転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
崩れ始めた街は、まるで現実感がなかった。
さっきまで普通に日常だったはずの道路には、割れたガラスが散らばっている。遠くで車の警報音が鳴り続け、信号は意味をなくしたみたいに赤と青を不規則に点滅させていた。
人の流れは、駅から離れる方向へ向かっている。
その逆に進む俺は、どう考えても目立っていた。
ライトブラウンの髪。薄紫の瞳。小さな身体。見た目だけなら、親とはぐれた子供にしか見えない。
「おい、そこの子! 危ないぞ!」
通りすがりの男が叫んだ。
俺は振り返らずに返す。
「分かってる! だから急いでんだよ!」
「く、口悪っ……!?」
知らねぇよ。
今はそれどころじゃない。
ガラケーを確認する。
さっきの死に顔動画は、まだ脳裏に焼きついていた。
地下街。崩れた案内板。泣きそうな少女。背後に迫る悪魔。
名前は分からない。
けれど、俺の中ではもうほとんど確信になっていた。
柳谷乙女の義娘、コハル。
原作で表に出る機会は多くない。
けれど、乙女の人間性を語るうえで外せない存在。
ジプスの医師として働く乙女が、守りたいと願っていた日常の象徴みたいな子。
「……そこを初手で狙ってくるとか、趣味悪すぎんだろ」
「ニカイアとやらが、そなたに死を見せた理由は何だと思う」
隣を進むアルテミスが言った。
腕にはクロスボウ型の神具。
矢を射るためのもののはずなのに、さっきから俺の目にはどうしても鈍器に見える。
「理由?」
「その娘を救わせるためか。あるいは、そなたを戦場へ引きずり出すためか」
「どっちにしろ迷惑だな」
「だが、そなたは乗った」
「乗せられたんじゃねぇ。俺が決めた」
言ってから、自分でも少し驚いた。
そうだ。
俺は、巻き込まれた。
転生させられた。
デビサバ2の世界に放り込まれた。
でも、今ここで走っているのは俺の意思だ。
「……クソ、認めると腹立つな」
「何をだ」
「俺、たぶんこういうの放っておけねぇタイプなんだわ」
「知っていた」
「今知ったみたいに言えよ」
アルテミスは小さく笑った。
「小さき月よ、右だ」
「分かってる!」
動画に映っていた地下街の入口が見えた。
人々が次々に逃げ出してくる。
泣き叫ぶ声。怒鳴り声。誰かを探す声。
その流れの奥から、嫌な気配が漏れていた。
冷たい。
ただの災害ではない。
世界の裏側から、何かが染み出してくるような気配。
「……悪魔か」
「うむ。まだ弱いが、数がいる」
「弱いって言えるの、あんた基準だろ」
「そなた基準では?」
「全部無理」
「正直でよろしい」
「褒めんな」
俺は人の波を避けながら、地下への階段に足をかけた。
その瞬間、上へ逃げてきた女性が俺を見て悲鳴に近い声を上げた。
「だめ! 下に行っちゃだめよ! 変なのがいるの!」
「知ってる!」
「知ってるなら何で行くの!?」
「助ける奴がいる!」
女性は一瞬、何か言いたそうな顔をした。
けれど俺の隣に立つアルテミスを見て、言葉を失った。
まあ、そうなる。
こんな状況で、月光みたいな神気をまとった女神が立っていたら、誰だって黙る。
「行くぞ」
「うむ」
階段を駆け下りる。
いや、駆け下りているつもりだった。
「遅い」
「言うなっつっただろ!」
「ならば抱えるか」
「絶対嫌だ!」
「では走れ」
「走ってんだよ!」
小さな身体が恨めしい。
足が短い。段差が高い。息が上がる。
それでも止まらない。
止まったら、あの動画の結末に追いつかれる気がした。
地下街に入った瞬間、空気が変わった。
照明は半分ほど落ちていて、残った光も明滅している。
天井からは埃が舞い、壁には亀裂が走っていた。
そして奥に、いた。
異形の影。
ゲーム画面で見た悪魔とは違う。
本物はもっと嫌な感じがした。
存在そのものが、人間の日常を踏み荒らすために出てきたみたいだった。
「アルテミス」
「定めよ」
「まず手前の二体。人を追ってる。止めろ」
「よかろう」
アルテミスが前へ出る。
腕のクロスボウ型神具が淡く光る。
今度こそ矢を撃つのかと思った。
だが、アルテミスは踏み込んだ。
「だから撃たねぇのかよ!」
俺の声を無視して、女神は悪魔の懐へ飛び込む。
肘。膝。蹴り。腕の神具による打撃。
月と狩りの女神という肩書きに似合わない、あまりにも肉体派な連撃が悪魔を吹き飛ばす。
逃げ遅れていた人が、腰を抜かしたまま呆然とした。
「逃げろ!」
俺が叫ぶと、その人は弾かれたように走り出した。
よし。
まだ助けられる。
「奥へ行く!」
「うむ」
さらに進む。
動画で見た案内板があった。
半分崩れ、床に落ち、青白い照明に照らされている。
間違いない。
ここだ。
「コハル!」
思わず叫んでいた。
返事はない。
「くそっ、どこだ……!」
耳を澄ます。
瓦礫の向こうから、小さな声が聞こえた。
「……お母さん……」
いた。
柱の陰。
崩れた壁際。
小さな少女がスマホを握りしめて座り込んでいる。
泣きそうな顔で、けれど必死に声を押し殺している。
その背後に、黒い影が近づいていた。
動画と同じだ。
「アルテミス!」
「任せよ」
今度は、アルテミスの腕が上がった。
クロスボウ型の神具から、月光の矢が放たれる。
矢は悪魔の足元を撃ち抜き、動きを止めた。
「撃てるじゃねぇか!」
「必要ならば射る」
「最初から必要だったろ!」
「近い獲物は殴る方が早い」
「脳筋理論やめろ!」
それでも助かった。
俺は瓦礫を避けて、少女の元へ駆け寄る。
「おい、大丈夫か!」
少女が顔を上げる。
涙に濡れた目。
怯えきった表情。
それでも、どこかで見覚えのある顔。
やっぱりだ。
「コハル……だよな?」
少女の目が見開かれた。
「なんで、私の名前……」
「説明は後。立てるか?」
「お母さんが……電話、つながらなくて……」
「柳谷乙女なら、たぶん無事だ」
「お母さんを知ってるの?」
「少しだけな」
本当は、少しどころじゃない。
原作知識としてなら知っている。
でも、今それを言っても混乱させるだけだ。
俺は手を差し出した。
「俺は月読アイ。こっちはアルテミス。怪しいのは分かる。でも今は、俺たちについて来い」
コハルは俺の手を見た。
たぶん、頼れる大人の手には見えなかったはずだ。
自分と同じくらい小さな、子供の手。
けれど、彼女は震えながらもその手を取った。
「……うん」
小さな手が重なる。
その瞬間、ガラケーが震えた。
俺のではない。
コハルのガラケーだ。
画面に、ニカイアの通知が浮かんでいる。
俺は息を呑んだ。
「見るな!」
咄嗟に叫ぶ。
コハルの肩が跳ねた。
「え……?」
「今は見るな。いいからしまえ」
「で、でも……」
「頼む。今それを見たら、たぶん動けなくなる」
死に顔動画。
コハルに届いたそれが、誰のものなのかは分からない。
乙女かもしれない。
これから親しくなる誰かかもしれない。
あるいは、俺かもしれない。
だが今、ここで見せるべきじゃない。
コハルは唇を噛み、ガラケーを胸に抱いた。
「……分かった」
「偉い」
「アイちゃんも、震えてる」
「うるせぇ。怖いもんは怖いんだよ」
「でも、来てくれた」
「寝覚めが悪いからな」
コハルは、ほんの少しだけ笑った。
その時、奥から低い音が響いた。
瓦礫が崩れる音。
そして、悪魔の気配。
アルテミスがこちらを見ずに言った。
「小さき月よ。増えるぞ」
「何体」
「五。いや、奥にさらにいる」
「初戦にしては多くねぇか?」
「そなたが縁を結んだ娘は、どうやら狙われている」
「マジでやめろよそういうの……!」
俺はコハルの手を握り直した。
「走るぞ。右の通路から抜ける」
「うん!」
「アルテミス、殿を頼む!」
「承知した」
「あと、今回はちゃんと射撃多めで!」
「状況による」
「その返事マジで信用できねぇ!」
俺たちは走り出した。
背後で月光が弾ける。
振り返る余裕はない。
でも音で分かる。
矢が放たれる音。
悪魔が吹き飛ぶ音。
そして、明らかに何かを殴っている音。
「結局殴ってんじゃねぇか!」
「近かったのでな」
「近かったのでな、じゃねぇ!」
コハルが息を切らしながら、俺の横で必死に走る。
「アイちゃん、あの人、本当に女神様なの?」
「一応な!」
「一応?」
「弓の女神なのに拳で戦う変な女神だ!」
後ろからアルテミスの声が飛んだ。
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言ってんだよ!」
「よい度胸だ」
「後で説教なら聞く! 今は逃げる!」
出口が見えてきた。
地上へ続く階段。
そこから差し込む光。
だが、その手前に一体、悪魔が回り込んでいた。
「っ……!」
まずい。
アルテミスは後方。
コハルは隣。
俺は前。
身体は小さい。
武器はない。
悪魔は目の前。
逃げ道を塞がれた。
「アイちゃん……!」
コハルの声が震える。
俺も怖い。
足がすくむ。
泣きたいくらい怖い。
けど。
「下がってろ」
俺はコハルを背に隠した。
「小さき月!」
アルテミスの声が飛ぶ。
間に合わない。
悪魔が迫る。
その瞬間、俺のガラケーが熱を持った。
画面に、見たことのある表示が浮かぶ。
Skill Crack
「……は?」
いや、待て。
デビサバだ。
戦闘中に倒した敵のスキルを奪うシステム。
ゲームでは当たり前だったそれが、現実の俺の手元で起動している。
「今かよ!」
悪魔が振りかぶる。
俺は咄嗟にガラケーを向けた。
狙うべきタイミングが、なぜか分かった。
敵の動作。
魔力の流れ。
攻撃の起点。
「そこだ、クソ野郎!」
画面が光る。
【パララレイ】
悪魔の動きが一瞬だけ鈍った。
本当に一瞬。
でも十分だった。
「アルテミス!」
「よく止めた」
月光が横から差し込んだ。
アルテミスの拳が、悪魔を階段脇の壁へ叩きつける。
続けて腕のクロスボウが至近距離で光り、月の矢が撃ち込まれた。
悪魔は霧になって消えた。
俺は膝から崩れそうになった。
「は、っ……今の、何だよ……」
「そなたの力の一端であろう」
「いや知らねぇよ。俺、説明書もチュートリアルも受けてねぇんだけど」
「実戦ほどよい師はない」
「嫌すぎる師だな!」
コハルが俺の袖を掴む。
「アイちゃん、大丈夫?」
「ああ。たぶん。いや、心臓は大丈夫じゃねぇ」
「ありがとう」
その一言に、俺は言葉を詰まらせた。
ありがとう。
まだ助けきったわけじゃない。
状況は最悪。
街は崩れている。
悪魔は増えている。
でも、動画の結末は変わった。
コハルは生きている。
「……礼は、地上に出てからだ」
俺は立ち上がる。
「走るぞ。今度こそ出口だ」
「うん!」
コハルの手を引いて、階段を駆け上がる。
地上に出た瞬間、眩しい光が目に刺さった。
けれど、その光の下に広がっていたのは、普通の街ではなかった。
煙が上がる大阪の街。
遠くで鳴るサイレン。
空に走る不気味な亀裂のような雲。
終末の一日目。
その現実が、はっきりと目の前にあった。
俺は息を切らしながら、コハルの手を離さずに呟く。
「……マジで始まってんだな」
アルテミスが隣に立つ。
「うむ。だが、そなたはひとつの死を狩った」
「救ったって言え」
「では、救った」
珍しく素直に言い直したアルテミスに、俺は少しだけ驚く。
コハルが不安そうに空を見上げた。
「お母さん……」
その声を聞いて、俺はガラケーを握る。
次にやることは決まっている。
乙女に連絡を取る。
無理ならジプスに接触する。
その前に、安全な場所を確保する。
そして、久世響希たちとの合流はその後だ。
原作の流れはまだ壊さない。
でも、もう完全に同じでもない。
「行くぞ、コハル」
「どこに?」
「お前のお母さんに繋がりそうな場所だ」
「分かるの?」
「たぶんな」
「たぶん……」
不安そうな顔をするコハルに、俺は少しだけ笑った。
「大丈夫とは言わねぇ。けど、見捨てたりはしない」
コハルは小さくうなずいた。
「うん」
アルテミスが前を向く。
「では進もう、小さき月よ。次の獲物が来る前に」
「だから救助だっつってんだろ」
「そうであったな」
「絶対分かってねぇだろ」
そんなやり取りをしながら、俺たちは崩れた街を歩き出した。
俺はまだ、久世響希を知らない。
ダイチもイオも、まだ遠い東京の話だ。
けれどこの瞬間、月読アイになった俺の物語は、原作の外側で確かに動き始めていた。