「鳩原が民間人にトリガーを流し、密航した」
忍田が落ち着いた声で確定した情報を口にする。
事件が発生して数時間後。目撃者の証言と調査の結果、ボーダーはそのような結論を出した。
現時点で、鳩原以外に姿を消した隊員は一人もいない。また、二宮隊が行方不明となった民間人の自宅を訪問して事情を聞いたことで、行方不明者の状況も明らかになった。
民間人の関係者には「近界民に誘拐された」と二宮隊経由で報告させている。ボーダー内の人間と協力したなど、あってはならないからだ。
「まずは事情聴取に応じてくれたこと、証拠品を自ら提出してくれたこと、感謝する。そしてここからが本題だ」
そこで忍田が言葉を切り、目撃者をまっすぐ見据えた。
「招木。きみは鳩原の協力者か?」
「いいえ。密航計画については、今日、初めて知りました」
招木が毅然と否定した。
ここにはボーダーの上層部の人間が三名も顔を揃えている。城戸司令、忍田本部長、鬼怒田開発室長である。
そして重要参考人を捕縛した風間隊の、SEにより動揺や嘘を見抜く菊地原。
それぞれに異なる立場と役割を持つ人間が集うこの部屋には、肌を刺すような冷たさが満ちていた。息を吸うことさえ躊躇する圧迫感が、招木を取り囲んでいる。
彼女の否定を受けて、忍田が報告書に視線を落とした。それは招木が自ら提出したトリガーと携帯の調査結果である。
「たしかに君と鳩原のメッセージのやりとりでは、計画の話は一切出ていない。トリガーホルダーの移動履歴からも不審な点はなかった」
招木は終始、従順と言えるほど事情聴取や調査に素直に応じていた。それはこちらの要求を先回りする協力的な態度だった。
携帯を調べた結果、怪しい点も見当たらない。やりとり自体は少ないが、鳩原からの謝罪や感謝のメッセージが大半だった。時折通話を挟んでいるが通話自体も長くない。
ただしそれがある時期を境に、頻度が急増していた。
今までは一方的に鳩原から連絡が届くだけだったのが、招木からもメッセージを送るようになっている。
「ふん。文面では、の話だろう。そんなもの、通話や対面でいくらでも話はできる」
腕組みをして背もたれに体重をかけた鬼怒田が発言した。
本部内の監視カメラから、鳩原と招木が接触しているのを確認した。それも片手で数えるほどだった。大半は絵馬が一緒にいるが、ある時期──鳩原が人を誤って狙撃した後、彼女は招木の部屋がある宿舎のフロアに数日間滞在していたことが判明している。
つまりそこで密談があったのでは、と怪訝に思っていた。
「たしかに私は鳩原と何度か話しています。しかしそれらはすべて彼女が遠征選抜に受かるための相談でした。絵馬も同席しています」
「それは知っとる! 疑っているのは誤射の後だ。二宮隊には、一人で休んでいたと鳩原は報告していたそうじゃないか。しかし実際は、」
「私の部屋に泊まっていました」
鬼怒田に発言をかぶせて招木が言う。鳩原は一人でいたと嘘の報告をして、本当は別の場所で誰かと数日間一緒にいた。そしてその相手が密航現場にいた。
これは極めて怪しく、上層部が招木を疑うのも当然の事実だった。
だからこそ招木は自らの潔白を証明するため、なりふり構っていられなかった。
大切な諏訪隊に迷惑をかけたくない。招木はその一心に突き動かされている。
「私と鳩原は接触することを禁止されているので、人前で話すことはしていません。絵馬が影浦隊のトレーニングルームを提供してくれたから、そこで密かに三人で会っていました」
「禁止だと? 誰に。何の理由で」
「二宮にです。二宮隊がB級だった頃、私は二宮隊の作戦室を訪れ、鳩原に酷いことをしました。それを発見した彼が二度と鳩原に接触するなと」
鬼怒田の目元がひくついた。しかし今は、禁止になった経緯よりも招木が密航に関与していたかどうかが重要である。
よってその話題は深掘りせず、そのまま話を続けさせた。
「A級ランク戦の後、鳩原は私に電話をして助けを求めていました。絵馬もそれは聞いています。しかし二宮隊に二人で会っていることがバレるわけにはいかない。だから私の部屋に招き入れました。彼女がとても弱っていたので、そこで看病しました」
「誤って人を撃った鳩原は、その後医務室に運ばれたと報告を受けている。頼れる人間がいるか心配していたが、きみがそばで支えていたんだな」
そう言ったのは忍田だ。鳩原にした"酷いこと"が気になるが、メッセージの履歴から二人の仲はそう悪くなかったと推測できた。穏健派の彼は、あくまで招木の話をまずは聞き入れようとしている。それを前面に出してくれているので、随分と話しやすかった。
城戸は部屋の中央で沈黙して耳を傾けている。菊地原も似たような態度だ。きっと招木の心音の変化を報告しているのだろう。
「その数日間、私は鳩原と一緒にいました。しかし計画については何も知りません。今日、密航の瞬間を見るまでは」
「そこだ」
ついに城戸が口を挟む。厳然たる態度を崩さぬまま、言葉を継いだ。
「招木隊員。きみはなぜ現場にいた。本人から教えられなければ、正確な場所に向かうことはできまい」
招木は諏訪隊として朝まで防衛任務があり、終了後は本部の自室にて休憩。午前中に宿舎を出たことを確認できている。
本人の証言通り、買い出しに向かう姿も監視カメラから判明していた。
しかし彼女は密航の現場にいた。汗だくになって膝に手をついていたことを、風間隊が報告している。
そしてその問いが出ると招木は必ず、
「……」
ぎゅ、と唇を結んで固く口を閉ざすのである。途端にそれまで無表情を貫いていた菊地原が、訝しげに目を細めた。
捕縛の時の風間の質問にも、招木は同じ態度をとった。今回もそうだ。菊地原はあの時に初めて感じた違和感の核心に、ついに触れたと認識する。
その意味はまだわからないが、嫌なものを本能的に感じ取っていた。
『心音に変化出ました。さっきまで多少揺らいでいたのが、急に平静になりました』
菊地原が内部通話で上層部に報告する。現場にいた理由を問われた時、招木の鼓動は平常のリズムを取り戻したと。
あり得ない事態だった。
それまでの招木は落ち着き払って事情聴取に対応していた。指示される前に証拠品を提出し、質問にも正直に答えている。こちらの要請に全面的に応じていたのだ。
心音に揺らぎはあるがそれは緊張や不安、ショックによるもの。少なくとも、彼女が何かを偽っていると疑うような不自然さはなかった。
招木に嘘をついていると判断できる兆候はない。
それが今回の尋問中、判明している事実だった。
「……どういうことだ?」
忍田がわずかに首を傾げた。現場にいた理由を問われ、核心をつかれて動揺し急に心音が乱れる、ということならば理解できた。
しかし現実は真逆だった。これまで澱みなく答えてきたのに、ふっと言葉を切るのである。その鼓動は規則正しさを取り戻した。
招木は静かにこちらを見ている。その瞳には、追及を逃れようとする者の後ろめたさがなかった。何かを訴えるような真剣な目だった。
城戸は黙したまま、招木の表情を一つたりとも見逃すまいと視線を据えていた。その眼差しは、招木の言葉の真偽を冷徹に見極めようとしている。
静寂を押し広げるように、その口から低い声が響く。
「話せないのか」
「……」
「きみは違反行為に加担したか?」
「していません。鳩原の密航について、私は一切聞かされていなかった」
「何の説明にもなっておらん!」
鬼怒田が机をどん、と叩く。
二人のメッセージの履歴や、当日の招木の動きに怪しい点はない。しかし情報もなくピンポイントで現場にたどり着くことは常識的に考えて不可能だ。
招木は間違いなく何かを知っている。少なくとも場所については鳩原から教えられたに違いない、と上層部は考えている。数日間鳩原と一緒にいたのなら、その間に、と。
しかし菊地原のSEによれば、供述に疑念を抱かせる要素はなかった。
だから致命的に矛盾している。
「協力者でないというのなら、現場にいた理由を話せ! 任務外で警戒区域に立ち入り、たまたま密航の瞬間を見たなど、通るわけがなかろう!」
そう指摘する鬼怒田の言い分が圧倒的に正しかった。
この事情聴取ではっきりさせたいのは、招木が鳩原の協力者か否かである。
密航計画を知っていたか。民間人に横流しする分のトリガーの窃盗に関わったか。密航の準備や実行を手伝ったか。
しかし、その肝心な部分で招木が沈黙するため、議論は進まずにいる。
こうなれば次の手段を取らなければならない。
「このままでは二宮隊だけでなく、諏訪隊にも厳しい処分を下さねばならん」
鬼怒田の言葉に招木が弾かれたように反応した。
「諏訪隊にとは、どういうことですか」
「今回、鳩原は違反行為をした。表向きには懲戒解雇として処分する。同時に、二宮隊にB級への降格処分と2期の昇格停止処分を科すことが決定している」
「諏訪隊にも何かしらの処罰があって当然だろう。このままおまえが何も喋らなければな」
忍田が処分の内容を説明し、鬼怒田が圧をかける。招木は二宮隊の詳しい処罰についてまるで頭に入らなかった。諏訪隊のことしか考えられなくなり、グッと堪える顔で城戸に視線を向ける。
その顔を見て真実なのだと瞬時に悟り、招木が机に目線を落とした。
『一番動揺しています』
菊地原が報告する。諏訪隊の話が出た途端、招木の鼓動が速くなっていた。密航の話や自分が疑われていること以上の反応に、ここが彼女の弱点なのだとすぐにわかる。
招木は伏せた視線を机上に留めたまま、ぽつりと声を漏らした。
「諏訪隊は今回の件に関わっていません。罰を与えるなら、私だけのはずです。密航現場にいたのだってプライベートでのことですから」
「二宮隊に連帯責任を取らせる時点で、諏訪隊への処罰も決定しとる。そもそも任務外で警戒区域に侵入しているから、お咎めなしとはいかん」
「それに今の発言は協力者であると認めたと受け取るが、いいか」
鬼怒田と忍田が畳み掛ける。招木の心臓がドクンドクンと早鐘を打つ。
協力者と認めるのか。それとも沈黙を貫くか。
招木の次の発言に注目が集まり、場の緊張感が極限まで高まった。
「……、」
長い沈黙の末、息を吐いた招木が、面をあげて口を開く。
「影浦を呼んでください。きっと彼なら、説明できると思います」
そしてまったく疑っていない影浦の名を出してきた。
上層部はすぐに目線を交わす。
今回の件を広めるつもりはない。前例ができたせいで、他にもトリガーを無断で持ち出し民間人と近界に乗り込む人間がまた現れるのを防ぐためだ。可能な限り極秘裏に対処すると決まっている。
だから事情を知るのは上層部と二宮隊と風間隊、そして鳩原の師匠・東と、兄弟子にあたる木崎。密航の瞬間を見た、協力者の可能性が高い招木。
ここまでで情報を止めておきたかった。だから忍田と鬼怒田は、影浦まで関与を許すかどうかを司令の判断に委ねる。
「いいだろう。影浦隊長を召集する」
城戸は許可を出した。こうして招木への事情聴取に、影浦の参加が決定した。
そして事態はまったく別の問題に発展していくこととなる。
「……………は?」
突然上層部から呼び出しをくらった影浦は、部屋に通され事情を説明された後、たっぷり間を空けて、思いっきり眉根を寄せた。意味がわからなかった。
いきなり何の話だ。鳩原が密航? 招木がその目撃者? 寝耳に水だった。
自分なら招木が現場にいた理由を説明できるからと召集されたらしいが……。
「………は?」
もう一度、疑問を口に出す。そうせずにはいられなかった。
まず、自分は招木とも鳩原とも深い関係はない。
招木はたまに実家の店に来るらしいが、暫くまともに顔を合わせていない。鳩原は影浦の同級生で、絵馬の師匠でもある。遠征に行きたがってたのは知っているが、それ以上のことはわからなかった。
だから呼び出されたわけがまったく理解できず、影浦は困惑している。
とりあえず隣に座るはた迷惑な女のせいで、自分がクソ面倒なことに巻き込まれたのはわかった。
あと何故か知らないがボロボロだし。手とか怪我してるみたいだし。
「おま……」
文句を言おうとマスクで覆われた口を開きかけて。
「……、」
招木の"申し訳ない"感情が突き刺さってきて、影浦は事情を悟った。
ああ、そうかと理解した。自分に課せられた役目を知って、傷ついた。彼女の傷の代わりをさせられているとわかったから、酷く腹が立ち、同時に招木に対して同情もした。
その変化に菊地原もすぐに気づく。影浦の心音が変わった。彼は何かを知っている。その確信を得た。
そんな報告を受けて上層部の三人が影浦に視線を集める。
影浦はダラリと姿勢を崩し、最悪、と顔にデカデカと書かれたまま黙ってしまう。それは発言を拒否するためではなく、自身の葛藤と戦う間だった。
「オイ。俺を呼んだってことは、全部バレてもいいってことなんだな?」
招木の返事はない。しかし影浦に刺さる感情に変化が訪れた。それを影浦だけが感じ取っている。
「そーかよ」
すべてを諦めたような、深い絶望の声を影浦が発した。頭をガシガシ乱暴に掻いて、親指でクッと招木を指差す。
「この女は死んでる」
「!?」
予想外の爆弾発言に、会議室内が騒めいた。動揺が広がる空間の中で、招木だけが静かに前を向いている。
「いきなり何を、」
「コイツには自分の意志がねえ。現場に向かったのもクソ副作用のせいだ」
「どういうことだ?」
淡々とした城戸の問いに、ハッ、と影浦が吐き捨てるように息を漏らす。
すると沈黙すると思われた招木が滑り込むように口を開いた。
「私がボーダーに保護されて、研究員に名前をつけられたSEは幸運体質。幸運を体に強制する能力」
「!」
「それは戦闘においては、高い回避能力と攻撃的中率に現れます。狙撃手の狙撃は基本当たらないし、不意打ちや初見の攻撃も躱す。私は運がいいから」
「……それが?」
「日常生活の中では、異様な運の良さを発揮します。自販機では毎回当たりが出るし、ジャンケンだって負けないし、大切な人たちに出会うことができた」
「けど、」
そこで影浦がタイミングよく言葉を挟んだ。しかし招木が話すことをやめたため、かぶることもなく話が進む。
「この女の行動、発言、……感情。そういうのがSEに上書きされる時がある」
「何っ!?」
「だから今回密航の現場にいたっつーのも、SEに強制的に体を動かされたんだろ」
「……そんなことが」
それは天地がひっくり返るほどの衝撃だった。鬼怒田が声を荒げ、忍田が動揺し、予想だにしない事実に愕然とする。
影浦のSEは感情受信体質。自分に向けられている他人の意識や感情が、感覚として肌にチクチク刺さる。だから招木が自分に向ける感情が消えるのは、SEに感情を歪められているからだとわかった。
東のように自分の意志で感情を消しているわけではない。
その説明に、納得した菊地原は酷い気分だった。彼は招木の鼓動を逃さず聞いていた。現場にいた理由を尋ねられた時、招木は二回とも沈黙し、鼓動のリズムが変化した。
あれはSEが原因だったと理解して「……最悪」と囁く。
「感情受信体質なら、その感情が本人のものか判断できる。強化聴覚で心音を聞き分けると、普通の人間ならまず起きない不可解な変化にも気づく。そしてそれがSEのせいで無理やり捻じ曲げられたものだと……幸運体質がこの人の体、心臓、すべてを操作すると、今わかった。……納得もした」
「菊地原」
「ランク戦でこの人と戦った時、回避や反撃に違和感がありましたけど、原因はそれだったんですね」
菊地原は独り言を切り上げ、改めて一同に向けて言葉を選ぶ。
SEを有する二人から、招木の状態についての判断が下された。
戦闘においてSEが発動し、回避や攻撃に影響が出るならば、日常生活においても行動として幸運が現れるのが当然である。彼らはそれを自販機の当たりなどが該当すると考えていた。
まさか普段の動き、発言、ひいては感情までも侵食するなど、普通の人間にわかるはずもなかった。
『できないことがあるってわかってもらえるからかな。すごいって言われるよりも、くだらないって笑われる方が嬉しい』
いつだったか、むやみやたらとSEを披露することに対して招木自身がそう言っていた。
当時の菊地原にとっては、胃の腑がひっくり返るようなご立派な理想だった。
しかし実態を掴んだ今、招木のSEをお気楽なインチキだと言った自分こそ、綺麗事しか見えていなかったのだと突きつけられる。
自分が知らなかっただけで、招木はずっと最悪の場所にいた。そしてそれを誰にも言えず、唯一知る影浦にすら助けを求めず、孤独だった。
自分の生き方を強制するSEを、くだらないと馬鹿にされた方が、彼女はずっとマシだったのだろう。
こんな地獄を肯定されることは、何よりも辛かっただろう。その感情すら持てたかどうか、菊地原が知る術はない。
「……幸運体質の本質を、他に誰が知っている?」
「あ? 知らねーよ。自分の隊もオトモダチも呼んでねーなら、誰も知らねーんじゃねえの」
掠れた声で問うた菊地原の疑問に、影浦が投げやりに答える。
「だから言ったろ、コイツは死んでるって。クソ副作用に従わされてるだけだ。何を言うのか、言わねーのか。何をするか、しねーのか。抵抗もできねーんだから」
影浦が遠くを睨む。クソみたいな副作用に人生を苦しめられる、実感のこもった呪いの目だった。
「それを生きてるって言えんのかよ。どこが幸運なんだよ。名前つけた奴イカれてんだろ」
招木が言えない代わりに、影浦が勝手に言った。招木がこれを言いたいかどうかは関係なく、彼の率直な気持ちをぶちまけただけだった。
招木の抱えるものを知らないまま話を進めようとする連中に、黙っていられなかったのだと思う。
急にこんな場所に呼び出されて、同類の傷を自分で抉らされて、挙句にその内側にある闇を暴露させられている。胸糞悪かった。
だから隠さずに話した。招木が何をされているのか、何を奪われているのか。それを知ったうえで、こいつらがどうするのか見てやろうと思った。
だが上層部の三人は、影浦が思っていたほどの反応を見せなかった。大人の彼らは衝撃の事実に狼狽したものの、すぐに次の手を考え始めている。
菊地原に至っては、動揺するというより、話を聞いて何かに納得したように固まっていた。
「私は生きているよ」
「!」
その時、招木が影浦の言葉を否定した。
彼女が影浦をこの場に呼んだ理由は、自分では説明ができない──SEによって強制され、発言もできない内容を代わりに彼に話してもらうためだと、上層部は理解した。
だからここで正反対のことを言い出すとは思っておらず、息を呑んでいる。
「全部が強制されるわけじゃないんだ。私の意志もちゃんとある。嘘なんかじゃない……この気持ちは、私の気持ちだよ」
「!」
ボーダーでの日常が幸せだった。地獄にいることを忘れてしまうくらい、楽しかった。
招木は宝物を大切にしまい込むような、こどもっぽい表情を浮かべていた。菊地原が瞠目している。
あどけない表情はすぐに引っ込んだ。真面目な正隊員の顔になった招木が、背筋を伸ばしたまま意志の強さを滲ませて言う。
「私は協力者ではありません。しかし、現場に行った責任は私にあります。処罰は私だけにしてください」
招木が鳩原の密航に関与していたと示す明確な証拠はない。
確認できているのは、密航前の数日間を鳩原と共に過ごしていたこと、そして密航の現場に居合わせていたことだけだ。
いずれも不審な状況ではあるものの、計画への関与を裏付ける直接的な証拠には至っていない。何より、招木自身は終始協力的な態度を崩していなかった。
最大の問題は、何も知らなかったはずの招木が、なぜ密航の現場に居合わせたのかという点だった。
その説明として本人に代わり影浦が挙げたのは、幸運体質というサイドエフェクトの影響。
荒唐無稽にも聞こえる話だが、SE保持者の二人は、招木に本人の意思とは無関係に言動が左右されることがあると証言している。
密航への関与を裏付ける証拠はない。しかし、関与していなかったと断定できるだけの根拠もない。協力者と断ずるにも、無関係と判断するにも、材料が足りなかった。
それらの事実を踏まえ、城戸は招木への処分を決定する。
「警戒区域への無断侵入。隊務規定違反により、一定期間の謹慎、戦闘任務への一時的な参加停止を命じる」
「!」
「また、SEが本人の意志や行動に及ぼす影響について、開発室を交えた調査を実施する。定期的なカウンセリングや、これまで行ってきた調査とは別のものだ」
「はい」
「これは鳩原隊員の協力者としての処分ではない。今後、同じ事態を起こさないための措置だ。ボーダーのルールを守れない人間は、私の組織には必要ない」
「……あの、諏訪隊は」
「勤務時間外に個人が起こした行動だ。連帯責任は負わせない。以上」
下がりたまえ、と城戸が指示する。
招木はスッと立ち上がり、
「ありがとうございます。城戸司令」
と頭を下げた。
部屋から招木、影浦、菊地原の三人が退出する。残った城戸、忍田、鬼怒田はこの後も会議をしなければならない。
扉が閉まり、菊地原が真っ先にその場から立ち去った。早足で声をかける暇もない。ドスドスと音を立てるようにして乱暴に離れていってしまう。
一番の緊張から解放された招木は、様子のおかしい菊地原を気にかける余裕がなかった。大きなため息を吐いて、ゆっくりと屈んで膝を抱えている。
「よかった。諏訪隊に迷惑がかからなくて」
招木が最も気にしていたのはそれだった。
自分がどうなろうとどうでもよかった。大事な居場所が壊されなければ、それでよかった。
鳩原が密航を選んだことはショックだったし、自分が危険な状況にあると理解した時は焦った。
それでも、それ以上に諏訪隊が大事だったので、その危機を乗り越えられたことにホッとする。
心の底から安堵する招木を、影浦が信じられないものを見る目で見下ろしていた。
「よかねーだろ。結局処罰食らってんだろ」
「私が警戒区域に立ち入ったのは事実だよ」
「クソ能力のせいだろうが」
影浦に強い感謝の感情が突き刺さる。それが不快で、影浦は手でシッシッと振り払う仕草をした。
彼らには厳重な箝口令が敷かれている。招木にも機密保持が命じられ、行動の監視と情報への接触制限が設けられた。SEが本人の意思に反して発言を引き起こす可能性が判明した以上、口止めだけで済ませるわけにはいかない。
しかし、能力そのものを封じる手段はない。現状で講じられる対策は限られていた。
「影浦、ありがとう。ごめんね」
「二度と呼ぶんじゃねーぞ」
自分の代わりに暴露させてしまったことを招木が謝ると、影浦は背を向けた。
「君に弁明してもらったおかげで、諏訪隊への連帯責任を免れた。あのとき君に理解されたのは、運が良かったな」
「……」
影浦が半身振り返り、気持ち悪い、と目で訴える。「それ最悪って言うんだよ」と教えてくれたが、招木は運が良かったと思っているので無視した。
「上にSEのこと知られてよかったのかよ。めんどくせー実験だの増やされるぞ」
「その口ぶりは経験者かな。別に構わないよ。それしかあの場を切り抜ける方法はなかったんだし」
招木は本心からそう思っているらしい。しかしそれすら本当に彼女の気持ちか確かめる方法がない影浦は、ずっと突き刺してくる感謝の念に、身震いした。
「けど、どうして来てくれたの。実は来ないと思っていた」
「たまたまだ」
「そう。やっぱり私はツイてる」
「……ユズルが! ……ユズルが鳩原の弟子だから、話聞きに来てやったんだよ」
嘘である。上層部から召集がかけられた時、まだ鳩原の密航については伏せられていた。影浦は「招木が影浦を指名した。君から事情を聞きたい」という内容で呼び出されていた。
招木については、いまだに心の整理はできていない。けれど召集に応じたのは彼女が心配だからではない。不審に思ったから、気持ち悪くて暴きに来たのだ。
そうしたら招木の闇を暴露させるクソみたいな役目を押し付けられたけど。
「招木ちゃん、行こっか」
二人が話していると、本部長補佐の沢村が迎えに来た。
招木はこれから自宅謹慎と研究への協力が命じられている。その手続きや準備のために沢村が遣わされたのだ。
招木が返事をして立ち上がる。連行された時からずっと同じ格好をしているので、その身なりは随分と汚れていた。
「えっ、膝、怪我したの」
「手のひらの血がついただけです。拭いてはもらったんですが。こっちも血は止まってます」
「手当はされてるみたいね……。今日はうんと疲れたでしょ。部屋に戻って休みましょ」
「はい。それじゃあ、影浦。またね。今日は本当にありがとう」
「影浦隊員、お疲れ様。あとはわたしがやっておくから」
「……うす」
気怠げに小さく頭を動かした影浦が通路の先へ消えていく。招木と沢村も真逆の方向へと向かっていった。
鳩原が密航し、招木は協力者であることを疑われたが、影浦の協力によってひとまずそのピンチを切り抜けることができた。
招木はこれまでと変わらずボーダーに所属し続けることを許されている。ただし、これから先、これまでと同じ日常を送ることは不可能だった。
「まだいたか」
「し、忍田本部長」
追いかけてきたのは忍田だった。名前を呼んだ沢村が途端に前髪をサッと整え、ピシッと姿勢をそれまで以上に正す。
「やぁ、沢村くん。すぐに戻らなければならないから、手短になるが」
忍田は沢村に声をかけてから招木のもとまで歩み寄ると、会議室とは打って変わって表情を少し和らげた。
「招木。これからは不便をかけることになる。すまない。だがきみがこれまで真剣に防衛任務に取り組み、街の平和に貢献したことは事実だ。今回の件だけで、それまでの働きが覆るわけではない」
「……はい」
「今は余計なことを考えず、きちんと休みなさい。今後のことは、調査を進めたうえで改めて話をしよう」
安心感と頼もしさに溢れた忍田の声色に、招木は不思議と嵐山の顔がパッと浮かんだ。今日はとても疲れたから、顔を見て話がしたいなと思う。
これから自宅謹慎となるから会うのは当分先になるが。
「沢村くん、彼女を頼んだ」
「はい! お任せください!」
ピシッと綺麗に敬礼をする沢村は、会議室に戻る忍田の姿が見えなくなるまで見送った。そして完全に背中が見えなくなると、途端に緊張から解放されて姿勢を崩す。
その頬は血色が良く、何だかウキウキツヤツヤしている。招木は東の話を思い出した。
「沢村さんって、忍田本部長が好きって話、本当なんですか?」
「えっ!? そ、え、ど、どこから!?」
「東から聞きました」
「嘘っ、ほんと!? ええ〜〜! 恥ずかしいなぁ」
どストレートな招木の言葉に沢村は乙女の顔になる。
会議室から続いていた重苦しい尋問の空気を一瞬で変える態度に、招木は肩の力が抜けるようだった。
張り詰めていたものが音もなく解けていく様子に、沢村は小さな達成感を感じる。
軽く事情を聞かされただけだが、招木は密航の協力者として処分されたわけではない。それとは別に謹慎などの措置が科されたものの、少なくとも今回の密航について、彼女が責任を負わされたわけではなかった。
だから沢村は顔には出さない招木に気を遣い、元気を出して欲しくてわざと明るく振る舞っている。
「謹慎中は会えないけど、明けたら好きな人に会えるよ」
「はい。早く会いたいです」
招木がクタクタの声で言った。
ちょっと空気が重かったので沢村さんに登場してもらいました。恋する突撃攻撃手かわいい。
リフレッシュできたので安心して地獄回に入れますね。
さ〜て来週の『あっ幸運体質だ、ラッキー!』は?
「諏訪、自分の知らぬ間に招木が謹慎食らって狼狽」
「二宮、接触禁止令を破られていたことにブチギレ」
「犬飼、招木の地獄に気づきSAN値チェック」
の三本です!お楽しみに!(現時点での予定です)