冬木市で起き始めた異常は、もはや隠蔽できる段階を超えていた。
連続失踪。
下水道で発見された“肉塊”。
精神錯乱を起こした警官。
そして何より。
子供達の遺体。
原形を留めていない小さな亡骸が発見された瞬間、冬木署内部は完全に凍り付いた。
ベテラン刑事ですら吐いた。
鑑識官の一人はその場で失神した。
何人かは辞職願を提出し、現場へ近付くことすら拒絶した。
既に“普通の殺人事件”ではない。
誰もが理解し始めていた。
これは異常だ。
人間の領域を超えた、何かだと。
そして。
その異常は、魔術世界においても“許容限界”を超えていた。
――――――――――
聖堂教会 ―― “監督役の決断”
冬木教会。
深夜。
礼拝堂には重い静寂が満ちていた。
燭台の火だけが揺れている。
その中央で。
言峰璃正は深く目を閉じていた。
老いた神父の顔には、明確な疲労が浮かんでいる。
報告書が机に積まれていた。
失踪者。
死体写真。
魔力痕跡。
警察内部情報。
どれも惨憺たる内容だった。
そして、その全てが一つの結論を示している。
「……限度を超えたか」
低い呟き。
聖杯戦争とは秘匿されるべき儀式。
一般人へ大規模被害を出すことは、本来絶対に避けねばならない。
だからこそ聖堂教会は監督役として存在する。
だが。
キャスター陣営は既に、その最低限のルールすら踏み越えた。
虐殺。
儀式殺人。
子供の誘拐。
異形召喚。
放置すれば被害は拡大する。
そして最悪の場合。
魔術世界そのものの秘匿が崩壊する。
璃正は静かに顔を上げる。
「綺礼」
「はい、父上」
闇から現れた言峰綺礼は、相変わらず感情の薄い顔をしていた。
「各陣営へ通達を出す」
「……キャスター討伐の正式認定ですか」
「ああ」
それは異例中の異例だった。
聖杯戦争において、特定陣営を“共通敵”として認定する。
更に。
「討伐参加者には、追加令呪を報酬として与える」
その瞬間。
綺礼の目が僅かに細まる。
令呪。
サーヴァントへの絶対命令権。
それを追加で与えるということは、教会側が本気で事態を危険視している証拠だった。
「……よろしいのですか」
「もはや体裁を気にしている段階ではない」
璃正の声は重い。
「冬木が壊れる」
沈黙。
綺礼は静かに理解していた。
これは父の本心だ。
監督役としての責務。
人間としての危機感。
その両方から来る決断。
だが同時に。
綺礼の内側には、別の感情も芽生えていた。
――衛宮切嗣はどう動く。
彼は必ず反応する。
あの男は子供を見捨てられない。
だからこそ。
綺礼は僅かに笑った。
「承知しました」
そして。
冬木の全陣営へ、“異例の通達”が送られることになる。
――――――――――
アインツベルン陣営 ―― “正義の代償”
アインツベルン城。
切嗣は無線機越しに、その通達を聞いていた。
『聖堂教会はキャスター陣営を外道認定。討伐への協力を要請します』
『討伐成功者には追加令呪を授与』
無機質な音声。
だが。
部屋の空気は重かった。
舞弥が静かに口を開く。
「……異例ですね」
「ああ」
切嗣は短く答える。
教会がここまで露骨に介入するのは異常だった。
つまり。
それほどキャスターが危険だということ。
ブラッドレイはソファへ座ったまま笑う。
「ようやく全員が理解したか」
その声は冷たい。
「戦争以前の問題だとな」
アイリスフィールの顔は青かった。
彼女もまた、報告書を見ている。
子供達の写真。
異形化した遺体。
狂気の儀式痕。
「酷い……」
その震える声に。
切嗣は目を閉じる。
怒りがあった。
明確な殺意が。
だが同時に、彼は冷静だった。
「綺礼が動いた」
「ええ」
「つまり、これ自体が新たな盤面になる」
キャスター討伐。
全陣営が動く。
つまり監視も増える。
戦闘後を狙う者も出る。
特に危険なのは遠坂陣営。
アーチャーを温存したまま漁夫の利を狙える。
切嗣は地図を見下ろす。
思考は高速で回転していた。
キャスターを殺す。
だが同時に、生き残る。
その両立が必要。
ブラッドレイは立ち上がる。
「ならば話は簡単だ」
軍帽を被る。
隻眼が鋭く光る。
「来る者全て斬ればいい」
「簡単に言うな」
「簡単だ」
ブラッドレイは笑う。
「私はそのためにいる」
その姿は、まるで処刑人だった。
――――――――――
ケイネス陣営 ―― “誇りか、打算か”
ハイアットホテル。
通達を聞いた瞬間、ケイネスは顔をしかめた。
「追加令呪、だと?」
ソラウが目を細める。
「随分と大盤振る舞いね」
「それほど切迫しているのだろう」
ケイネスは不快そうだった。
本来、聖杯戦争は魔術師同士の神聖な殺し合い。
そこへ監督役がここまで介入するのは面白くない。
だが。
同時に理解もしていた。
「……放置は危険か」
報告書の内容は異常だった。
外法。
冒涜。
大量虐殺。
時計塔の魔術師としても、許容し難い。
ランサーは静かに言う。
「討つべきです」
その声には騎士としての怒りがあった。
子供を弄ぶ外道。
ディルムッドが最も嫌う類の敵。
ケイネスは腕を組む。
「だが、罠の可能性もある」
「綺礼か」
「ああ」
キャスター討伐へ戦力を集中した瞬間を狙われる危険。
特に衛宮切嗣。
あの男は必ず来る。
ならば。
「奴を観察する機会にもなる」
ケイネスの目が細まる。
「キャスター討伐戦……面白くなってきたな」
――――――――――
ライダー陣営 ―― “王の怒り”
一方。
イスカンダルは珍しく笑っていなかった。
「……外道め」
低い声。
ウェイバーは思わず黙る。
普段豪快な征服王が、本気で怒っている。
それほど報告内容は酷かった。
子供を嬲る。
恐怖を楽しむ。
誇りも信念も無い虐殺。
イスカンダルが最も嫌う行為だった。
「坊主」
「な、何」
「行くぞ」
即答だった。
「え?」
「決まっておろう」
ライダーは立ち上がる。
その巨体から圧が漏れる。
「王とは、民を蹂躙する獣を討つものだ」
ウェイバーは息を呑む。
この男は普段破天荒だ。
だが。
根底には確かな王の責務がある。
イスカンダルは笑う。
だがその目は笑っていない。
「それに――」
「?」
「セイバーも来るであろう」
その瞬間。
彼の口元が獰猛に吊り上がった。
「実に楽しみだ」
――――――――――
遠坂・言峰陣営 ―― “愉悦の観客”
そして。
最も静かだったのは、この陣営だった。
遠坂邸。
時臣は深く息を吐く。
「最悪だな」
本音だった。
キャスターの暴走は、戦争そのものを壊しかねない。
秘匿崩壊は避けたい。
だが。
綺礼だけは違った。
「……なるほど」
静かな声。
「遂に始まるか」
「綺礼」
「はい」
「何を考えている」
綺礼は答えない。
ただ。
アサシン達の視界を通し、各陣営を見ていた。
衛宮切嗣。
キング・ブラッドレイ。
ケイネス。
ライダー。
ランサー。
全員が動き始める。
怪物狩りのために。
そして綺礼は理解していた。
キャスター討伐は、“共闘”では終わらない。
必ずその後に、本当の殺し合いが始まる。
疲弊した者。
油断した者。
勝者気取りの者。
そこを狩ればいい。
綺礼は静かに笑った。
「さあ、見せてみろ」
その瞳は暗い。
深く。
底知れぬ愉悦に満ちていた。
冬木の戦争は。
ついに、“本格的な流血”へ向かおうとしていた。