冬木市の夜は、少しずつ壊れ始めていた。
最初は些細な違和感だった。
深夜の失踪事件。
河川敷で見つかった血痕。
行方不明になった浮浪者。
家出として処理された子供達。
警察は関連性を見出せない。
当然だった。
遺体が見つからない。
目撃証言も曖昧。
共通点も薄い。
だが、それでも冬木の空気は確実に変わっていく。
夜を歩く人間が減った。
子供を外へ出さない家庭が増えた。
繁華街の裏路地から笑い声が消えた。
理由の分からない不安。
人間は本能で理解していた。
――何かがいる。
そして、その“何か”は。
人間ではなかった。
――――――――――
キャスター陣営 ―― 深淵の工房
冬木市地下水路。
その最奥。
既にそこは、人間の空間ではなくなっていた。
腐臭。
血液。
粘つく水音。
壁一面に描かれた異様な紋様。
積み上げられた肉塊。
そして。
子供達の泣き声。
「ひ、ぅ……」
鎖に繋がれた小さな影が震える。
その前で。
キャスター――ジル・ド・レェは、恍惚とした表情で両腕を広げていた。
「おお……! おおおおお……!」
狂気に濁った瞳が涙を流す。
「なんと美しい……!!」
雨生龍之介は笑っている。
「マジで芸術だよなぁ!」
彼にとって殺人は遊びだった。
理解不能なもの。
苦痛。
絶望。
断末魔。
それら全てが“面白い”。
だから彼はキャスターを気に入っていた。
価値観が完全に一致している。
「旦那ぁ、次どうする?」
「もっとだ……もっと必要なのです龍之介!」
キャスターの声が震える。
「聖処女を……! 我らが救済者を降ろすには、まだ足りない……!」
大量の生命。
絶望。
苦悶。
それらを捧げることで、彼は“奇跡”を再現しようとしていた。
狂った信仰。
歪んだ愛。
そして何より。
彼はもう、人間を人間として見ていなかった。
「皆、尊き供物なのです……」
その瞬間。
工房奥の水面が泡立つ。
どろり、と。
巨大な“何か”が浮かび上がる。
目。
触手。
口。
理解不能な肉の集合体。
キャスターが魔導書――『螺湮城教本』から生み出した異形。
それは既に、通常の魔術師が対処できる領域を超え始めていた。
龍之介は目を輝かせる。
「うわ、デカくなってる!」
「素晴らしい……! 神秘とは爆発なのです!」
地下水路に、子供達の悲鳴が響く。
そして冬木の闇は、更に深く染まっていった。
――――――――――
冬木市警察 ―― “理解不能”
一方。
冬木署では異常事態が起き始めていた。
「また失踪だと?」
刑事達の顔には疲労が浮かんでいる。
三日で九人。
そのうち五人が未成年。
しかも発見現場には妙な共通点があった。
大量の水。
異臭。
意味不明な血文字。
ベテラン刑事が顔をしかめる。
「カルトか……?」
だが、誰も確信を持てない。
常識で説明できないからだ。
そして何より。
現場へ踏み込んだ警官の中に、“精神異常”を起こす者が出始めていた。
意味不明な言葉を叫ぶ。
突然失明する。
錯乱する。
既に何人かは入院している。
当然、上層部は情報統制を始める。
「外部には漏らすな」
「マスコミを抑えろ」
だが。
隠し切れる段階ではなくなりつつあった。
――――――――――
アインツベルン陣営 ―― “魔術師殺し”の怒り
その情報を最初に掴んだのは、衛宮切嗣だった。
地下ガレージ。
薄暗いモニタールーム。
舞弥が報告書を机へ置く。
「失踪事件、累計十七件」
「……」
「全て夜間。下水道周辺で痕跡が消えています」
切嗣の顔から感情が消える。
だが。
その沈黙こそ、彼を知る者には危険信号だった。
「確定だ」
低い声。
「キャスターが動いている」
モニターには現場写真。
血液。
肉片。
異常な魔力残滓。
そして。
小さな靴。
子供の物だった。
その瞬間。
切嗣の視線が止まる。
部屋の空気が変わる。
舞弥は何も言わない。
言う必要が無かった。
衛宮切嗣という男は、“子供が死ぬ光景”を何より嫌う。
救えなかった記憶。
島での惨劇。
シャーレイ。
ナタリア。
過去が、今も焼き付いている。
だからこそ。
彼は子供を利用する人間を絶対に許さない。
「場所を特定する」
その声は冷たい。
だが。
内側には明確な怒りがあった。
ブラッドレイが壁際で静かに笑う。
「ようやく決めたか」
「放置できない」
「当然だ」
ブラッドレイの隻眼もまた、冷えていた。
彼も理解している。
キャスターは戦争を壊す。
戦士ではない。
ただの虐殺者だ。
「私が行こう」
「まだ早い」
「時間を与えるほど死ぬぞ」
切嗣は黙る。
それが正論だからだ。
だが同時に。
焦って突撃すれば、綺礼に見られる。
キャスターを狩る瞬間を他陣営に狙われる危険がある。
特に。
セイバーを消耗させた直後を狙われれば最悪だった。
切嗣は煙草を握り潰す。
「……クソ」
珍しく漏れた本音。
彼は選ばなければならなかった。
市民を守るか。
戦争に勝つか。
本来なら両立すべきもの。
だが現実は違う。
守ろうとすれば、隙ができる。
戦争とはそういうものだった。
ブラッドレイは静かに言う。
「切嗣」
「何だ」
「お前は優しいな」
その言葉に、切嗣は顔をしかめた。
「冗談はやめろ」
「いや、本心だ」
ブラッドレイは笑う。
「だから苦しむ」
彼自身も知っている。
人を守ろうとする者ほど、戦場では壊れる。
それでも。
なお守ろうとするからだ。
――――――――――
言峰綺礼 ―― “愉悦の気配”
そして。
教会。
静まり返った礼拝堂で、言峰綺礼は報告を聞いていた。
アサシン達の視界。
浮浪者の消失。
地下水路の異臭。
魔力反応。
綺礼は静かに目を閉じる。
「キャスターか」
想定通り。
いや。
想定以上だった。
「既にここまで逸脱するとは」
普通の魔術師なら隠れる。
目立たないように動く。
だがキャスターは違う。
快楽のために暴れる。
理解不能。
だからこそ危険。
だが。
綺礼は僅かに笑った。
「面白い」
キャスターが暴れれば、必ず誰かが止めに動く。
衛宮切嗣なら尚更だ。
あの男は放置できない。
つまり。
「動くな、衛宮切嗣」
綺礼は静かに呟く。
「お前が何を守ろうとするのか、見せてみろ」
その瞳には、深い愉悦が宿っていた。
冬木の夜。
その裏側で。
怪物達が、ゆっくりと牙を剥き始めていた。