転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
十九時三十分。
ジプス大阪側の臨時拠点に、夜の気配が濃くなっていた。
俺は簡易ベッドの上で、ガラケーを握ったまま座っていた。
寝ろと言われた。
休めとも言われた。
乙女にも、コハルにも、アルテミスにも言われた。
だが、眠れるわけがない。
「……あと三十分」
小さく呟く。
コハルが隣の椅子から顔を上げた。
「何が?」
「東京で、たぶんでかいのが来る」
「悪魔?」
「……悪魔、とはちょっと違う」
セプテントリオン。
この世界を七日間で試す、ポラリスの尖兵。
その最初の一体。
ドゥベ。
場所は、六本木じゃない。
新橋、SL広場。
逃げ出した久世響希、志島大地、新田維緒が向かう場所。
そして、彼らが本当の意味で“終末の敵”と向き合う場所。
俺はその名前を知っている。
来る時間も、場所も、大まかな流れも知っている。
けれど、全部は言えない。
言ったところで信じてもらえるか分からない。
それに、下手に言えば未来がさらに変な方向へねじ曲がるかもしれない。
「くそ……知ってるってのも、面倒くせぇな」
ガラケーの画面には、取得したスキルが並んでいる。
パララレイ。
耐氷結。
状態異常付与と、氷結耐性。
たったそれだけ。
東京で起こる戦いには、届かない。
乙女がパーテーションを開けて入ってきた。
「起きていたのね」
「寝ろって言われて寝られる状況じゃないので」
「でしょうね」
乙女は咎めなかった。
その顔は、医者というよりジプスの人間のものだった。
「東京支局へ、あなたの警告は送ったわ。新橋、SL広場周辺の避難誘導と上空警戒」
「通りました?」
「一部は」
「一部?」
「上空警戒は強化された。でも、SL広場周辺の完全封鎖までは難しい。東京側は逃走中の三人への対応で混乱している」
「響希たちか……」
乙女の目が細くなる。
「久世響希、志島大地、新田維緒。やっぱり知っているのね」
「夢で」
「もうその説明は聞き飽きたわ」
「俺も言い飽きました」
乙女はため息をつき、端末の画面を見せる。
「十九時三十分現在、逃走中の三人は新橋方面で目撃されている。SL広場付近へ向かっている可能性が高い。あなたの警告と重なっているわ」
画面には東京の地図が表示されていた。
新橋。
SL広場周辺。
複数の赤い印。
ジプスの追跡部隊と思われる移動線。
俺は唇を噛む。
近い。
原作の流れに、どんどん近づいている。
「乙女さん」
「何?」
「二十時前後です」
乙女の表情が変わる。
「何が?」
「上から来ます。SL広場に。たぶん二十時前後」
「根拠は夢?」
「はい」
「どんなものが来るの?」
俺は一瞬迷った。
ドゥベ。
セプテントリオン。
初日の試練。
その名前を言うべきか。
まだ早い。
でも、抽象的すぎると備えられない。
嘘と本当を混ぜる。
「悪魔とは違う、巨大な存在です。空から落ちるように現れる。普通の悪魔と同じ対処ではたぶん駄目。民間人を近づけたら終わります」
「終わる?」
「大量に死にます」
声が少し硬くなった。
コハルが俺の手をぎゅっと握る。
乙女は俺の顔をじっと見た。
「あなた、今回はずいぶん具体的ね」
「外したら笑ってください」
「笑えないわ」
「でしょうね」
乙女はすぐに端末へ入力し、通信を繋いだ。
「柳谷です。大阪側から東京支局へ追加警告。新橋、SL広場周辺、二十時前後に上空から大型存在が出現する可能性。通常悪魔ではない可能性あり。民間人の退避を最優先に」
通信先の職員が、少し困惑した声で何かを言っている。
乙女の表情は変わらない。
「根拠は未確定。ただし、先ほどの大阪拠点襲撃時、この情報提供者の判断で被害を抑えています。無視するには危険です」
そこで、通信の向こうが変わった。
乙女の姿勢が少しだけ硬くなる。
「……峰津院局長」
俺の背筋が冷えた。
ヤマト。
峰津院大和。
直接声は聞こえない。
けれど、乙女の表情だけで分かる。
あの男が向こうにいる。
乙女は静かに言った。
「はい。大阪で保護した悪魔召喚アプリ使用者からの警告です。名は月読アイ。契約悪魔は女神アルテミス。……はい。年齢は不明、外見は幼い少女です」
やめろ。
その紹介、客観的に見ると怪しすぎる。
乙女が続ける。
「彼女はニカイア、悪魔召喚アプリ、東京の三名について事前知識に近い情報を持っています。情報源は本人いわく“夢”。ただし、完全な虚偽とは判断できません」
数秒の沈黙。
乙女の目が少し鋭くなった。
「……承知しました。上空警戒を強化する。それだけでも十分です」
通信が切れる。
俺は恐る恐る聞いた。
「ヤマト、何て?」
乙女は端末を下ろした。
「根拠の薄い予言に大きな戦力は割けない。ただし、上空警戒と避難誘導の強化は合理的な範囲で行う、と」
「……ヤマトらしい」
「それと」
「まだあるんですか」
「月読アイに興味を持ったようね」
最悪だ。
俺は顔を覆った。
「終わった……」
「まだ終わってないわ」
「ヤマトに目をつけられたんですよ? それはだいたい終わりの始まりです」
「彼をそこまで危険視しているのね」
「危険でしょうが、あの人は」
乙女は否定しなかった。
コハルが小さく聞く。
「ヤマトさんって、そんなに怖いの?」
「怖い」
俺は即答した。
「でも、たぶん今は必要な人だ」
「怖いのに?」
「怖いのと、役に立つのは両立する」
「難しいね」
「難しい奴なんだよ、あの人は」
その時、拠点内の時計が十九時四十分を示した。
あと二十分。
東京では、響希たちが新橋へ近づいている。
ジプスは追っている。
真琴はたぶん、追い詰めすぎるなと思いながら動いている。
ヤマトは合理的に盤面を見ている。
そしてドゥベは、もう空のどこかにいる。
十九時四十五分。
東京側から新しい報告が入った。
「新橋周辺で、異常な空間反応」
職員の声が震えていた。
「SL広場上空に、高エネルギー反応を確認。詳細不明」
拠点の空気が変わる。
乙女が俺を見る。
俺は唇を噛んだ。
「来る……」
コハルの手が、俺の手を強く握る。
「アイちゃん」
「大丈夫、とは言わねぇ」
俺は時計を見る。
十九時四十五分。
あと十五分。
「でも、警告は間に合った」
少なくとも、上空警戒は強化された。
避難誘導も、完全ではないが始まっている。
原作より少しだけ、盤面は変わったはずだ。
十九時五十分。
東京支局からの報告がさらに入る。
逃走中の三人が、新橋SL広場周辺で再確認された。
ジプスの追跡部隊が接触を試みている。
だが、上空の異常反応が急速に拡大。
乙女が端末を睨む。
「追跡部隊に退避命令。民間人の避難を優先して」
通信先から、東京側の指揮系統の混乱が漏れてくる。
ヤマトの命令。
真琴の声。
現場の報告。
断片的な言葉だけが届く。
俺は何もできない。
ただ、ベッドの上で拳を握るだけだ。
「クソ……」
コハルが俺を見る。
「アイちゃん、泣きそう?」
「泣かねぇよ」
「でも、つらそう」
「つらいよ」
俺は小さく吐き出した。
「知ってるのに、届かねぇってのは、思ったよりきつい」
コハルは何も言わず、手を握ってくれた。
十九時五十五分。
東京の空に、巨大な影が確認された。
職員が叫ぶ。
「新橋SL広場上空、未確認大型存在、出現!」
俺は目を閉じる。
来た。
ドゥベ。
最初のセプテントリオン。
久世響希たちの、本当の一日目が始まる。
乙女が通信に向かって叫ぶ。
「SL広場周辺の民間人を退避! 追跡より生存確保を優先して!」
その言葉が、東京にどこまで届くかは分からない。
ヤマトがどう判断するかも分からない。
真琴がどこまで動けるかも分からない。
響希たちが、何を選ぶかも分からない。
でも、原作とは少しだけ違う。
大阪から飛んだ警告がある。
上空警戒がある。
避難誘導がある。
ほんの少しだけ、死ぬはずだった誰かが助かる可能性がある。
二十時まで、あと五分。
俺はガラケーを握りしめた。
「久世響希」
まだ会ったことのない主人公の名を、俺は呟く。
「逃げてもいい。戦ってもいい。けど、死ぬなよ」
ガラケーの中で、アルテミスの気配が静かに揺れた。
まるで、遠い東京の空を睨んでいるみたいに。
「ここから先は、あいつらの戦いか」
乙女が静かに言った。
「ええ。でも、完全に他人事じゃない」
俺は時計を見た。
十九時五十九分。
世界が、一分後の災厄へ向かって進んでいく。
そして俺は大阪のベッドの上で、ただ祈るようにガラケーを握りしめていた。