「俺は納得できていない」
「何に」
「あのバカがうちやお前に何も言わずに、部外者を仲間に選んで姿を消した理由だ」
「そうだね。私もそこが疑問だった。わざわざ民間人を選んだ理由は何だろう」
「だから直接聞きに行く」
「!」
招木がハッとした。まさか、と小さく口走る。
「俺は遠征に行き、あいつの口から理由を聞くと決めた」
二宮が堂々と言い放つ。彼の中で自身が遠征に行くことは決定事項となっている。
それは二宮隊のメンバーも同じ気持ちだった。
人が撃てない鳩原は、ボーダーにいてもいつ遠征できるかわからなかっただろうから、密航を選んだ理由は理解できた。なのに同行者として他を選んだことが、どうしても納得できなかった。
だから一人欠けた二宮隊は遠征試験を目指し、近界に行くと目標を再設定している。
「二宮隊は2期の昇格停止処分を受けたと聞いているよ。処分明けにA級昇格、選抜試験を受けたとして、実際に行けるのは一年後だよね」
「ああ」
「そう。……そういう手があったんだ」
迷いなく頷く二宮に、招木がわずかに眉を上げた。
招木は鳩原とは二度と会えないと思っている。本来、近界に行くというのはそういうことなのだ。鳩原のように意欲的に行く例は稀で、実際は近界民に問答無用で連れ去られるケースがほとんどだ。
そしてその行方不明者たちに再会できた、彼らがこちら側に帰ってきたという事例は、報告されていない。
それだけ危険で過酷なことだった。だからボーダーは遠征選抜を行い、精鋭たちを近界に送り込むことで、技術や情報を集めている。
この本部ができてまだ三年ほどしか経っておらず、発展中の分野だった。
「鳩原にもう一度会う気なんだね。君は東隊として遠征経験がある。私よりもよっぽど色んなものが見えているんだろう」
鳩原のために遠征について情報を集めた招木だったが、自分が行こうとは考えていない。
昔はあったトリオン兵への興味関心が今はないし、諏訪隊に遠征志望者はおらず、ランク戦もエンジョイ勢なので、機会がないのだ。
しかし二宮隊は鳩原を探すために遠征を目指すという。会えるはずのない密航者を発見して、問い詰めるつもりなのだろう。
その発想を招木は持っていなかった。しかしそれを知った今、招木の中で責任感が働く。
自分は嫌われるようなことをしてばかりだったが、鳩原のためを思って行動していた。那須や笹森のようにしっかり面倒を見ていた。
苦悩する彼女の問題を何とかしてやりたかったのだ。変わって欲しいと期待していた。
「私にも、何かできることがあれば、声をかけて欲しい。全力で協力するから」
「かけねえよ。思い上がるな」
二宮が手厳しく拒絶した。一番大事な部分を機密扱いで逃げておいて、向こうから協力するなど、よく言えたなという心境だった。
それでも招木は真剣な顔をしている。
「鳩原に対し、自分なりに最善を尽くしたと思っているよ。だけど、もっと他に方法があったんじゃないかと考えている。もう後悔したくないんだ」
「……」
「なら、私の方で勝手にやるね。もし何か掴めたら君に伝える。そのことを知ってもらえたら、それでいい」
提案してきたのは一方的な献身だった。自分よりも情報を掴んでいるくせに、こちら側に奉仕している気持ちになられても不快なだけだ。
招木はそう考えていないことを分かった上で、それでも二宮は感情的に否定せずにはいられなかった。
「勝手にしろ。俺もそうする」
「わかった。ありがとう」
「俺もお前が現場にいた理由について、調べるからな」
「!」
今度は招木が体を小さく揺らし、菊地原がグッと眉間にシワを寄せた。それでも二宮が彼女から視線を動かすことはない。
「機密事項なのはわかっている。だが、上が本気でこれを隠すつもりなら、そもそもお前が現場にいたこと自体隠すはずだ。追手である風間隊しか見てねえんだからな」
それなのに本部は二宮隊の報告書にて、招木の存在を明記した。この上なく怪しいのに、違反行為への関与が認められないと告げた。
つまり招木が密航現場にいたこと自体は、秘匿される情報ではないのだ。
本部が隠すべきと判断したのは、その理由。どうやって招木が密航現場の正確な位置情報と日時を掴んだのか。
きっとそこには、ボーダーにとっての不利益があるはずだ、と二宮は睨んでいる。
「半端に情報をやれば満足すると思うなよ。全部突き止めてやる」
立派な上層部への宣戦布告である。これに対し、招木は。
「そう」
と短く言った。菊地原もため息を深く吐いただけで何も言わない。好きにしろ、ということである。
二宮は鳩原の密航を調べるつもりだ。表沙汰にしないのなら、と上層部からの許可も得ており、特に不透明な協力者については徹底的にやる予定でいる。招木もその枠の中に入っていた。
本当に何も知らないらしいが、それでわかりましたと容赦するような性格を、二宮はしていない。
何をしてでも暴いてやると決意していた。
そこにどんな深淵が待っているとも知らず、二宮の容赦ない矛先が変わらず招木に向いている。
「手始めに」
二宮の一言で空気が変わる。
再び尋問のような固い空気が流れ始めた。
「お前が鳩原にそこまで手を貸した理由は何だ」
「尊敬していたから、かな」
招木がすぐさま答えた。その内容は予測外で、わずかに怪訝そうにする二宮に対し、言葉を付け加える。
「鳩原は人を撃てないトラウマを変えたくて、ずっと戦っていた」
「……ああ」
「私にもどうしても変えられないトラウマがある。でも、それを変えたいとは思わない。なのに鳩原は真っ向から立ち向かうんだ。どれだけ辛くて、怖くて、逃げたくても。君たちのために頑張っていた」
自分たちの知らない場所で、鳩原は戦っていた。それを招木の口から説明され、二宮隊の面々はそれぞれの胸に去来するものがあった。
「その努力も、勇気も、素晴らしいと思ったんだ。だから力になりたいと思ったよ」
「……そうか」
「まあ、私にできる役割と言ったら、鳩原を追い詰めることだけだったけど。彼女を支えるために絵馬に、保険として見守ってもらうために木崎に声はかけていた」
「絵馬に木崎さんか」
思ったよりちゃんとしている。
招木のことだから一方的に心の柔くて敏感な部分を踏みつける行為をしていたのではと二宮は疑っていたが、役割分担を指示し、根回しもしていたようだった。
まあ、そうでもないと鳩原は誤射事件の後に二宮隊よりも招木を優先して声をかけないだろう、と苛々しながら認識を正す。
しかし、そこまでやっておいて、招木の選んだ肝心の手段があまりに独善的な気がした。
普通、助けを求められたら相手の心情に寄り添うものだ。二宮は正直そちら側ではないが、にしても招木の選択は、突き放す・拒絶する・窮地に立たせる方に偏っている。
最初のトラウマ克服の手段も、無理やり拳銃を握らせて撃たせようとしていたし。過激な思想の持ち主なのが見て取れた。
「おまえ、何故あんな方法しかとらなかった。荒療治と言っていたな。普段、自分の弟子にも同じことをしているのか?」
招木には那須という名の弟子がいたはずだ。もしかしたらこのやり方がこの女のデフォルトで、弟子も厳しく追い込まれているのかもしれない。
招木の師匠は加古だったから、あの女から残虐性でも学んだのかと言ってやりたかった。
しかし招木が否定する。
「那須にあんなことしないよ」
「鳩原にだけやったのか? 何故だ」
「……あっ」
その時、静かだった犬飼が小さく声を上げた。胸に秘めた会話を思い出したのである。
まずい、と咄嗟に思って口を挟もうとしたが、それよりも招木が答える方が早かった。
「私も極限状態に追い込まれて、トラウマを克服したから。そしてそれをやったのは、君だよ」
「!」
間に合わなかった。犬飼が中途半端に開いた口に手を当て、そっと二宮に視線を向ける。
二宮は鋭い双眸を見開いていた。まったく身に覚えのない話だったからである。少し呆気に取られたようで、ぎこちなくまばたきをして、その口元が微かに歪んだ。
「俺が?」
「そう。私が訓練生だった頃、二宮と模擬戦をしたことがあった。五本勝負だったのを延長して、君は何度も何度も両攻撃していたね」
「それは、覚えているが」
あれが招木との初対面だった。
あの時は……そう、二宮は太刀川と加古に嵌められたとわかって、苛立っていた。幸運体質という不確定要素のせいで、格下の相手に負かされる可能性がごくわずかでもあるのが許せなくて、招木を徹底的に撃ってやった。
途中から彼女の動きに変化が訪れたが、それは無能に等しい戦法だった。
二宮が覚えているのはそのくらいだ。今は違うが、当時の招木は雑魚以下だったので、過剰な戦力差で押し潰したともいえる。
しかし、それが……。
「とても怖かったんだ」
「っ、」
招木の淡々とした声が、二宮をジリジリと追い詰めていく。
「訓練だから死ぬこともないのに、私は君に殺されると思った。あんなに怖い思いをしたのは、生まれて初めてのことだった」
責めるつもりがまったくない、事務報告の声色だった。招木は過去に起きたことを話し、二宮に質問されたことに答えているだけのつもりだった。
二宮の仏頂面の下でどれほど感情が荒れ狂っているか、想像すらしていない。平気で彼の心を踏み抜いていく。
「だけど、そのおかげでSEへの苦手意識が薄れたんだ。受け入れる心の準備ができたというか……それでトラウマを克服した。人は追い詰められると変わることができると、君から教わった」
招木は鳩原に拳銃を握らせ、追い詰めた。二宮は招木を一方的に蹂躙した。
同じことだった。俺も、こいつに、同じことをやっていた。
あれだけ鳩原へのトラウマを植え付ける行為に対して怒り、接触禁止令を告げ、敵視していたのに。あれは過去に自分がやったことが、跳ね返ってきた結果だった。
じゃあ、つまり。鳩原を苛むこの女の、その価値観を作り上げた原因は、自分だったことになる。
俺が、鳩原を追い詰めていた?
この事実に、二宮は頭を殴られたような衝撃を受けた。
さらに。
「ありがとう」
「……は」
「そういえば、君にお礼を言うのがまだだった」
招木は二宮に感謝した。
「二宮のおかげで私は幸運体質を自分のものだと思えるようになった。ありがとう。あの時、私と本気で戦ってくれて」
「……!」
「気づいてなかったの?」
その指摘が、二宮の心を深く傷つけた。
二宮はいつも本気だ。本気で招木を虐殺した。よって招木も本気で鳩原と向き合った。その結果、自身が二宮にされたように、容赦なく追い詰める方法を選んだ。
それで自分がトラウマを克服したからだ。招木は乗り越えた。しかし鳩原は乗り越えられなかった。
そして二宮はこの事実を、微塵も察していなかった。
「……ッ」
自身の鈍さに、二宮は吐き気がするようだった。
仲間がやられた窮追には敏感なのに、自分がやったことには鈍感だった。気づかずに過ごしてきた。その上で、自分が追い詰めた女に激しい怒りをぶつけていた。
それを自覚してしまい、二宮の呼吸が浅くなる。感情の行き先を失い、明らかに動揺した。
様子がおかしくなった隊長を案じ、辻や氷見が何と言葉をかけるべきか悩むが、二人も新事実を知って困惑している。
この場において先に知っていた犬飼だけは痛ましげに顔を曇らせていた。それでも声の調子を崩さないように意識して、
「二宮さん、二宮さん」
と名前を呼ぶので精一杯だった。
「君って本当に無神経だね」
「菊地原に話しかけられると思ってなかったな」
「そういうところホントむかつく」
会議室を出た招木は、前はすぐに立ち去ったのに何故かついてくる菊地原に平然と言葉を返した。
二宮の顔色が途中で変わったのはわかったが、鳩原のこともあってショックなことが多く、疲れているんだと思った。自分がいればストレスになるだろうから、早く距離をとった方がいいとまっすぐに考え、実行し、 二人は退室したのである。
「今日はありがとう。ごめんね。忙しいのに、迷惑をかけて」
二宮隊からの事情聴取要請に応えたはいいものの、菊地原が同席することが条件だった。
巻き込んでしまって申し訳ないと招木が伝えるので、菊地原は心の底から嫌そうな顔をする。
「なんで君がそういうの」
「本来なら私一人で対応することなのに、できないから。でも菊地原がいてくれて助かったよ」
本心でそう思っている様子に、菊地原は「こいつ頭がおかしいのか」と考える。
実は、菊地原はまだ混乱中であった。
密航直後の事情聴取では、ロクに声もかけずにその場から離れた。招木のSEの致命的な欠陥を知り、静かにパニックになっていたからだ。
自分がかけた呪いは、きっと彼女の意向に沿う形だった。自分は反発しているつもりだったのに、実際は望みのものをくれてやっていた。
そのことに多分、招木は気づいていない。「菊地原に嫌われているみたいだな」と思うだけで、それ以上心は揺さぶられない。
こっちはこんなに気が触れそうなほど思い悩んでいるのに。自分から築いた一方的な関係に、菊地原自身が苦しめられている。
「助けてない。気持ち悪いこと言わないで」
菊地原が強く言った。
機密事項だから彼は誰かに相談することもできない。するつもりもないが。
相談相手を思い浮かべたとて、上層部は外すとして、残った選択肢は影浦だけだ。しかし彼に悩みを打ち明けたいともならないので、結局独りでストレスを抱えている。
今の菊地原は、招木の姿を見ると心が落ち着かなかった。
自分だけがここまで調子を狂わされていることに、怒りすら感じる性分だった。
「なんでぼくばっかり」
招木の地獄を知ってから、菊地原の頭の隅に彼女がいた。それも気持ち悪かった。
影浦は随分前からそれについて知っていたようで、酷くノイズが走った状態だったけれど、今の自分ほど取り乱す様子はなかった。あの場にいた城戸・忍田・鬼怒田に関しても、大人の対応でスマートだった。
自分だけだ。自分だけが傷ついている。
そのことに招木は無頓着だ。自分に向けられた棘を気にしない。
諏訪隊のことをやたらと庇って、自分自身を軽視している。
「負担を増やしてしまっているね。どうにかできたらいいんだけど」
不満を言う菊地原に、招木は少し困った声を出した。
その時、どうして自身のモヤモヤが軽減されたように感じてしまって、菊地原は自分の片耳を引っ張った。
─────────
「お、ラッキー。……、」
犬飼が自販機のボタンを押すと、ピピッと当たりのメロディが流れて、二本分のペットボトルの落下音がした。
ここは二宮隊の作戦室から少し離れた場所にある休憩スペースだ。ラウンジやブースから遠くにあるので人通りが少なく、今も犬飼以外に人影はない。
二宮隊の処分が発表されて以来、本部内を歩くだけでも人目を引くようになった。それで今も、喉を潤すために遠くまで飲み物を買いに来たところだった。
作戦室には給湯室もある。それでも、わざわざ外に出て気を紛らわせずにはいられなかった。作戦室は、そこにいるだけで息が詰まりそうなほど重苦しい空気が漂っていたのだ。
「ラッキー、か」
そしてたった今、自分が何も考えずに発言した単語を拾い上げる。
犬飼はずっと招木にまつわる違和感について考えていた。
この間の事情聴取では、鳩原の現場にいた理由を機密事項として伏せられてしまった。しかし、ここに何かがあると犬飼は嗅ぎ取っている。
二宮もそれは同様で『全部突き止めてやる』と宣言していた。あの人らしいなと思う。心強かった。おかげで自分も遠慮なく探ることができる。
さて、何が引っ掛かったかと言えば、当然、招木のSEだ。
その名は幸運体質。本人はそれを「幸運を体に強制する」と言っていた。
「強制ってどこまでなんだ? 幸運って具体的にどんなことなんだろ。戦闘じゃ、稀に本人の意図に反する行動に出るらしいけど」
かつてのランク戦で、招木は状況に適さない反撃方法を選んでいた。いや、彼女の言い方をすれば"強制されていた"らしい。
この区別に違和感がある。
普通なら「運がいい」で終わる説明をわざわざ「体に強制する」と述べていた。強制というイメージからは、衝動的や強硬手段といったワードが結びつく。
鳩原に拳銃を握らせたことと関係している気がした。
当時はそこに引っ掛かった。犬飼の読み解く招木の人間性と、実際の行動が乖離していたから。
しかしそれから時が経って、今は招木がそのようなことをしてもおかしくない、と認識を改めている。
だって、平気で人の神経を逆撫でするからだ。
二宮を可哀想だと思う気持ちはあるくせに、二宮が無意識に招木を追い詰めていた事実を告げられて本人が何を感じるか、招木は無関心みたいだった。
犬飼は招木について、自分勝手な人という印象をさらに更新した。あれでよく人格者の嵐山と付き合い、諏訪隊としてやっていけるなと思う。
それとも招木は二宮が嫌いなのだろうか。だからあんなことを平気で言えたのだろうか。
「うーん」
考えていても納得のいく答えには辿り着けない。犬飼はしゃがみ、取り出し口から冷たいペットボトルを二本手に取った。
「あ?」
その時、影浦が通路から現れた。犬飼の姿を見て、チッと鋭く舌打ちをすると、くるりと背を向けて立ち去ろうとする。
「あ、待って。カゲ」
犬飼が話しかけても無視である。いつものことなので、普段なら「またねー」と声を背中に投げかけるのだが。
「ほんとに。待って。話がしたい」
代わりに真剣なトーンで切り出せば、感情が突き刺さったらしい影浦が足を止めた。
グッと歪んだ顔で振り向く。最低限、話を聞くつもりはあるらしい。
そのことにまず驚いた。影浦は犬飼のことを随分と嫌っていて、まともに話せたことは一回もなかった。
それが今になって話を聞く程度の態度を示してきた。かなり衝撃的な変化である。
「影浦隊もうちと同じ処分を食らったってね。本部だけじゃなくて学校でも見られてさ、自然と人目を避けちゃうよね」
「……」
「ここ人気ないから場所かぶったかー」
「帰る」
「わかったわかった、本題から入るよ」
なんでこうSE保持者は駆け引きとかすっ飛ばしてくるかな、と犬飼は思考の裏でちょっぴり思う。
移動しようとした影浦に当たりの一本を投げ渡し、無理やり動きを止めさせた。
ペットボトルを受け取った影浦の、刺すような目を見返して切り込む。
「カゲが根付室長に暴力振るったって、それ鳩原ちゃんと関係してる?」
「……」
「もっと言えば、鳩原ちゃんの弟子のユズルくん。彼のために怒ったんじゃないの」
「……だったら何だ」
影浦が認める。これに関しては機密事項ではないし、二宮隊も関係している。だから気分を害された顔で言った。
一方で、犬飼は「だろうな」と事実として再認識するだけだった。
ヒントは特にない。でも結果が目前に晒されているから、線で結べば自ずと答えは出てくる。
今回で言えば、影浦が根付室長に対して暴力行為に及んだこと。
通常であれば結びつかない両者が関係した理由を推測すればいいだけの話だ。
まず、影浦が何か動くとしたら、それは自分の部隊のためだろう。今の状況でその可能性が最も高い対象は絵馬だ。
師匠である鳩原が懲戒解雇処分を受けたと知った彼のために、影浦が根付に接触した。
相手はメディア対策室長だから、テレビやネットに出たいとでも言い出したのではないだろうか。この発想は軍師たる仁礼のものだろう。
そうすれば、日本のどこかにいる鳩原の目に留まり、連絡が来るかもしれないと彼らは希望を抱いた。
実際は鳩原は近界にいるから届くはずもないのに、後悔に押し潰されそうな弟子のために、その話を持ちかけたと考える。
だが当然、影浦隊に広報部隊としての適性があるとは言えない。
だから断った、あるいは保留した根付の感情が刺さって、影浦の手が出た。
そのように犬飼は考えていた。推理でもない、単純な状況判断である。
「話は流れた。それで終わりだ」
影浦が低く言う。
実際には、影浦は鳩原が懲戒解雇処分を食らったのではなく、密航したのだと知っている。だからどれだけテレビに出演して呼びかけたところで、無意味だとわかっていた。
それでも絵馬の助けになるのなら、それでもいいと思った。届かないことがわかっているのは、自分だけで十分だった。
目の前で落ち込んで、自分を責める絵馬に何かしてやりたかった。
それなのに、根付から『憐れみ』が刺さってきて、自制心を失った。
「その口ぶりは、SEが原因みたいだね」
「あ? 煽ってんのかてめー」
「招木さんのSE。知ってる? 幸運体質」
「!」
犬飼は舵を切り、招木の方へと話題転換する。途端に影浦に動揺が現れた。その様子に、何かを知っていると確信する。
発言を差し挟む隙を与えないほど早口で続きを喋った。
「おれ招木さんと訓練生時代に運試ししたことあるし、ランク戦でも戦ったからさ。ちょっと知ってるくらいなんだけど。本人も感知してない攻撃を回避するんだよね。カゲは刺さった感情しかわからないから、そういう意味だと招木さんの方が回避能力が高いと言えるかな」
「さっきから何なんだよ。ケンカ売りてーんなら、」
「でもそれって強制されているらしいね。本人の意図とは別にトリガーを切り替えたこともあったし。招木さんがSEを制御してる感じはない」
影浦が招木の顔と名前は知っている、という前提で話していく。さっきのリアクションから何かあるのはわかったし、別に二人が親しいか親しくないかなんてどうでもよかった。話の本質はそこではない。
「SEってコントロールできないもんなの? おれはそういうのわからないからさ、カゲに聞いておきたいんだよね」
「……はあ?」
あと一つで何かがひらめきそうなのに、ピースが一欠片だけ足りない。そんな物足りなさに急き立てられ、犬飼は気遣いとか遠慮とか外聞とかそういうのを取っ払って、思考と口を直結させた。
よって影浦に刺さる感情と発言に矛盾はない。犬飼が見せる初めてのシチュエーションに、影浦は不躾なことを聞く失礼さに苛立つよりも先に少し戸惑って、そのまま答えた。
「制御できたら苦労しねーよ。こんなクソ能力」
「日常とか戦闘とか、生身とかトリオン体とか関係なく?」
「だったらどーした」
荒い声で影浦に肯定され、犬飼が真顔で唇を引き結んだ。
違和感を紐解く材料が、急速に頭の中で組み上がっていく。
幸運を体に強制するSE。
自分の努力を上書きすることへの抵抗感。
本人の性格にそぐわない衝動性。
確実に理由が存在しているのに、上が無関係だと判断した、機密事項の根拠。
それを告げるのは招木ではなく菊地原だった。
断片的な情報が次々と結びついていく。
「SEの名前って、誰がつけてるの」
「何なんだよさっきから……、研究員だろ。診断書に書かれてんだよ」
「じゃあ内部の人間なんだ」
「内部だァ?」
「招木さんのSEってさ、幸運体質なんて呼び方されてるけど。"無理やり体を動かされること"の何がラッキーなの?」
「ッ!」
その言葉に、影浦は目玉がこぼれ落ちそうなほど大きく目を見開いた。
『それを生きてるって言えんのかよ。どこが幸運なんだよ。名前つけた奴イカれてんだろ』
招木の地獄を知る影浦も似たようなことを考えていた。それに犬飼が辿り着いたということは、つまり、気づいたのだろうか。
息を止めて驚く影浦が硬直するのもお構いなしに、犬飼が口を動かし続ける。脳が焼き切れそうだった。
「仮説……だよ。いや、カゲは知らないから、おれが何話してるか訳わかんないと思うけど。あれだけ状況証拠が揃ってるのに本部が無関係だと判断した理由なんて、それしかない、って」
話しながら、ようやく思考がひとつの答えに収束したようで。
その瞬間、犬飼は。
「───っ!!」
全身を大きく震え上がらせて、手に持っていたペットボトルを落とした。
ゾ、と鳥肌が立って、顔が強張る。背筋に冷たいものが走り、思考が一瞬停止した。「あ、」と声をこぼす。脳が理解を拒んでいるのに、一度繋がってしまった発想は、もう元には戻らなかった。
当たりの片割れだった未開封のペットボトルが床に転がり、犬飼の視界の隅で冷たく横たわっている。
二人の間に沈黙が流れた。
「……、」
招木が鳩原の密航現場にいたことに対し、上層部からの説明がなかったこと。その理由を機密情報と定められたこと。
それこそが答えだった、と今なら思う。
普通、あの状況なら彼女は黒だった。
招木は現場にいた。だが、鳩原から情報を得ていた形跡はない。それでも上層部は彼女の関与を否定した。
何故だ。何も知らない人間が、どうして密航現場に辿り着ける?
……いや。何も知らなくても、辿り着くことができたのだとしたら?
「ま、じか」
招木は普通ではない。SEがあるからだ。
幸運体質。幸運を体に強制する能力。コントロールできないそれに突き動かされて、招木が現場に向かったとしたらどうだろう。
幸運が、SEが、戦いや日常にしか出現しないと考える方が不自然だ。
影浦は常日頃から周りの感情を受信している。それなら、招木も同じだと考える方が道理だった。
自販機の当たりのような、目に見えてわかりやすい幸運ばかりに気を取られていた。もっと深刻なものは、ずっと身近なところにあったのだ。
しかし、本人は正確な情報を知らないのに、本当にそんなことがあり得るのだろうか。
鳩原の性格を考えるなら、招木にも情報は漏らしていなかったと思う。密航直前の、自分の誕生日を祝うために開かれた焼肉会でも、鳩原は作り笑いを貼り付けるだけだった。裏で大それた計画が進行中だったと、微塵も悟らせなかった。
招木が何も知らなかったとして。
場所も、時間も、全部わからないのに、現場に行ったとして。
───それは果たして、幸運なのだろうか。
結局彼女は間に合わなかったのに。
「…………」
ともかく犬飼は、次々と浮かぶ考えを追い続けていた。
もうやめろと自分に言い聞かせても、頭は休むことを許してくれない。思考を重ねるほどに、頭の奥が鈍く痛んだ。
……本当のところは、まだわからない。
だが厳格な城戸司令らが招木を白とみなした理由は、説明できないSEがあるからだと犬飼は考えた。
説明がつかないことも、機密事項として扱われていることも、それ自体が根拠なのだと犬飼は決めつけた。
なら、おれが感じていた違和感は?
招木の人物像と過激な強硬手段が結び付かなかった、あの感覚。
あれは、本当は本人の意図じゃなかったからか? あの時から……招木は何度、幸運体質により行動を強いられてきたのだろうか。
一体いつから。どこで、どのタイミングで、SEに振り回されていただろう。
犬飼は招木とそこまで関わりが深くないから判断に悩む。しかし、自分の"人を見る目"を信じるならば、二宮隊と関わっている時、とりわけ鳩原と接する時は、SEの影響を強く受けていたように思える。
あれらの行動は本当に本人の意志だったのかと、疑いかけた。
「いや、」
しかし駆け引きの得意な男は、これこそが上層部が機密事項に決定した理由だと理解する。
SEの強制力を公にすれば、これまでの招木の言動全て、本人の意思によるものではないと受け取られる可能性がある。
だから彼女の人格を尊重し、厳重に伏せられた。
このことを皆が知れば、ボーダー内は今以上の大混乱に陥るだろう。
……本当に、それだけなのか。
一度芽吹いた疑心は、簡単には振り払えない。
それにしても、招木はよく平気な顔をしていられるな、と思った。
いつ自分の意図しない行動を強制されるかわからない上に、その責任をとらなければならない状況。とても正気ではいられないだろうに、犬飼が思い浮かべる招木の顔はいつも淡々としていた。
あの表情で、SEに強制された結果を責められていた。
……自分も釘を刺しに行った。何も知らないで、一方的に非難した。
招木は逃げなかった。自分のせいじゃないと言ってしまえばいいのに、指摘を受け入れ、謝罪した。
「ぅ、」
犬飼が片膝をついた。怯えたような目が影浦を捉える。冷や汗で湿った額を拭い、そのまま口元を隙間なく指で覆った。
震える吐息をそうやって堪えた。そうでもしなければ、言ってはならない言葉が飛び出してきそうだった。
それは招木と同じようにSEを有する影浦の前で、とても言えないような。
そんな不吉な予感が、猛烈にしていた。
「……カゲ」
突然様子がおかしくなった犬飼を、影浦は睨む眼差しで見ていた。犬飼が真っ青な顔で続ける。無理やり笑顔を作った。
「……色々教えてくれて、ありがと」
まともな会話がこれだなんて、最悪の気分だ。
この時、犬飼はまだ地獄の入り口に立ったばかりだった。招木のSEが強制するのは、彼女の行動だけだと認識していたからだ。
本当は言葉や発想、感情までも操られることがある事実に、しかし犬飼は辿り着けなかった。
その先の招木の地獄を知り、そして同時に別の奈落に突き落とされている影浦が、忌々しげに言う。
「おまえは考えてる事と顔が一致してなくて、気味が悪い」
ラストの影浦のセリフは原作回収です。
これで二人は多少マシな会話ができるようになりました。過去イチ良好な関係に進めます。おめでとう。
今まで20時更新だったんですが、別に何時でもいいことに気づいてしまったので、執筆時間を優先して21時更新に変更になります。
引き続き拙作をよろしくお願いします。