生まれた時から自分はおかしかった。
自分に向けられている他人の意識や感情が、肌にチクチク刺さる感覚。感情の種類によって刺さり方に違いがあって、負の感情ほど不快に感じる。それらがずっと付き纏ってきて、気持ち悪くて仕方がなかった。
幼い頃から衝突の絶えない子どもだった。誰も自分と同じ感覚になったことがないらしく、絶望したのもとうに昔の話。
今はもう何も期待しなくなった。期待をしなければ裏切られることもない。それが一番楽だと知ってからは、すべてを諦めたように生きていた。
ずっと喉が渇いているみたいだった。
感情受信体質。
それが影浦に与えられたサイドエフェクトの名称である。
ボーダーに入隊し研究員に指摘され、ようやく判明した彼の能力。しかし名前がわかったところで能力が抑えられることもない。
影浦の日常は閉塞感に満ちていて、刺々しい性格の彼に突き刺さる好奇の目は相変わらずだった。
ああ、鬱陶しい。イライラする。全部壊してしまいたい。何度そう思ったかわからない。
どこに行っても俺は独りだ。昔から抱いていた感情が、心に重くのしかかる。
そんな時だった。
自分の他にも厄介な能力を生まれ持った奴がいると知ったのは。
最初に抱いた気持ちは歓喜。そして自分と同じ境遇の人間が他にもいることへの安堵。
二度としないと決めていたはずの、期待をせずにはいられなかった。
「ラッキーガール? すごいおめでたいあだ名ついてるじゃんその人」
自分と同じように新規で入隊した訓練生たちの噂だった。
耳に入ってくる情報をまとめると、幸運体質というサイドエフェクトを持つ女がいるらしい。
自分と同じ特殊体質に分類されるものにしては、随分と縁起が良くハッピーな代物に聞こえる。噂をする彼らもそのような印象を話していた。
しかし、と影浦はそのイメージを否定する。
……そんな楽なモンじゃねーんだよ、と。
御涙頂戴を求めているわけではないが、誰にも理解されない苦しみを影浦はずっと味わってきた。
自分で制御できない力に振り回されて、他人にいいように消費されるだけの人生なんて真っ平ごめんだ。
だからといって見知らぬ他人に共感されたくなかったし、上辺だけの同情なんて反吐が出る。それらを突き放すため、影浦は周りへの高圧的な態度を崩さなかった。それが彼にとっての自衛手段だった。
へたに気を遣われて、そのくせ心の中では怯えている。そんな二重の感情が突き刺さるのが嫌だった。だったら最初から嫌われていたほうがいい。そうしたらこっちも遠慮なく嫌ってやるから。
感情受信体質によって、影浦の性格は攻撃的になっていたのだ。
「幸運体質……」
だから噂のラッキーガールとやらも、相当苦労したんだろうなと思った。そういう願望ですらあった。
彼は自覚していなかったが、どうしようもない嫉妬心の現れだった。自分よりも遥かに負担の少ないサイドエフェクトへの妬みだ。
自分がこれだけ振り回されてしんどい思いをしてきたのに、浮かれポンチなサイドエフェクトでのうのうと暮らしてきた奴が居ると思うと、許せなかった。
だから影浦は無意識に別の可能性を排除した。
自分と同じサイドエフェクトを生まれ持った人間なら、自分と同じくらい辛く苦しい目に遭っているに違いない。
幼く短絡的で、生まれて初めて同類の存在を知った影浦は、そのように考えた。縋るような心地だった。
「……、」
影浦は女を探し歩く。会ってみたいと思ったから、そのためにすぐに行動に移した。
噂のおかげで名前は知れたし、記録で顔も確認している。愛想がいいとは言えない顔つきからして、ラッキーガールという呼び名とはかけ離れた印象だった。
やっぱり苦労している側に違いない。影浦の無責任な予想とも一致する。
生まれて初めて仲間ができたような気持ちだった。本当の意味で共感する相手ができたと思った。
その瞬間まで影浦は自分が寂しかったことを知らなかった。
そして、ついに見つけた。
「お、」
目的の人物はラウンジにいた。記録で確認した顔より少し痩せた印象の女が、テーブルに広げたプリントをじっと見つめている。心臓がドクンと跳ねた。
あれが。あれが俺と同じ、
「嵐山。ここがわからない」
「どれどれ。ああ、その問題か」
「……っ」
一歩踏み込むと、視界が動いて色んなものが目に飛び込んでくる。
噂の少女である招木は嵐山と一緒に課題を解いていた。一緒にというか、嵐山の方が圧倒的に頭がいいので教えてもらっていたのである。
その姿に影浦は少し面食らう。
嵐山のことは知っている。入隊式でオリエンテーションを担当していた優秀な隊員だ。溌剌としていて性格が良さそうなのが、短い時間ですぐにわかるほどだった。
そんな良い奴と自分の同類が親しげにしていて、足を止める。作り上げていた同族意識にヒビが入った。
「おお。二人で勉強会中?」
「うん。柿崎は任務終わり? お疲れ様」
「ありがとう。そういやテスト近かったな。俺も加わっていいか」
「もちろん。疲れてるだろ、飲み物とってくるよ」
彼らの同級生である柿崎が新たにその輪に混ざる。代わりに嵐山が離席した。
学生同士が集まって課題に当たる、いたって普通の光景である。彼女は人付き合いは問題なくできているみたいだった。
その時点で、影浦は嫌な予感に足元が揺れるようだった。だけど確信までは至らない。
フワフワした気持ち悪い感覚に包まれて、おぼつかない足取りで近づいていく。
「……ん? あの、大丈夫か?」
明らかに様子のおかしい影浦を心配して柿崎が声をかける。しかしその声が彼の耳には入ってこない。
鋭い瞳には招木の姿しか映っていなかった。
「お、まえは」
「私?」
「……サイドエフェクト。幸運体質、だったか?」
掠れた声だった。柿崎が気遣うような視線を向けている。
しかし招木が気にするような素振りはなかった。その手の質問に慣れているので、またかという感じで淡々と答える。
「ああ。そうだよ。君もラッキーガールの噂を聞いて物見遊山に来たのかな」
「……、」
「ちょうどいい。選択問題に全問正解すれば信じる? ジャンケンでもいいよ。ずっと勝てるから。模擬戦は面倒だから記録見てね」
そう提案する。新規隊員が噂を知るたびに好奇の目に晒され、怖いもの知らずの訓練生に突撃されるたびに能力を見せていたから、自然な流れだった。
完全に曲芸扱いだ。コイツにとってはその程度のものなのか、と影浦に衝撃が走る。
俺はずっと苦しいのに。おまえにとっては余興感覚で付き合えるくらい、軽い代物なのか。
自分とのあまりの差に愕然とする。信じていたものが裏切られた、そんな感覚だった。
「ちょっと、来い」
「? 別に構わないけど」
「えっ、ちょ、招木、」
「柿崎。悪いけど少し抜けるね」
不安そうな顔の柿崎に一言残し、招木は影浦について行った。
影浦はラウンジを通り抜け、不慣れな道を先導する。どこに行こうか考える余裕もなかった。具合が悪い時みたいな視界で、ふらふら危なっかしく歩くだけだった。
「どこに向かっているの?」
しばらく歩き続けて、ついに招木が声をかけた。出し抜けだったのでビクッと肩が震える。
自分が今どこにいるのかもよくわからなかった。ずっと同じような通路ばかり続くから。加えて生身の体は変な汗をかいていて、平衡感覚もおかしくなっているみたいだった。
影浦はかなり動揺していたが、まだ自覚できていない。
「君は私のことを知っているようだけど、私は君のことを知らない。名前は?」
「……影浦」
「そう。私は招木。君の目的は何?」
「目的、」
「来いと言われたからついて行った。だけど君が何をしたいのかがわからない。言いたいことがあるんじゃないの」
「……」
言いたいこと。俺は何を言いたかった。
同類だと思っていた奴に苦労話でもしたかったのか? それで共感して欲しかった? 傷口を舐め合いたかった?
クソが、と舌打ちする。ようやく影浦は自分の状態に気づいた。
相手がどこまでも平然としているので、感情的な自分の余裕のなさが際立つのだ。そういうところにも、苛々させられる。
「さっき、サイドエフェクトを見せびらかそうとしたろ」
「そうだね」
「オメーにとっちゃ、そんなもんなんか。誰に言われても都合よくひけらかして、」
「都合よく?」
そこで急に影浦に突き刺さる感情が生まれた。チクチクと鬱陶しく、彼にとっては嫌というほど味わった不快感が、目の前の女から放たれる。
なんだ、この女怒れるのか。今まで何も感じなかったから、多少の人間らしさを知る。
「見世物みてえに言うなってか」
「いいや。妥当な表現だと思うよ。サイドエフェクトに期待以上のものを寄越されても困るから、事実を見せているだけのつもり。けれどそれが君には見世物に見えるんだろうね」
「……期待?」
「何でもできると思われる、とかかな。私のはそう便利なものじゃないんだよ。体が勝手に動くだけ。何だ、影浦もその口かと思ったけど違うのね」
「俺は……ただ、俺と同じサイドエフェクト持ちがどんなんか、気になったんだよ」
招木が目を丸くする。彼女にとってもサイドエフェクト発現者は貴重らしい。「そうなんだ。君のはどんな能力なの?」と当然質問してくる。
影浦は研究員に告げられた通りの説明をした。辿々しい口調だ。誰かに知ってもらいたいと思ったのは初めてのことで、緊張に指が震える。
そう長くない説明を終えると、少しの間沈黙が降りた。
「苦労したんだね」
そして招木の口からぽつりとこぼれる。
明らかな同情だった。
「ッ!」
その瞬間、影浦はカッとなって招木の胸倉を掴んだ。衝動を抑えられなかったのだ。
言葉を形作るのは憐れみなのに、感情がわかる影浦にはその裏が読み取れてしまう。
空っぽだ。何もなかった。同情の言葉を投げかけておいてその実、無関心だとバレバレだった。
しかし影浦が憤ったのは、上っ面の憐憫を無責任に押し付けられたことではなかった。その中身が虚ろだったせいでもない。
さっきまで自分が期待していた共感を、望んでいた通りにぶつけられて、言いしれぬ不快感にどうしていいかわからなかったからだ。
八つ当たりだったしすぐに影浦も自覚したが、手を緩めることはできなかった。
「オメーはッ……オメーは、お気楽に、生きてきたみてーな口ぶりだな」
「うん」
「!」
「私は幸せよ。こんなに素敵な毎日が送れているんだから」
サイドエフェクトで騒がれることはあれど、普通の学生みたいに勉強会をして。運がいいなんて曖昧なものを曲芸扱いに留めることができる。
いよいよ自分と全く違うことを突きつけられた。言い逃れできない嫉妬心に顔が歪む。相手を傷つける言葉をぶつけなければ気が済まない。
そんな訳のわからない欲求に呑まれ、しかしそういう言葉が影浦の口から飛び出すことはなかった。
「オメー……何を見てる?」
視線は合っている。招木は間違いなく影浦を見ている。それなのに感情がこちらに向けられていない。影浦の中に別のものを見出しているとか、そういうことでもなかった。
意識はこっちに向いているのに、感情がともなわない。ずれている。気持ち悪い。関心がないとかそういう段階じゃないと理解した。
「気色わりーな」
刺々しい視線が招木に突き刺さる。片目をクッと細めた影浦が冷たく見下ろしていた。
「オメーのは全部真似事だ。本当は誰のことも見てねぇだろ」
影浦は招木の言葉が偽物だと見抜いた。
彼女の言葉に感情が乗っていない。それは刺さってくる感情と外面が一致しないからではない。
感情が感じられないのだ。言葉や態度に込められる想いが、何も。招木の意志が伝わってこない。
いや。いや、違う。そうではない。これは。
影浦が目を開く。
「まさか、それもサイドエフェクトか? 体が勝手に動く、って」
体が勝手に動くということは、その口から発せられる言葉もそうなんじゃないのか。
影浦が咄嗟に言った。深く考えた上での発言ではない。そう言わずにはいられなかったのだ。そうしたら。
───招木が笑った。
歯を見せるような感じで、幼子みたいに無邪気に笑ったのだ。
悪夢に出てきそうなくらい不気味だった。
致命的なミスを犯したと直感した。でも何をしくじったのかわからない。ゾッとして、反射的に手を離す。
いきなり手放されてバランスを崩した招木が床に転がった。
「……、わりぃ」
「いいよ」
手を差し出すことはできなかった。招木は一人で立ち上がる。
「私は幸せよ」
もう一度、独り言みたいに口にした。
影浦に向けて放った言葉ではない。彼女は影浦を見ていない。だから感情がこもっているかどうか能力ではわからない。それでも"言わされている"んだと思ったから、影浦は気の毒になった。
影浦も招木に同情したのだ。本物の同情だった。
招木は真似事でしか言えないから、代わりに言ってあげようと思った。
「苦労したんだな」
「……、そう。こんな気持ちになるんだね」
影浦はこの女を理解することを放棄した。
感情はしっかり持っているのに、時折感じ取れなくなるのはサイドエフェクトによって操作されているからだ。
感情を消しているわけではない。彼女の意志より上位の存在に無理やり歪められているせいだ。
この女は何に生かされているのだろう。
「あ」
一つ、思いついた。
この女の気持ちを確かめる方法。
思いついたからすぐに試す。
「おい、こっち」
「何?」
「いーから」
影浦は招木の肩を掴んだ。逃がさないように壁へ押しつけ、そのままぐいと顔を寄せる。鼻先が触れそうなくらい近い距離だった。
それなのに招木は抵抗しない。ただ静かに影浦を見返している。
「何?」
「招木おめー嫌なら嫌って思えよ。普通嫌だろ、知らねー男に触られて」
招木の髪が頬に触れる。近い。近すぎる。相手の呼吸がかかる距離だ。だというのに、そこに熱はない。
刺さってくる感情は疑問だけだった。
嫌悪も拒絶もないので、嫌な突き刺さり方はしない。
感情を受け取れるということは、今の招木から発せられる感情は本物なのか。それともサイドエフェクトによって作られたもの? いや、だとしたら何も感じないはず。
初対面の男に急接近されてコレって。呆れてため息をつく。
「嫌ではない。君にそういう感情は湧かない」
「そーかよ」
「同類だと思っているよ。君も私も、」
そこから先は言葉にならなかった。否、できなかったみたいだ。影浦に刺さる感情が消えたから。幸運体質によって言葉を消されたのだ。
「……可哀想な奴」
招木の代わりに影浦が言った。胸に広がる痛みを忘れないために言った。
影浦は最初、招木には自分と同類であって欲しかった。孤立して欲しかったし、苦しんでいて欲しかった。でないと自分の人生が否定されるから。
次に「幸せよ」と言われた時は、裏切られたと思った。
けれど今は違う。彼女もまた不可抗力に苦しめられていて、それでも幸福なのだと認識させられる地獄にいると知ったからだ。
俺もコイツも別の地獄にいる。くそったれ。
「あっあっえ!? あっゴメン!」
「……邪魔したみたいだな。すまない」
そこへ、柿崎と嵐山が合流する。二人が不穏な立ち去り方をしていたのを心配して探し回ったのだ。
まさか影浦が招木に言い寄る現場に遭遇するとは思わなかったが。見てはいけないものを見てしまった! と大慌ての柿崎と、苦笑いをしてスマートに謝罪する嵐山。
ここで否定するとそれはそれとして勘違いを生みそうで、影浦は招木を離すだけに留めた。招木は何も言わないし。
二人に動揺は見られない。そういう空気じゃないらしいが、初対面でそこまで関係が構築されているのも気になった。
「彼も友達か?」
嵐山が招木の目を見て聞くと、彼女は首を振った。
「ううん。友達じゃないよ」
「……違うのか?」
「そういうのとは、別」
嵐山も柿崎も招木の言葉をどう受け取るべきか考えあぐねている。
しかし感情受信体質の影浦は、招木が自分をどう思っているか手に取るようにわかった。
確かに二人は友達ではない。友達にはなれない。
自分は他人の感情が刺さる。だから他人を警戒し、辛辣な態度で身を守った。
招木は違う。彼女は感情すら自分のものとして扱えない。
どちらがマシなのかなんて、考えるだけ無駄だった。
俺もコイツも、結局まともじゃない。
そしてそれを、互いに見抜いてしまった。
「……戻る」
影浦がぶっきらぼうに言って、くるりと背中を向ける。
これ以上知ったら、本当に取り返しがつかない気がした。招木の事情を理解したところで、何かが解決するわけじゃない。自分の苦しさが軽くなるわけでもない。
同類を見つけたと思った。
けれど実際には、別の地獄を見つけただけだった。
互いを知ったからといって仲良くなりたいとはならない話
二人ともサイドエフェクトのおかげで狙撃や不意打ち無効ですね。強い。