転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
大阪本局の中は、臨時拠点よりもずっと静かだった。
いや、正確には静かではない。
職員の足音。
通信機の声。
端末を叩く音。
どこか遠くで鳴る警報。
それらは絶えず響いている。
ただ、臨時拠点のような悲鳴や混乱は少ない。
ここでは、終末さえ業務として処理されている。
それが逆に怖かった。
「……ジプスって感じだな」
俺がぼそっと言うと、隣を歩いていた森部綺羅子がぱっと振り向いた。
「はい! 大阪本局は関西圏の対悪魔災害対応の中核ですから!」
「声でかい」
「すみません!」
「返事もでかい」
「すみません……」
今度は小さくなった。
極端だな、この人。
森部は、俺の“お付き”になったジプス局員だ。
高身長。黒髪ストレートの姫カット。ぱっちりした大きな瞳。笑顔が似合う可愛い系美人。
黙っていれば、かなり雰囲気のある局員に見える。
黙っていれば。
「アイさん、足元段差あります!」
「見えてる」
「疲れていたら抱っこします!」
「いらねぇ」
「おんぶでも大丈夫です!」
「そういう問題じゃねぇ」
「では肩車……」
「何で悪化するんだよ!」
森部は真顔で首を傾げた。
「小柄な方の移動補助としては効率的かと」
「効率で尊厳を殺すな」
「尊厳……!」
隣でコハルがくすくす笑っている。
「アイちゃん、綺羅子さんと仲良しだね」
「どこがだよ」
「いっぱい話してる」
「言い返さざるを得ないだけだ」
乙女は少し後ろから、そんな俺たちを見ていた。
「森部さん、この子は疲れているから、あまり刺激しすぎないように」
「はい! 柳谷先生!」
「声」
「あっ、はい……」
森部はまた小声になった。
俺は思わずため息をつく。
「本当にこの人で大丈夫なんですか」
乙女は穏やかに答えた。
「大丈夫よ。森部さんは少し勢いが余るけれど、仕事はできるわ」
「少し?」
「少し……ではないかもしれないわね」
「柳谷先生!?」
森部がショックを受けた顔をした。
この人、表情が忙しいな。
俺たちは本局の奥へ進んだ。
検査室に近い区画。
真っ白な廊下。
一般職員の姿は少なく、代わりに医療スタッフと警備担当が多い。
森部が扉の前で立ち止まる。
「こちらが本日のアイさん用の仮眠室です!」
「仮眠室」
「はい! 本来は局員用ですが、急遽、保護対象用に整えました!」
「保護対象ねぇ」
「監視対象ではありません!」
「自分から言うな」
「すみません!」
扉が開く。
中は小さな個室だった。
簡易ベッド。
机。椅子。
洗面台。
棚。
最低限だが、臨時拠点のベッドよりはずっと落ち着ける。
部屋の隅には、子供用らしいパジャマとタオル、飲み物が置かれていた。
「……子供用」
思わず声が低くなる。
森部が胸を張る。
「サイズが合いそうなものを全力で探しました!」
「そこはありがとうと言うべきなんだろうけど、すげぇ複雑だな」
「あと、ご飯も用意しています! 消化に良いものです!」
「俺、完全に入院患者扱いじゃねぇか」
乙女が入ってきて、当然のように言った。
「実際、今日のあなたは半分入院患者みたいなものよ」
「悪魔使いでもあります」
「だから余計に休む必要があるの」
「ぐうの音も出ねぇ」
コハルが俺の手を握ったまま、部屋を見回す。
「アイちゃん、ここで寝るの?」
「らしいな」
「私もここにいる」
乙女がすぐに言った。
「コハルは別室よ」
「えっ」
コハルの顔が一気に曇る。
「でも……」
「同じフロアにいるわ。すぐ近く。アイも疲れているし、コハルも休まないと」
「でも、アイちゃんが……」
コハルの目が俺を見る。
不安そうだった。
今日、コハルは俺の死に顔動画を見ている。
俺もコハルの死に顔動画を見た。
互いに、相手の死を一度見ている。
だから離れるのが怖いのだろう。
俺も、正直少し分かる。
「コハル」
俺はしゃがんで目線を合わせようとして、しゃがまなくてもほぼ目線が近いことにちょっと傷ついた。
くそ。
この身体、やっぱり小さい。
「近くにいるんだろ?」
「うん……」
「だったら大丈夫だ。何かあったら森部さんが走ってくる」
森部が即答した。
「はい! 全力で走ります!」
乙女が横から言う。
「廊下は走らない」
「早歩きで来ます!」
「それならいいわ」
「いや、そこは走っていい緊急時もあるだろ」
俺が突っ込むと、森部は真面目な顔で言った。
「緊急時は走ります!」
「どっちだよ」
コハルが少しだけ笑った。
その笑顔を見て、俺は少し安心した。
「俺も逃げない。今日はもう、ここにいる」
「ほんと?」
「ほんと」
「約束?」
「約束」
今日何度目の約束だろう。
でも、コハルはそれで少しだけ表情を緩めた。
乙女が優しくコハルの肩に手を置く。
「コハルも休みましょう。今日は本当に大変だったから」
「……うん」
コハルはしぶしぶ手を離した。
けれど離れる前に、俺の袖をぎゅっとつまんだ。
「アイちゃん、おやすみ言いに来る?」
「行けたら行く」
「下手な嘘?」
俺は固まった。
コハルがじっと見ている。
乙女も見ている。
森部まで「これは見逃せませんね」みたいな顔で見ている。
「……行く。ちゃんと」
「うん」
コハルはやっと納得した。
乙女がコハルを連れて部屋を出る。
扉が閉まる直前、コハルが小さく手を振った。
俺も軽く手を上げる。
扉が閉まる。
部屋に残ったのは、俺と森部だった。
あと、ガラケーの中のアルテミス。
「……で」
俺は森部を見た。
「森部さんは?」
「私はアイさんの担当ですので、部屋の外で待機します!」
「中にはいないよな?」
「必要なら中にも!」
「必要ない」
「ですよね!」
森部は元気にうなずいた。
「一応、食事と着替えと簡単な検査があります。柳谷先生から、無理をさせるな、食べさせろ、寝かせろ、何か通知が来たらすぐ呼べ、と言われています」
「お母さんかよ」
「柳谷先生はお母さんですから!」
「そういう意味じゃねぇ」
森部は机の上に食事を置いた。
小さなおにぎり。味噌汁。卵焼き。煮物。
かなり優しいメニューだった。
「……ちゃんとしてる」
「もちろんです!」
「いや、森部さんが作ったわけじゃないだろ」
「手配しました!」
「それはえらい」
森部の顔がぱっと明るくなった。
「褒められました!」
「子供か」
「アイさんに言われると不思議な気持ちになりますね!」
「パララレイ撃つぞ」
「すみません!」
俺は椅子に座って、食事に手をつけた。
腹は減っていないと思っていた。
でも、一口食べると、急に身体が食べ物を求めていたことに気づいた。
今日、ほとんど何も食べていない。
悪魔と戦って、走って、魔力を使って、精神的にも削られて。
そりゃ腹も減る。
「……うまい」
小さく呟くと、森部が嬉しそうに笑った。
「よかったです」
「何か、こういう普通の飯食ってると変な感じするな」
「変な感じ?」
「世界終わりかけてるのに、味噌汁がうまい」
森部は少しだけ黙った。
それから、いつもの明るさを少し抑えて言った。
「そういう普通のものを守るために、ジプスはあるんだと思います」
俺は箸を止めた。
「……森部さんも、そういうこと言うんだな」
「私を何だと思ってたんですか!?」
「元気なアホの人」
「ひどいです!」
「でも、今のは良かった」
森部は一瞬だけぽかんとして、それから照れたように笑った。
「ありがとうございます」
こういう真っ直ぐさは、少し眩しい。
ジプスの人間。
監視役。
俺のお付き。
警戒は必要だ。
でも、森部綺羅子という人間そのものは、たぶん悪い人ではない。
食事を終えると、森部が手早く片づけた。
「では、簡単な体調確認をします」
「森部さんが?」
「はい! 基本的なチェックはできます!」
「本当に?」
「できます!」
「信じるぞ」
「はい!」
体温、脈、顔色、ガラケーのアプリ表示。
森部は意外にも手際が良かった。
本当に仕事はできるらしい。
「体温は少し高めですが、危険値ではありません。脈はやや早いですが、疲労と緊張の範囲。魔力消耗については専門機材で明日詳しく見ます。今夜は悪魔召喚禁止です」
「禁止」
「禁止です」
「アルテミスが勝手に喋るのは?」
『私は聞いているぞ』
ガラケーから声がした。
森部がびくっと背筋を伸ばす。
「女神様!」
『森部綺羅子、と言ったな』
「はい!」
『小さき月を休ませよ』
「承知しました!」
「何で俺の周り、俺を休ませる方向で団結してんだよ」
『必要だからだ』
森部も力強くうなずく。
「必要だからです!」
「真似すんな」
『それと、そなた』
アルテミスの声が少しだけ厳しくなる。
『アイは口こそ悪いが、今日一日で多くのものを背負った。軽く扱うな』
森部の表情が変わった。
さっきまでの元気な顔ではなく、ジプス局員としての顔。
「はい。心得ています」
『ならばよい』
アルテミスの気配が静かになる。
森部は俺を見た。
「……アイさん」
「何だよ」
「本当に、お疲れさまでした」
不意に、そんなことを言われた。
俺は少し固まる。
「何だよ、急に」
「いえ。ちゃんと言っておいた方がいいと思いまして」
「……そういうの、反応に困るんだよ」
「では、困ってください」
「開き直るな」
森部はにこっと笑った。
俺は目を逸らしながら、ガラケーを机に置いた。
「風呂は?」
「今日はシャワーだけです。柳谷先生から、長湯禁止と言われています」
「完全管理じゃねぇか」
「はい!」
「はいじゃねぇよ」
シャワーは短く済ませた。
用意された子供用のパジャマは、悔しいくらいサイズが合った。
鏡に映る自分を見る。
ライトブラウンの髪。
薄紫の瞳。
幼い顔。
小さな身体。
「……本当に月読アイなんだよな」
声に出すと、妙に現実味が増した。
元男の俺。
今は幼い少女の姿。
デビルサバイバー2の世界。
相棒はアルテミス。
ジプス大阪本局に保護中。
「設定盛りすぎだろ」
自分で言って、少し笑ってしまった。
部屋に戻ると、森部が外で待っていた。
「大丈夫でしたか?」
「シャワーで死ぬほど弱ってねぇよ」
「それはよかったです!」
「でも眠い」
「寝ましょう!」
「その前に、コハルのところ行くって約束した」
森部は一瞬だけ困った顔をしたが、すぐにうなずいた。
「柳谷先生から許可は出ています。短時間だけです」
「完全に読まれてる」
「お母さんですから」
「俺の母ちゃんじゃねぇ」
「でも、かなり心配されていますよ」
「……分かってる」
森部に案内されて、俺は近くの部屋へ向かった。
コハルは乙女と同じ部屋にいた。
扉を開けると、コハルはベッドの上で毛布にくるまっていた。
眠そうだが、まだ起きていた。
俺を見るなり、ぱっと顔が明るくなる。
「アイちゃん」
「来たぞ」
「約束、守った」
「守った」
乙女は椅子に座り、端末を閉じた。
「短時間だけよ」
「分かってます」
俺はコハルのベッドの横に立った。
コハルが少しだけ手を伸ばす。
俺はその手を握った。
「今日、怖かったな」
俺が言うと、コハルはこくりとうなずいた。
「怖かった」
「でも、生きてる」
「うん」
「乙女さんも無事。俺も無事。森部さんはうるさいけど無事」
「最後の必要ですか!?」
入口の森部が小声で抗議した。
コハルが笑う。
その笑顔を見られただけで、来てよかったと思った。
「明日も、怖いことある?」
コハルが聞いた。
俺は少し黙った。
嘘をついて安心させることもできる。
でも、それは嫌だった。
「たぶんある」
コハルの手が少し強くなる。
「でも、俺もいる。乙女さんもいる。森部さんもいる。アルテミスもいる」
「うん」
「それに、お前も今日、俺を助けた」
コハルが目を丸くする。
「私?」
「ああ。俺の死に顔動画を見て、右から来るって教えてくれた。あれがなかったら、俺は危なかった」
「……うん」
「だから、守られるだけじゃない。お前も一回、ちゃんと戦った」
コハルは少し照れたように、毛布に顔をうずめた。
「怖かったけど」
「怖くてもやったなら十分だ」
乙女が静かに聞いていた。
その目は優しかった。
コハルは眠そうに目をこすりながら言う。
「アイちゃん、おやすみ」
「ああ。おやすみ、コハル」
「明日も来てね」
「行く」
「約束」
「約束」
また一つ増えた。
でも、もう数えるのはやめた。
コハルの手がゆっくり離れる。
乙女が小さく言った。
「ありがとう、アイ」
「何がですか」
「この子が眠れそうだから」
「……俺は何もしてませんよ」
「そういうことにしておきましょう」
乙女は微笑んだ。
俺は少し居心地が悪くなって、森部の方へ戻った。
「帰るぞ、森部さん」
「はい。仮眠室へ戻りましょう」
「何か、看守みたいだな」
「同行補佐です!」
「はいはい」
仮眠室に戻ると、急に眠気が押し寄せてきた。
食べて、洗って、コハルにおやすみを言った。
身体がようやく「今日は終わりでいい」と判断したらしい。
ベッドに入る。
森部が毛布を整えようとしてきたので、俺は軽く手で制した。
「それくらい自分でできる」
「はい。では見守ります」
「見守るな。寝づらい」
「部屋の外にいますね」
「そうしてくれ」
森部は扉の前で一礼した。
「アイさん。おやすみなさい」
「……おやすみ、森部さん」
森部は嬉しそうに笑って、部屋を出た。
扉が閉まる。
ようやく一人になった。
いや、正確には一人じゃない。
枕元のガラケーが淡く光る。
『小さき月よ』
「何だよ」
『よく生き延びた』
「……今日の総括が重いな」
『事実だ』
「まあ、そうだな」
本当に、よく生き延びた。
朝は普通だった。
いや、目覚めた時点で普通じゃなかった。
それから一日で、世界は終わりかけて、俺は別人の身体で悪魔と戦って、女神と契約して、知らない子を助けて、ジプスに保護されて、東京の災厄を聞いた。
「明日、どうなるんだろうな」
『分からぬのか』
「知ってる部分もある。でも、もう全部同じとは限らねぇ」
『ならば、その時に見定めよ』
「簡単に言いやがって」
『狩りとはそういうものだ』
「救助だって言ってんだろ」
『では、生きるための救助だ』
「……まあ、それならいいか」
アルテミスの気配が少し和らぐ。
『眠れ。そなたには明日も道がある』
「明日もかよ」
『不満か』
「不満しかねぇよ」
『だが、歩くのだろう』
「……まあな」
俺は目を閉じた。
遠くで、まだ本局の音がしている。
通信。足音。機械音。
終末の夜は止まらない。
でも、この部屋だけは少し静かだった。
パララレイ。
耐氷結。
アルテミス。
乙女。
コハル。
森部綺羅子。
東京の響希たち。
生きていた大地。
今日増えたものを、ひとつずつ思い浮かべる。
重い。
多い。
面倒くさい。
でも、全部捨てて逃げたいとは思わなかった。
「……寝覚め悪くなるしな」
小さく呟く。
ガラケーの光がゆっくり消える。
その直前、アルテミスの声が聞こえた。
『おやすみ、小さき月よ』
「……おやすみ、拳の女神」
『武人女神と言え』
「明日な」
返事はなかった。
ただ、ほんの少しだけ笑ったような気配がした。
俺は毛布を引き上げる。
小さな身体は、思ったよりずっと疲れていた。
まぶたが重い。
思考がほどけていく。
終末一日目の夜。
月読アイになった俺は、ジプス大阪本局の仮眠室で、ようやく本当の眠りに落ちた。