転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
ウェンディゴの巨体が霧になって崩れた直後、通路に残っていた冷気が、ゆっくりと薄れていった。
床に張りついていた白い霜が溶け始める。
凍りついた金属棚から、水滴がぽたりと落ちた。
俺はガラケーを握ったまま、まだ少し震えていた。
怖かった。
ピルヴィスの速さも厄介だったが、ウェンディゴは別格だった。
近くにいるだけで体温を奪われるような圧。
一撃をまともに受けたら、小さい今の身体なんて簡単に潰れる。
「……生きてるな」
自分に言い聞かせるように呟いた瞬間、ガラケーが震えた。
びくっと肩が跳ねる。
ニカイアではない。
悪魔召喚アプリ側の通知だ。
小さな画面に、文字が浮かぶ。
Skill Crack 成功
耐氷結を取得しました
「……お」
思わず声が出た。
耐氷結。
ウェンディゴを倒したことで、スキルクラックが成立したらしい。
パララレイに続く、二つ目のスキル。
ただし今度は攻撃でも状態異常でもない。
氷結属性への耐性。
「耐氷結……ウェンディゴからか」
乙女が横から画面を覗き込む。
「スキルクラックね」
「はい。今度は耐性スキルっぽいです」
「氷結への耐性。悪くないわ。今のあなたは身体が小さいし、直接受けると危ない。防御系のスキルは重要よ」
「攻撃手段が増えないのは地味ですけどね」
乙女は少しだけ目を細めた。
「生き残る力を地味と言わないの」
その言い方が、妙に医者らしかった。
人を倒す力より、死なない力。
それを軽く見るな、という声。
俺は少しだけ言葉に詰まってから、ガラケーを見下ろした。
「……まあ、確かに。さっきの冷気、普通にきつかったしな」
コハルが俺の顔を覗き込む。
「アイちゃん、寒かったの?」
「寒かった。めちゃくちゃ寒かった」
「じゃあ、それがあったら寒くなくなるの?」
「たぶん、ちょっとマシになる」
「よかった」
コハルは本気で安心したように笑った。
その顔を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
耐氷結。
文字だけ見ればゲームのスキルだ。
でも、この世界では違う。
それは、次に氷の悪魔と向き合った時、俺が死なない可能性を少し上げてくれるものだ。
「パララレイに、耐氷結……」
俺は小さく呟く。
「妨害と耐性。ほんとに後衛向きだな、俺」
アルテミスが腕の神具を下ろしながら言う。
「己の役割を知るのはよいことだ」
「前衛やれって言わないのか?」
「そなたを前に出しても、踏まれて終わる」
「そこまで正直に言う必要ある?」
「事実だ」
「知ってるけど腹立つ」
アルテミスは少しだけ楽しそうだった。
「だが、そなたは戦場を見ていた。敵の動き、人の流れ、危険な物の位置。己が倒せぬなら、倒せる者が届く一瞬を作る。それは狩りにおいて重要な役目だ」
「……褒めてんのか?」
「褒めている」
「今日、妙に素直だな」
「そなたが少しは学んだからな」
「子供扱いすんな」
「今のそなたは子供の身体であろう」
「身体の話はやめろ。傷つく」
アルテミスは軽く笑い、月光の粒になってガラケーへ戻っていった。
今度は、完全に消える直前にこう言った。
「耐氷結は悪くない。そなたは脆い。まずは折れぬことを覚えよ」
「……分かってるよ」
アルテミスが消えると、身体の重さが少し増した。
いや、違う。
緊張が切れて、疲労が一気に来たのだ。
膝が少し揺れる。
乙女がすぐに俺の肩を支えた。
「はい、ベッドに戻る」
「まだ歩けます」
「戻る」
「……はい」
逆らうだけ無駄だった。
簡易ベッドに戻されると、コハルがすぐ横の椅子に座った。
「アイちゃん、また寝る?」
「寝たらまた置いていかれそうで嫌だ」
「誰も置いていかないよ」
「そういう意味じゃなくて、状況に置いていかれるって話」
コハルは少し首を傾げた。
「難しいね」
「俺も自分で言ってて面倒くさいと思った」
乙女がガラケーの画面を確認しながら言う。
「スキルは今のところ、パララレイと耐氷結ね」
「はい」
「パララレイは状態異常付与。耐氷結は防御。かなり偏っているけれど、今のあなたには合っているかもしれないわ」
「火力不足ですけどね」
「火力はアルテミスがあるでしょう」
「燃費最悪ですけどね」
「だから、あなた自身は生存と妨害に寄せる。悪くない組み合わせよ」
乙女はさらっと言った。
でも、たぶんそれはかなり実戦的な判断だった。
アルテミスは高火力。
ただし長く出せない。
俺は低火力。
ただしパララレイで敵の動きを乱せる。
耐氷結で一部の攻撃には多少耐えられる。
正面から戦うのではなく、崩す。
「……俺、完全に嫌がらせ型じゃねぇか」
「戦場では、嫌がらせが生死を分けることもあるわ」
「乙女さん、言い方が優しいのに中身が実戦的すぎる」
「ジプスの医師だから」
「怖いなぁ、ジプス」
乙女は否定しなかった。
その代わり、少しだけ声を落とす。
「怖い組織よ。少なくとも、何も知らない民間人にとっては」
東京の響希たちのことを思い出す。
保護された直後、ヤマトと真琴の会話を聞いて逃げ出した三人。
ヤマトは、民間人が悪魔召喚アプリを持つのは危険だと判断した。
独房に閉じ込めろ、と言った。
真琴は拒んだ。
けれど、ヤマトの命令には逆らえない。
その結果、響希たちはジプスを信用できなくなった。
「……でしょうね」
俺は呟いた。
「こっちも乙女さんとコハルがいなかったら、今ごろ隙を見て逃げる算段してましたよ」
「今も考えている?」
「少し」
「正直ね」
「嘘ついてもどうせバレるので」
「じゃあ、逃げるならコハルを置いていく?」
コハルがびくっとする。
俺は即答した。
「置いていかない」
乙女が少しだけ笑った。
「なら、今は逃げないわね」
「……ずるくないですか、その聞き方」
「医者は問診が得意なの」
「尋問の間違いでは?」
「問診よ」
コハルがほっとしたように俺の手を握った。
「アイちゃん、どこか行く時は言ってね」
「分かった」
「約束」
「約束」
今日だけで約束が増えすぎている。
死なない。
無理しない。
置いていかない。
軽く言える言葉じゃない。
でも、不思議と嘘にしたくはなかった。
その時、拠点の奥から職員が戻ってきた。
「柳谷先生、南側通路の安全確認が終わりました。闘鬼ピルヴィス二体、邪鬼ウェンディゴ一体の消滅を確認。避難者に追加の死者はありません」
乙女の表情がわずかに緩んだ。
「負傷者は?」
「軽傷者が数名。混乱による転倒です。重傷者はいません」
「分かったわ。すぐ行く」
職員が去ると、乙女は俺を見た。
「あなたたちのおかげよ」
「俺はちょっとパララレイ撃っただけです」
「その“ちょっと”で列が崩れずに済んだ」
「……そういう言い方、反応に困るんですよ」
「慣れなさい」
「無茶言う」
乙女はコハルの頭を撫でた。
「コハル、少しアイのそばにいてくれる?」
「うん」
「アイは休むこと。ガラケーに通知が来たら、勝手に動かず私を呼ぶこと」
「はい」
「本当に?」
「本当に」
「下手な嘘じゃない?」
「今回は本当です」
乙女は少しだけ笑って、医療区画へ向かった。
残された俺とコハルは、しばらく黙っていた。
遠くでは、まだ人の声がする。
ジプスの職員が動く音。
怪我人の手当てをする音。
外から聞こえるサイレン。
終末の一日目は、まだ終わらない。
俺はガラケーを開き、スキル欄をもう一度見た。
パララレイ
耐氷結
たった二つ。
でも、俺がこの世界で得た、生き延びるための札だ。
「アイちゃん」
コハルが小さく呼んだ。
「何だよ」
「スキルが増えたら、アイちゃんは強くなるの?」
「たぶんな」
「じゃあ、いっぱい増えたら安心?」
「……どうだろうな」
強くなる。
それは確かだ。
でも、悪魔使いとして強くなることが、安心に繋がるとは限らない。
強くなれば、もっと危険な場所に引っ張られる。
もっと重要な選択を迫られる。
もっと多くの死に顔動画を見るかもしれない。
「力が増えるってことは、できることが増えるってことだ」
俺は言った。
「うん」
「でも、できることが増えると、やらなきゃいけないことも増える」
コハルは少し考えてから、こくりとうなずいた。
「じゃあ、大変だね」
「大変だよ。マジで」
「でも、アイちゃんはやるんでしょ?」
「……何でそう思う」
「だって、やらなかったら寝覚めが悪いって言うから」
ぐうの音も出なかった。
俺は毛布を引き上げて、顔を少し隠す。
「お前、だんだん俺の扱い上手くなってないか?」
「そうかな」
「そうだよ」
コハルは少し嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、少なくとも今日の選択は間違っていなかったと思える。
闘鬼ピルヴィス二体。
邪鬼ウェンディゴ。
そして、スキルクラックで得た耐氷結。
一日目の俺は、原作の中心にはまだいない。
久世響希たちは東京で逃げている。
ヤマトは動き、真琴は板挟みになっている。
東京にはこれから、さらに大きな災厄が来る。
俺は大阪のベッドの上で、ガラケーを握っているだけだ。
でも。
「……少しずつだな」
「何が?」
「生き残る準備」
コハルは真面目な顔でうなずいた。
「うん。じゃあ、まず寝よう」
「お前まで乙女さんみたいなこと言うな」
「お母さんが言いそうだから」
「母娘だなぁ……」
俺はため息をついて、ベッドに沈み込む。
ガラケーの中で、アルテミスの気配が静かに揺れていた。
パララレイ。
耐氷結。
アルテミス。
乙女とサラスヴァティ。
コハル。
俺の手札は、少しだけ増えた。
だからこそ、次に何が来るのかが怖い。
それでも、目を閉じる。
今は少しでも休む。
次に動くために。
「……起きたら、また状況悪くなってそうだな」
「そういうこと言わないの」
コハルにたしなめられて、俺は苦笑した。
「はいはい」
外ではまだ、終末の音が続いていた。