冬木新都・旧地下水路区画。
深夜。
地上ではネオンが瞬いている。
だが、その遥か下。
人の目が届かぬ地下深くには、別世界が広がっていた。
湿った空気。
腐臭。
赤黒く濁った水。
老朽化したコンクリート壁には、何かを引き摺ったような血痕が残されている。
時折、どこからともなく響く水音。
そして。
耳を澄ませば聞こえる。
微かな泣き声。
人間の本能へ直接訴えかけるような、嫌悪と不快。
まるで地下そのものが腐っているようだった。
その最前列を歩くのは、ブラッドレイ。
軍帽を深く被り、片手を軍刀へ添えたまま、静かに暗闇を進んでいく。
後方には切嗣。
更に少し離れてライダー陣営、ランサー陣営。
全員が警戒していた。
狭い。
暗い。
視界が悪い。
キャスターの工房としては理想的過ぎる地形。
いつどこから異形が飛び出してもおかしくない。
ウェイバーは既に顔色が悪かった。
「う、うぇ……臭っ……」
「坊主、吐くなよ?」
「無理かもしれない……」
イスカンダルですら顔をしかめている。
「これは酷いな」
血の臭いだけではない。
腐敗。
臓物。
魔力。
死臭。
様々な臭気が混ざり合い、“生き物が居てはならない空間”を形成していた。
その時だった。
ブラッドレイが不意に足を止める。
空気が張る。
ディルムッドが即座に槍を構えた。
切嗣もコンテンダーへ手を添える。
だが。
ブラッドレイは静かに鼻を鳴らした。
「……この先か」
低い声。
隻眼が暗闇の奥を見据える。
「嗅ぎなれた匂いがする」
ウェイバーが震えた。
その言葉が妙に恐ろしかった。
嗅ぎなれている?
この地獄のような臭いを?
ブラッドレイは薄く笑う。
「血と火薬、腐肉の臭いだ」
静かな声。
「戦場ではよくある」
その一言に、地下空間が僅かに冷える。
切嗣は無言だった。
だが理解している。
この男は本当に、こういう世界を生きてきた。
人間が壊れ。
死体が積み上がり。
腐臭が日常になる場所を。
だからこそ。
この異常空間ですら、ブラッドレイにとっては“慣れた臭い”でしかない。
「さて」
ブラッドレイが軍刀を僅かに抜く。
キィ――ン。
鋼の音が地下へ響いた。
「行くかね」
その瞬間だった。
――グチャ。
前方の暗闇で、水音とは違う何かが蠢く。
次の瞬間。
壁。
天井。
水路。
あらゆる場所から、“それ”が現れた。
肉塊。
目玉。
触手。
人間と魚と獣を無理矢理混ぜ合わせたような異形。
キャスターの魔物。
「■■■■■■■■――――ッ!!」
耳障りな咆哮。
ウェイバーが悲鳴を上げる。
「うわぁぁぁぁっ!?」
「下がっていろ坊主!!」
イスカンダルが前へ出る。
ランサーも槍を構える。
だが。
その瞬間には、既に終わっていた。
――斬。
一閃。
銀光。
次の瞬間、最前列の魔物達が“ずれた”。
上半身と下半身が。
遅れて血飛沫。
肉塊が崩れる。
ブラッドレイだった。
速い。
あまりにも。
地下という閉所。
普通なら動きが制限されるはずの空間。
だがブラッドレイは違う。
むしろ加速していた。
壁を蹴る。
水面を滑る。
最短距離で首だけを落とす。
一切の無駄が無い。
「ほう……!」
ディルムッドの目が見開かれる。
剣技ではない。
これは“殺術”だ。
戦場で人を殺すためだけに研ぎ澄まされた動き。
芸術的ですらある。
ブラッドレイは笑っていた。
「遅い」
斬。
「脆い」
斬。
「醜い」
斬。
肉片が舞う。
血が噴き出す。
異形達が次々と崩れていく。
だが。
その奥。
更に暗い通路の向こうから。
ズル……ズル……と。
巨大な何かが近付いてくる。
空気が震える。
濃密な魔力。
腐臭。
呪詛。
切嗣の目が鋭くなる。
「来るぞ」
その瞬間。
地下水路奥から、狂った歓喜の声が響いた。
「おおおおお!!」
キャスター。
ジル・ド・レェ。
「素晴らしい!! 素晴らしいですぞセイバーァァ!!」
狂気に満ちた叫び。
「その剣!! その殺意!! なんと美しい!!」
暗闇の奥。
無数の蝋燭の火。
血文字。
巨大魔法陣。
そして。
その中央で両腕を広げる、青髭の怪物。
雨生龍之介は腹を抱えて笑っていた。
「ヤッベぇ!! 超面白ぇ!!」
その周囲には。
鎖に繋がれた子供達。
泣いている。
震えている。
生きている。
その瞬間。
切嗣の目から感情が消えた。
ブラッドレイの笑みも消える。
地下空間が静まり返る。
ただ一つ。
殺気だけが膨れ上がる。
ブラッドレイはゆっくり軍刀を構えた。
隻眼が細まる。
「……なるほど」
低い声。
「確かに、死ぬまで斬る必要がありそうだ」