転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
乙女が救護所のスタッフに指示を出し、俺たちは移動を始める。
大阪の街は、まだ混乱の中にあった。
逃げ惑う人々。
鳴り止まないサイレン。
ところどころで立ち上る煙。
そして、普通の人間には見えていないのか、それとも見えていても理解できていないのか、路地の奥にちらつく悪魔の影。
コハルは俺の手を握ったまま、離そうとしなかった。
「……アイちゃん、痛くない?」
「何が」
「手。強く握っちゃってるかも」
「平気だ。俺もわりと握ってる」
「そっか」
コハルは少しだけ安心したようにうなずく。
俺はその横顔を見て、内心でため息をついた。
コハルは助かった。
俺の死に顔動画も、コハルの声のおかげで外せた。
まずは一勝。
本当に小さな、小さな勝利だ。
けれど、それだけで終わるわけがない。
デビルサバイバー2の一日目は、ここからもっと広がっていく。
東京では今ごろ、久世響希、志島大地、新田維緒が原作通り地下鉄ホームから逃げ出した頃のはずだ。
あいつらは、主人公側の物語を始めている。
そして俺は、大阪で乙女とコハルに拾われる。
原作にはない流れだ。
「……やべぇな」
思わず呟く。
アルテミスが隣でこちらを見る。
「何がだ」
「俺がここで乙女さんに保護されるのは、原作には無い展開だ」
「そなたは先ほどから“原作”という言葉を使うな」
「気にすんな」
「無理がある」
「だよな」
アルテミスは深く追及しない。
それがありがたいようで、怖くもあった。
この女神はたぶん、俺が何かを隠していることに気づいている。
でも、今は問わない。
問うべき時を待っている。
そういう目をしている。
少し前を歩いていた乙女が、携帯で誰かと短く連絡を取っていた。
「ええ、こちらは柳谷。救護所付近で悪魔を確認。民間人の被害は最小限に抑えたわ。……ええ、悪魔使いも確認している」
俺の耳がぴくりと反応する。
悪魔使い。
乙女の視線が一瞬こちらへ向いた。
「年齢は……見た目だけなら子供。けれど、契約悪魔は女神アルテミス。詳細は不明。ニカイアと悪魔召喚アプリについても知っている様子」
「全部報告されてんじゃねぇか……」
「当然でしょ」
通話を切った乙女が、さらっと言う。
「あなた、重要参考人どころか最重要保護対象よ」
「言い方がもう怖い」
「安心して。少なくとも私は、あなたを実験材料にするつもりはないわ」
「“少なくとも私は”って言い方やめません?」
「正直な方がいいでしょう」
「正直すぎて嫌なんだよなぁ……」
コハルが不安そうに乙女を見上げる。
「お母さん、アイちゃんに怖いことしないよね?」
乙女の表情が少し柔らかくなった。
「しないわ。約束する」
「ほんと?」
「ええ。コハルを助けてくれた子だもの」
「うん」
コハルは安心したように、また俺の手を握り直した。
重い。
信頼が重い。
でも、不思議と嫌ではなかった。
「……ったく」
「どうしたの、アイちゃん?」
「何でもねぇよ」
乙女は俺たちを見て、小さく息を吐いた。
「ただ、アイ。あなたには聞かなければいけないことが山ほどあるわ」
「ですよね」
「ニカイアをどこで知ったのか。どうしてコハルの名前を知っていたのか。なぜ私の名前を知っているのか。なぜジプスの存在を知っているのか。そして、その身体と口調の不一致は何なのか」
「最後のは個性で押し通せません?」
「無理ね」
「ですよねぇ」
俺は頭を抱えたくなった。
言い訳が足りない。
どう考えても足りない。
未来から来た。
転生者です。
この世界がゲームだったことを知っています。
そんなことを正直に言ったら、まともに信じてもらえる気がしない。
でも、全部隠して立ち回れるほど俺は器用じゃない。
嘘と本当を混ぜて、それっぽく誤魔化すしかない。
「……話せることは話します」
俺は言った。
「でも、全部は無理です。今言っても信じてもらえないし、俺自身も整理できてない」
乙女は少し黙った後、うなずいた。
「いいわ。まずは安全な場所に移動してから」
「助かります」
「ただし、逃げないこと」
「努力します」
「逃げる気ある返事ね」
「正直なので」
乙女が呆れたように笑う。
その時、乙女の携帯が再び震えた。
彼女は画面を確認し、表情を引き締める。
「……東京でも、悪魔使いが確認されたそうよ」
俺は思わず足を止めかけた。
来た。
「東京……」
「地下鉄事故の現場付近。少年二人と少女一人。悪魔召喚アプリを使用した可能性あり」
久世響希。
志島大地。
新田維緒。
間違いない。
原作通りだ。
乙女は俺の反応を見逃さなかった。
「知っている顔?」
「……まだ会ったことはありません」
「まだ?」
まずい。
また言葉を間違えた。
乙女の目が鋭くなる。
「あなた、本当に何を知っているの?」
俺は沈黙した。
答えられない。
少なくとも、今ここでは。
代わりに、アルテミスが静かに言った。
「乙女よ。今は詰問よりも移動を優先すべきだ。周囲にまだ獣の気配が残っている」
乙女はアルテミスを見た。
相手は女神だ。
それも、実際に悪魔を殴り飛ばした武闘派女神。
普通なら怯んでもおかしくない。
だが、乙女は医者らしい冷静さでうなずいた。
「そうね。話はあとにしましょう」
助かった。
俺は小さく息を吐く。
アルテミスが俺を見る。
「そなたは口がよく滑るな」
「うるせぇ。自覚してる」
「ならば少し黙ることを覚えよ」
「無理かもしれん」
「難儀な契約者だ」
「契約解除したくなったか?」
「いや」
アルテミスは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「面白い」
「面白がるな、拳の女神」
「武人女神と言え」
そのやり取りに、コハルがまた小さく笑った。
乙女がそんなコハルを見て、少しだけ安心したような顔をする。
たぶん、乙女にとってはそれが一番大きかったのだろう。
コハルが生きていること。
怖がりながらも、笑えていること。
それだけで、俺への態度はかなり変わっている。
「アイ」
乙女が俺を呼ぶ。
「何ですか」
「コハルを守ってくれてありがとう」
不意打ちだった。
俺は少しだけ言葉に詰まる。
「……見捨てたら寝覚めが悪かっただけです」
「それでも、ありがとう」
「……どういたしまして」
素直に礼を言われるのは苦手だ。
特に、こんな小さい身体になってからだと、妙に照れくさい。
俺は誤魔化すようにガラケーを開いた。
スキル欄には、相変わらずパララレイの文字がある。
攻撃魔法ではない。
状態異常付与。
中確率の麻痺。
頼りない。
けれど、さっき俺の命を繋いだスキルだ。
「……しばらくはこれで何とかするしかねぇか」
「そなたには私がいる」
アルテミスが言った。
「高燃費すぎるんだよ、あんた」
「高性能と言え」
「高性能だけど燃費最悪の武人女神」
「それならば許そう」
「許すのかよ」
乙女がそのやり取りを聞いて、不思議そうに言う。
「仲がいいのね」
「どこがですか」
「信頼関係はあるように見えるわ」
俺はアルテミスを見る。
アルテミスも俺を見る。
「……まあ」
「そうだな」
俺たちは同時に、微妙な顔でそう答えた。
移動先は、ジプス大阪本局に近い臨時拠点だった。
完全な本局へ入れる前に、まずは一時的な保護と検査。
乙女いわく、混乱の中で保護した民間人や、悪魔絡みの接触者を一時的に集めている場所らしい。
「俺、完全に厄介者枠じゃねぇか」
「自覚があって助かるわ」
「乙女さん、結構言いますね」
「あなたほどじゃないわ」
「それはそう」
コハルが俺の手を引く。
「アイちゃん、一緒にいてね」
「逃げられそうにないしな」
「逃げるの?」
「逃げない。今は」
「今は?」
「そこ拾わなくていい」
コハルは少しむっとした顔をした。
「アイちゃん、すぐそういう言い方する」
「性格が悪いんだよ」
「悪くないよ」
「いや、悪いぞ」
「悪くない」
妙なところで頑固だ。
俺が困っていると、アルテミスが横から言った。
「そなたは口が悪いだけで、性根は悪くない」
「女神様まで何言ってんだ」
「事実だ」
「やめろ。そういう評価は落ち着かない」
乙女が小さく笑った。
終末の一日目。
街は崩れ、悪魔が現れ、人の死が動画で予告される。
そんな最悪の日なのに。
コハルを助け、乙女に保護され、アルテミスと口喧嘩をしているこの瞬間だけは、妙に現実味があった。
だからこそ、怖い。
この日常に似た何かは、すぐ壊れる。
デビルサバイバー2は、そういう世界だ。
俺は空を見上げる。
遠く東京では、久世響希たちが動き出している。
ここ大阪では、俺がジプスに足を踏み入れようとしている。
まだ出会ってはいない。
まだ通信も繋がっていない。
でも、物語の中心と外側は、確実に同じ終末へ向かって進み始めていた。
「……さて」
俺はガラケーを閉じる。
「次は事情聴取か」
「覚悟しなさい」
乙女が穏やかに言う。
「医者の問診は、意外と逃げ道がないわよ」
「悪魔より怖いこと言わないでください」
コハルが俺の手をぎゅっと握る。
「大丈夫だよ。お母さん、優しいから」
「優しい人間が一番鋭いんだよなぁ……」
アルテミスが隣で静かに笑った。
「そなたの次の戦場は、言葉の場か」
「一番苦手なやつだよ」
「ならば、せいぜい足掻け。小さき月よ」
俺は深くため息をついた。
「転生初日から、悪魔退治に子守りに事情聴取かよ」
それでも、足は止めなかった。
止めれば、もっと悪い未来が来る。
それだけは、もう分かっていた。