東方米花異聞   作:秋刀魚食べたい

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導入が長かったわけですが、ようやく事件発生です。

あと日間ランキングにこっそりランクインしてました〜!250位とかですが笑 嬉しいものは嬉しいです
皆さんのおかげです 


第5話 謎めいた乗客・前編

翌日、アリスは予定より少し早く人形工房を出た。

 

表向きの理由は、仕入れだった。布、糸、古い部品、外の世界の人形に使われる素材。そう言っておけば、多少遠くへ出かけても不自然ではない。

 

実際、鞄の中には仕入れ用のメモと、小さな財布と、上海人形が入っている。

 

ただし、本当の目的は少し違う。

 

紫は、米花町から町の外へ伸びる揺らぎがあると言った。レミリアは、町の外へ向かう鉄の箱、子ども、銃声、赤い文字、割れる硝子、燃える匂いを口にした。

 

ずいぶん物騒な仕入れになりそうだった。

 

米花公園前の停留所で、二本のバスを見送った。

 

一本目は違った。人の流れはあるが、糸が薄い。

 

二本目も違った。賑やかではあるが、絡まりがない。

 

春先の朝は、思ったより暖かかった。けれど、停留所に集まる人々の中には、スキー板や大きな荷物を抱えた者もいる。町の空気と、雪の残る山へ向かう空気が、同じ停留所で奇妙に混じっていた。

 

三本目のバスが近づいてきた時、鞄の中の上海人形がかすかに震えた。

 

鞄の中の震えで、探していたものが来たのだと分かった。

 

「これね」

 

バスが停まり、ドアが開く。

 

大きめの鞄を抱え直し、バスへ乗り込む。

 

「あっ、アリスさん!」

 

少女の声がした。

 

吉田歩美だった。彼女は座席から身を乗り出し、嬉しそうに手を振っている。隣には小嶋元太と円谷光彦。少し前の席には阿笠博士と灰原哀。そして窓際に江戸川コナンがいた。

 

「おはよう」

 

軽く会釈を返す。

 

「アリスさんもスキーに行くの?」

 

「いいえ。私は途中まで。人形の材料を見に行くの」

 

用意しておいた答えだった。昨日よりは自然に言えたと思う。

 

「人形の材料って、布とかですか?」

 

光彦が興味深そうに尋ねる。

 

「布も、糸も、古い部品も。店にいるだけでは見つからないものがあるから」

 

「へえー」

 

元太の反応は薄かった。スキー場で何を食べるかの方が大事らしい。

 

阿笠博士は鼻を赤くして、何度かくしゃみをしていた。

 

「ハ、ハックション!」

 

「博士、大丈夫?」

 

歩美が心配そうに身を乗り出す。博士は鼻をこすりながら、子どもたちを安心させるように笑った。

 

「なあに、ちょっと鼻がむずむずするだけじゃよ。せっかくのスキーなんじゃ、これくらい何ともないわい」

 

「でも、風邪なら無理しない方がいいですよ」

 

光彦が心配そうに言う。

 

「そうだよ博士。ペンションに着いたら、少し休んだ方がいいよ」

 

歩美が続けた。

 

「無理すんなよ、博士」

 

元太もそう言った。

 

「なあに、心配いらん。着く頃には治っとるわい」

 

博士は笑ってみせたが、また小さく鼻をすすった。灰原哀は、呆れたように横目で博士を見ていた。

 

江戸川コナンだけが、ふとこちらを見た。

 

昨日、人形店で目に見えるものから見えないものを拾おうとしていた時と同じ目だった。

 

彼らから少し離れた席を選び、鞄を膝に置く。指先で留め具を確かめる。中の上海人形は静かにしていた。

 

続いて、明るい金髪の外国人女性が乗ってきた。

 

子どもたちが「ジョディ先生」と呼んでいる。彼女は陽気に手を振り、車内の空気をもう一段明るくした。

 

その後ろから、青年が乗り込む。

 

こちらは「新出先生」と呼ばれていた。子どもたちの知り合いらしく、落ち着いた雰囲気の青年だった。

 

最後に、黒いニット帽にマスクの男が乗ってきた。

 

彼は誰とも挨拶をしなかった。ただ、車内を一度だけ見渡し、空いている席へ向かう。

 

その三人が通路を進む間に、灰原哀の肩が小さく強張った。

 

彼女は顔を上げなかった。

 

さっきまで博士の風邪を呆れたように見ていた少女が、膝の上で手を握り込んでいる。うつむいたまま、まるで誰かの視線から自分を隠そうとしているようだった。

 

恐怖。

 

けれど、銃も刃物もまだ出ていない。誰かが怒鳴ったわけでもない。だから、その恐怖は今この瞬間に生まれたものではない。もっと古く、もっと冷たい。どこかから追ってきたものが、同じ箱の中に入ってきた時の恐怖だった。

 

灰原は、隣の少年の袖を掴んだ。

 

「工藤君……私を隠して……」

 

かすかな声だった。車内のざわめきに紛れれば、普通の人間なら聞き逃すかもしれない。

 

けれど、その音だけは耳に残った。

 

工藤君。

 

江戸川コナンではなく。

 

コナンの表情が、一瞬だけ変わった。驚きではない。焦りでもない。彼は灰原の様子を見て、すぐに車内へ視線を走らせる。

 

ジョディと呼ばれた教師。

 

新出と呼ばれた青年。

 

黒いニット帽の男。

 

こちらにも、一瞬だけ視線が来た。

 

そして他の乗客たち。

 

誰に反応したのか。

 

おそらく、彼はそれを探している。

 

灰原の恐怖は、こちらに向けられたものではない。

 

それだけは分かる。

 

だが、誰に向けられたものなのかまでは分からない。

 

車内には、すでに秘密が多すぎた。

 

バスのドアが閉まり、車体がゆっくりと動き出す。窓の外の景色が流れ始めた。米花公園前の停留所が後ろへ離れていく。

 

鞄の上で、指先に力が入った。

 

何かが起きる。

 

そう思った瞬間だった。

 

前方で、スキーウェアの男が立ち上がった。

 

最初は、ただ席を移るだけに見えた。けれど、彼の手には拳銃が握られていた。ほぼ同時に、もう一人の男も立ち上がる。その手にも銃がある。

 

「全員、動くな!」

 

怒鳴り声が、車内を切り裂いた。

 

さっきまで博士のくしゃみや子どもたちの声で少し緩んでいた空気が、一瞬で凍りつく。誰かが短く悲鳴を上げ、犯人の怒声がそれを押し潰した。

 

動かない。

 

今、ここで上海を出すべきではない。

 

鞄の中の上海人形にも、まだ命令は送らない。

 

バスは走り続ける。窓の外では、何も知らない春先の町が流れていく。

 

走る密室。

 

ようやく分かった。

 

紫が言っていた揺らぎは、この場所に乗っていたのだ。

 

犯人たちは乗客を脅し、携帯電話を集め、拘留されている仲間の釈放を要求した。外の世界の犯罪に詳しいわけではない。だが、銃を向けて恐怖で人を従わせることが、どの世界でもまともな手段ではないことくらいは分かる。

 

江戸川コナンの視線は、犯人たちを追っていた。

 

怖がっていないわけではない。恐怖を理解していないわけでもない。けれど、彼は恐怖に足を止めない。銃口、犯人の立ち位置、運転手の手元、乗客の配置、後部座席の三人。彼の視線は、まるで細い糸をたぐるように車内を渡っていた。

 

彼が何に気づき、何を疑っているのかまでは分からない。

 

けれど、彼がこの場をただの恐怖として見ていないことは分かった。彼は犯人だけを見ていない。乗客の中にある不自然さを探している。

 

黒いニット帽の男。

 

補聴器をつけた老人。

 

風船ガムを噛む女。

 

その周囲には、糸が濃い。

 

ただし、どれがこの事件の糸なのかは分からない。黒いニット帽の男は、確かに何かを隠している。だが、その隠し方は犯人のものとは違う。補聴器の老人もまた、見えるものと聞こえるものの境界が曖昧だった。そして風船ガムの女。彼女は恐怖を隠しているのではなく、恐怖を必要としていないように見えた。

 

思わず、息を吐いていた。

 

このバスには、絡んだ糸が多すぎる。

 

その時、ジョディと呼ばれた教師が動いた。

 

一見すれば、ただの偶然だった。バスの揺れに合わせて、彼女の足が通路へ滑り出る。近づいてきた犯人がそれに引っかかり、体勢を崩す。乗客たちが息を呑み、犯人が怒鳴る。

 

ジョディは大げさに慌てた。恐怖で足がもつれた外国人教師。そう見える表情を、彼女は瞬時に作っていた。犯人は苛立ったが、それ以上は深追いしない。

 

偶然にしては、出来すぎている。

 

足を出す角度。タイミング。引っ込める速さ。失敗した人間に見せるための表情。どれもよくできていた。よくできすぎていた。

 

恐怖を演じるのが上手い女。

 

そう記憶しておく。

 

江戸川コナンの目も、それを追っていた。驚きより先に、利用できるものを見つけた目をしていた。あの子は車内のすべてを、少しずつ手駒に変えていく。

 

コナンは、耳元の小さな道具で外へ連絡しようとしていた。だが、それはすぐに犯人に見つかり、取り上げられる。普通の子どもなら、そこで手を止める。だが、彼は止まらなかった。

 

道具を奪われた後も、視線だけは動いている。

 

後部座席。

 

犯人。

荷物。

運転席。

乗客たち。

 

一つ失っても、別の道を探している。

 

やがてコナンは、スキー用具の袋へ近づこうとした。犯人の一人がそれに気づき、怒鳴り声を上げる。銃口が、小さな身体へ向いた。

 

「何してやがる!」

 

乗客たちが息を呑んだ。

 

その時、新出と呼ばれた青年が動いた。

 

彼は、コナンと銃口の間に身体を入れた。

 

「ただの子供のいたずらじゃないですか!」

 

その声には、はっきりと焦りが滲んでいた。取りなす言葉ではあっても、穏やかではない。声よりも先に、身体が動いていたように見える。

 

犯人の一人が苛立ち、銃を動かす。

 

新出と呼ばれた青年は、退かなかった。

 

その表情も穏やかではなかった。張りつめた目で犯人を見据え、子どもを撃たせまいとしている。肩にも、指先にも、隠しきれない緊張があった。

 

その必死さは、演技には見えなかった。

 

少なくとも、江戸川コナンを守ろうとしたこと自体は本物に見える。

 

だが、もう一人の犯人がそれを止めた。

 

「よせ!」

 

短い声だった。子どもを撃たせたくなかったからではない。銃弾が逸れた時に困る何かがあるからだ。

 

スキー用具の袋。

 

その瞬間、コナンの目が変わった。彼は今、気づいたのだ。袋の中にあるものに。犯人たちが守ろうとしているものに。

 

爆弾。

 

新出と呼ばれた青年は、まだコナンの前に立っていた。犯人が銃を下げた後も、すぐには退かない。張りつめたまま、コナンを背に庇っている。

 

それなのに、顔と中身がぴたりとは合わない。

 

人形の顔を、別の胴体に嵌めた時のようなずれ。けれど、糸の先にある感情まで偽物とは限らない。

 

断定はできない。

 

この車内には秘密が多すぎる。今は覚えておくだけでいい。

 

やがて、バスがトンネルへ入った。

 

窓の外の春先の光が消え、車内が一段暗くなる。天井の灯りだけでは、乗客の表情までははっきり見えない。恐怖にうつむいた者の顔も、何かを隠す者の顔も、影の中へ沈んでいく。

 

その暗がりの中で、犯人たちは動いた。

 

新出と呼ばれた青年と、黒いニット帽の男が前へ出される。二人に、犯人たちのスキーウェアが押しつけられた。

 

服を着せ替える。

 

それだけで、人は別の役を背負わされる。乗客が犯人に、犯人が乗客に、守る側が撃たれる側に変わる。外の世界の犯罪は、ずいぶん乱暴な人形遊びをする。

 

新出と呼ばれた青年は、スキーウェアを受け取りながらも、子どもたちの方へ一瞬だけ視線を向けた。さっきコナンを庇った時の緊張が、まだ肩の動きに残っているように見えた。

 

黒いニット帽の男は、黙ったままだった。命令され、服を押しつけられ、犯人に仕立てられようとしている。それなのに、その目は人質のものにしては静かすぎた。

 

暗い車内で、役が入れ替わろうとしている。




ここまで読んでいただきありがとうございます。

今回は原作「謎めいた乗客」の前編です。
アリスはまだ観測者として、バスの中で絡まっていく糸を見ています。

少しでも面白いと思っていただけたら、感想・評価・誤字報告など、なんでもいただけると嬉しいです。
次回は後編、バスジャック事件の決着まで扱う予定です。

明日からは1日1本ペースになります。更新止まったら書き溜め尽きたと思ってください 
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