冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第25話

地下深く。

 

血と腐臭に満ちた狂気の工房。

 

そこには、もはや戦いの形すら残っていなかった。

 

崩れ落ちた肉塊。

 

切断された異形。

 

赤黒い水路。

 

そして中央では。

 

キャスター――ジル・ド・レェが、半ば崩壊した肉体を蠢かせながら、なお笑っていた。

 

首を斬られても。

 

胴を裂かれても。

 

魔導書から溢れる膨大な魔力が、強引に存在を繋ぎ止めている。

 

皮膚が泡立つ。

 

骨が軋む。

 

肉が増殖する。

 

その姿は、既に英霊というより“呪い”だった。

 

ウェイバーは完全に顔を青くしていた。

 

「なんなんだよ、こいつ……!」

 

「執念だな」

 

イスカンダルが低く言う。

 

征服王の顔からも、既に笑みは薄れていた。

 

「狂っておるが……死にたくないという執着だけは本物だ」

 

ディルムッドも槍を構えたまま動かない。

 

不用意に近付けば、何が起きるか分からない。

 

魔力濃度が異常過ぎる。

 

地下空間全体が、キャスターの工房そのものへ変質している。

 

だが。

 

そんな中で。

 

ブラッドレイだけは静かだった。

 

軍刀を下ろし、ゆっくりキャスターへ歩み寄る。

 

血溜まりを踏み越え。

 

肉片を踏み砕きながら。

 

まるで処刑台へ向かうように。

 

キャスターが笑う。

 

「ア……アハ……!! セイバーァ……!!」

 

濁った瞳。

 

だがその奥には、確かな恐怖も混じり始めていた。

 

理解してしまったのだ。

 

目の前の男は、自分を“怪物”として見ていない。

 

ただ、“殺すべき敵”として処理している。

 

それが何より恐ろしい。

 

ブラッドレイはキャスターの前で止まる。

 

隻眼が静かに細まる。

 

しばし沈黙。

 

その後で。

 

彼は、不意に口を開いた。

 

「キャスター」

 

低い声。

 

地下空間へ静かに響く。

 

「貴様も、かつては騎士だったのだろう?」

 

その瞬間。

 

空気が止まった。

 

キャスターの濁った瞳が揺れる。

 

ウェイバーが目を見開く。

 

ケイネスも僅かに表情を変えた。

 

ジル・ド・レェ。

 

百年戦争の英雄。

 

聖女ジャンヌ・ダルクと共に戦った元帥。

 

狂気に堕ちた今では想像もつかないが、かつては“フランスの英雄”だった男。

 

キャスターの唇が震える。

 

「……ジャン、ヌ」

 

掠れた声。

 

その名を呼んだ瞬間だけ。

 

ほんの一瞬だけ。

 

狂気が薄れた。

 

ブラッドレイはそれを見逃さない。

 

静かに腰のサーベルを抜く。

 

細身の軍刀。

 

磨き抜かれた刃。

 

そして。

 

彼はそれを、キャスターの足元へ放った。

 

カラン――。

 

金属音が響く。

 

全員が息を呑む。

 

ブラッドレイは静かに言った。

 

「せめて騎士として散れ」

 

沈黙。

 

その言葉は、嘲笑ではなかった。

 

憐れみでもない。

 

ただ。

 

最後の“礼儀”だった。

 

戦場を知る者だけが持つ、最低限の敬意。

 

どれほど堕ちようと。

 

どれほど狂おうと。

 

目の前の男が、かつて“誇りを持って剣を振った人間”だったことを、ブラッドレイは理解していた。

 

キャスターの目が震える。

 

血涙が流れる。

 

「騎士……」

 

震える指がサーベルへ伸びる。

 

その姿を見ながら、ディルムッドは静かに目を伏せた。

 

騎士として。

 

その光景が胸に刺さる。

 

誇りを失い。

 

狂気に堕ち。

 

それでも最後に、“騎士”として死ぬ機会を与えられる。

 

残酷なほどの慈悲だった。

 

切嗣は無言だった。

 

彼には理解できない感情だった。

 

敵は殺す。

 

それだけ。

 

だが同時に。

 

ブラッドレイという男が、なぜ人間臭く見えるのかも分かってしまう。

 

この男は、合理だけではない。

 

戦場の礼儀を知っている。

 

人の矜持を知っている。

 

だからこそ。

 

怪物になり切れない。

 

キャスターが震えながらサーベルを掴む。

 

立ち上がる。

 

血塗れで。

 

半ば崩れた肉体のまま。

 

それでも。

 

その瞬間だけは。

 

狂気の魔術師ではなく、“騎士”に見えた。

 

キャスターが笑う。

 

涙を流しながら。

 

「……ああ」

 

掠れた声。

 

「私は……騎士、だった」

 

その瞬間。

 

ブラッドレイの隻眼が細まる。

 

「来い」

 

静かな言葉。

 

次の瞬間。

 

キャスターが絶叫と共に踏み込む。

 

遅い。

 

あまりにも。

 

だが。

 

その剣筋だけは、ほんの僅かに美しかった。

 

かつての残滓。

 

騎士だった頃の記憶。

 

ブラッドレイは真正面から踏み込む。

 

一閃。

 

銀光。

 

次の瞬間。

 

キャスターの動きが止まった。

 

静寂。

 

遅れて。

 

首が滑り落ちる。

 

血飛沫。

 

だが。

 

今度は再生しない。

 

キャスターの瞳が、静かにブラッドレイを見上げる。

 

そこにはもう狂気は無かった。

 

ただ。

 

空虚と。

 

僅かな安堵だけ。

 

「ジャンヌ……」

 

最後の呟き。

 

そして。

 

キャスター・ジル・ド・レェは、静かに崩れ落ちた。

 

地下空間が静まり返る。

 

誰もすぐには動けない。

 

あまりにも、鮮烈な最期だった。

 

ブラッドレイは無言でサーベルを拾い上げる。

 

血を払う。

 

そして静かに納刀した。

 

「……終わりだ」

 

低い声。

 

だがその言葉には、不思議なほどの静けさがあった。

 

まるで。

 

長い戦争を終えた老兵のように。

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