「どうしよう」
招木が独り言をポツリと言う。彼女は現在、隊務規定違反により自宅謹慎中だった。だから本部宿舎内の自室にて困っている。
その理由はやることがなくなったからだった。
謹慎命令が下りたので部屋の外に出るわけにはいかない。
食料や日用品は定期的に届けられる。よって所用以外ではずっと自室にこもっていた。
最初は久しぶりに時間が作れたからと、部屋の細かい掃除などを行なっていたがそれも終わってしまった。
そしてはたと気づく。この部屋には暇を潰せるものがないと。
「諏訪に本でも借りておけばよかった」
笹森には借りた漫画を返してしまったし、国近が泊まるときに持ち込むゲーム類も今はない。
テレビは見飽きてしまった。防衛日報は欠かさず見て、米粒のような正隊員を探すがそれくらいだ。
携帯は調査のために回収されており、外部との連絡手段もない。一応緊急用にと支給された携帯はあるが、登録された連絡先も限られたものだけ。
旅行に行けないことを月見・藤丸・橘高に伝えてもらうようお願いはしているので、彼女たちが今頃東京を楽しんでいるといいのだが。
「あ、大学……」
連休明けも謹慎は続く。だから大学も欠席することになる。
講義がかぶっているのがあるから、友達の誰かがレジュメを確保しておいてくれないかな、と思った。
せっかく大学生になれたのに早速欠席しなければならないのは悲しい。
しかしそれ以上に気がかりなのは、みんなに会うことができないことだ。
招木は基本的に防衛任務や学校がない時間は、本部の方で個人戦をしたりランク戦の研究をしたり、諏訪隊の作戦室で特訓をしたり那須に指導をしたり、別の部隊の作戦室にお邪魔したりラウンジで駄弁ったり、そのようなことをしている。
用事がなくとも日課としているランニングがあるし、玉狛支部に遊びに行ったり街を食べ歩きしたりして、毎日を忙しくしていた。
だから自室にいる時間が少なく、こうして暇を持て余しているのだ。
思えば、独りでいる時間がとても少なかったのだと気づく。
部屋の中はそれを証明するように、誰かの忘れ物や共に過ごした時間の名残が、あちこちに残っていた。
「早くみんなに会いたい」
独りは寂しい。つまらない。
早く謹慎終わらないかな、と招木は遠足の日を待つ小学生のような気分である。
鳩原の密航や謹慎でダメージは負っていたが、気持ちの整理は既にできていた。
二宮隊や弟子の絵馬ではなく、民間人を同行者に選んだのは驚いたが、それが鳩原の選択なのだと思って受け入れている。
自分が謹慎処分を受けたことも不服はない。諏訪隊に何の影響も出ないからだ。隊務規定に違反したのは事実なのだし、きっちり責任はとらなければ。
高校の卒業式で迅に言ったことだ。
『私のせいは私のせい』
本心からの発言であり、今も考えに変化はない。
招木の調子は相変わらずであった。
─────────
一方その頃、諏訪隊の作戦室の空気は、ひどく静かだった。
5月2日、朝まで防衛任務があった諏訪隊は普段通りに解散した。
招木だけは翌日から友人たちと旅行に行くとわかっていたので、楽しんでおいでと快く送り出していた。
彼女は「お土産を楽しみにしていてね」と楽しそうにしていた。「遊園地、初めて行くんだ」と弾んだ声で言っていた。
それなのに、翌日、諏訪隊に連絡が入った。
招木が隊務規定違反で謹慎処分となったと。
「ふざけんなよ」
重い沈黙を破ったのは諏訪だった。麻雀卓に置かれた拳が震えている。力を込めすぎて白くなっていた。
彼が漂わせる雰囲気は憤怒に満ちており、怒りを堪えるように、唇の端が引きつる。
「なんで教えちゃくんねーんだよ。俺の部隊だぞ。あいつが何やらかしたか知る権利があんだろが」
「諏訪さん……」
堤が諏訪を気遣うような表情をする。
作戦室に集まった諏訪隊の面々は、招木が処分を食らったことは報告されても、詳しい内容は教えられていなかった。
中身が鳩原の密航、つまり機密事項に関することなので厳重に伏せられているのだ。
諏訪隊が知っている唯一のことは、違反行為に及んだ招木が謹慎している、ただそれだけだった。他の正隊員と同じ情報しか知らされていない。
だから諏訪は乱暴に頭を掻き、吐き捨てたい言葉をどうにか飲み込んでいる。
彼ほど不満を露わにしないものの、他の三人も同じ気持ちだった。
「マネキの部屋行ったけどさ、インターホン鳴らせなくて。徹底的って感じだった」
「携帯も連絡つきませんし。一体何があったんでしょう……」
小佐野と笹森も不安そうな顔をしている。隊長の諏訪が怒りを隠せずにおり、年下の二人もそれが伝播して表情を曇らせていた。
堤も穏やかではない胸中のまま状況を分析し、冷静さを心がけて口を開く。
「招木だけじゃない。二宮隊も影浦隊も立て続けに降格処分だなんて。これらが無関係だとは考えられない」
ボーダー隊員各員へ、数日の間に以下の通り通達があった。
組織の機密に関する重要規律違反により、鳩原隊員を懲戒解雇処分とする。
二宮隊にB級への降格処分と2期の昇格停止処分を科す。
隊務規定違反により、招木隊員に一定期間の謹慎、防衛任務への一時的な参加停止を命じる。
影浦隊員の根付室長への暴力行為により、影浦隊にB級への降格処分と2期の昇格停止処分を科す。
並べてみると招木だけ処分が軽いような気がしてくるが、一見関連性のない部隊同士がほぼ同時期に処分を下されている。
これを偶然と見なすほど、彼らは能天気ではなかった。
堤の言葉にフーッと長い息を吐き切った諏訪が、怒りを爆発させる寸前の気配を辛うじて引っ込め、額に指を当てた。
「あいつ二宮隊とも影浦隊ともそんな関わりねーだろ。いや、名前が挙がってる鳩原が軸か? それでも知り合いくらいなもんだ。狙撃手訓練に顔を出してはいるが、親しいって話は聞いてねえ」
招木は鳩原との関係を完全に隠していたので、諏訪隊の彼らは真実に近づくことができない。
今のボーダーには、好奇と不安の入り混じったざわめきが広がっている。前代未聞の処分が、二つの部隊に同時に発生したのだ。
加えて諏訪隊の招木もそこに名を連ねている。諏訪隊を含め、三つの部隊は嫌な目立ち方、目の向けられ方をしていた。
「研究員の方に招木さんについての質問もされましたね。あれも何か関係があるんでしょうか」
「知らーん。変なのばっかだったし。なんかヤだった」
笹森の疑問に小佐野が気怠げに答えた。
招木のSEの問題点──本人の意志を上回る言動や感情の発露についての研究は既に始まっている。
その第一歩として本人の研究参加と、諏訪隊への事情聴取が実施された。
彼らはこれまで招木と関わる中で、本人の性格や能力を明らかに逸脱した言動や、普段では考えられない出来事がなかったか、ひとつひとつ確認されたのだ。
これに対し、つい最近に違反行為に手を染めたから人格を疑われているのか、と諏訪隊の面々はとても不快になった。
「招木の前科を炙り出そうとでもしているんですかね。何にせよ、いい気分じゃないな」
眉をひそめ、堤が低い声で言う。
たしかに今回は隊務規定違反となったが、普段の招木はそんな人間ではない。
最初に招木に関して度肝を抜かれたのは何だったろう。諏訪が思い当たるのは、彼が昔、招木に主体的な情報共有の課題を出した時、招木が中央オペレーターに突撃するとんでもない行動力を見せたことだ。
ただ、あれは諏訪の発破に応えるためだろう。
実際は幸運体質によりオペレーターの着想を得た結果だったが、それを知らない諏訪は"俺の厳しい課題をクリアするため"と解釈している。
ともかくそのような感じで、招木はストレートにいい人間かと言えば諏訪はちょっと首を傾げるけれど、善側にいる存在だと認識していた。
それは堤、小佐野、笹森も同様だった。
友達も多いし師弟もいるし彼氏だっている。
多くが招木を認め、信頼し、心を寄せている。招木もこれら想いに応えるべく、大切にしていることを言葉と行動で伝えてくれる。
大事な仲間が疑われて、彼女の名誉が傷つけられたと諏訪隊は憤った。
というかどんな規定に違反したのかも自分たちは知らないし。こちらは何も知らないのに探られている状況に反感を抱いた。
情報がないから、本部側の意図とズレた受け取り方になるのは仕方のないことだった。
ギ、と椅子の背もたれに体重を預けて諏訪が考えを口にする。
「上層部に意見を投げても梨の礫か。つーことは鳩原の"組織の機密に関する重要規律違反"に招木が関係してんだろうな」
「あ、なら二宮隊に聞けば……」
「無駄だ。どうせ箝口令が敷かれてんだろ。探ったって何も出てこねえ」
「じゃ、お手上げってこと? 何にも知れないまま?」
小佐野が棒付きキャンディーをフリフリする。その隣で笹森が心配そうに視線を落とし、堤も言葉なく項垂れる。
頭の後ろで腕を組み、諏訪が諦観の眼差しをしていた。
「それが組織ってもんだ。どんだけ不満があっても飲み込むしかねーよ」
最後には隊長としての判断を下した。
朝まで防衛任務があったあの日、ボーダーで何かが起きた。
情報統制が敷かれるレベルの重大な何かを鳩原が犯した。二宮隊は連帯責任を負わされているだけだろうと諏訪は当たりをつけている。
そこに招木も深く関係しているはずだ。
ただし影浦の暴力行為による関与は何とも言い切れない。繋がりはあるだろうが、影浦自身が人とトラブルを起こしやすい性質をしているし、二宮隊との繋がりもイマイチ読み解けなかった。
けれど大きな闇を感じている。
それでも受け入れるしかないのだ。彼らはボーダーに所属する正隊員だから。
「ま、俺らで結論出すにゃ早えーよ。招木が謹慎明けに何か話すかもしれねーし」
「そう、ですね。今は待つしかない」
「……はい」
「うーん」
結局彼らにできることは何もなく、問題児が復帰するのを待つしかなかった。
形容しがたい嫌な感覚が喉に迫り上がってきて、諏訪は無理やり飲み込んだ。隊員たちの前だから何とか怒りを押し込めたものの、一人だったらどうなっていたかわからない。
そして「俺は招木のこと、あんま知らねーな」と思う。
研究員に招木との関係を深掘りされたとき、痛感した。好きなものとか、ボーダーでの過ごし方とか、そういうのはよく知っている。
けれど招木の過去について何も知らなかった。
初対面の頃は人間としてあまりに未熟だったこと。彼女の口から家族の話題が出ないこと。初めから本部の宿舎に一人暮らしをしていたこと。
それらの情報から、ある程度の推測は立てていた。しかし直接的なことを諏訪は一切尋ねなかった。
向こうが話したくなったら話せばいいし、と思ってそれっきりだった。だから今、猛烈に後悔している。
「聞い……てみても、いいかもな」
「え? ああ、謹慎理由ですか」
「黙秘されるのが目に見えてっけど」
今度、本人に尋ねてみようと思う。これ以上、何も知らなかったと後悔したくないからだ。
それがどれほど己を苦しめることになるかも知らず、諏訪はひっそりと決意を固めていた。
─────────
二宮が激怒している。普段から近寄りがたさを醸し出す仏頂面に最上級の憤懣を漲らせている。
眉間を険しく寄せ、眼光鋭く相手を睨み据えた。こめかみに青筋が浮かび、それを真正面から向けられる相手はどんな様子だろうか。
さぞ震え上がることだろうが、その相手である招木の表情は崩れなかった。それどころか二宮を不憫そうに見ている。
隊長の怒りを隣でヒシヒシと感じる犬飼は、「招木さんの心って鉄でできているのかな」と冗談まじりに考えた。そういう現実逃避をしなければ、とても怒り心頭の二宮の迫力に耐えられる気がしない。
もちろん、招木の口から語られた密航の瞬間にも。
「……そうですか。報告書は読んでましたけど、直接お話が聞けてよかったです。ご協力ありがとうございます」
「上からも言われているからね。何か質問はあるかな」
全部だ、全部。犬飼は「そうですねー、色々ありますけど」と薄ら笑顔の下で冷たい声色で言った。
事件が起きてから数日後、二宮隊は上層部に目撃者との直接的な接触を求めた。招木の事情聴取の報告書は渡されたが、納得がいかなかったからだ。
鳩原が密航する現場に何故招木がいた? 彼女は二宮から鳩原への接触禁止令を言い渡されている。密航について二宮隊は何も知らなかったのに、招木は掴んでいたのか?
疑問は溢れるばかりだった。
しかし調査結果からは、招木の密航への関連性は認められないと出ている。
これが二宮隊には理解不能だった。
密かに継続的な鳩原との接触はあったくせに。鳩原が「一人で寝込んでいた」と報告していた誤射事件の裏では一緒にいたくせに。何も知らなかったなど、通るわけがない。
密航の現場にいたのなら、必ず理由があるはずだ。
机の下で強張る握り拳を無理やり振り解き、犬飼が手を挙げた。
「じゃ、まずは俺から。報告書にも今の話にも、招木さんが現場にいた理由ってないですよね。どうやって知ったんですか? どうして向かったんですか?」
当然の疑問に、辻と氷見が小さく頷く。
しかし招木は黙り込み、彼女の隣に控える菊地原が淡々と口を挟んだ。
「機密事項」
そう、たった一言を自動アナウンスみたいに言う。
菊地原が同席している理由は大きく二つある。
一つ目は、追手として遣わされた風間隊の一員であり、必要であれば彼に話を聞くことも許可されていたから。
そして二つ目が、招木がSEにより"話せない"などの不慮の事態が起こったときにフォローするためだった。
菊地原のSEがあれば、招木に異変が起きたかどうか判断ができる。そのために同席させられていた。
加えて、招木が現場にいた理由については、伏せられることが決まっている。
SEに強制される事実は、これまでの招木の言動まで本人の意思を疑われることになりかねない。招木の人格を尊重した結果、SEの強制力については機密事項扱いとなっている。
だから諏訪隊は事情を知らないまま研究員の調査を受けて不満を募らせ、今もまた二宮隊の疑心が深まっていく。
「……話せないってこと? うちの人間が密航を計画していて、招木さんは実行現場にいたのに、理由も何もかも伏せられてんだ」
犬飼が顎を指で撫でる。
この状況では招木は鳩原の密航について、少なくとも場所と日時だけは知っていたと認識されてもおかしくなった。
しかし上層部は今回の件には無関係だったと判断している。
つまり限りなく黒に近いのに、それをひっくり返す証拠や証言があったということだ。
そしてそれは厳重に隠されている。
「上の判断。ぼくに言わないで」
菊地原がきっぱり返した。上層部の判断であれば、これ以上追及のしようがない。
しかし一番気になる部分を秘匿されてしまい、出鼻を挫かれた犬飼が目を細める。
ピンと何かを嗅ぎ取った。
B級ランク戦で鳩原が招木を誤射した後、招木は鳩原に無理やり拳銃を握らせ、トラウマを克服させようとした過去がある。
あの時、犬飼は招木がそこまでする理由がわからなかった。本人から説明はあったが、犬飼の認識する招木の性格や行動原理が、それとそぐわなかった。
強硬手段。加害性。衝動的。それらのワードが頭から溢れていく。
忘れないまま抱えていた違和感が暴れ出す。
あれと同じ匂いを犬飼は嗅ぎ取った。見抜けなかった闇が再び眼前を曇らせていく。
しかし探ろうにも機密事項と言われてしまえば終わりだ。
さて、どうするかな。表情は出さず、犬飼が腹の中で考えを巡らせた。
「……あの、……えっと、そ、その、招木さんは、鳩原先輩を止めようとは、しなかったんですか」
思考の海に沈んで黙り込んだ犬飼に代わり、辻がおずおずと疑問を声に出した。
密航を仮に知っていたら、止めようとは思わなかったのか。
知らなくとも、現場にいたのは事実だから鳩原を見送ることしかできなかったのか。
自分はその場にすらいなかったのに、辻は尋ねずにはいられなかった。
すると今度は招木が答える。これは機密事項ではないようだ。
「間に合わなかったんだ。鳩原たちが門に乗り込む時、かなり距離が空いていたから。同行した民間人の顔写真を見せられたけど、彼らだと断定できるほどはっきり見たわけでもない」
「そ、そうですか」
「そのくらい離れていたからね。叫んでも、何をしても、届かなかったと思うよ」
それでも鳩原は駆け寄ってくる招木に気づいて、手を振った。あれは偶然か、それとも幸運だったからか、招木にはわからない。
しかしあの様子からして、鳩原には密航する意志があったと感じている。
何を尋ねるべきか考えるように一度視線を伏せ、氷見が静かに問いかけた。
「本部は鳩原先輩を主犯と考えているようですが、招木さんはどうお考えですか?」
二宮が余計に責任を感じてしまうから、深刻な雰囲気にしないようにと氷見は犬飼、辻に伝えていた。あくまで事務的に質疑応答を済ませることを意識している。
肝心の二宮が話を聞いたっきり沈黙しているので、胃が痛くなるほどのプレッシャーがあった。犬飼も辻もピリピリした空気を感じ取っている。
しかし招木は二宮の圧に一切の反応を見せず、氷見もまた平静の振る舞いを心掛けていた。
「わからない」
「主犯かもしれないし、違うかもしれない、と?」
「断定できるほどの材料はないよ。でも、近界に行きたがっていたのは知っていたし、やるときはやるタイプだと思っていたから、発案者でも不思議じゃないと考えているかな」
「鳩原先輩、遠征選抜を目指していましたからね。でも、そういう人だと思ったきっかけって何ですか?」
「私と鳩原は接触禁止だったのに、彼女の方からそれを何度か破ったから。それだけ必死だったんだろうね」
招木の言葉に二宮がピクリと反応を示した。瞼が痙攣し、まとう雰囲気をドス黒いものに変えていく。犬飼と辻の顔色がさらに悪くなった。
しかしそれでもドライな女性陣のやりとりの調子は崩れなかった。
「私は鳩原にトラウマを植えつけ、無理やり撃たせようとした。そんなことがあっても、鳩原は弟子の絵馬を経由して鉛弾について聞きにきた。それで目的のために手段を選ばないところがあるんだな、と思った」
鳩原は選べる状況ではなかった、とも言える。彼女が切羽詰まった状態だったことは、招木も二宮隊も把握していた。
「なるほど……。ちなみに、鳩原先輩がA級ランク戦で誤射したとき、招木さんも医務室まで来てましたよね。あの時は救急箱を借りに来たとおっしゃってましたが、本当は鳩原先輩に呼ばれていたんですね」
「嘘をついていて、ごめんね」
「いいんです。むしろ、こちらが何もできなくて一人でいさせたことを心配していたので。そばで看病してくれていたんですね。ありがとうございます」
氷見にお礼を言われ、招木が少し居心地悪そうに身を捩る。二宮隊に隠れて鳩原と会っていたことに、本人たちを前にすると罪悪感を感じてしまうのだ。
しかし氷見は心から招木に感謝していた。鳩原に嘘をつかれていたことはショックだったが、調査結果の招木と鳩原のメッセージのやりとりでは、絆があったことが窺える。
絆というか、鳩原から招木への一方的な謝罪や感謝だ。誤射事件があってからは双方向になっているけれど、それまでの鳩原は、きっと招木を心の拠り所としていたのではと氷見は感じていた。
「鳩原先輩が頼りにしている相手がいたとわかって、少し、安堵しました」
人を撃てない自分がいるから、二宮隊は高みに上がれない。そのように鳩原が責任を感じていたことに、氷見は気づいていた。
もちろんフォローはしていたが、どれほど彼女の力になれたかわからない。
それに居場所が二宮隊だけというのも不健全だろう。新しく弟子ができたことにも氷見は安心していた。二宮隊がホームなことに変わりはないけど、外にも居場所はあったほうがいい。
客観的な意見として彼女はそう考えていた。だから招木の存在が鳩原の救いになっていたと受け取る。
「それは、どうだろう」
「何がですか」
「頼りにはされていたけど、結局のところ、鳩原が努力していたのは自身と二宮隊のためだよ」
「あ……」
しかし招木は氷見の意見を吟味するように、少しだけ目を細めた。
『……頑張りたい。この部隊でA級に昇格して、選抜試験を突破したい……!』
『ひ、人を撃たなきゃいけないんです。遠征に行きたいから。二宮隊で勝ちたいから。やらなきゃ、やらなきゃ……』
招木の頭に浮かんでくる、鳩原の言葉。その根底にあるのは、二宮隊に報いたい決意だった。
「私はそれに手を貸しただけ。だから鳩原は私を選んでいない。いや、私しか選択肢にいなかっただけかな。それは選んだとは言えないよ」
「!」
「誰にも何も言わずにあっち側へ渡ったことは、残念に思う。けれどそれが鳩原の選択だったと今は考えている」
二宮隊の面々が共通して考えていたことは、鳩原は自分たちではなく招木を選んだのでは、という部分だった。
しかし今の発言から、招木は本当に密航に関与していないと本能で感じ取った。その場にいる全員が、だ。
鳩原は二宮隊も招木も選ばなかった。他の民間人を選んだのだと気づかされた。
そういう意味では、両者は同じ立場にある。どちらも間に合わなかった側の人間だ。
「接触禁止令を破ったこと。君たちに隠れて鳩原と会っていたこと。ずっと黙っていてごめんね」
招木が二宮にまっすぐ目を向け、深々と頭を下げた。
調査結果から、招木は鳩原から声をかけられるまで、毎回自ら接触を図ることなく距離を置いていたと判明している。
二人が接触するのは、いつだって鳩原側が求めた時か弟子の絵馬を経由した時だった。
招木から積極的にコンタクトを取り始めた頃には、鳩原は密航を計画しており、結局Xデーまで二人が顔を合わせることは叶わなかった。
招木が謝罪しているのは、二宮から禁じられていた鳩原との接触を破ったことと、それを隠していたことに対してだ。
そもそも先に約束を破ったのは鳩原の方であり、招木は一方的に接点を持ちかけられたにすぎない。それでもなお、自分に非があるかのように頭を下げ、誠意を示そうとしている。
それが二宮には我慢ならなかった。ついに重い沈黙を破り、二宮が口を開く。
「お前が、」
「うん」
「……お前が謝る理由はないだろうが」
「!」
二宮の絞り出すような言葉に、大きく反応したのは二宮隊の面々だった。
彼らの隊長は確かに激怒していた。
鳩原が密航したと判明し、上層部から処分を言い渡された時は責任を感じて沈んでいた。しかし目撃者がいたことと、そいつが自分に黙って鳩原と密会を繰り返したことを知ると、胸の内に渦巻いていた暗い感情が怒りに転じ、その矛先が目撃者である招木に向けられた。
だからこの部屋で二宮と招木が対面した時、凄まじい怒気が迸り、隊員の三人は圧倒された。
その威圧感に招木も気づき「やっぱり虐殺じゃ済まないだろうな」と確信していたので、二宮の発言に驚いている。
「怒ってたんじゃないの」
「二度とそういうことを言うんじゃねえ。虫唾が走る」
「ほら」
「招木さん火に油注ぐのやめてください」
犬飼が辟易とした感じで言う。昔の彼との会話でも『嫌な気持ちになった?』と聞いてきたので、悪癖だと指摘したかった。
二宮はとても疲れた顔をしている。激情の発露と自制にはものすごいエネルギーを使うからだ。
しかし招木の口は止まらなかった。
「君の怒りは妥当だよ。二宮が仲間思いなのは知っているし」
「あ?」
「鳩原は人が撃てないことをずっと気にしていた。それでも君は、人を撃てとは言わなかった。辻も女性が苦手でランク戦で苦労しているのに克服させようとしない。弱点をそのままにしているね」
巻き込まれた辻がビクッと肩を震わせた。ダラリと冷や汗が頬を伝う。
その一方で、犬飼は「マジでこの人の心って鉄でできてんだな」と思った。明らかに不正解と思われる険しい道へズンズン分け入っていく。
その躊躇のなさは、鳩原のトラウマを無理やり克服させようとしたシーンを想起させた。
「それの善悪はわからないけど、少なくとも、彼女が彼女であることを否定しなかった。そんな大切な仲間に知らないうちに手を出されて、腹が立って当然だよ。なのに謝る理由がないなんて、どうして言えるの?」
招木は心からわからないようだった。その様子に二宮のオーラがひどく冷えていく。
二宮は理由がないと発言したが、内心ではかなりの動揺と複雑な感情が絡み合っていた。
まず、招木が一ミリも悪くないとは思わない。鳩原に拳銃を無理やり握らせるなど、酷いことをした過去は消えない。鉛弾の実験や密航前の通話内容でも彼女のトラウマを刺激する言動があったと報告を受けている。
それでも鳩原は招木を選んだ。誤射事件の後、一番辛い時に、二宮隊は近くにいられなかったのに、招木に助けを求めた。
あいつが手を伸ばしたのは俺たちじゃなかった。おまえだった。
「……あいつがお前を選んだからだ」
二宮が机の上に置いていた怒りの拳をゆっくりと解いた。
「? 選ばれていないと言ったけど」
「俺はそう思わない。鳩原はトラウマを抉ってくるような最低な女を……追い詰められるとわかっていた上で、選んだんだ」
招木は、鳩原の抱える問題の核心に近いところにいたのだろう。
二宮隊では触れられることのない禁忌に、招木は躊躇いもなくナイフを入れる。
二宮がやらなかったことを、招木は平気でする。
だからあいつはおまえを頼った。自分が変わることができるかもしれないと頼った。
そのように二宮は考えていた。自分のやり方に問題があったのかもしれない、と。
しかし招木が首を振った。
「どうかな。私のやり方は間違っていたのかもしれない。甚大なストレスをかけ、密航を決断する一因に繋がったのかも」
「……」
自分とは違う方法で鳩原に寄り添っていた女がそう言うので、二宮はかける言葉を失う。
形は違えど、招木も鳩原のために時間と労力をかけ、時には自室に寝泊まりさせ介抱し、献身的に支えてきたのだと知ってしまった。悪影響しか及ぼさないと接触禁止を告げたのに、過去の過ちを帳消しにするほどの奉仕をした。
招木にそんなことをする理由なんてないのに。
「俺は何も知らなかった。あのバカがお前の手を借りていたとはな」
自分の部隊の人間が、知らない間に別の部隊の人間に随分と世話になった。そのことを二宮は事実として受け入れた。
怒りも後悔も葛藤も混ぜて痺れるように疲弊した脳みそが、それでも彼を隊長として動かしている。
「……、」
二宮が沈黙した。むすりと黙り込んでいる。先程までの苛烈な激情は微かに薄らぎ、代わりに葛藤するような感情の揺らぎが窺えた。
言葉を選ぶような間だったので、招木も静かに二宮を待った。
そして。
「感謝する」
「え」
「うちの人間が世話になった」
招木が訓練生だった頃、二宮との模擬戦では戦術もへったくれもない自殺行為をやった。最初は私利私欲のために鳩原に近づいた。そんなことが記憶に残るから、二宮にとって招木は取るに足らない存在か、チームメイトを脅かす悪の存在だった。
しかし、この部屋に来てから招木はずっと、二宮をどこか哀れむ目で見ていた。大切な仲間に置いて行かれた男を、可哀想だなと思っていたのだ。
それが二宮には屈辱的で、燃え盛る怒りに新たな薪を投じるだけだった。
けれども、招木もまた被害者の一人であるとわかってしまって。面倒を見ていた後輩が突然消え、理由は不明だがその光景を目の当たりにしたと知ってしまって。そんな女が心から申し訳ないと謝罪をしてきて。それなのに自分のことよりも二宮の方を気遣って。
それらに怒りや屈辱を飛び越えて、二宮のプライドが刺激された。だから筋を通すために発言した。
「……」
二宮が頭を下げる。犬飼は隣で息を呑み、氷見は唇を噛み、辻は固まった。
強くなるために出水に頭を下げて弟子入りした男が、何度も鳩原を危険な目に遭わせた招木に、頭を下げて感謝した。
これに招木はかなり、……かなり驚き、完全に目を見開いた。隊長としての矜持と風格、そのようなものを目の前の男から感じ取り、威圧されたのである。
よって、一度深呼吸をすると。
「こちらこそ。役に立てなくてごめんね」
とだけ言った。
二宮隊回はまだ続きます。
犬飼SAN値チェックも入らなかったので次回です。
思えば序盤、招木が加古さんに弟子入りする回で加古さんが「二宮くんにぎゃふんと言わせたいの」的なセリフを言ってるんですが、まさか数年後に鳩原密航に関連する形で二宮が招木にぎゃふんと言わせられると思ってなかっただろうな…となりました
嫌な有言実行になっちゃった…