転生したら月読アイだった件 ―なお世界はデビルサバイバー2で、相棒は拳で戦う女神アルテミスです― 作:宇迦之たま猫
職員が持ってきた報告は、短いものだった。
東京の地下鉄事故現場で、悪魔召喚アプリを使用したと思われる少年少女を三名確認。
民間人でありながら悪魔を撃退。
現在、ジプス関係者が接触中。
それだけなら、乙女にとっては緊急時の追加情報でしかなかったかもしれない。
けれど俺にとっては違う。
久世響希。
志島大地。
新田維緒。
物語の中心にいる三人が、原作通り動き出したということだ。
「……夢で見たことがあります」
俺がそう言うと、乙女はしばらく黙った。
疑っている。
当然だ。
俺だって逆の立場なら疑う。
悪魔が現れた初日に、コハルを救った謎の幼女が、ジプスもニカイアも知っていて、東京の悪魔使い三人にも心当たりがある顔をしている。
怪しさで言えば満点だ。
乙女は職員に短く指示を出した。
「その三人の詳細が入り次第、こちらにも回して。大阪側の悪魔使い……月読アイの件と照合するわ」
「了解しました」
職員が去る。
俺は内心で顔をしかめた。
「大阪側の悪魔使い」か。
もう完全に登録されている。
「嫌そうな顔ね」
乙女が言う。
「そりゃ嫌ですよ。初日にいきなりジプスの観察対象とか、どんな罰ゲームですか」
「あなたが目立つことをしたからでしょう」
「コハルを助けただけです」
「女神アルテミスを伴って、悪魔を撃退して、ニカイアとジプスを知っていて、東京の三人にも反応した。十分すぎるほど目立っているわ」
「言い返せねぇ……」
俺は額を押さえた。
コハルが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「アイちゃん、具合悪い?」
「精神的にな」
「お母さん、アイちゃんいじめちゃだめだよ」
「いじめてないわ。必要な確認をしているだけ」
「それをいじめって言う場合もある」
「アイ」
「はい、すみません」
乙女の目が普通に怖かった。
アルテミスは横で妙に楽しそうにしている。
「そなた、言葉の戦は不得手だな」
「うるせぇ。俺は口が悪いだけで口が上手いわけじゃねぇんだよ」
「なるほど。悪態特化か」
「分析すんな」
「悪くない。戦場では勢いも武器だ」
「問診では武器にならねぇんだよ」
そんな話をしていると、乙女がふと真面目な顔に戻った。
「アイ。ひとつ確認するわ」
「何ですか」
「あなたが夢で見たという東京の三人。危険な存在?」
その質問に、俺はすぐには答えられなかった。
危険かどうか。
久世響希たちは悪人ではない。
少なくとも、原作の中心にいる人間として、世界の終わりに立ち向かう側だ。
けれど、危険ではないかと聞かれたら、違う。
悪魔召喚アプリを持ち、これからセプテントリオンと戦い、ルート次第では世界の形すら変える連中だ。
危険ではない、とは言えない。
俺は嘘と本当を混ぜることにした。
「危険ではあります」
乙女の目が細くなる。
「敵という意味で?」
「違います。巻き込まれた側です。ただ……たぶん、大きい出来事の中心に近い」
「その夢では、彼らは何をするの?」
「分かりません」
嘘だ。
分かることは多い。
けれど、言えない。
「でも、たぶん必要な人たちです」
これは本当。
久世響希は、この世界の分岐点になる。
乙女は俺を見つめる。
「曖昧ね」
「夢なので」
「便利な言葉ね」
「さっきも言われました」
「何度でも言うわ」
俺は肩をすくめた。
その時、ガラケーが小さく震えた。
びくりと身体が跳ねる。
ニカイアか。
そう思って急いで開くと、違った。
悪魔召喚アプリの画面。
アルテミスの名前の横に、赤い警告のような表示が出ている。
MAG消耗増大
長時間顕現不可
「……あー、やっぱり来たか」
アルテミスが画面を覗き込む。
「限界が近いようだな」
「高性能武人女神、燃費悪すぎ問題」
「そなたの器が未熟なのだ」
「事実を言うな。傷つく」
「鍛えればよい」
「出たよ、すぐ鍛えさせようとする」
乙女が端末から顔を上げる。
「アルテミスの顕現を維持できないの?」
「たぶん、今の俺だと無理ですね。戦闘中は出せるけど、ずっと実体化させるのはきついです」
「それは身体への負担?」
「たぶん。頭が熱いし、胸が重い。魔力切れってこういう感じなのかは知りませんけど」
乙女はすぐに医者の顔になった。
「座って。脈を見せて」
「また問診ですか」
「診察」
「似たようなもんじゃないですか」
「文句を言わない」
「はい」
俺は大人しく椅子に座った。
足が床につかないのは、もう一回腹が立ったので見ないことにした。
乙女が脈を取り、目の動きや顔色を確認する。
その手際は早い。優しいけれど、逃げ道がない。
「疲労が強いわね。発熱はまだないけど、無理をしたら倒れる」
「倒れるほど戦ってないですけど」
「アルテミスを維持して、パララレイを使って、精神的にも負荷がかかっている。あなたの今の身体は子供なのよ」
「中身はそこそこ大人です」
「身体が子供なら、限界も子供基準よ」
正論だった。
俺は黙るしかない。
アルテミスが静かに言った。
「ならば、私は一度退こう」
「いいのか?」
「必要ならば呼べ。そなたが狩るべき死を定めるなら、私は応じよう」
「だから救助だって……いや、もういい」
アルテミスは少しだけ笑った。
「小さき月よ。口は悪くとも、今は休め」
「女神様にまで子供扱いされると腹立つな」
「実際、今のそなたは子供の身体だ」
「分かってるっての」
腕に装着されたクロスボウ型の神具が淡く光り、アルテミスの姿が月光みたいに薄れていく。
完全に消える直前、彼女はコハルへ視線を向けた。
「コハル。そなたも休め。恐怖の後には、心も傷つく」
コハルはこくりとうなずいた。
「うん。ありがとう、アルテミスさん」
「うむ」
最後に俺を見て、アルテミスは言った。
「無茶をするな」
「善処する」
「下手な嘘だ」
「みんなそれ言うな!」
アルテミスは少し愉快そうに微笑んで、ガラケーの中へ戻るように消えた。
途端に、身体が少し軽くなる。
同時に、どっと疲労が来た。
「うわ……」
視界が一瞬揺れる。
コハルが慌てて俺の腕を掴んだ。
「アイちゃん!」
「平気。ちょっとクラッとしただけ」
乙女が俺の肩を支える。
「平気じゃないわ。簡易ベッドに横になって」
「いや、まだ話が」
「横になって」
「はい」
逆らえなかった。
簡易ベッドに寝かされる。
悔しい。
見た目通りの子供みたいに扱われている。
でも、身体は正直だった。
背中を預けた瞬間、力が抜ける。
「くそ……情けねぇ……」
「情けなくないよ」
コハルが椅子を持ってきて、ベッドの横に座った。
「アイちゃん、ずっと走ってくれたもん」
「お前を助けに行っただけだ」
「それがすごいんだよ」
「そういう素直な褒め方やめろ。反応に困る」
「じゃあ、ありがとう」
「もっと困る」
コハルは少し笑った。
その笑顔を見ると、まあいいかと思ってしまう。
これが縁というやつなら、なかなか面倒だ。
乙女は俺の状態を記録しながら言った。
「少し休みなさい。詳しい聴取は後にするわ」
「寝てる間に拘束とかしません?」
「しない」
「本当に?」
「コハルの前で約束したでしょう」
「なら信じます」
「コハルの信用頼りなのね」
「今の俺の最大の保険なので」
乙女は少し呆れたように笑った。
「自覚があるなら結構」
そこへ、また職員が来た。
今度は少し緊張した顔をしている。
「柳谷先生。東京の三名について、追加情報です」
乙女は俺を一瞥した。
「ここで話して」
「よろしいのですか?」
「この子も悪魔召喚アプリの使用者よ。完全に部外者ではないわ」
職員は迷ったが、報告を始めた。
「東京で確認された三名は、ジプスの保護下に入りました。少年二名、少女一名。うち一名、久世響希という少年が、戦闘時に高い適応を示したとのことです」
心臓が跳ねた。
久世響希。
その名前を実際に聞くと、妙な重さがあった。
ゲームやアニメのキャラクターじゃない。
この世界に生きている人間だ。
「久世……響希……」
コハルが小さく名前を繰り返す。
乙女は俺を見る。
「反応したわね」
「夢で見た名前なので」
またそれで押し通す。
「その夢では、彼は何者?」
俺は少しだけ迷った。
ここで“主人公”なんて言うわけにはいかない。
でも、完全に知らないふりも無理だ。
「たぶん、中心になる人です」
「中心?」
「この騒ぎの中で、色んなものを選ぶことになる人」
乙女は黙る。
職員は怪訝そうに俺を見た。
「柳谷先生、この子は?」
「大阪で確認された悪魔召喚アプリの使用者。こちらで保護中よ」
「この子が……?」
まあ、そういう反応になる。
見た目は幼女。
口は悪い。
今は簡易ベッドで寝かされている。
悪魔使いと言われても説得力は薄い。
俺はガラケーを持ち上げる。
「何だよ。見世物じゃねぇぞ」
職員がぎょっとした。
「す、すみません」
乙女がため息をつく。
「アイ、口」
「すみません」
「素直でよろしい」
「扱いが完全に子供なんだよなぁ……」
コハルが隣でくすっと笑う。
職員は報告を続けた。
「東京の三名は、今後本局の指示下で詳しい説明を受ける予定です。また、各地で悪魔召喚アプリの起動者が散発的に確認されています」
各地。
つまり、原作通り他の仲間たちも動き出す。
大阪なら、和久井啓太と九条緋那子。
名古屋なら、伴亜衣梨と鳥居純吾。
他にも、ジプス関係者や民間の悪魔使いが次々と出てくる。
俺はそれを知っている。
知っているけど、全部は言えない。
「……広がってるな」
俺が呟くと、乙女が聞き逃さなかった。
「何が?」
「悪魔召喚アプリの使用者です。東京だけじゃないなら、これからもっと増えます」
「それも夢?」
「半分は予想です」
これは本当。
原作知識を抜きにしても、状況から予想はできる。
乙女は職員へ言った。
「各地の使用者情報を集めて。特に大阪周辺の未保護者を優先して」
「了解しました」
職員が去ると、部屋の空気が少しだけ重くなった。
乙女は椅子に座り直し、俺を見た。
「アイ。あなたの夢では、これから何が起きるの?」
来た。
核心に近い質問。
俺は目を閉じた。
どこまで話す。
全部は駄目だ。
でも、何も言わなければ備えられない。
嘘と本当を混ぜる。
「大きな災害が続きます」
「悪魔によるもの?」
「悪魔だけじゃないです。もっと別の、説明しづらいもの」
セプテントリオンとは言わない。
まだ早い。
「人がたくさん死ぬ?」
「……はい」
そこは嘘をつけなかった。
乙女の表情が固くなる。
コハルが俺の手を握る。
「アイちゃん……」
俺はコハルを見ないまま続けた。
「でも、全部が決まってるわけじゃない。ニカイアの動画と同じです。見たから変えられることもある」
「あなたは、それを変えようとしているの?」
「自分が死にたくないだけです」
「それだけ?」
「それだけ、ってことにしてください」
乙女は静かに俺を見つめた。
俺も目を逸らさなかった。
ここは譲れない。
俺は聖人じゃない。
世界を救う英雄でもない。
原作主人公でもない。
でも、見てしまった死を放っておけないくらいには、たぶん馬鹿だ。
乙女は小さく息を吐いた。
「分かったわ。今はそれでいい」
助かった。
たぶん、見逃してくれた。
「ただし」
「まだあるんですか」
「あなたが何かを知っていて、それが人命に関わるなら、可能な範囲で教えなさい」
「可能な範囲で、なら」
「約束できる?」
俺はコハルの手の感触を意識した。
小さな手。
さっき、俺の死を変えてくれた手。
「約束します」
今度は、ほとんど本当だった。
全部は話せない。
でも、人が死ぬと分かっていて黙るのは、やっぱり無理だ。
乙女はうなずく。
「なら、今日は休みなさい」
「いや、まだ東京の三人が」
「休みなさい」
「はい」
二度目は逆らわないことにした。
コハルが俺の隣で、ほっとしたように笑う。
「アイちゃん、寝ていいよ」
「子守唄でも歌う気か?」
「歌えないけど、手は握ってる」
「それはそれで重い」
「嫌?」
「……嫌じゃねぇよ」
コハルは嬉しそうにうなずいた。
俺は天井を見上げる。
ガラケーは枕元。
その中にはアルテミス。
スキル欄にはパララレイ。
外ではジプスが動き、東京では久世響希が保護された。
一日目は、まだ終わっていない。
これからセプテントリオンが来る。
ポラリスの試練が始まる。
それぞれの思想がぶつかり、仲間たちは選択を迫られる。
俺はその全部を知っているようで、もう知っているとは言い切れない。
コハルを助けた。
乙女に保護された。
アルテミスと契約した。
それだけで、原作の外側に一本、知らない道ができた。
「……クソゲーだな、ほんと」
小さく呟く。
コハルが首を傾げる。
「くそげー?」
「難しすぎるゲームって意味」
「アイちゃん、ゲーム好きなの?」
「まあな」
「じゃあ、クリアできる?」
俺は少しだけ考えた。
クリア。
この世界でそれは、何を意味するんだろう。
生き残ることか。
コハルを守ることか。
久世響希たちと合流することか。
それとも、世界の結末を変えることか。
分からない。
だから、今言えることだけを言った。
「ゲームなら、投げなきゃいつかは進む」
「じゃあ、投げない?」
「投げねぇよ」
コハルは安心したように笑った。
「うん」
俺は目を閉じる。
眠気が、ようやく意識を引っ張り始めた。
遠くでサイレンが鳴っている。
誰かの怒鳴り声が聞こえる。
ジプスの職員が走る足音がする。
終末は、まだ進んでいる。
それでも、コハルの手がある。
枕元のガラケーには、月の女神がいる。
「……まずは、一日目を生き残る」
誰に言うでもなく呟いた。
その言葉を最後に、俺の意識は浅い眠りへ沈んでいった。
時計の針は17時半を指していた。