東方米花異聞   作:秋刀魚食べたい

4 / 7
なかなか事件が始まらなくて飽きられないか不安だったりします。



第4話 前夜の鏡

 

扉の鈴が鳴り終わっても、アリスはしばらくその場を動かなかった。

 

店内には、子どもたちの声の残り香のようなものが残っている。棚の上の人形たちは、いつも通り黙っていた。外の商店街からは、自転車のベルと、遠くの八百屋の呼び声が聞こえてくる。

 

静かだった。

 

静かすぎて、さっきまで本当に子どもたちがいたのか、少し疑わしくなるほどだった。

 

アリスはカウンターに手をつき、小さく息を吐いた。

 

「……店主って、思ったより難しいのね」

 

棚の影から、青い服の小さな人形が顔を出した。上海人形だ。先ほど、江戸川コナンに見られかけた。いや、ほとんど見られていた。

 

アリスはそれを見て、少しだけ眉をひそめた。

 

「あなたもよ。お客の前で勝手に出てこない」

 

上海人形は答えない。ただ、首を傾げるようにわずかに動いた。

 

「何よ。気になったのは分かるけれど」

 

人形はまた黙っている。

 

アリスは、コナンたちが出て行った扉を見る。

 

普通の子どもたちだった。

 

少なくとも、三人は。

 

吉田歩美は、素直に人形をかわいいと言った。小嶋元太は、人形店にうな重を求めた。円谷光彦は、関節の構造に目を向けた。三人とも外の世界の子どもとしては少し賑やかで、少し無防備で、そしてごく自然だった。

 

問題は、残りの二人。

 

灰原哀。

 

あの少女は、子どもにしては静かすぎる。恐怖を知っている者の目をしていた。けれど、こちらを見た時の反応は恐怖ではなかった。警戒。観察。諦めに似た冷静さ。そのどれもが、小学生の少女には少し重すぎる。

 

そして、江戸川コナン。

 

アリスは机の上のメモに、その名前を書いた。

 

江戸川コナン。

 

名前は子どものものだった。姿も子どものものだった。声も、笑い方も、店主に質問する時の調子も、いかにも小学生らしく作られていた。

 

作られていた。

 

アリスは、そこに引っかかった。

 

最初から何かを見抜いたわけではない。紫のように、境界の向こう側まで覗けるわけでもない。

 

それでも、あの子は見方が違った。

 

人形を見ているようで、人形だけを見ていない。

 

棚の並び、床の擦れ、作業机の道具、私が答えるまでの間。

 

目に見えるものを拾い集めて、そこにないはずの何かを見ようとしていた。

 

店の違和感にも、たぶん気づきかけている。

 

「よく見る子ね」

 

そう呟いてから、アリスは苦笑した。

 

それだけなら、あの光彦という少年もよく見ていた。だが、あちらの視線は好奇心だった。コナンの視線は、疑いだった。

 

奥の鏡が、かすかに揺れた。

 

水面のような波紋が広がり、その向こうに八雲紫の姿が浮かぶ。相変わらず、何もかも分かっているような顔をしていた。

 

「初日から繁盛しているようね」

 

「子どもが五人来ただけよ。しかも一人はうな重を探していたわ」

 

「外の世界の商売は難しいのね」

 

「他人事みたいに言わないで。あなたが用意した店でしょう」

 

紫は扇で口元を隠して笑う。

 

「よく似合っていたわ。人形店の店主」

 

「似合っていることと、うまくできることは別問題よ。帳簿の場所も、仕入れ先も、ご近所付き合いも、何一つ分からないのだけれど」

 

「大丈夫よ。必要な書類も、仕入れ先との記録も、昔からあったように整えてあるわ」

 

「昔からあったように、という言い方が一番信用できないのだけれど」

 

「細かい綻びは、店主のあなたが埋めればいいわ」

 

「それを大丈夫とは言わないのよ」

 

紫は扇の向こうで笑った。

 

アリスは深く息を吐いた。

 

「それで、どうだったの?」

 

紫の声が少しだけ低くなった。

 

アリスは机の上のメモに視線を落とす。

 

「江戸川コナンという子に会ったわ」

 

「あら」

 

「知っているの?」

 

「知らないわ」

 

紫はあっさりと言った。

 

「でも、あなたが初日に名前を報告するくらいには、気になったのね」

 

「気になる子だった。見た目は小学生。けれど、見方が違う」

 

「見方?」

 

「目に見えるものから、見えていないものを探そうとしていた。店の違和感にも、たぶん気づきかけている」

 

「たぶん?」

 

「まだ確信はしていないと思う。境界は効いているわ。彼自身も、あったような気もする、なかったような気もする、という顔をしていた」

 

「それでも足を止めた」

 

「ええ」

 

紫は楽しそうに目を細めた。

 

「いいわね」

 

「よくないわ。初日から綻びを見つけられるなんて、先が思いやられる」

 

「綻びを見つける子だから、必要なのかもしれないわ」

 

アリスは黙った。

 

紫が言いたいことは分かる。

 

米花町で起きる小さな異変。外の世界ではただの出来事として処理されるはずのもの。だが、それがこの町では一度歪みとして浮き上がり、なぜかほどけていく。

 

紫が感知したのは、事件そのものではない。事件の後に残るはずの歪みが、誰かによってほどかれているという事実だった。

 

「私は異変そのものを見られるわけじゃないわ」

 

アリスは、机の上の糸巻きを指先で転がした。

 

「ただ、人形を動かす時には、糸の張り方を見るでしょう。見える糸だけじゃない。魔力の流れ、意識の向き、動かすものと動かされるものの関係。そういうものを、私はずっと扱ってきた」

 

「だから、人と人の間に張ったものも見える?」

 

紫が面白そうに尋ねる。

 

「見える、というより、引っかかるのよ。嘘をついている者、恐れている者、何かを隠している者。そういう人間が同じ場所に集まると、糸が絡んだように感じる」

 

「それで十分よ」

 

「十分ではないわ。絡まっていることは分かっても、どの糸が何に繋がっているかまでは分からない。犯人を当てることも、事件を解くこともできない」

 

「それは、外の世界の者がすることでしょう?」

 

紫はそう言って笑った。

 

アリスは小さく息を吐いた。

 

「だから私を行かせたのね」

 

「ええ。あなたは現場で、糸が絡んでいることだけを見ればいい。誰がそれをほどくのかは、また別の話」

 

「便利に使われている気がするわ」

 

「適材適所よ」

 

「そういう言葉で雑な依頼を包むの、やめた方がいいと思う」

 

紫は聞かなかったことにしたように、扇を揺らした。

 

「もう一人、灰原哀という少女もいたわ」

 

アリスは続けた。

 

紫の目が細くなる。

 

「その子も?」

 

「ええ。彼女は私を怖がってはいない。でも、普通の子どもの反応でもなかった。何かから逃げている者の目をしている。名前も、たぶんそのまま受け取らない方がいい」

 

「外の世界には、名前の境界が曖昧な子どもが多いのかしら」

 

「少なくとも、今日の店には二人来たわ」

 

「面白いわね」

 

「私は面白がるために来たわけではないのだけれど」

 

「でも、興味はあるでしょう?」

 

アリスは答えなかった。

 

興味はある。

 

それは否定できない。

 

江戸川コナン。灰原哀。二人とも、ただの子どもではない。だが、妖怪でも魔法使いでもない。外の世界の理の中で、何かを隠して生きている。

 

奥の鏡が、もう一度揺れた。

 

紫の背後に、別の色が滲んだ。

 

紅い。

 

夜よりも濃い紅。水面の向こうで、小さな影が椅子に腰かけているように見える。

 

「呼んだのはそちらでしょう?」

 

幼さを残した声だった。けれど、その響きは子どものものではない。退屈を嫌い、世界が自分に従うことを疑わない者の声。

 

「レミリア?」

 

アリスは眉をひそめた。

 

「あなたまで関わっているの?」

 

「関わっている、というほど親切ではないわ。ただ、少し引っかかっただけ」

 

レミリア・スカーレットは、退屈そうに頬杖をついた。

 

「引っかかった?」

 

「運命の裾が、変なところで撓んでいるのよ。町の外へ向かう鉄の箱。子ども。銃声。赤い文字。割れる硝子。それから、燃える匂い」

 

アリスは無言になった。

 

レミリアは、軽く目を伏せる。

 

「赤い文字だけは、やけにはっきり残っているわ」

 

「……随分と物騒ね」

 

「運命なんて、見え方はいつも物騒よ。綺麗な時もあるけれど」

 

「それで、鉄の箱というのは?」

 

「知らないわ」

 

レミリアはあっさりと言った。

 

「そこはパチェに聞いたの。外の世界で人を乗せて町の外へ向かう鉄の箱なら、バスか電車ではないかしら、ですって」

 

「ずいぶん曖昧ね」

 

「私に言わないで。私は外の世界の乗り物に詳しくないもの」

 

「パチュリーでも断定できないの?」

 

「断片だけではね。絵葉書の端だけ見せて、場所を当てろと言っているようなものよ」

 

紫が扇で口元を隠したまま、静かに続けた。

 

「でも、候補としては十分よ」

 

アリスは紫を見る。

 

「十分?」

 

「外の世界からこちらへ届きかけている揺らぎがある。レミリアは、その周辺の運命の断片を感じた。パチュリーは、その断片から乗り物の候補を出した」

 

「そしてあなたは?」

 

「米花町から外へ向かう流れを見る」

 

紫が言った。

 

「駅へ向かう流れ、郊外へ向かう流れ、行楽地へ向かう流れ。町の中で生まれた揺らぎが外へ出るなら、そういう場所を通る」

 

「バスか電車かも分からないのに?」

 

「分からないわ。ただ、鉄の箱というなら、電車よりバスの方が形としては近いでしょう?」

 

「そんな決め方でいいの?」

 

「決めてはいないわ。可能性が少し高い方から見るだけ」

 

紫は、まるで天気の話でもするように言った。

 

「米花公園前に、バスの乗り場がある。町の外へ向かう流れも、行楽地へ向かう流れも、いくつかそこで重なる。まずはそこで待ちなさい」

 

「つまり、場所を特定したわけではないのね」

 

「ええ。観測点よ」

 

紫は言った。

 

「何が起きるかまでは分からない。バスなのか電車なのかも断定できない。ただ、強く絡まった流れが来れば、あなたには分かるでしょう」

 

アリスは小さくため息をついた。

 

「絡まっているものに乗れ、ということね」

 

「ええ」

 

「簡単に言うわね」

 

「簡単ではないから、あなたに頼んでいるのよ」

 

「褒められている気がしないわ」

 

「褒めているわ」

 

「余計に信用できない」

 

レミリアは頬杖をついたまま、つまらなそうに、それでいてどこか楽しそうに言った。

 

「せいぜいよく見てきなさい。退屈はしないはずよ」

 

「あなた、本当に楽しんでいるでしょう」

 

「もちろん」

 

レミリアは悪びれもせずに言った。

 

「退屈よりは、事件の方がましだもの」

 

アリスは鏡の中の二人を見る。

 

境界を操る妖怪。

運命に触れる吸血鬼。

 

どちらも、肝心なことを全部は言わない。

 

「明日、米花公園前で待つ。町の外へ向かう流れを見る。糸が絡まっているものを選ぶ。乗った後は、観測のみ」

 

アリスは確認するように言った。

 

「そう」

 

紫が満足げに頷く。

 

「外の世界の出来事は、外の世界の者が解くべきよ。あなたは犯人を捕まえる必要はない。答えを出す必要もない。ただ、外の世界の歪みが、どうやってほどけるのかを見なさい」

 

「見るだけ、ね」

 

「基本は」

 

アリスは紫を睨んだ。

 

「その基本という言葉、嫌いになりそう」

 

「予定は、現場で変わるものよ」

 

「最初からそう言うなら、予定とは呼ばないわ」

 

レミリアが小さく笑った。

 

「まあ、壊さない程度に見てくればいいわ。外の世界の箱が、どれほど頑丈なのかは知らないけれど」

 

「不吉な言い方をしないで」

 

「運命は、いつだって少し不吉なものよ」

 

レミリアはそう言って、紅い影の中へ溶けていく。

 

紫もまた、扇を閉じた。

 

「気をつけて」

 

「あなたがそれを言うと、逆に不安になるわ」

 

「あら。心配しているのよ」

 

「なら、もっと早く言いなさい」

 

紫はくすくす笑い、鏡の波紋の向こうへ消えた。

 

部屋には静けさが戻る。

 

棚の上の上海人形が、いつの間にかアリスの方を見ていた。

 

「あなたも来るのよ」

 

アリスは言った。

 

「ただし、勝手に動かないこと。今日みたいに見られたら困るわ」

 

上海人形は小さく首を傾げる。

 

「気になるからって、顔を出さない。特にあの江戸川コナンという子の前では」

 

人形は黙っている。

 

アリスは小さく笑った。

 

「もっとも、あの子相手だと、隠れていても見つかりそうだけれど」

 

そう言ってから、アリスは窓の外を見た。

 

夜の米花町は静かだった。昼間の商店街の喧騒も、子どもたちの声も、今はない。けれど、その静けさの下に、いくつもの糸が絡んでいるように感じる。

 

秘密を持つ子ども。

恐怖を隠す少女。

外の世界に縫い込まれた人形店。

運命の吸血鬼が感じた、鉄の箱と赤い文字。

 

アリスは机の上のメモに、明日の予定を書き加えた。

 

米花公園前。

町の外へ向かうバス。

仕入れ。

観測のみ。

 

最後の一行だけ、少し強く書いた。

 

介入しない。




ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白いと思っていただけたら、評価や感想をいただけると嬉しいです。
誤字報告や違和感のある部分の指摘も歓迎です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。