Fate/Zero
――黒剣のセイバー――
冬木の夜は、いつだって静かだった。
海から吹く湿った風が街を撫で、灯りの消えた路地には、人の営みとは別の“何か”が潜んでいる。
それを知る者は少ない。
そして、それを狩る者は――もっと少ない。
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序章
『人類最悪の天敵』
数年前。
中東の紛争地帯。
そこは既に戦場ではなかった。
死の国だった。
崩れ落ちた市街地。
空を覆う赤黒い雲。
腐臭。血臭。肉の焼ける臭い。
そして。
人だったもの。
「……三千、いや四千か」
白髪の男は、静かに瓦礫を踏み越えた。
黒い軍服。
長い外套。
右目の眼帯。
二振りの銀刀を提げたその男を、吸血鬼達は恐怖の目で見ていた。
埋葬機関番外次席。
キング・ブラッドレイ。
聖堂教会が“最終処刑兵器”として扱う、人類側の怪物。
その日、彼が追っていたのは死徒二十七祖。
しかも二体。
第十九祖『腐苑の獣王』。
第二十三祖『灰都の魔女』。
本来なら、一国規模の被害を前提に討伐される化物。
それを。
男は、たった一人で追っていた。
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「化物め……!」
半壊した大聖堂の上で、女の死徒が唸る。
全身を灰色の血管に覆われた異形。
口元から覗く牙。
その瞳には、明確な恐怖があった。
対するブラッドレイは、静かに軍刀を抜く。
キィン――。
細く澄んだ銀の音。
「そう怯えるな」
彼は笑った。
穏やかで。
まるで紳士のように。
「私もただの人間だ」
次の瞬間。
世界が裂けた。
視認すら出来ない踏み込み。
銀閃。
女の右腕が宙を舞う。
「――――ッ!?」
叫ぶより早く、ブラッドレイは懐へ潜り込んでいた。
最強の眼。
筋肉。骨格。呼吸。魔力流動。
未来を読む魔眼が、死徒の動きを完全に見切る。
「遅い」
斬撃。
血飛沫。
死徒の首が飛ぶ。
だが。
その瞬間。
大地が鳴動した。
「ブラッドレイィィィ!!」
瓦礫の下から現れた巨躯。
獣王。
十メートルを超える肉塊が、大聖堂ごと男を叩き潰す。
轟音。
崩落。
炎。
街が沈む。
普通なら死んでいる。
だが。
瓦礫の奥から、ゆっくりと男が立ち上がった。
右腕が折れている。
腹部が裂け、血が流れている。
それでも。
彼は笑っていた。
「……良いな」
獣王が震える。
この男は。
死線の中でしか、生を感じない。
「実に、戦い甲斐がある」
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その戦いは三日三晩続いた。
都市は崩壊した。
死徒達は数万単位で消滅した。
そして最後。
ブラッドレイは、自らを囮に死徒二十七祖二体を地下霊脈へ誘導。
聖別銀による爆薬と霊脈暴走を同時起爆。
都市ごと焼却した。
聖堂教会は、その日をこう記録している。
“番外次席、殉職。
死徒二十七祖二体、同時滅却確認”
だが。
ある男だけは、その報告を信じなかった。
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第一章
『魔術師殺し』
アインツベルン城。
雪が降っていた。
静かな夜だった。
衛宮切嗣は、無言で煙草を咥える。
久宇舞弥が、後ろから声をかけた。
「……本当に、その触媒を?」
切嗣は答えない。
ただ、机の上を見る。
そこにあったのは。
黒い軍服の切れ端。
血に染まり、焼け焦げた布。
中東戦線で回収された遺品。
あの男が最後まで着ていた軍服だった。
「英霊召喚に伝説級の触媒は不要だ」
切嗣は低く呟く。
「必要なのは、縁だ」
舞弥は沈黙した。
彼女は知っている。
衛宮切嗣が、唯一“友人”と呼んだ男を。
戦場で出会った。
互いに化物と呼ばれた。
理想を捨てた男と、理想を抱いたまま壊れた男。
酒を飲み交わしたこともある。
背中を預けたこともある。
そして。
最後に別れた時。
ブラッドレイは笑っていた。
『もし私が先に死んだら、墓くらいは作ってくれ』
『柄じゃないな』
『違いない』
静かな笑い。
それが最後だった。
切嗣は、令呪の刻まれた左手を見る。
「……始める」
魔法陣が輝く。
銀光。
吹き荒れる魔力。
詠唱。
そして。
世界が、軋んだ。
⸻
「問おう」
低く、響く声。
吹き荒れる魔力の中。
一人の男が立っていた。
黒い軍服。
長い外套。
白髪。
右目の眼帯。
二振りの軍刀。
その姿を見た瞬間。
衛宮切嗣は、息を止めた。
男は静かにこちらを見る。
そして。
ほんの僅か。
目を細めた。
「……なるほど」
その声音には、驚きより納得があった。
「貴様か。衛宮切嗣」
沈黙。
舞弥が息を呑む。
切嗣は煙草を落とした。
「……久しぶりだな」
ブラッドレイは笑う。
生前と変わらぬ。
あの、静かな笑み。
「まさか死後まで付き合わされるとは思わなかったが」
「こっちの台詞だ」
数秒。
互いに黙る。
そして。
セイバーは軍刀を抜き、静かに膝をついた。
「セイバー。召喚に応じ参上した」
その眼が、獣のように細まる。
「問おう――」
吹雪の中。
人類最悪の天敵は、かつての友へ告げた。
「貴様が、私のマスターか」