東方米花異聞   作:秋刀魚食べたい

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【前書き】

今回はコンビニ回・前編です。

アリスさん、夕食を買いに来ただけなのにまた事件に巻き込まれます。


第12話 コンビニの落とし穴・前編

アリス・マーガトロイド

 

夕食を買いに行くだけ。言葉にすれば、それだけのことだった。

 

人形工房マーガトロイドの扉を閉め、商店街へ出る。夜の手前の米花町は、昼より輪郭が柔らかい。店先の明かりがつき始め、通りには買い物袋を下げた人間が増えていた。

 

少し歩けば、夜でも開いている店がある。弁当も、惣菜も、飲み物も、細々した日用品も揃う。外の世界では当たり前なのだろうが、幻想郷の感覚で見ると、ずいぶん都合のいい場所だった。

 

駅前のコンビニは、外から見ても明るかった。硝子越しに、棚が見えた。弁当、菓子、雑誌、電池、傘。違う種類のものが、同じ明るさの下に整然と並んでいる。人形を置く場所ではなく、人間の用事を並べる場所だった。

 

扉をくぐると、店員の声が飛んでくる。

 

「いらっしゃいませー」

 

夕食を選ぶだけなら、迷うほどのことではないはずだった。けれど、弁当の棚の前で足が止まる。

 

炭火香る焼鳥弁当。だし香る親子丼。濃厚デミグラスの洋食プレート。

 

どれも、名前が長い。外の世界の食事は、料理名というより証言に近かった。炭火で焼いた。だしが香る。味が濃厚。ずいぶん多くを語っている。

 

けれど、語りすぎるものほど、少し疑わしい。

 

……いけない。

 

夕食を選びに来ただけで、取り調べを始めるところだった。

 

そう思いながら、弁当をひとつ手に取った。その時、入り口の鈴がまた鳴る。

 

「センセー、本当に辞めちゃうの?」

 

明るい声だった。振り返ると、女子高生が二人と、金髪の女性が入ってきた。

 

その金髪に、見覚えがある。バスの中で見た女。恐怖を演じるのが上手い女。

 

彼女は一瞬こちらを見て、すぐに笑った。

 

「Oh! バスジャックの時の人でーすね?」

 

「……こんばんは」

 

「偶然デース。お買い物?」

 

「夕食を」

 

「私たちもパーティーのお買い物デース」

 

女子高生の一人が、不思議そうにこちらを見る。長い黒髪。まっすぐな目。もう一人は明るい茶髪で、こちらを見るなり首を傾げた。

 

「あれ、ジョディ先生の知り合い?」

 

「前に少し。江戸川コナンたちと同じバスに乗り合わせたの」

 

黒髪の少女が、はっとしたように顔を上げる。

 

「もしかして、あのバスジャックの時ですか?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、アリスさん?」

 

今度はこちらが目を瞬かせた。

 

「私の名前まで聞いているの?」

 

「はい。コナン君から聞いてます。米花町で人形工房をやってらっしゃるんですよね?」

 

江戸川コナン。その名前が、弁当の棚の前で妙にはっきり聞こえた。

 

「……ええ。人形工房マーガトロイドよ」

 

「コナン君が、少し変わった人形屋さんだって」

 

「変わった?」

 

「あ、悪い意味じゃなくて」

 

黒髪の少女が慌てる。隣の茶髪の少女が、にやっと笑った。

 

「つまり、コナン君が気にしてる人ってことね」

 

「園子!」

 

鈴木園子。ジョディは楽しそうに笑っていた。

 

「こちら、毛利蘭さんと鈴木園子さん。私の大切な生徒でーす」

 

「生徒?」

 

「ジョディ先生、英語の先生なのよ」

 

園子が言った。

 

「今月で辞めちゃうんだけどね」

 

「辞める?」

 

「実家の都合デース」

 

ジョディは笑った。軽い声だった。けれど、軽すぎる。

 

「大切な宝物の地図、見つけましたから」

 

「だから何なのよ、それ」

 

園子が不満そうに言う。蘭も困ったように笑っていた。

 

「先生、最後まで教えてくれないんですよ」

 

ジョディは人差し指を唇の前に立てる。

 

「A secret makes a woman woman」

 

聞き慣れない英語だった。けれど、意味は何となく分かる。女は、秘密で女になる。

 

冗談めかした声なのに、そこだけ妙に本気に聞こえた。秘密を持つことに慣れている女の声だった。

 

月が満ちる夜、綺麗な顔ほど信じすぎないことね。

 

レミリアの声が、頭の奥で鳴る。ジョディは、こちらを見てにこりと笑った。

 

「あなたも、秘密ありそうデースね」

 

「人形店の店主に必要な程度には」

 

「Oh, cool」

 

楽しそうな声だった。けれど、その目は笑っているだけではない。この女は、こちらを覚えている。バスで見たことも、事件後にこちらがどう振る舞ったかも。

 

こちらも覚えている。そういう距離だった。

 

「絢、いるかな?」

 

蘭が店の奥へ声をかけようとした時だった。バックヤードの方から、怒鳴り声が聞こえた。

 

「いい加減にしろ! 正直に言わないなら、警察に来てもらうしかないんだぞ!」

 

店内の空気が変わる。ただの買い物の場所だったはずの棚の間に、怒りと疑いが混じった。追い詰められた者の息遣いが、白い明かりの下まで漏れてくる。

 

蘭と園子の表情が変わった。

 

「絢?」

 

二人は奥へ向かう。ジョディも続いた。こちらは弁当を持ったまま、その場に残る。

 

夕食を買いに来ただけ。そう言い聞かせるには、店の奥の声は大きすぎた。

 

仕方なく、棚の角から様子を見る。若い女性が、店長らしい男に詰め寄られていた。制服のエプロンをつけ、顔は強張っている。

 

七川絢。蘭がそう呼んだ。

 

「私、本当に盗ってません!」

 

「じゃあ、どうして君が閉めた日に限って商品が消えるんだ!」

 

店長の声は強い。強すぎる。怒りというより、すでに結論を決めてしまった者の声だった。

 

「売り上げと在庫が合わない。防犯カメラにも不審な客は映っていない。閉店後に出入りした人間もいない」

 

畳みかける声に、絢の肩が縮む。

 

「君しかいないだろう」

 

「そんな……」

 

蘭が一歩前へ出た。

 

「待ってください! 絢はそんなことする子じゃありません!」

 

「そうよ! 昔から真面目だったんだから!」

 

園子も続く。ジョディは二人の少し後ろで、店内を見ていた。店長、絢、防犯カメラ、奥の扉、トイレへ続く通路、床に積まれた箱。見る場所が、普通の教師とは少し違う。

 

それでも彼女は、明るい声を保っていた。

 

「マアマア。決めつけ、よくないデース」

 

「しかしですね」

 

店長は苛立っている。その奥に、疲れがあった。何度も繰り返された疑い。消えた商品。自分の店を守ろうとして、誰かを傷つけていることに気づけなくなった顔だった。

 

絢は、俯いたまま拳を握っている。嘘をついている者の手ではない。少なくとも、そう見える。

 

ただし、そう見えるだけだ。私は探偵ではない。そこは間違えない。

 

「怪しい人は?」

 

蘭が絢に尋ねた。

 

「よくトイレを借りに来るお客さんが三人いるの。ゲーム雑誌を読んでる男の人と、サラリーマンみたいな人と、節約に詳しいおばあさん」

 

「トイレ?」

 

通路の奥を見る。倉庫の近くにあるらしい。コンビニの店内を通り、バックヤードの近くを抜ける場所。売り場と裏側の境目。客と店員の境目。そこに、人がよく出入りする。

 

いかにも、何かが紛れそうな場所だった。

 

蘭はスマートフォンを取り出した。指が、画面の上で止まる。

 

「新一なら……」

 

新一。知らない名前だ。けれど、蘭の声だけで分かる。友人というより、もっと近い誰か。頼りたい相手。けれど、頼りきりにはなりたくない相手。

 

ジョディが軽く首を振る。

 

「No, Ran. すぐ人に頼る、よくないことでーす」

 

「でも……」

 

「まずは、あなたの目で見るデース」

 

明るい声。けれど、言葉の芯は明るくない。

 

蘭は唇を結んだ。友人を助けたい。けれど、何を見ればいいのか分からない。その迷いが、横顔に出ていた。

 

舞台に上がるのは、探偵だけではない。

 

ふと、そう思った。事件は起きる。誰かが疑われる。誰かが、それをほどかなければならない。たとえ、いつもの探偵がこの場にいなくても。

 

「ミス・アリス」

 

ジョディが声を落とした。

 

「あなたは、どう思いマース?」

 

「分からないわ」

 

即答すると、ジョディは楽しそうに目を細めた。

 

「早いデースね」

 

「分からないものを、分かったようには言えないもの」

 

店長が、不満そうにこちらを見る。蘭も、絢もこちらを見ていた。

 

事件のことは分からない。けれど、人形の不調なら、見る場所はある。

 

「昨日まで動いていたからくり人形が、今日だけ動かない。そういう時は、壊れた部品を疑う前に、昨日と今日で何が違うかを見るわ」

 

蘭が顔を上げた。

 

「昨日と今日で、違うこと……?」

 

「ええ。絢さんが盗んでいないのなら、絢さんがいる日にだけ、何かが変わっていることになる。彼女が何をしたかではなく、彼女がいることで何が変わるのか」

 

言ってから、自分でも首を傾げる。

 

「……人形なら、そう見るというだけよ。事件に当てはまるかは分からないわ」

 

蘭の目が、売り場から奥の通路へ動いた。

 

「絢、このお店って、今ほかに店員さんはいる?」

 

「うん。奥に……」

 

「話、聞いてもいいかな」

 

絢は戸惑ったあと、頷いた。店長は不満そうだったが、止めはしなかった。

 

奥から出てきた店員は、事情を聞くと考えるように腕を組んだ。

 

「七川さんが閉めた次の日は、奥の通路がいつも片づいてるんですよ。段ボールが寄せてあって、通りやすいんです」

 

「通りやすい?」

 

「はい。ほかの日は、品出しの箱がそのままになってることもあるんですけど。七川さん、几帳面だから」

 

絢は気まずそうに笑った。

 

「次の日の人が困らないようにしてるだけだよ」

 

## 毛利蘭

 

奥の通路を見ながら、アリスの言葉を思い出していた。

 

昨日まで動いていたからくり人形が、今日だけ動かない。壊れた部品を疑う前に、昨日と今日で何が違うかを見る。

 

事件に当てはまるかは分からない、とアリスは言った。けれど、その言葉は妙に頭に残っている。

 

絢が盗んだんじゃない。そう信じたいだけなら、いくらでも言える。けれど、それだけでは絢を助けられない。

 

絢が入った日だけ、何が変わるのか。

 

もう一度、通路を見る。トイレへ続く通路。倉庫の前。段ボールが片づけられた、通りやすい道。

 

そこを、誰が通るのか。

 

閉店後に、誰も外から入っていないのなら。最初から中にいた人は、どうなるのか。

 

胸の奥で、何かが小さく鳴った。分かった、とはまだ言えない。けれど、何かがそこにある気がした。

 

「さっき言ってた三人って、トイレを借りるだけ?」

 

絢は少し考えて、首を振った。

 

「ううん。何かしらは買っていくよ」

 

「何を買っていくか、覚えてる?」

 

「ゲーム雑誌を読んでいく人は、ガムとか。サラリーマン風の人は、電池とかタオルとか……。おばあさんは、安いものをよく見てる」

 

「電池……タオル……」

 

口に出しても、まだ形にはならなかった。頭の中で、通路とトイレと段ボールがばらばらに浮かんでいる。つながりそうで、つながらない。

 

けれど、ひとつだけ引っかかっていた。

 

閉店後に、誰も外から入っていない。それなら、外から入らなかった人はどうなるのか。

 

最初から、中にいた人は。

 

通路の奥を見る。絢が次の日の人のために空けておいた道。そこを、誰かが通ったのだとしたら。

 

でも、まだ言えなかった。

 

もし間違っていたら。

 

絢を助けるどころか、店長にも、ほかのお客さんにも迷惑をかける。トイレを借りに来ていただけの人を、疑うことになるかもしれない。

 

それに、天井裏に人がいるなんて。

 

そんなこと、本当にあるのだろうか。

 

園子が心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「ねえ蘭、何か分かったの?」

 

「まだ……分からない」

 

そう答えながら、スマートフォンを握り直した。

 

分からない。けれど、何もないとは思えない。

 

絢はまだ俯いている。店長は腕を組んだまま、不機嫌そうにこちらを見ている。ジョディ先生は何も言わない。ただ、見ている。笑っているのに、待っているような目だった。

 

まずは、あなたの目で見るデース。

 

先生の声が、まだ耳に残っていた。

 

自分の目で見る。自分で考える。そう思っているのに、あと一歩が足りない。

 

その時、手の中でスマートフォンが震えた。

 

画面に表示された名前を見て、息が止まる。

 

「新一?」

 

名前が、白い明かりの下に落ちた。

 

「うん……今、絢が疑われてて……」

 

早口で話し始める。

 

店の奥を見た。トイレへ続く通路。片づけられた段ボール。閉店後、誰も外から入っていない店。

 

まだ、確信はない。

 

けれど、電話の向こうの声を聞いた瞬間、言えなかった考えが、少しだけ輪郭を持った。







【後書き】
アリスさんはまだ弁当を買えていません。

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