「おサノ?」

「最近なんですか? お付き合い始めたの」

「日佐人もなのね」

 

 嵐山が諏訪隊の面々に次々話しかけられる様を、招木は背後から見ている。が、しかし彼らの言い分も正当だった。

 同級生・同期入隊の共通点はあるが、人間的に圧倒的に優れているのが嵐山であり、比較するとぼやっと印象が薄れるのが招木だった。嵐山がそれだけ鮮烈な男というのもある。

 街を歩けばあちこちに彼のポスターが張り出されているし。メディア対策室に等身大の嵐山人形もあるし。

 そんな男がうちの招木と付き合った? しかも告白したのは嵐山から? いや前からめっちゃ仲良かったのは知ってるけどそこまでだったの? 噂はされたけど否定してたじゃん。忙しい合間を縫って愛を育んでたの? あっそう……。

 という具合で諏訪隊のメンバーは頷くしかないのである。

 

「芽依さんを幸せにします」

「うわーっ」

 

 最後にペカッと光る笑顔を浮かべた嵐山がそう言ったので、堤がさらにギュッと瞼に力を込めて慄いた。

 まるで娘が玉の輿の結婚相手を連れてきた時のような有様だった。こんな、こんなのどうしたらいいんだ。というか諏訪さんは本当に受け入れられたのか!?

 小佐野と笹森が、一番ショックを受けているだろう我らが隊長を見やる。

 諏訪は招木に恐る恐る話しかけていた。その背中は心なしか哀愁が漂っているようにも見えた。

 

「おまえが最近誘いを断るようになったのって」

「准と付き合っていたから。異性と二人きりの食事はよくないと聞いた」

「お……」

 

 お互い名前で呼び合うようになっている。親密感をまざまざと突きつけられるようだった。

 それに招木が、恋人がいる人間が異性と二人きりの食事にいくべきではないという価値観を持っていることにも驚いた。

 まあカップル限定のスイーツを食べに行く時は恋人がいないことを確認した上で連れていっていたようだけど。諏訪も堤も連れて行かれたけど。

 今回のケースとは種類が違う。

 いや、まだその判断は早い。意外にも嵐山が束縛するタイプで、そういうのを禁止したのかもしれない。

 

「俺は気にせず行っていいと伝えているんですけど」

「本人はそう言うけれど、やっぱりよくないと思ったの。准のこと、大事にしたいから。ごめんね諏訪」

「おお……」

 

 もはや自分の口から漏れるのが何の言葉なのかもよくわからなくなってきた諏訪は、驚きと感動と動揺とで心がぐちゃぐちゃになっていた。

 諏訪の目の前にいる招木はすっかり別人のようになっている。初めて出会った時のことを思い出すようだった。

 あの頃の彼女は自分で考えることもできなくて、挨拶も礼儀も知らなくて、友達もいなければ頼れる誰かもいなかった。それが高校卒業が目前に迫った大人に近づいている。

 やがては愛する人を見つけて巣立っていくのだろう。もしくは今その入口に立っているのか。

 最初に招木から手を離した諏訪は、それからなかなか手を離せずにいた加古にアドバイスしたり、逆に招木が那須や笹森に甲斐甲斐しくするあまり過保護になりかけているのを指摘したりしてきたけれど。

 そういう機会も遠のいたことを実感した。

 招木はもう諏訪のもとから去っていくだけだと、彼は感じていた。

 

「諏訪」

 

 しかし、招木がピシャリと名前を呼ぶ。意識がそちらに吸い寄せられた。諏訪の視界が、現実の招木にピントが合う。

 

「私が准の恋人になっても、君や諏訪隊が大切なことは何があっても変わらないよ」

 

 その時、諏訪は走馬灯を見た。

 

『君の好きなものが知りたいから』

『なら俺がその物好きになってやる』

『おかえり』

『……、……ただいま』

『最高じゃねーか』

『君のことが好きだな、と思った』

 

 今まで積み重ねた招木との思い出がブワッと頭の中に溢れ出し、諏訪はクッと変な顔をした。眉間にシワを寄せ、鼻がピクっと動く。それは不覚にも泣いてしまいそうなのを堪える男らしい顔だった。

 その顔を見られたくなくて諏訪が天井を見上げる。フーッと息を吐き切ると、すっかり表情を元に戻して招木に言ってやった。

 

「わかってんだよ、んなこと。オラさっさと出てけバカップル」

「バカップルではないと思う」

「うるせー出てけ! とっとと幸せになりやがれ!」

 

 諏訪が荒っぽく二人を追い出せば、爽やかに笑う嵐山が招木を作戦室から連れ出した。

 きっとこの後も二人は交際を色んな人に報告しに行くのだろう。ボーダーの顔たる嵐山は言わずもがなだが、招木だってたくさんの人と縁を結んでいる。

 二人の行く末がハッピーエンドでありますようにと願うのは、諏訪の他にも大勢いるのだ。

 

「諏訪さん」

 

 すると堤がポン、と背中を優しく叩く。諏訪が振り返れば、三人が優しい目をしていた。

 

「招木に彼氏ができて寂しいでしょうけど、オレたちがついてますからね」

「みんなでご飯行こうね。マネキおめでとう会とすわさんドンマイ会」

「オレ店予約します! たくさん話聞きますから!」

「んで俺が慰められる流れになってんだよ!」

 

 その後、諏訪隊でのご飯会ではギリギリ漏らさなかったものの、風間・寺島・木崎との飲み会ではすっかり酔っ払い、「俺……娘ができたらまたこんな気持ちになるのかな……」と赤ら顔で大真面目に言って周りの大爆笑をかっさらう羽目になることを、現時点での諏訪はまだ知らない。

 

 

 

─────────

 

 

 

「准。大丈夫?」

「ああ。少しヒヤッとした」

「ええ? 君が?」

「俺だって人間だからな」

 

 笑い混じりに二人が話すのは、先ほど報告した加古とのやりとりだ。

 嵐山が加古に交際について報告したとき「ふぅん?」と素っ気ない声色で相槌を打ったかと思えば、

 

『招木ちゃんを独り占めしようだなんて思わないことね』

 

 と真顔で言った。美人の真顔は迫力がある。

 流石の嵐山も呑まれるかと思ったが、彼は微塵も気圧されずに「当然です。芽依は皆に愛される存在ですから」とノータイムで答えた。

 上位者たちのやりとりを招木はすぐ近くで見守るだけであった。飼い主だった加古がいるとワンコロ性質になるのは変わらない。

 その後の加古は打って変わって招木ににこやかに話しかけていたから了承は得たと思うのだが。

 さて、そのような感じで報告は進んでいく。

 

「やっとかよ」

「長かったなー」

「嵐山が飛び出していった時な、実は俺らも一緒におってん」

 

 今度は同級生の友達に知らせに行った。弓場や柿崎、生駒である。

 迅はいない。玉狛支部に所属する彼は本部にいることの方が少なく、どうせ後で玉狛支部に行くことになるから別にいいかと招木は思った。

 向こうでは月見、藤丸、橘高が何やら嵐山に絡んでいる。どんな会話をしているか気になったが、今はこちらの相手が先だろうと招木は視線を元に戻した。

 

「ああ、あの時ね。こっちも女子四人で一緒にいたんだ。そっちも同じ状況だったんだ」

「まさかあのまま付き合うことになるなんてな。いや、驚いた。でも本当にめでたいな」

 

 柿崎が穏やかに笑った。彼は招木と嵐山の関係を双方から話されたり相談されたりして板挟みだったのだ。あと佐鳥と時枝にも「あの二人どう思います??」と突撃されたりしたし。

 嵐山が招木に『愛情を与えたい』なんて言ったと知った時はひっくり返るほど驚いたし、招木が『嫌ではないよ』と返事したと聞かされた時は頭を抱えた。

 二人とも互いを大切に思っているのに、主に招木のせいで停滞した関係にいたのだ。

 それが急に交際まで発展したのだから、いやはや女子(月見、藤丸、橘高)の勢いには目を見張る。

 

「ちなみに聞きたいことがあるんやけど」

「なに?」

「嵐山のどこが一番好きなん? 聞きたい…教えて……?」

 

 生駒がテーブルに肘をついて両手の指を組み、口元を隠したまま神妙な雰囲気で質問する。ただし声色がウッキウキだった。

 すると招木が腕を組んで沈黙するので「いやホラ俺は恋バナしたらあかん顔やけど聞きたいねん。ダメ?」と生駒が焦って口走る。

 

「そんなことはないよ。ただどういう言い方をしたらいいか悩んでしまって」

「あ、そう?」

 

 生駒にそう伝えると、招木はもう一度嵐山に視線を向ける。その目はとても柔らかくて、柿崎は「お」と少し安堵した。

 よかった。ちゃんと招木は嵐山のことが好きなんだなとわかる温度を灯している。

 今でこそ信じられない話だが、昔は招木は嵐山のことを気持ち悪いと思っていたらしいし、嵐山も招木とは話したことがないと言っていた。

 そんな二人が結ばれて、親友としてとても嬉しかった。

 ほっこりした気持ちで和んでいれば、やがて意見がまとまった招木が静かに切り出す。

 

「准は家族が一番大事なんだ」

 

 鳥肌が立つほどとても優しい声だった。

 柿崎が一瞬、招木の口から発せられたものだと気づかないくらい、耳にしたことのない声色だった。

 故に、ゾッと肌が粟立つ。訳もわからず柿崎は自身の二の腕に触れた。

 

「ボーダーに入ったのもそれが理由だしね。副と佐補……大事な弟妹がいて、愛する家族に愛されている。家族の写真を見せてきたり、よく話をしたりするでしょ」

「ああ、するな」

 

 いつにも増してどこか硬い表情の弓場が同意した。彼も柿崎と同じように招木の中に潜む何かを感じ取っている。

 招木の横顔はとても優しいのに不気味な感じがした。ここだけ急に時間の流れが遅くなったかのように、胃の中にずしりとした重みを感じる。

 

「つまり彼の中での優先順位付けは済んでいるんだ」

「優先……え?」

 

 生駒だけはなんか違った。わざとなのか本気なのかわからない迫真の顔でキョトン……! としている。

 そのおかげで空気は若干明るくなったが、招木の調子は変わらなかった。

 

「有事の際に准は家族を優先する。家族の無事を確認できたら戦場で死ぬまで戦える。そういう人間なのが最後まで変わらないんだ」

「……、」

「そういうところに、ひどく安心する。だから好きだよ」

 

 柿崎が苦しげに顔を歪めた。思い出すのは本部ができたばかりのインタビューだ。柿崎と嵐山が出演したときのもの。

 記者に家族と街の住民のどちらを優先するのか質問された時、柿崎は言葉を詰まらせた。正解がない問いだと思ったのだ。

 しかし嵐山は答えた。家族だと。そして付け入る隙を見つけたと言わんばかりに猛攻撃する記者たちを結果として黙らせた。

 以前の招木はそれが気持ち悪かったらしい。しかし今度はそれを好きだと言った。この変化に、柿崎の頭で警報音が鳴る。

 なんだか猛烈に良くない気がしたのだ。言語化できない違和感に、気分悪そうに黙り込んでしまう。

 

「柿崎、どうしたの?」

「あっ、いや。そうだな……言い方を考えてそれなのか」

「わかりづらかった?」

「わかっ……、うん……」

 

 説明がどうのこうのではなく、中身がよくない気がする。しかしどう言えばいいかわからなくて柿崎は言葉を選びかねた。

 すると弓場がテーブルに身を乗り出した。気にならない程度にグッと招木に近づき、低い声を出す。

 

「ダチの名誉のために言わせてもらうけどよォ」

「うん?」

「優先順位だのは置いといて、あいつの守るもんにおまえも入ってんだからな」

「だろうね」

 

 弓場の訂正に招木が頷く。そこは理解できているらしい。しかし消化できない何かがずっと残っているようで気持ち悪かった。

 微妙な空気感の中、招木が首を傾げる。

 

「弓場。君も家族がとても大事なんだってね」

「あ? たりめーだ。別に特別なことじゃねえだろ。家族を守るため、家族のために戦ってるやつはここに山ほどいる」

「そう。当たり前のこと」

 

 ボーダーには色んな人間がいて、家族のために所属する人間はいくらでもいる。

 招木の周りもそうだ。わざわざ公言しないだけで諏訪隊の彼らもその中にいる。三門市出身の隊員のほとんどがそれだ。父や母、兄弟姉妹、祖父母に従兄弟。ペットの動物たち。なんだっていいが、彼らの戦う理由には家族が存在する。

 しかし。

 

「だけど准だけは特別なんだ。他の人たちは何とも思わないのに、彼だけが」

 

 招木にとって嵐山は特別だった。だから付き合うことになった。

 またもや説明事項が欠如しているが、弓場がさらに問い詰めようとしたところで「三人とも、その辺で」と招木が席を立ってしまう。彼氏が女子たちに遊ばれるのを止めに行ったので、残された男三人はただ視線を合わせて心を揃えるだけだった。

 まだまだ見守る必要があるな、と。

 

「好きって200種類あんねんな」

 

 生駒がボケなのかわかりづらい顔でポツリと言ったが無視されていた。

 

 

 

─────────

 

 

 

 招木と嵐山は正式にお付き合いを始めた。きっかけは女子会後のやりとりだ。

 招木の特別になりたいと言った嵐山。

 嵐山に特別をあげたいと言った招木。

 二人が選んだのは恋人になることだった。一番わかりやすい特別だからである。

 ともすれば家族や友人よりも大事な関係になり得るそれに、二人は一歩踏み出した。

 互いのことを名前で呼び、形から入ることにしたのである。

 

「悪い。遅くなったな」

「いいよ、君が忙しいのはわかっていたことだし」

「それでも早く芽依に会いたかったんだ」

「わかってる。私もだよ、准」

 

 招木がそう言えば、嵐山はとても嬉しそうに顔を綻ばせる。絡めた指から熱がじんわりと伝わってくるようで、招木もこそばゆい心地だった。

 これまでの接触で嵐山が冷静だったのは招木の態度が普通だったからだ。彼は他の誰が招木に手を繋いだりハグしたりしても、彼女は等しく同じ反応を返すと思っていた。

 しかしそれは違うと本人から否定された。

 そして招木も「あ、准はわかりやすく特別扱いされると嬉しいのだな」と学習したので、そうするようになった。

 

「近くない?」

「ダメか?」

「ダメじゃないけど、誰かに見られるかもしれないし」

「誰も来ないよ。それにもういいだろ、あれだけ報告して回ったんだから」

「もしかして最初からそのつもりだった?」

 

 答えを聞く前に言葉を奪われてしまったので、招木は何も言えなくなってしまう。

 しかも、これまで誰かとここまで親密に触れ合ったことのない招木には、まったく知らない緊張や興奮が体の奥から広がっていくのを感じた。嵐山に触れられる箇所にばかり意識が集中してしまって、胸をくすぐるような落ち着かない心地よさに、ただじっとするしかなかった。

 一度唇を離されてやっとのことで息継ぎをしたら、いつの間にか掴んでいた胸元の衣服を弱く引っ張る。

 

「ね、准。もう一回。いい?」

 

 そう告げると、至近距離にある眼差しがもっと熱に浮かされた。

 後頭部に手を差し込まれ、背中をするりと撫でられる。招木も見よう見まねで似たような動作を返すが、次第に前後もわからなくなり有耶無耶になってしまう。

 こうすると嵐山は喜ぶのだなとわかると、招木は素直にそれを打ち返すことにしていた。

 諏訪が嬉しいと嬉しいし、加古が楽しそうだと楽しい。

 同じことで、嵐山が喜ぶのなら招木だって喜ぶ。その構図だった。これは確かに嵐山が指摘した内容だ。

 それでも嵐山が特別なことに変わりはなかった。

 

「……ん、悪い。電話だ」

「いいよ」

 

 切ない声色で流れを切った嵐山が、乱れた呼吸を整えて電話に出る。

 一瞬で調子が明るくなった。陽気に名前を呼び、会話にのめり込んでいく。電話の相手は弟のようだった。

 途端に招木の内に黒い感情が広がっていく。

 これだ。招木にとって嵐山が特別な理由。他の人が家族を大切にしても何も思わないのに、彼の存在がそれを阻む。

 招木は鳩原の遠征理由を知っており、弟のために懸命な努力を重ねる姿を見ていた。それでも彼女の家族愛そのものは、そういうものなのだと認識している。

 その人の愛が理解はできるが共感しない。そのラインを誰に対しても持っていた。

 なのに嵐山だけはそうなれない。彼が家族のことを話し、思い浮かべるたび、招木の中に拒絶の感情が強く働く。

 

「………」

 

 頭の中を埋め尽くしそうなそれから解放されたくて、招木は通話中の嵐山の腕を引っ張った。傾く嵐山と、かかとを浮かせる招木。そのままの勢いで頬にキスをする。

 

「な、」

 

 嵐山の意識と視線がこちらに向く。動揺が短い声に現れた。すると招木の胸の内の黒い感情が薄らいで、満足した彼女はさっさと歩き出してしまう。

 後ろから慌てて名前を呼ばれたので振り返り、

 

「嫌がらせ」

 

 そう言って、べ、と舌を出すのだった。








ということで主人公のフルネームが決まりました。
招木芽依(まねきめい)です。
苗字は幸運を招く招き猫から。下の名前は羊と依代要素です。
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