東方米花異聞   作:秋刀魚食べたい

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第3話です。
今回はコナン視点で、人形工房マーガトロイドとの初遭遇回です。
アリス側の事情を知らないコナンたちから見ると、少しだけ違和感のある店、という温度感で書いています。


第3話 見知らぬ店

その店の前を通りかかった時、俺は一度だけ足を止めた。

 

理由を聞かれれば、うまく説明できなかったと思う。

 

米花町商店街の外れにある、小さな人形店。古びた木の扉、曇り硝子の窓、赤茶けたレンガ調の外壁。扉の上には、控えめな金文字で看板が掲げられている。

 

人形工房マーガトロイド

 

その下には、小さく英字が添えられていた。

 

Margatroid Doll Atelier

 

マーガトロイド。

 

英語圏の名字のようにも見える。けれど、少なくとも俺には聞き馴染みのない名前だった。人名なのか、屋号なのか、それとも別の何かなのか。

 

窓の向こうには、西洋人形が並んでいた。白い肌、硝子玉の目、細い指、レースのドレス。眠るように目を閉じたものもあれば、じっとこちらを見ているものもある。どれもよくできていて、古い商店街の一角に置かれているには少し目を引く。

 

けれど、見知らぬ店という感じはしなかった。

 

むしろ逆だ。

 

そこにあることが、妙に自然だった。昔からそこにあって、俺がただ気に留めていなかっただけ。そう思わせるだけの馴染み方をしている。

 

だからこそ、引っかかった。

 

「……こんな店、あったっけ」

 

俺が小さく呟くと、歩美ちゃんがすぐに顔を輝かせた。

 

「わあ、人形のお店だ! かわいい!」

 

元太は看板を見上げて、すぐに興味をなくしたように肩を落とす。

 

「なんだよ、うな重屋じゃねーのかよ」

 

「元太くん、人形店にうな重を期待するのは間違っています」

 

光彦は窓の向こうの人形を見ながら、素直に感心していた。

 

「でも、綺麗なお店ですね。西洋人形でしょうか。こういう球体関節人形、テレビで見たことがあります」

 

三人とも、店がいつからそこにあったかなんて気にしていない。それが普通だ。商店街の店を一軒一軒覚えている小学生なんて、そうはいない。

 

俺だって、普通ならそう思ったはずだった。

 

けれど、どうにも胸の奥に小さな棘が残った。

 

「コナンくん?」

 

歩美ちゃんが俺を見上げる。

 

「どうしたの?」

 

「いや……別に」

 

そう答えながら、俺はもう一度看板を見る。

 

人形工房マーガトロイド。

 

初めて見たような気がする。でも、前から知っていたような気もする。そんな曖昧な感覚が、妙に気持ち悪かった。

 

灰原哀だけは、歩美ちゃんたちとは違う顔で窓の向こうを見ていた。

 

「灰原?」

 

声をかけると、灰原は人形たちから視線を外さないまま、少しだけ目を細めた。

 

「……別に」

 

「何か感じたのか?」

 

「組織じゃないわ」

 

「まだ何も聞いてねえよ」

 

「だから言ったのよ。少なくとも、そういう嫌な感じじゃない」

 

灰原はそこで言葉を切り、窓の奥を見た。

 

「でも、あまり長居したくなる場所でもないわね」

 

その言い方は、恐怖というより警戒に近かった。黒ずくめの組織に反応する時のような、背筋が凍るような怯え方ではない。ただ、普通の店を見ている時の目でもなかった。

 

店の奥で、何かが動いた。

 

人形ではない。人影だった。

 

金色の髪を肩口で揃えた若い女。青を基調にした落ち着いた服。白いブラウスに、淡い色のエプロン。外国人のようにも見えるが、日本語の看板が並ぶ商店街の中で、不思議なくらい浮いていない。

 

その人は、窓越しにこちらを見た。

 

俺を見た、ような気がした。

 

ただ、その目は思っていたより柔らかかった。警戒しているというより、こちらの人数を見て、少しだけ困ったような顔をしている。

 

「ねえ、入ってみようよ!」

 

歩美ちゃんは完全に人形に夢中だった。

 

「えっ、勝手に入っていいんですか?」

 

「お店なんだからいいだろ。見るだけならタダだしよ」

 

元太が扉に手をかける。

 

俺は止めようとして、一瞬迷った。違和感の正体を確かめるには、都合がいい。

 

「まあ……見るだけならいいんじゃねえか」

 

そう言うと、歩美ちゃんは嬉しそうに扉を開けた。

 

からん、と小さな鈴の音が店内に落ちる。

 

一歩入った瞬間、外の商店街の音が少し遠くなった気がした。

 

埃っぽくはない。けれど、新しい店の匂いもしない。古い布、乾いた木、かすかな花のような香り。棚には人形が並び、作業机には針と糸、小さな靴、まだ目の入っていない人形の頭が置かれている。

 

古いのに、古くない。

 

新しいのに、新しくない。

 

そんな妙な印象だけが残る。

 

「いらっしゃい」

 

店の奥から、さっきの人が出てきた。

 

声は静かだった。けれど、冷たいわけじゃない。むしろ、子どもが五人も入ってきたことに、少し戸惑っているように聞こえた。

 

「……ええと、見るだけでも大丈夫よ。ただし、走らないこと。人形はあなたたちより転びやすいから」

 

「はい!」

 

歩美ちゃんが元気よく返事をする。

 

元太は棚の上の人形を見ながら、口を尖らせた。

 

「人形ってそんな転ぶか?」

 

「あなたが棚にぶつかれば、きっとね」

 

彼女は淡々と言った。怒っているわけではない。けれど、なぜか元太は「お、おう」と小さく返事をして一歩下がった。

 

歩美ちゃんは、淡い青いドレスを着た人形の前で目を輝かせている。

 

「この子、かわいい!」

 

「ありがとう。その子は少し気難しいの」

 

彼女が言った。

 

「人形なのに?」

 

歩美ちゃんが真剣に聞き返す。

 

「ええ。リボンを曲げて結ぶと、少し機嫌が悪そうに見えるでしょう?」

 

歩美ちゃんは人形の顔を覗き込んだ。

 

「ほんとだ! ちょっと怒ってるみたい!」

 

その瞬間、彼女は初めて小さく笑った。

 

ほんの少しだけだった。けれど、その笑い方は、さっき窓越しに見た時の謎めいた印象とは違っていた。人形の話をしている時だけ、少し肩の力が抜けるらしい。

 

光彦は別の棚を見て、興味深そうに目を細めている。

 

「すごいですね。この関節、球体関節ですか? 市販品とは少し作りが違うような……」

 

「よく見ているのね」

 

「えっ、あ、はい。こういう工芸品には少し興味があって」

 

「なら、触る時は両手で。大切なものを扱う時の基本よ」

 

「はい!」

 

光彦は背筋を伸ばして返事をした。こういうところは妙に律儀だ。

 

元太は人形の値札らしきものを見て、目を丸くした。

 

「うわっ、たっけえ!」

 

「元太くん!」

 

光彦が慌てる。

 

彼女は少しだけ眉を上げたあと、困ったように笑った。

 

「正直なのは悪いことではないけれど、お店の中では少し小さな声でお願いできるかしら」

 

「お、おう……」

 

「残念だけれど、うな重よりは高いわね」

 

「うな重何杯分だよ……」

 

「数えない方が幸せなこともあるわ」

 

歩美ちゃんがくすくす笑った。

 

俺はそのやり取りを見ながら、少しだけ印象を改めていた。この人は、ただの怪しい人間というわけじゃない。少なくとも、子どもに対して妙にきついわけではないし、人形のことになると普通に柔らかくなる。

 

けれど、それで違和感が消えたわけでもなかった。

 

店内を見回す。

 

棚の配置はきれいに整っている。人形の向きも不自然ではない。値札もある。レジらしきものもある。店として必要なものは、一応揃っている。

 

ただ、生活感が薄い。

 

古くからある店なら、どうしても残るはずの癖がある。客がよく触る棚の角。店主が何度も通る床の擦れ。長く置かれたものの周りにできる、埃の溜まり方の差。

 

そういうものが、どうにも薄い。

 

作られたばかりの店というわけでもない。古びてはいる。だが、時間が積もった古さではなく、古く見えるように整えられた古さに見えた。

 

俺は視線を作業机に移した。

 

机の上には、使いかけの糸巻きがいくつか転がっている。小さな裁ちばさみ。細い筆。人形の手首ほどの部品。どれも本物に見える。飾りじゃない。実際に使われている。

 

つまり、店は怪しいが、人形作りは本物。

 

そこがまた、妙だった。

 

「あのさ、お姉さん」

 

俺は子どもらしい声を作った。

 

彼女がこちらを見る。

 

「なあに?」

 

「このお店って、いつからあるの?」

 

灰原が横目で俺を見る。

 

彼女は、ほんの少しだけ言葉に詰まった。それは一瞬だった。けれど、俺は見逃さなかった。

 

「さあ。……店主が自分の店のことを“さあ”なんて言うのも、変だけれど」

 

彼女は少し困ったように笑った。

 

「外の世界の店というのは、思ったより覚えることが多いのよ。開店日とか、仕入れ先とか、ご近所への挨拶とか」

 

「外の世界?」

 

俺が聞き返すと、彼女は「あ」と小さく声を漏らした。そして、少しだけ目を逸らす。

 

「……町の外、という意味よ。言い方が変だったわね」

 

ごまかした。

 

しかも、今のは完全な失言だ。

 

灰原も気づいている。歩美ちゃんたちは気にしていないが、灰原だけは一瞬、俺と同じように彼女を見た。

 

「ふーん。僕、ここよく通るのに、あんまり覚えてないや」

 

「気に留めていないものは、案外覚えていないものよ」

 

「そうかな」

 

「私も、外の世界の交通ルールを全部覚えているわけではないし」

 

また外の世界と言った。

 

本人も気づいたのか、彼女は軽く咳払いした。

 

「……町の外、ね」

 

今度の言い直しも、自然とは言い難かった。

 

けれど歩美ちゃんたちは気にしていない。灰原も、それ以上は追及しなかった。組織の気配ではない、と判断した以上、深く関わる気はないのかもしれない。

 

この人、完璧に隠しているわけじゃない。

 

むしろ時々、言葉の端が妙にずれる。怪しい。けど、慣れていない。嘘をついているというより、慣れない役を演じているみたいだ。

 

それも、かなり急に。

 

「お姉さん、外国の人?」

 

歩美ちゃんが人形から顔を上げて尋ねた。

 

彼女はそちらを見る。

 

「そう見える?」

 

「うん!」

 

「なら、そういうことにしておきましょう」

 

「そういうこと?」

 

歩美ちゃんが首を傾げる。

 

彼女は、少し困ったように笑った。

 

「外国人かどうかより、人形を作っている人だと思ってもらえる方がありがたいわ」

 

「じゃあ、人形屋さん?」

 

「それなら合っているわね」

 

そこで、彼女は作業机の上に置かれていた小さな布を畳んだ。ほんの何気ない動作だったが、指先の動きは滑らかだった。糸の端を拾い、絡まないように寄せる。針を避け、部品を倒さない。手慣れている。

 

店主には慣れていない。

 

でも、人形には慣れている。

 

その差が、妙にはっきりしていた。

 

「この店、ひとりでやってるの?」

 

俺はもう少し聞いた。

 

「ええ。今のところは」

 

「今のところ?」

 

「店番を任せられる人形がいれば楽なのだけれど」

 

「人形に店番?」

 

俺が聞き返すと、彼女はまた「あ」と小さく声を漏らした。

 

「……冗談よ。そういう冗談は、こちらでは通じにくいのね」

 

こちら。

 

その言い方が、妙に引っかかった。

 

外国から来たという意味なら、おかしくはない。けれど、彼女の口ぶりは、日本と外国というより、もっと別の場所とここを分けているように聞こえた。

 

彼女は作業机の上の布を畳み直し、少し困ったように笑った。

 

「少し、店主に慣れていないだけよ」

 

店主に慣れていない。

 

その言い方が、妙に耳に残った。

 

普通、店を始めたばかりなら、そう言うこと自体はおかしくない。けれど、この店は昔からそこにあったような顔をしている。

 

店は古い。

店主は慣れていない。

 

その二つが、うまく噛み合っていなかった。

 

「でも、アリスさん、お店の人っぽいよ!」

 

歩美ちゃんが笑顔で言った。

 

「ありがとう。そう見えるなら助かるわ」

 

アリスは少しだけ安心したように笑った。

 

俺は棚の上の人形を見た。

 

その硝子玉の目が、こちらを見返している。

 

店も、人形も、店主も。

 

全部がそこにある。

 

なのに、どこかで少しずつ噛み合っていない。

 

この店、やっぱり変だ。

 

そう思った時、歩美ちゃんが彼女を見上げた。

 

「お姉さん、お名前は?」

 

あまりに素直な質問だった。

 

彼女は一瞬だけ目を瞬かせる。店名を見れば分かるでしょう、とでも言いかけたように見えたが、すぐに小さく笑った。

 

「アリス。アリス・マーガトロイドよ」

 

「アリスさん!」

 

歩美ちゃんは嬉しそうに名前を繰り返した。

 

「私は歩美。吉田歩美です!」

 

「小嶋元太だ!」

 

「円谷光彦です」

 

三人が次々と名乗る。

 

俺は一拍置いてから言った。

 

「江戸川コナン」

 

アリスの視線が、俺に留まった。

 

それはほんの一瞬だった。けれど、ただ名前を聞いたというより、名前と中身が合っているかを確かめるような目だった。

 

「江戸川コナン」

 

彼女は俺の名前を繰り返した。

 

「ええと……変な名前だった?」

 

俺が子どもらしく首を傾げると、アリスは少し困ったように目を逸らした。

 

「いいえ。覚えやすい名前だと思っただけよ」

 

ごまかした。

 

今の間は、名前を覚えた時の反応じゃない。

 

「こっちは灰原哀」

 

俺が言うと、灰原は軽く会釈しただけだった。

 

アリスは灰原を見る。その目が、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。

 

俺を見る時の目とは違う。探られているというより、触れてはいけないものを見つけたような目だった。

 

「あなたは……静かな子ね」

 

「よく言われるわ」

 

灰原はそっけなく返した。

 

二人の間に、妙な沈黙が落ちる。敵意じゃない。けれど、無関心でもない。相手が自分と同じように何かを隠していると、互いに分かっているような沈黙だった。

 

「それで、アリスさん」

 

俺は笑顔を作って尋ねた。

 

「このお店、これからずっとここでやるの?」

 

「そのつもりよ」

 

「そのつもり?」

 

「予定は変わるものだから」

 

「ふーん」

 

予定。

 

店主。

外の世界。

慣れていない。

 

頭の中で、引っかかった言葉が並んでいく。

 

どれも決定的な証拠じゃない。けれど、全部を偶然で片づけるには少し多い。

 

その時、店の奥で何かが動いた。

 

今度は見間違いじゃない。

 

小さな人形だった。手のひらほどの大きさ。青い服。金色の髪。棚の影から半分だけ顔を出し、こちらを見ていた。

 

次の瞬間には、もういなかった。

 

俺は反射的に天井を見た。糸はない。棚の下、床、壁。どこかに仕掛けがあるのか。ラジコン、小型ロボット、磁石、ワイヤー。博士なら似たようなものを作りかねない。だから、ありえないとは言えない。

 

けれど、今の動きは機械にしては妙だった。ぎこちなさがない。音もない。

 

「どうかした?」

 

アリスが言う。

 

俺はすぐに子どもの顔へ戻した。

 

「ううん。今、小さい人形が動いた気がして」

 

「気のせいでしょう」

 

そう言ってから、アリスは少しだけ視線を逸らした。

 

「……たぶん」

 

たぶん?

 

「動くの?」

 

歩美ちゃんが目を輝かせる。

 

「動かないわ」

 

アリスは即答した。

 

その少し慌てた言い方が、逆に怪しかった。

 

「本当に?」

 

「少なくとも、お客さんの前では動かないことになっているわ」

 

「ことになっている?」

 

光彦が聞き返す。

 

アリスは一瞬だけ黙り、そして小さく息を吐いた。

 

「今のは忘れてちょうだい」

 

「アリスさんって、ちょっと面白いね!」

 

歩美ちゃんが笑う。

 

アリスは少し困った顔をした。

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

俺は黙ってアリスを見ていた。

 

謎めいている。

 

でも、完璧ではない。

 

少なくとも、全部を見透かしているような余裕のある大人ではなかった。むしろ、外の世界という舞台に慣れないまま、何とか店主の役をこなそうとしているように見える。

 

それが逆に、気になった。

 

灰原が小さく言った。

 

「帰りましょう」

 

「えー、もう?」

 

歩美ちゃんが残念そうにする。

 

「博士のところへ行くんでしょう」

 

「そうだった!」

 

元太が手を打った。

 

「博士んちでゲームするんだった!」

 

「元太くん、目的が変わっています」

 

光彦が律儀に突っ込む。

 

「また来てもいい?」

 

歩美ちゃんが尋ねる。

 

アリスは少しだけ表情を柔らかくした。

 

「ええ。走らないなら」

 

「うん!」

 

「あと、棚の奥には手を入れないこと」

 

「はーい!」

 

「特にあなた」

 

アリスは元太を見る。

 

「え、俺?」

 

「あなたが一番、棚にぶつかりそうだから」

 

「ぶつかんねーよ!」

 

元太がむくれる。アリスは、ほんの少し笑った。

 

からん、と鈴が鳴った。

 

店を出た瞬間、商店街の音が戻ってくる。自転車のベル、八百屋の呼び声、遠くを走る車の音。たった今まで、別の場所にいたような気がした。

 

俺は振り返った。

 

人形工房マーガトロイド。そこに店はある。看板も、扉も、人形も、全部ある。

 

なかった、と言い切れるほどの確信はない。けれど、昔から知っていたと言えるほどの記憶もない。

 

こんな感覚は、あまり気持ちのいいものじゃない。

 

「江戸川くん」

 

灰原が小声で言った。

 

「何だ」

 

「深入りしすぎない方がいいわ」

 

「組織じゃないんだろ?」

 

「組織じゃないからって、安全とは限らない」

 

それはその通りだった。

 

「でも」

 

灰原は少しだけ店の方を見た。

 

「悪意は感じないわ」

 

「珍しいな。お前がそう言うの」

 

「悪意がないことと、面倒ごとがないことは別よ」

 

それもまた、その通りだった。

 

俺はもう一度、店の窓を見た。硝子の向こうに、アリスの姿はない。代わりに、棚に並ぶ人形の一つがこちらを向いている。

 

さっきまでは、違う角度を向いていた気がする。

 

「……気のせい、か」

 

俺は呟いた。

 

だが、そう言いながら自分でも分かっていた。

 

気のせいで片づけるには、あの店は少しだけ静かすぎた。

 

その夜、俺は何気なくスマホの写真を見返していた。

 

きっかけは、本当にただの偶然だった。元太が数日前にふざけて撮った商店街の写真。光彦が変な顔をして、歩美ちゃんが笑っていて、俺が半分見切れている。そんな、どうでもいい写真だった。

 

けれど、その背景に、あの角が写っていた。

 

俺は画面を拡大した。

 

人形工房マーガトロイドがあるはずの場所。今日、歩美ちゃんたちと入った店。アリス・マーガトロイドがいた場所。

 

そこに写っていたのは、錆びたシャッターの空き店舗だった。

 

日焼けした「テナント募集」の貼り紙。剥がれかけたテープ。曇ったガラス。

 

俺はしばらく、画面を見つめた。

 

記憶違いじゃない。少なくとも数日前、あの場所に人形店はなかった。

 

じゃあ、今日見たあの店は何だ?

 

俺はスマホを握りしめた。

 

人形工房マーガトロイド。

 

米花町に、またひとつ、妙な謎が増えた。




ここまで読んでいただきありがとうございます。
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