転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
臨時拠点に入った瞬間、俺は思った。
これは病院じゃない。
避難所でもない。
完全に、軍の施設に近い。
白いパーテーション。簡易ベッド。医療機材。
その奥に、ジプスの職員らしき連中が忙しなく動いている。
怪我人の手当てをする者。
携帯を片手に各地の被害状況を確認する者。
悪魔の出現地点らしきものを地図に書き込む者。
表向きは臨時救護所。
けれど、奥に行くほど空気が変わる。
一般人を避けるように、情報と命令が飛び交っている。
「……完全にジプスじゃねぇか」
小さく呟くと、乙女がこちらを見た。
「やっぱり知っているのね」
「……言葉の綾です」
「下手な嘘」
「今のは練習です」
「本番ではもう少し上手にお願いね」
くそ。
この人、やっぱり怖い。
乙女はコハルを近くの椅子に座らせた。
「コハル、少しここで待っていて。すぐ戻るから」
「アイちゃんは?」
「アイには少し話を聞くわ」
コハルが不安そうに俺を見る。
俺は肩をすくめた。
「大丈夫だ。たぶん取って食われたりはしない」
「たぶん……」
「コハル、その子の言葉を全部真に受けないでいいからね」
乙女が苦笑する。
「お母さん、アイちゃんに意地悪しない?」
「しないわ」
「ほんと?」
「約束する」
コハルはそれでもしばらく俺の服の裾を掴んでいたが、やがて小さく手を離した。
「……ちゃんと戻ってきてね」
「戻る。逃げるとしても、お前を置いてはいかねぇよ」
「逃げるの?」
「言葉の綾だ」
乙女がすぐに言う。
「今のも下手な嘘ね」
「うるさいですね、問診前から」
アルテミスが横で静かに笑った。
「小さき月よ。そなた、すでに負けているのではないか」
「まだ始まってねぇよ」
「始まる前から劣勢というやつだな」
「黙ってろ、拳の女神」
「武人女神と言え」
そんなやり取りをしながら、俺は乙女に連れられて奥の簡易診察スペースへ入った。
パーテーションで区切られただけの小部屋。
机、椅子、簡易ベッド。
そして記録用の端末。
乙女は椅子を示した。
「座って」
「立ったままでもいいですけど」
「診察も兼ねるから座って」
「はい」
逆らう気が失せた。
俺は椅子に腰かける。
足が床につかない。
「……くそ」
「何か言った?」
「何でもないです」
乙女は俺の様子を見て、少しだけ目を細めた。
たぶん、見た目相応の子供として扱うべきか、それとも異常な情報を持つ悪魔使いとして扱うべきか、測っている。
俺も俺で、腹を括るしかなかった。
全部は話さない。
転生者であること。
この世界がゲームだったこと。
久世響希たちの今後。
セプテントリオンやポラリスの核心。
そこまで話したら終わる。
だから、嘘と本当を混ぜる。
完全な嘘はすぐバレる。
でも、本当の中に少しだけ嘘を混ぜれば、相手は全部を否定できない。
「まず名前」
乙女が言った。
「月読アイ」
「年齢は?」
「……見た目通りで」
「曖昧にしない」
「分かりません」
乙女の手が止まる。
「分からない?」
「少なくとも、今の身体の年齢は分かりません。記憶が……少し混ざってるんです」
これは半分本当だ。
この身体の生活記憶はある。
でも、俺自身の前世の記憶もある。
年齢を正確に答えると、余計に面倒になる。
乙女は表情を変えずに続けた。
「記憶障害?」
「それに近いです。気づいたら、この身体で目が覚めてました。前からの生活の記憶もあります。でも、別の記憶もある」
「別の記憶」
「夢みたいなものです」
これは嘘。
夢なんかじゃない。
前世の記憶だ。
でも“夢”と言っておけば、精神的な混乱やニカイアの影響に見せられる。
乙女は端末に何かを入力した。
「その夢の中で、ジプスを知った?」
「はい」
嘘と本当の境目を曖昧にする。
「ニカイアも?」
「はい」
「私の名前も?」
「……はい」
「コハルの名前も?」
「それは、死に顔動画を見た時に分かりました」
これは嘘だ。
実際には原作知識で推測した。
だが、ニカイアの動画に名前表示が混じっていたことにすれば、まだ通る。
乙女は俺をじっと見た。
「死に顔動画に名前が表示されたの?」
「はっきりじゃないです。断片的に。映像と、文字と、音が混ざった感じで」
「便利な説明ね」
「俺もそう思います」
疑われている。
当然だ。
でも完全には否定されていない。
乙女は次にアルテミスへ視線を向けた。
「あなたは、アルテミスで間違いないのね」
アルテミスは静かにうなずいた。
「我が名はアルテミス。月と狩りを司る女神なり」
「アイとはどういう契約を?」
「この者は死の兆しを見てなお、走ることを選んだ。ゆえに私は手を貸した」
「悪魔召喚アプリによる召喚ではなく?」
「それも媒介ではある。だが、契約はそれだけではない」
乙女が俺を見る。
「だそうだけど?」
「俺にもよく分かりません」
これは本当。
アルテミスがどうして最初から来たのか、俺にも完全には分からない。
月読アイという名前。
月の器。
アルテミスの月属性。
理由をこじつけることはできる。
でも確証はない。
「ただ、気づいたら携帯に悪魔召喚アプリが入っていて、アルテミスが来た。俺はコハルを助けるために契約した。それだけです」
「その携帯を見せて」
来た。
俺は一瞬ためらった。
ガラケーを渡すのは怖い。
これが俺の命綱だ。
けれど、ここで拒否すれば疑いが濃くなる。
「変なことしないでくださいよ」
「しないわ。確認するだけ」
俺はガラケーを開いて、乙女に見せる。
ニカイア。
悪魔召喚アプリ。
スキル欄には、パララレイ。
乙女は画面を見て、すぐに眉をひそめた。
「パララレイ。状態異常付与ね」
「はい。攻撃魔法じゃないです。麻痺を与えるだけ。しかも確率です」
「さっき悪魔の動きが止まったのは、これ?」
「そうです。コハルが見た俺の死に顔動画を外せたのも、これと、コハルの声と、アルテミスのおかげです」
そこは本当だ。
乙女の表情が少しだけ和らいだ。
「コハルを助けた理由は?」
「見捨てたら寝覚めが悪いから」
「それだけ?」
「それだけです」
これは、本当。
原作知識だとか、乙女を味方につけるためだとか、そういう計算も少しはある。
でも最初に走った理由は、それだけだ。
動画を見てしまった。
知らない子が死ぬところを見た。
それを無視できなかった。
乙女はしばらく黙っていた。
それから、静かに言う。
「あなた、嘘をついているわね」
心臓が跳ねた。
俺は顔に出さないようにした。
「いきなりですね」
「全部が嘘とは言わない。でも、ところどころ隠している。違う?」
「……隠してます」
ここで否定すると終わる。
だから認める。
「でも、敵じゃないです」
「それは信じてほしい?」
「はい」
「根拠は?」
俺は少し考えた。
そして、正直に答えた。
「コハルを助けました」
乙女の目が細くなる。
「それを盾にするの?」
「盾じゃなくて、証拠です。俺が敵なら、あの子を見捨てるか、人質にするか、もっと楽なやり方があった」
「……そうね」
「俺はジプスの味方とは言いません。まだ信用してないので」
乙女が少し笑った。
「正直ね」
「でも、コハルと乙女さんを敵に回したいわけでもない。だから、話せる範囲で話してます」
「話せない範囲は?」
「俺自身も整理できてないこと。今話したら、たぶん俺が危険になること。それから……話すことで未来が悪化するかもしれないこと」
最後は本当だ。
俺が知っている未来は、ゲームの未来だ。
けれど、俺が動いた時点でズレ始めている。
不用意に話せば、その知識自体が罠になる。
乙女は俺の言葉を聞いて、深く息を吐いた。
「未来、ね」
「ニカイアの動画も、未来の一種でしょう」
「それを拡大解釈しているだけ?」
「そう思ってもらって構いません」
嘘ではない。
でも全部ではない。
乙女は腕を組んだ。
「あなたを完全に信用はできない」
「でしょうね」
「でも、敵とも断定できない」
「助かります」
「それに、コハルがあなたを信じている」
それが一番重かった。
乙女は母親だ。
ジプスの医師でもあるが、まずコハルの母親だ。
コハルが俺を信じた。
それが、今の俺の最大の保険になっている。
「だから、今は保護対象として扱うわ。拘束はしない。ただし、この拠点から勝手に出るのは禁止」
「出たくなったら?」
「私に言いなさい」
「許可くれます?」
「理由次第」
「厳しい」
「当然よ」
乙女はガラケーを俺に返した。
「それはあなたが持っていていい。ただし、何か通知が来たらすぐ報告すること」
「ニカイアも?」
「もちろん」
「……分かりました」
「それと、アルテミス」
乙女が女神を見上げる。
「この子を守れる?」
アルテミスは静かに答えた。
「契約者を守るのは当然であろう」
「無茶をしたら止められる?」
アルテミスは俺を見る。
「それは難しい」
「おい」
「そなたは止めても走る」
「否定できねぇのが腹立つ」
乙女が小さく笑った。
「じゃあ、できるだけ止めて」
「承知した」
「勝手に保護者会すんな」
俺が文句を言うと、乙女は立ち上がった。
「問診はここまで。詳しい話は後でまた聞くわ」
「まだあるんですか」
「山ほど」
「地獄かよ」
「生きている証拠よ」
そう言われると、返しづらい。
俺は椅子から降りようとして、足が床につかないことにまた腹が立った。
「……くそ」
アルテミスが手を差し出す。
「下ろしてやろうか」
「自分で降りる」
「意地を張るな」
「張らせろ。数少ない尊厳なんだよ」
何とか椅子から降りると、パーテーションの外でコハルが待っていた。
俺を見るなり、ぱっと顔を明るくする。
「アイちゃん!」
「だからちゃん付けは……」
言いかけたところで、コハルが駆け寄ってきて俺の手を握った。
「大丈夫だった?」
「取って食われはしなかった」
「お母さん、怖くなかった?」
「怖いというより鋭い」
「お母さん、すごいんだよ」
「知ってる」
また口が滑った。
乙女の視線が背中に刺さる。
俺は咳払いした。
「……今知った」
「下手な嘘ね」
乙女の声が飛んできた。
「うるさいです」
コハルが不思議そうに俺と乙女を交互に見る。
「アイちゃん、お母さんと仲良くなった?」
「どこを見たらそうなる」
「喧嘩してないから」
「それは仲良し判定が甘すぎる」
アルテミスが言った。
「悪くはなかろう。縁は広がった」
「縁って言葉、便利に使いすぎなんだよ」
そう言いながらも、俺は少しだけ安心していた。
全部は話していない。
嘘も混ぜた。
かなり怪しまれている。
けれど、今すぐ拘束されることはなさそうだ。
コハルは生きている。
乙女とも最悪の形ではない。
アルテミスも隣にいる。
一日目としては、かなり上出来だ。
そう思った瞬間だった。
拠点の奥が慌ただしくなる。
職員のひとりが走ってきて、乙女に耳打ちした。
乙女の表情が変わる。
「……東京で確認された三人の悪魔使い、ジプスが接触したそうよ」
俺は反射的に息を止めた。
久世響希。
志島大地。
新田維緒。
原作の中心が、ジプスに捕捉された。
乙女が俺を見る。
「あなた、心当たりがある顔をしているわね」
俺は少しだけ沈黙してから、答えた。
「……夢で見たことがあります」
また嘘と本当を混ぜた。
乙女は何も言わなかった。
ただ、その目は明らかにこう言っていた。
あとで詳しく聞く、と。
俺は内心で頭を抱える。
「マジで初日から情報量多すぎんだろ……」
アルテミスが隣で静かに笑う。
「足掻け、小さき月よ」
「言われなくても足掻いてる」
コハルが俺の手を握ったまま、不安そうに聞いた。
「アイちゃん、また怖いこと?」
「たぶんな」
「でも、大丈夫?」
俺は少しだけ考えてから、答えた。
「大丈夫とは言わねぇ」
コハルの手を握り返す。
「でも、何とかする」
嘘と本当を混ぜて生き延びる。
この世界では、綺麗な正直さだけじゃたぶん死ぬ。
でも、全部を嘘にしたら、今度は守りたいものまで失う。
だから俺は、必要な嘘をつく。
そして、本当に譲れないところだけは曲げない。
「……まずは、東京の三人がどう動くかだな」
誰にも聞こえないくらい小さく、俺は呟いた。
物語の中心が動き出す。
そして俺は、原作の外側から、その流れを見つめていた。