転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです―   作:宇迦之たま猫

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憂鬱の日曜日(3)

地上に出た瞬間、俺はようやく息を吐いた。

 

だが、安心なんてできる状況じゃなかった。

 

大阪の街は、もう俺の知っている日常ではなくなっていた。

 

遠くで煙が上がり、車道では放置された車が斜めに止まっている。信号は機能しておらず、歩道には割れたガラスや看板の破片が散らばっていた。

 

人々は逃げている。

 

誰もが何が起きたのか分からない顔をして、ただ安全そうな方へ、安全そうな方へと流れていく。

 

その中で、俺はコハルの手を握っていた。

 

小さな手だ、震えている。

 

たぶん、俺の手も震えている。

 

「……アイちゃん」

 

コハルが小さく呼んだ。

 

「ちゃん付けは後で抗議する」

 

「でも、アイちゃんも震えてる」

 

「そりゃ震えるだろ。悪魔に追いかけられて、地下街が崩れて、女神が弓で殴ってたんだぞ。震えない方がおかしい」

 

「最後のは、ちょっと違う怖さだったかも……」

 

「だよな。分かるぞコハル」

 

隣でアルテミスが静かに言う。

 

「弓で殴ったのではない。神具を近接戦に用いただけだ」

 

「同じだよ」

 

「違う」

 

「弓の女神がそこにこだわるな」

 

アルテミスは、腕に装着されたクロスボウ型の神具を軽く掲げた。

 

銀と青の意匠をまとったそれは、確かに美しい。神話の武具と呼ぶにふさわしい神聖さがある。

 

だが、俺はついさっき見た。

 

それで悪魔の顎をぶん殴るところを。

 

「……やっぱ鈍器じゃねぇか」

 

「そなた、命を救われた相手への礼が薄いな」

 

「ありがとう、鈍器女神」

 

「武人女神と言え」

 

「言わねぇよ」

 

そんなやり取りをしていると、コハルがほんの少しだけ笑った。

 

本当に少しだけ。

 

でも、それで十分だった。

 

泣きそうな顔のまま固まっていたさっきより、ずっといい。

 

その時、俺のポケットの中で携帯電話が震えた。

 

俺はそれを開く。

 

小さな画面に、見慣れたようで見慣れたくない表示が出ていた。

 

Skill Crack 成功

 

パララレイを取得しました

 

「……ああ、やっぱりそういうことか」

 

さっき、出口前で悪魔の動きを一瞬だけ止めたあれ。

 

俺が何かすごい念力に目覚めたわけじゃない。

 

デビサバのシステム通り、戦闘中に敵のスキルをクラックしていたのだ。

 

パララレイ。

 

中確率で麻痺を与えるスキル。

 

あの一瞬、敵の動きが止まったのは、パララレイの麻痺が通ったからだ。

 

「……チュートリアルなしでスキルクラック成功とか、心臓に悪すぎんだろ」

 

「そなたの力か」

 

アルテミスが画面を覗き込む。

 

「力っつーか、悪魔使いのシステムだな。敵の技を奪うというか、覚えるというか」

 

「ほう。狩った獲物から技を得るのか」

 

「言い方がいちいち狩猟民族なんだよ」

 

「悪くない仕組みだ」

 

「悪くはないけど、実戦でぶっつけ本番はやめてほしい」

 

携帯の画面には、取得したスキルの詳細が簡素に表示されている。

 

パララレイ

麻痺属性/全体/中確率で麻痺付与

 

「麻痺か……」

 

悪くない。

 

攻撃力よりも、足止めができるのが大きい。

 

今の俺は、身体能力が終わっている。

 

力もない。リーチもない。走っても遅い。

 

なら、敵を止める手段があるだけでかなり違う。

 

「小さき月よ」

 

アルテミスが言った。

 

「何だよ」

 

「そなたは後ろで震えているだけの存在ではないようだな」

 

「褒めてんのか?」

 

「褒めている」

 

「だったらもっと分かりやすく褒めろ」

 

「よくやった」

 

「急に素直だと怖ぇな」

 

「では撤回する」

 

「撤回すんな」

 

コハルが俺の携帯を不思議そうに見つめていた。

 

「アイちゃん、それ……何?」

 

「悪魔召喚アプリ……みたいなもんだ」

 

「悪魔を呼べるの?」

 

「たぶん呼べる。けど、今は呼びたくない」

 

「どうして?」

 

「俺の相棒が初手でアルテミスだから、追加で変なの呼んだら携帯が爆発しそう」

 

「爆発……」

 

「たとえだ。たぶん」

 

実際は分からない。

 

アルテミスの霊格は高い。

 

この小さな身体とガラケーで顕現させ続けているだけでも、かなり無理をしている感覚があった。

 

胸の奥が重い。

 

頭の奥が少し熱い。

 

長時間このままだと、たぶん俺の方が倒れる。

 

「アルテミス」

 

「何だ」

 

「ずっと出ていられるか?」

 

「難しいな」

 

やっぱりか。

 

「今のそなたでは、私を完全な形で長く顕現させることはできぬ。戦闘時のみ呼び出す形にした方がよい」

 

「燃費悪い女神だな」

 

「高性能と言え」

 

「はいはい、高性能武人女神」

 

「よろしい」

 

「よろしいのかよ」

 

アルテミスは少しだけ満足そうだった。

 

その直後、コハルの携帯が震えた。

 

「……え?」

 

コハルは反射的にそれを開きかける。

 

俺は嫌な予感がして、すぐに声を上げた。

 

「待て。見るな」

 

「でも……通知が……」

 

コハルの携帯画面に表示されていたのは、見間違えようのない文字だった。

 

Nicaea

 

胸の奥が冷たくなる。

 

死に顔動画。

 

親しい友人、あるいはこれから縁を結ぶ相手の死を見せる、悪趣味な予告。

 

「コハル、今は見るな。たぶん、それは――」

 

言い切る前に、コハルの指が震えながらボタンを押してしまった。

 

小さな画面に、粗い映像が映る。

 

場所は、さっき出てきたばかりの地下街ではない。

もっと開けた場所。救護所の近く。人が集まっている場所。

 

そこに、俺がいた。

 

ライトブラウンの髪。

薄紫の瞳。

小さな身体。

 

月読アイになった俺が、コハルを背にかばうように立っている。

 

その前に、黒い影が迫る。

 

俺は画面を見た瞬間、喉が詰まった。

 

「……俺かよ」

 

動画の中の俺は、携帯を構えている。

けれど、何かをしようとした瞬間、悪魔の影が一気に近づく。

 

そこで映像は乱れ、途切れた。

 

コハルは真っ青な顔で俺を見た。

 

「アイちゃんが……死んじゃうの……?」

 

「まだ死んでねぇ」

 

自分でも驚くくらい、声が低く出た。

 

「死に顔動画は、このままだとそうなるってだけだ。確定じゃない。お前だって、さっき助かっただろ」

 

「でも……でも、今の……」

 

「見たから変えられる」

 

俺は携帯を握り直した。

 

「そういうクソみたいな仕組みなんだろ、ニカイアは」

 

コハルの手が震えている。

 

さっきまで、俺がコハルの死に顔動画を見て助けに来た。

今度は、コハルが俺の死に顔動画を見た。

 

つまり、ニカイアはもう俺たちを“縁のある相手”として扱っている。

 

「……重すぎんだろ」

 

思わず呟く。

 

アルテミスが静かに言った。

 

「縁とは、時に矢より速く結ばれるものだ」

 

「今そういう神様っぽいこと言われても困るんだよ」

 

「だが、事実だ」

 

「分かってる」

 

俺は息を吸った。

 

怖い。

 

当然だ。自分の死に顔動画を自分で直接見たわけではない。

けれど、コハルの携帯に映ったのは、間違いなく俺の死の予告だった。

 

今度は俺が、誰かに助けられる側になるかもしれない。

 

「アイちゃん……」

 

コハルが俺の袖を握る。

 

「私、どうしたらいい?」

 

「まず泣くな」

 

「泣いてない……」

 

「じゃあ偉い」

 

「アイちゃんも、怖い?」

 

「めちゃくちゃ怖ぇよ」

 

俺は即答した。

 

「けど、怖いならなおさら動く。さっきも言ったろ。止まったらもっと怖い」

 

コハルは唇を噛んで、こくりとうなずいた。

 

その時、救護所の方角から悲鳴が上がった。

 

俺たちは同時に振り返る。

 

仮設の救護スペース。

怪我人を手当てする白衣の女性。

その背後で揺れる黒い影。

 

柳谷乙女。

 

コハルが叫んだ。

 

「お母さん!」

 

乙女が振り返る。

 

「コハル!?」

 

その瞬間、動画と同じ流れが始まった。

 

悪魔が現れる。

人々が逃げ惑う。

コハルが母親の元へ走ろうとする。

俺がその前に出る。

 

「コハル、止まれ!」

 

俺は叫んだ。

 

「でも!」

 

「行ったら巻き込まれる!」

 

携帯を開く。

 

スキル欄には、さっきクラックしたばかりの名前がある。

 

パララレイ

 

攻撃魔法ではない。

敵を撃ち抜く技じゃない。

ダメージを与えるものでもない。

 

中確率で麻痺を与える、状態異常付与魔法。

 

通るかどうかは分からない。

通らなければ、何も起こらないかもしれない。

 

でも、通れば一瞬だけ止められる。

 

その一瞬があれば、アルテミスが届く。

 

「頼むから、通れよ……!」

 

俺は携帯のボタンを押した。

 

「パララレイ!」

 

携帯の画面が淡く明滅する。

 

電撃で撃つ、というより、悪魔の身体に見えないノイズが走ったようだった。

黒い影の動きが、びくりと乱れる。

 

一瞬。

 

本当に一瞬だけ、悪魔の動きが鈍った。

 

麻痺が入った。

 

「アルテミス!」

 

「承知」

 

アルテミスが踏み込む。

 

腕に装着されたクロスボウ型の神具が月光を帯びる。

だが、放たれたのは矢ではなかった。

 

女神の拳が、悪魔の正面を打ち抜く。

 

続けて膝。

肘。

腕部の神具による打撃。

 

「銀河烈星拳」

 

月光の連撃が、悪魔を救護所の外へ押し返す。

 

人々が悲鳴を上げながら距離を取る。

乙女はコハルを抱き寄せながら、俺とアルテミスを鋭い目で見た。

 

「あなたたち……何者?」

 

コハルが震えた声で言う。

 

「お母さん、この子が助けてくれたの! アイちゃんが、私を……!」

 

乙女の視線が俺に向く。

 

どう見ても子供。

けれど、携帯には悪魔召喚アプリ。

隣には女神アルテミス。

 

怪しまれない方がおかしい。

 

俺は息を整えながら、携帯を握りしめた。

 

「説明は後でお願いします、柳谷乙女さん」

 

乙女の表情が変わった。

 

「私の名前を知っているの?」

 

「知ってます。あと、たぶんこの救護所、もう一回襲われます」

 

外から、複数の悪魔の気配が膨れ上がる。

 

動画の続きが、現実になろうとしている。

 

コハルに届いた、俺の死に顔動画。

それはたぶん、ここで起こる。

 

俺がコハルと乙女をかばって、悪魔にやられる未来。

 

「……上等だ」

 

俺は小さく吐き捨てた。

 

「見せられた未来を、そのままなぞってたまるかよ」

 

アルテミスが横に立つ。

 

「小さき月よ。そなたの魔法は、敵を傷つけるものではないな」

 

「ああ。止めるだけだ。しかも確率」

 

「ならば、止めた先は私が狩ろう」

 

「救助だっつってんだろ」

 

「では、救おう」

 

妙に素直に言い直すアルテミスに、少しだけ笑いそうになる。

 

コハルが俺の袖を掴んだ。

 

「アイちゃん、死なないで」

 

「死なねぇよ」

 

「本当に?」

 

「たぶんな」

 

「たぶんは嫌」

 

「……じゃあ、死なない」

 

コハルは泣きそうな顔でうなずいた。

 

俺は乙女に向かって言う。

 

「コハルを連れて下がってください。あと、怪我人もできるだけ奥へ」

 

「あなた、子供でしょう?」

 

「見た目はな」

 

「その言い方、何?」

 

「説明したら長いです」

 

乙女は一瞬だけ迷った。

けれど、状況判断は早かった。

 

「分かった。コハル、こっちへ」

 

「でも、アイちゃんが……」

 

「大丈夫だ」

 

俺はコハルを見た。

 

「お前が見た動画は、俺が変える」

 

外から悪魔たちが姿を現す。

 

俺は携帯を構えた。

 

パララレイは攻撃じゃない。

通らなければ意味がない。

通っても、止められるのは一瞬だけ。

 

でも、その一瞬をアルテミスが拾ってくれる。

 

なら、戦える。

 

「行くぞ、拳の女神」

 

「武人女神と言え」

 

「今それどころじゃねぇだろ」

 

「そうだな」

 

アルテミスは腕の神具を構え、静かに前へ出た。

 

俺は薄紫の瞳で、迫る悪魔たちを睨む。

 

「来いよ」

 

声は震えていた。

 

でも、足は下がらなかった。

 

「こっちはもう、自分の死に顔動画まで見せられてんだ」

 

携帯の画面で、パララレイの文字が光る。

 

「そんなもん、意地でも外してやる」

 

 

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