ようやく訪れた謹慎明け当日。招木は軽い足取りで自室を出た。
やっとみんなに会いに行けるとウキウキである。鼻歌でも歌いそうなくらいの機嫌の良さだった。
自分の携帯は相変わらず回収されたまま。支給された携帯と交換で手元に戻ってくる手筈なので、まずは指示通りに謹慎明けの報告をしに行かなければならない。
それが終わったら諏訪隊の作戦室に行こう。嵐山にも早く会いたいし、みんなの顔を見たい。
そう思いながら宿舎を出て本部内を歩く。
「……?」
すると不穏な騒めきをキャッチした。やたらと周囲から目を向けられている。
それくらいは何度も経験がある。数年前はラッキーガールの噂があったし、一時は落ち着いたものの、嵐山と恋人になってからは再び注目の的となったからだ。
それ故に招木は今更何とも思わなかったが、訓練生たちの視線に嫌なものを感じ、考えるように目を細めて先を急いだ。
報告を終え、自分の携帯を取り戻した。中身を確認すると友人たちからのメッセージや着信の履歴が山ほど溜まっている。
思わず目を丸くした。ずいぶんと心配をかけてしまったらしい。ひとつひとつ確認して返信をしなければ。
そう思いながら画面を眺めていたが、通路の端に立つ招木を発見した誰かが、大声で名前を呼んだ。
「招木!」
「堤」
堤である。彼は驚いた顔でズンズンと大股で招木のもとに駆け寄った。招木も携帯をポケットにしまって顔を上げる。
「謹慎が昨日までって聞いてたから、本部に来てるかと探していた。見つかってよかったよ」
「探していたの?」
「当たり前だろ。隊務規定違反って何したんだ。連絡は。ずっと心配したんだぞ」
「携帯は調査のために回収されてたの。今返却されたから、返信しようとしていた。これからうちの作戦室に行こうかと思っていたんだけど」
「ああ、みんな来てるよ。いや、散り散りになってるから集合かけるか」
堤が素早く携帯を取り出し電話をかける。「招木発見! 至急作戦室に集合!」と任務中みたいに報告するので、それがなんだかおかしくて招木は小さく笑い声のような息を漏らした。
「ん、どうした」
「ううん。ちょっと面白かっただけだよ」
「……思ったより、元気というか、普段通りだな」
「そうだね。体調不良になっていたわけではないから」
「まあ、うん。悪いことじゃないな。うん。元気なのはいいことだ」
「ところで、堤」
「何だ?」
「今日はやけに本部が騒がしい気がする。何かあった?」
「あーっと……」
難しい顔をした堤が「作戦室に向かいながら話すよ」と歩き出した。招木もそれに従う。
そして彼女が謹慎中に、鳩原の懲戒解雇処分、二宮隊と影浦隊のB級への降格処分が下されたと堤が教えた。だから今の本部は普段と違う雰囲気が広がっている。
招木の謹慎処分も公開情報だから、それで注目を集めているんだろうと説明する。
「影浦隊が? ……影浦が根付室長に暴力を?」
招木が食いついたのは影浦の情報だった。鳩原や二宮隊の処分は知っているが、影浦隊については初耳だった。
鳩原密航当日の事情聴取で召集された影浦にそんな様子はなかったので、事件はその後、招木が謹慎して外部との情報が絶たれている間に起こったのだと知る。
「そう。それは話題になるだろうね。でも、私もそこに並ぶんだ」
「謹慎理由が伏せられているから、訓練生の間で色んな憶測が飛び交っててなぁ」
「それってどんな?」
「あー……命令違反とか、トラブルとかだな。あとはSEが関係しているとか」
「ふぅん」
案外間違いでもない。招木が隊務規定に違反したのはSEのせいだ。憶測と言えども侮れないのだな、と招木は思う。
しかし堤がかなり言葉を選んでいるようで、しかも何か隠していることを見抜いた招木は催促する。
すると堤が思いとどまらせるように首を振った。
「いや。刺激的なら何でもありな内容だから、おまえは気にしなくていい」
「そう言われると気になるな。でも、堤が言うならそうなんだろうね。わかった、気にしないようにする」
「ああ。それがいい」
招木が素直にこくりと頷く。堤は内心で小さく安堵した。
というのも、招木の隊務規定違反をめぐって、訓練生たちの間で最も有力視されていたのが、「恋人である嵐山と何かあった」という憶測だったからだ。
嵐山の知名度により、無責任で下世話な噂話が広まっている。招木が感じた騒がしさもこれが原因だろう。
しかし、この憶測に関しては、嵐山本人から「不安にさせてしまうから彼女が知ることのないように」と頼まれている。つまり当然の話だが、謹慎の原因は嵐山とのトラブルではないのだ。
招木は他のルールを犯し、処罰を受けた。
堤はそれが気になって仕方がなかったが、作戦室で皆が集まってから尋ねるべきだろうと言葉を引っ込めている。
「みんな、久しぶり。防衛任務に出られなくてごめんね」
さて、そうして緊急で集まった諏訪隊のメンバーに対し、作戦室に入るなり招木が開口一番にそう言った。
その様子は謹慎前とほとんど変わらない。むしろ、ようやく諏訪隊のみんなに会えたことが嬉しくてたまらないといった様子だった。
浮き立つようなその雰囲気に、何か重大な問題が起きたのではないかと案じていた小佐野や笹森も、強張っていた表情をいくらか和らげた。
「いきなり謹慎とか聞いてマジでビビったかんね」
「お元気そうでよかったです」
そして二人が諏訪をチラと見る。招木と堤も隊長に視線を向けた。
諏訪は眉間に深いシワを刻んでいた。腕を組み、何かを堪えるような表情を浮かべている。
ソファの背もたれに体重を預け、なかなか口を開けずにいた。
「諏訪。迷惑をかけてごめんね」
「……ああ」
招木がそう言っても、諏訪はわずかに顎を引くだけである。
しかし四人の視線、特に堤、笹森、小佐野の眼差しに促されて、重々しい様子で話を切り出した。
「なあ。俺らはお前がやった隊務規定違反について、何にも聞かされちゃいねえんだ。……一体何があった?」
二宮隊や影浦隊の降格処分とも関連していると諏訪隊の面々は考えているので、何かしらの事件が起き、招木も巻き込まれたのだと想像していた。
だから「招木、お前何やった?」という言い方はせず、どんな事件が起きたのか尋ねている。
しかし招木は視線を逸らすことなく、きっぱりと告げた。
「機密事項だから話せないんだ」
「……やっぱそうか」
予想通り、鳩原の"組織の機密に関する重要規律違反"と関係している。招木が黙秘するのは目に見えていた。
だから諏訪は硬い声のまま相槌を打つ。他の三人も自身を納得させるように、口々に「機密なら仕方ないな」とか「話しちゃだめですもんね」とか言い合っている。
しかし信じ難い心境だった。招木はルールを破る人間ではない。
……いや、確かに時々周りが驚くような突拍子もない行動に出たり、余計な一言をポロッと言ったり、目を離したら何をしでかすかわからない部分があるけれど。
それでも彼らは、招木が違反行為をするような人だと、なかなか思えないのである。
結局、諏訪隊も他の隊員らと同様に、何も知らない立場に置き去りにされていた。
わかっていたことだ。前の話し合いでもそう結論を出した。だから苛々しても飲み込むしかない。諏訪は己にそう言い聞かせている。
落ち着かない様子で足を揺らした。
「連絡できたらよかったんだけど、携帯は調査のために預けていて、できなかった」
「調査? もしかして研究員の事情聴取みてえのか?」
「ああ、もうされたんだ。そう、私のSEについて研究をすることが決まってね。君たちにあまり手間はとらせないと言われている。二回目はないんじゃないかな」
「なんかマネキとのこと色々聞かれたんだけど。あれって本当にSEの研究に必要な内容だったの?」
「そうだと思うよ。何かあった?」
「警察の取り調べ受けてる気分になった」
小佐野がうへぇと舌を出した。明らかな冗談と、場の空気を軽くするコミカルな仕草である。招木もその顔に苦笑を滲ませた。
「それは大変だったね」
「あの、調査って、招木さんから言い出したんですか?」
「違うよ。上層部の決定」
「このタイミングで、ですか?」
「うん」
すると笹森が何かを考えるように目を伏せる。
招木の幸運体質に巻き込まれないよう、攻撃手である笹森はかなり時間をかけて特訓した。だからSEに思うところがあり、妙な実施時期にも違和感を覚えた。
しかしそれ以上謎に迫ることはできず、パッと意識的に笑顔を作る。
「でも、戻ってきてくれて嬉しいです。最近の防衛任務は三人で出撃だったから、普段の連係とも変わってきて、対応力が試される感じがありました」
「そうだよね。ごめん、私がいない分、負担を増やしてしまったね」
「ああ、いえ! そうじゃなくて。いつも招木さんに場を整えてもらってばかりだったから、改めて自分の戦い方を見直す機会になったんです。もっと色々、頑張んなきゃいけないなと」
笹森が招木不在の任務をポジティブに言い換えてくれる。招木は心の中で「なんていい子なんだろう」と笹森への過保護度合いを高めた。もちろん過剰にならないよう表に出る分はセーブするが。
そんな楽観的な気持ちのまま発言した。
「これからは防衛任務にも復帰するから、任せてほしい。これ以上きみたちを巻き込まなくて済むね」
招木の声は普段通りに近かった。淡々としていて、感情の揺らぎはほとんどない。
なんか嬉しそうだなと、招木の近くにいる諏訪隊のメンバーなら気づける程度の違いがあった。
それが妙に引っかかり、諏訪が麻雀卓に頬杖をつき、真正面から招木を見据える。
「巻き込むってなんだ?」
「そのままの意味だよ。私が隊務規定に違反したせいで、防衛任務に穴を空けた。部隊にも負担をかけた」
「……で?」
「でも、二宮隊や影浦隊みたいに、隊として処分を受けることにはならなかった。私個人の処分だけで済んだんだから、よかったなって」
「──、」
平然と招木が言ったその瞬間、作戦室の空気が凍る。シン、と沈黙が降りた。
頬杖をついた体勢を解く動作により、骨がパキリと鳴る音が静かに響くほどだった。
「それ、本気で言ってんのか」
「諏訪?」
その音を立てた諏訪が、眦を吊り上げ、低く唸るような声を出す。
招木の無神経な言葉に、蓄積された怒りや不安が刺激されていた。
……こっちはどれだけ気を揉んだと思っている。
急に招木が謹慎処分を受けたと聞かされて、その内容すら教えられず、どれだけ不安だったと思っている。
連絡しても返事がなく、かなり心配したし、何かあったんじゃないかと何度も考えた。
朝まで防衛任務があったあの日、もし招木を引き留め、一緒にいられたのなら、何か未来が変わったんじゃないかと思わずにはいられなかった。
招木は今何をしているのか。どんな思いで独りぼっちでいるだろうかと、心が揺れた。
『ボーダーに来るまでは孤独が当たり前で何とも思っていなかったのに。今は皆と一緒にいることが普通になって、独りが怖くなった』
『……ああ』
『大事な人を守りたいよ。独りはもう嫌だ』
そう言った招木の表情が、今も諏訪の脳裏にこびりついている。あの時の諏訪は、招木は独りではないと伝えた。自分たちがいるから大丈夫だと背中を叩いた。
しかし、今の自分たちは待つことしかできなかった。無力だった。
それなのに、当の本人は自分のことなどどうでもいいような顔をして、隊に迷惑がかからなくてよかったと言う。
「お前がいない間、俺らがどんだけ心配したと思ってる。大事な隊員が知らねー間に処罰を食らって、何も思わねえ薄情者とでも思ってんのか」
招木を射抜く鋭い眼差しには、剥き出しの怒気が宿っている。その口から発せられるのは、グツグツと煮えたぎっていた焦燥や憤りが凝縮された声だった。
これに招木は目を見開き、唇を噛む。すぐに返事をすることができなかった。
自分の発言が諏訪の、いや、諏訪隊のみんなの気持ちを踏みにじるものだったと理解したからだった。
招木は今回の件について、本心から諏訪隊に影響が及ばなくてよかったと安堵していた。
処分を受けたのは自分だけで、その内容にも納得している。SEに強制された事情があろうと、隊務規定に違反したことに変わりはないのだから。
防衛任務に参加できず、隊に迷惑をかけてしまったことは申し訳なく思っていた。けれど、それも謝罪して、これからの働きで挽回すればいい。そう考えていた。
しかし、諏訪に指摘されて初めて、招木は自分が見落としていたものの存在に気づかされた。
視線を巡らすと、堤、笹森、小佐野が心配そうに目を合わせてくる。
「招木。お前は……、お前は自分の価値をわかってねえ。どれだけ周りに大事にされてるか、自覚しろ」
「……」
「そんで自分をもっと大事にしろ。お前がいなくなっていいなんて思ってる奴は、ここには一人もいねえんだよ」
「……うん」
「前に言ってたよな。独りはもう嫌だって。だったら、お前がいなくなったときに残される人間のことも考えろ」
言いながら、諏訪は加古の発言を思い出していた。
『招木ちゃんはどんどん自分を軽視する。元からあんなに意志がないのに、それまで奪ったら何が残るの?』
招木が諏訪隊での自身の役割を囮と定めたことに、加古は不安そうにしていた。諏訪は忠告としてそれを受け取り、しかし招木を信じているからと無用に探ることはしなかった。
諏訪は、そして周りの人間たちは、招木のことを大事に大事に扱っている。招木もそれに応え、言葉や態度で感謝の気持ちを示してきた。
だから諏訪は安心していた。招木は自分自身を大事にしてやっていると誤認していた。
今、わかった。
招木の根本的な欠如は、出会った時のまま、止まっている。これは諏訪のこれまで積み上げてきた自己満足を揺るがす苦い発見だった。
「俺らだって、お前がいなくなったら嫌なんだよ」
さっきまでの声の鋭さを残したまま、咎めるような口調の奥に、切実な願いが含まれている。
そんな諏訪の言葉を聞き届け、目を閉じた招木は。
「……そっか」
とだけ言った。すると暗闇の中で、柔らかい手に指を包まれる感触があった。
ぱちりと目を開くと、小佐野が顔を覗き込むようにして招木の手を握っている。安堵と心配の入り混じった色がその瞳に浮かんでいた。
「あたしもすわさんと同じ気持ち。巻き込まずに済んだとか、寂しいこと言わないでよ。なんかあったら一緒に怒られるよ。仲間じゃん」
「おサノ」
「オレも、いつも招木さんに助けられてます。だから、頼りないかもしれませんが、オレだってあなたを助けたいです。恩返しさせてください」
「日佐人」
笹森が自身の胸元に手を当て、勇気づけるように笑顔を見せた。堤も「全員、同じことを考えてたな」と言う。
「お前が傷つく姿を見て、自分のことのように悲しむ人間はたくさんいるんだ。……どうか、そいつらのためにも、自分を大切にしてやってくれ」
「堤。……みんな、ありがとう」
招木は四人の目をしっかり順番に見つめて、頭を傾けた。目尻を下げ、ちょっと困った感じで感謝する。
「……」
諏訪は、招木の自己軽視がこれで解決したとは到底思えなかった。
きっとどれだけ言葉を尽くしても、行動で示しても、彼女の価値観は簡単には変わらないのだろう。
基本的に招木は指摘されたら改善するし、自分から「あ、今のよくなかったな」と思えば失言や過ちを謝罪し、リカバリーしようとする。
けれどこんなに長く部隊を一緒にやってきて、自分自身の価値観について改善がまったく見られなかったことが、諏訪にはかなりの衝撃だった。
……そこまで重症だったのだと、突きつけられた。
自分は信じていると大口を叩き、ちゃんと見れていなかったのだと思い知らされた。
やり場のない思いだけが募っていく。
「……招木」
「何かな」
諏訪は、なぜ招木がそこまで頑なな価値観を築き上げたのか、どうしても気になった。
つまり、彼女のルーツを知りたくなったのである。
謹慎について知らされた時、自分は招木の過去を何も知らないと後悔したのと合わせて、それは凄まじい意欲となり諏訪を駆り立てる。
しかし今は他の隊員たちがいる。そのような場で聞けるような話題でないことはわかっているので、別の疑問を口にした。
「一応聞いておくが、二宮隊の鳩原っつーのとそんな関わりなかったよな?」
自分の求める答えに誘導するような言い方だった。
諏訪は今回の騒動について、中心にいるのが鳩原だと睨んでいる。招木の謹慎理由が機密事項だと隠されていても、やはり知りたいと思う気持ちを止めることはできなかった。
だから聞いた。お前は巻き込まれたんだよな、と確認したかったのだ。
しかし。
「関わりあるよ。今まで黙っていてごめんね」
招木があっさりと白状したので、諏訪は突然足元を掬われたような心地がした。
思いっきり動揺し「ど、どんな?」と質問を投げかける。
「鳩原は人を撃つことができない。彼女はそれを改善したくて、私に声をかけたんだ」
「え、いつの間に。あたしら知らないけど」
「二宮隊にバレるわけにはいかなくて。極力隠していたの」
「どうしてバレたらまずいんだ? 二宮が何か言ったのか?」
堤が焦って早口に言う。笹森は鳩原のことをあまり知らないので心許なさそうに視線を彷徨わせた。
問いかけられた招木は、何か言いかけては口を閉ざした。しかし四人の視線を一身に受け、逃げ場を失ったように、ようやく言葉を絞り出す。
「接触禁止令を出されたんだ。だから私と鳩原は人前で会うことができなかった」
「せっ……」
全員、絶句である。
接触禁止令なんて、いくら二宮でもそう簡単に宣言するはずがない。
冷や汗をかいた諏訪が半ば思考停止した頭で問う。
「何が起こっ……、いや、おまえ、何やった?」
直感的に、招木が何かをやらかしたからだと諏訪は思った。
昔、招木に自分の言い方を真似されて『……諏訪とは組みたくない』と言われた時と同じ、心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
あまりの衝撃に、意識が遠のくような感覚さえ覚える。
そんな諏訪を申し訳なさそうに見て、招木が打ち明けた。
「鳩原にトラウマを植え付けた」
招木が上層部から厳しく箝口令を敷かれているのは、鳩原の密航と自身の隊務規定違反、そしてSEの強制力についてだ。それ以外に機密事項とされるものはない。
ここまでは話しても大丈夫なラインだったので、招木はその場でぶちまけたのである。
良識的には全然全く大丈夫なラインではないのだが、彼女はそれよりも諏訪隊に隠し事をしたくない一心で暴露した。
さっき、あれだけ招木を大切だと伝えてくれた人たちに対し、そうやって応えることしか、今の招木にとって誠意を見せる手段はなかったのだ。
「……あっ、思い出した。急に銃手用のトリガー入れてって頼んできたことあったよね。あれ拳銃を使うためだったんだ」
「え、そんなことがあったんですか?」
「オレも初耳なんだが」
「すぐ元に戻したから忘れてた。ん、なんでそんなことしたんだっけ?」
小佐野の問いかけに招木は無回答を貫く。あれはSEに強制されたからだった。しかしそれを伝えることができないので、唇を引き結ぶしかないのである。
そんな招木と同じく、諏訪も頭を抱えて沈黙していた。
自分が知らない間に、自分の部隊の人間が別の部隊にとんでもない大迷惑をかましていたからである。しかも時系列で言えばかなり前だ。
そんな昔にやらかしていたことを、隊長である自分は知らなかった。知らないまま平然と二宮隊と接していた。
二宮も、二宮隊も、そんな大事件があったことを悟らせなかった。
諏訪の頭には今までの二宮隊との接触の記憶が走馬灯のように流れている。それらの映像が完全に流れ切ると。
「おっまえ、」
突然諏訪が勢いよく立ち上がり、
「よその部隊に迷惑かけてんじゃねえよ!!」
「っ、」
招木に向かって大声で怒鳴った。隊長として至極当然の叱責だった。対して招木が肩をビクッと震わせ「あ……」と小さく声を上げる。
「黙っていてごめんじゃ済まねえだろうが! おい、二宮とか鳩原、あー……もうボーダー辞めちまってるけど、そいつらに謝ったかお前」
続く言葉も有無を言わせない迫力がある。大声ではないが、招木を正面から叱る響きがあった。
招木は予想外の剣幕に気圧されていた。よって震える声で答える。
「あ、謝った、よ。鳩原にも、二宮隊にも、謝った」
「そうか」
諏訪の声はとても冷たい。招木は心臓が嫌な音を立てて跳ね、指先が冷たくなるのを感じた。
自分が酷いことをしたのは自覚している。鳩原にも二宮隊にも指摘され、釘を刺された。
しかし諏訪に言われるのとでは次元が違う。喉が詰まり、呼吸がうまくできなくなるようだった。彼のほんのわずかな言動にここまで心が掻き乱される。
だが、諏訪の怒りはすぐに収まった。ソファから立ち上がり、外出の準備をし始める。
「……俺、ちょっくら鹿のやに買い出しに行ってくるから、お前ら招木を見といてくれ」
「諏訪さん」
「この後二宮隊に詫び入れに行くのに手ぶらじゃダメだろ」
「ま、待って」
慌てて止めに入る招木は、珍しく動揺を隠し切れていなかった。さっきまで怒っていた諏訪が驚いて口を開くほどである。
自分の考えを伝えることに必死な招木は、ひどく幼く見えた。痛々しくて、健気で、愚かな子どもみたいだった。
早口になりかけては言葉を選び直し、諏訪の反応を窺うように顔を見上げる。その姿は、叱られた子どもが懸命に許しを乞うているようでもあった。
「諏訪が謝る必要はないよ。私がやったことだから」
「お前な」
「二宮は謝る理由がないと言っていたし、もう大丈夫だと思う」
「大丈夫かどうかを決めるのはお前じゃねえだろ」
「でも、」
「それに、俺が行くのはお前の代わりに謝るためじゃねえ。お前がやらかしたんなら、責任とるのが隊長だ」
「!」
「あークソ、どんだけ前のこと隠してやがった。さっさと言えバカ。遅くなっちまっただろうが」
ぶつくさ招木に文句を言う諏訪は財布を片手に出て行ってしまう。その背中が通路に消えてしまい、招木は力なくその場に座り込んだ。
……そうだ。諏訪はこういう人間だったと痛感した。
二宮に続いて、諏訪にも隊長としての矜持を見せつけられた。
招木は諏訪のことが大好きだった。人間としても、隊長としても、尊敬しているし、とても好きだ。
諏訪と出会えたことを心から幸運に思うし、彼が作る部隊の隊員でいられることも、かなりラッキーだと思っていた。
諏訪はいつも「結果は全部隊長の俺の責任だから、お前らは自由にやれ」と言っている。
今回もそうだ。招木が過去に二宮隊へ迷惑をかけたと知るや否や、その責任を引き受けるように、自ら謝罪に出向こうとしている。隊長として、自分の隊員が起こしたことに向き合おうとしているのだ。
招木はこれに、胸の奥を強く揺さぶられた。
「すわさんだけじゃないからね。あたしも一緒に行くよ。仲間だもん」
招木の背をいたわるように撫で、小佐野が言葉をかける。ショックを受け、動揺した瞳がそちらを向く。招木がさらに後ろを見れば、堤と笹森がこくりと頷いた。
諏訪隊はそういう人間ばかりだった。
誰かが困っていたら、ちょっと小突いて、文句だって言いながら、それでも手を差し伸べるような世話焼きが揃っている。
誰かが大切な何かを蔑ろにしたら、叱って、反省しろと言って、自分も責任を一緒に背負う。そんなお人好し集団である。
もし部隊の誰かがそれをやれば、招木だって全く同じ行動に出るだろう。今回の対象者は招木だった。
それが、どうしても。
「どうして、」
招木が掠れた声で呆然と言う。その言葉は誰の耳にも届かない。
……責任を負わないでよ、と招木は叫びたいくらいだった。
招木が鳩原を追い詰めた行動は、SEに強制された結果だからだ。これを諏訪隊の面々に背負わせることが、招木には我慢ならなかった。
正真正銘、全部、私のせいなのに。
なんで私だけに背負わせてくれないの。
「あ、ぁ」
『君はただの人間だよ。一人で抱えられるものには限度がある。それでも背負うのなら、私が一緒に背負う』
高校の卒業式で迅に放った言葉が、今になって招木の首を絞めた。
招木は、迅が余計な責任まで背負い込むことに懐疑的だった。
何があっても迅一人の責任じゃないだろうに。周りにあれだけ頼りになる人がたくさんいるのだから、手を差し伸べてくるのだから、使ってやればいいとさえ思っていた。
しかし今、この瞬間。孤独に責任を負う迅の気持ちを、正しく理解してしまった。
二人にはSEがある。これは制御ができないし、いとも簡単に周りの人間へ大きな影響を及ぼす。
SEがもたらす責任を、自分以外に負わせることの罪悪感。負い目。後ろめたさ。自己嫌悪。
そういう感情が濁流のように流れてくる。頭の奥がズキンと痛んだ。
……そうか。あの男は、ずっとこの地獄にいたのね。
ようやく迅が、招木に感謝されたがらない真の理由がわかった気がした。「一緒に背負う」とずっと周りに言われ続けて、軽薄な笑顔の裏で、どれほど心を揺さぶられただろうかと想像した。
こんなの、一人で抱えられたなら、どれほど楽だろう。
みんなの優しさが、心が、こんなにも痛い。苦しい。
招木の呼吸が浅くなり、目を瞑って小佐野に寄りかかる。
「だいじょぶだよ」
小佐野が招木を抱きしめた。堤と笹森もそばに駆け寄り、優しく声をかけてくる。
「ご、ごめん」
「招木、招木。大丈夫だからな。何とかなるから」
「ぁ、う、うん。いや、違うの。ごめん。ごめんね」
「大丈夫です。オレらがついてます。絶対一人にしません」
招木がここまで狼狽し、弱くなるところを見たことがない。三人は非常に驚き、懸命に招木を励まし続けた。
大丈夫。一人じゃない。一緒にいる。仲間だから。大丈夫。……大丈夫。
その言葉が招木の胸にどれほど深く刺さるかも知らず、選んでいった。
招木は幸運体質をコントロールできない。
だから自分が次に何をしでかすか、本人でさえわからない。爆弾みたいなものだ。
かつて嵐山が警戒していたように、招木のSEは容易く誰かを傷つける。
互いの地獄を見抜いた影浦も、禁忌を掘り起こされた鳩原も、その被害者だった。
口にせずにはいられなかった言葉でショックを与える。ふと思いついた発想で周囲を巻き込む。考えるより先に身体が動いて、誰かに迷惑をかける。
そうして招木は、無神経で配慮に欠けた言動を繰り返し、周囲の人間を不快にさせてきた。
その度に、周りは招木の過ちを指摘し、正しい道へと導いてくれた。
招木もまた、その期待に応えようと努力してきた。自分を律し、失敗を繰り返さないように、必死に振る舞いを改めてきた。
……それでも。
どれだけ取り繕っても、どれだけ気をつけても、根本にあるものは変わらない。
SEが努力を上書きし、何もなかったことにする。
幸運の皮を被った厄災。
それが、招木という人間だった。
彼女はそう、自分を認識し直した。
今回は隊務規定違反だった。任務外の警戒区域への侵入だった。しかし過去には、直球で人を傷つける行為に加担した。家族を死に追いやった。
次も諏訪隊に迷惑がかからないとは限らない。
いや、招木が何をする度、彼らは必ず一緒に背負おうとする。迷惑をかけないなんて不可能だった。
招木が招木である限り、諏訪隊に平穏は訪れない。必ず不幸を招く。その確信があった。
「───、」
高級茶菓子を購入して戻ってきた諏訪は、招木と、ついて行くと言ってきかない他のメンバーを引き連れた。全員で二宮隊を訪れ、頭を下げて謝罪した。
招木も共に低く頭を垂れながら、諏訪の背中を見て深く傷ついた。
今後、何があってもこの人は背負ってくれるのだとはっきり理解した。
次に自分がどんな咎を背負わせるか、恐ろしくて考えられなかった。
自分がいつこの人たちを失望させるか、怖くなった。
それは孤独を嫌い、諏訪隊をとても大切に思う招木には、耐えられないほどの恐怖だった。
「大丈夫です、大丈夫ですから。わかってますから、」
眉間にシワを寄せて言葉少ない二宮の代わりに、犬飼が繰り返し、苦しそうにそう言った。
同情を滲ませた複雑な感情がこもった眼差しを招木に向けているが、本人がそれに気づく余裕はない。
「なんで自分のことなのに、てか? そういうめんどくせえのひっくるめて生きてんだよ、俺たちは」
謝罪が終わって、招木と二人きりになった時、諏訪が呟いた。
招木の様子が明らかにおかしいのは、禊が終わったと思っていた過去のやらかしに、諏訪隊を巻き込んだからだと諏訪は考えている。
しかし諏訪にしてみれば、これは教訓のようなものだった。
次、おまえが何かやれば、隊長である自分が必ず責任を取る。
だから周りに迷惑をかけるな。そう学習させるための行動でもあった。
もちろん二宮隊に大迷惑をかけていたので謝罪したのが大前提だが、こうして痛い目を見ることも、とても辛いけれど、彼女には必要なことだと割り切っている。
「一人じゃないってのはそういうことだ。集団生活なんて面倒なことばっかだが、組織に所属してんだから、ケジメとか責任とか、そういうのから逃げるわけにはいかねえ。嫌になったり、投げ出したくなったりするだろう。我慢しなきゃならねえことも多い。理不尽ってのは世の常だ」
その言葉を、招木は死刑宣告を受けるような気持ちで耳にしていた。
……鳩原はこんな状況でずっと戦っていたんだなと思う。深い絶望と先の見えない真っ暗闇の中、孤独だったのだなと、もう手遅れなのに、ひっそりと思った。
「やらかしたんなら、謝って、次は絶対しないって反省できりゃ上出来だ」
「……、」
「大丈夫だ。俺らがついてる」
招木の背中を押すために、諏訪がそう言った。
彼女の自己軽視にまったく気づくことができなかったから、今度こそちゃんと見て守ってやらなきゃと考えている。
大丈夫。俺はお前を見捨てたりしない。
一人にさせない。何があっても一緒に背負うから。
真っ青な顔で黙り込む招木に、そう何度も告げるのである。
諏訪さんが真人間かつ隊長として理想であればあるほど、招木がしんどくなる構図ですね。まだまだ下り坂です。
事件が起きてから諏訪隊と二宮隊(+影浦や菊地原)の描写しかまだしていないのですが、すでに大惨事です。
・彼氏の嵐山、師匠の加古、弟子の那須
・密航を知る東や木崎、知らずにショックを受ける絵馬
・友人たち、玉狛支部のみんな
・招木を捕縛した風間隊、招木の過去を知る三輪隊
ざっとこの辺の問題が残ってます。
余波がとんでもないですね。
全部書けるかわかりませんが、更新頑張ります。