地下深く。
血と腐臭に満ちた狂気の工房。
そこには、もはや戦いの形すら残っていなかった。
崩れ落ちた肉塊。
切断された異形。
赤黒い水路。
そして中央では。
キャスター――ジル・ド・レェが、半ば崩壊した肉体を蠢かせながら、なお笑っていた。
首を斬られても。
胴を裂かれても。
魔導書から溢れる膨大な魔力が、強引に存在を繋ぎ止めている。
皮膚が泡立つ。
骨が軋む。
肉が増殖する。
その姿は、既に英霊というより“呪い”だった。
ウェイバーは完全に顔を青くしていた。
「なんなんだよ、こいつ……!」
「執念だな」
イスカンダルが低く言う。
征服王の顔からも、既に笑みは薄れていた。
「狂っておるが……死にたくないという執着だけは本物だ」
ディルムッドも槍を構えたまま動かない。
不用意に近付けば、何が起きるか分からない。
魔力濃度が異常過ぎる。
地下空間全体が、キャスターの工房そのものへ変質している。
だが。
そんな中で。
ブラッドレイだけは静かだった。
軍刀を下ろし、ゆっくりキャスターへ歩み寄る。
血溜まりを踏み越え。
肉片を踏み砕きながら。
まるで処刑台へ向かうように。
キャスターが笑う。
「ア……アハ……!! セイバーァ……!!」
濁った瞳。
だがその奥には、確かな恐怖も混じり始めていた。
理解してしまったのだ。
目の前の男は、自分を“怪物”として見ていない。
ただ、“殺すべき敵”として処理している。
それが何より恐ろしい。
ブラッドレイはキャスターの前で止まる。
隻眼が静かに細まる。
しばし沈黙。
その後で。
彼は、不意に口を開いた。
「キャスター」
低い声。
地下空間へ静かに響く。
「貴様も、かつては騎士だったのだろう?」
その瞬間。
空気が止まった。
キャスターの濁った瞳が揺れる。
ウェイバーが目を見開く。
ケイネスも僅かに表情を変えた。
ジル・ド・レェ。
百年戦争の英雄。
聖女ジャンヌ・ダルクと共に戦った元帥。
狂気に堕ちた今では想像もつかないが、かつては“フランスの英雄”だった男。
キャスターの唇が震える。
「……ジャン、ヌ」
掠れた声。
その名を呼んだ瞬間だけ。
ほんの一瞬だけ。
狂気が薄れた。
ブラッドレイはそれを見逃さない。
静かに腰のサーベルを抜く。
細身の軍刀。
磨き抜かれた刃。
そして。
彼はそれを、キャスターの足元へ放った。
カラン――。
金属音が響く。
全員が息を呑む。
ブラッドレイは静かに言った。
「せめて騎士として散れ」
沈黙。
その言葉は、嘲笑ではなかった。
憐れみでもない。
ただ。
最後の“礼儀”だった。
戦場を知る者だけが持つ、最低限の敬意。
どれほど堕ちようと。
どれほど狂おうと。
目の前の男が、かつて“誇りを持って剣を振った人間”だったことを、ブラッドレイは理解していた。
キャスターの目が震える。
血涙が流れる。
「騎士……」
震える指がサーベルへ伸びる。
その姿を見ながら、ディルムッドは静かに目を伏せた。
騎士として。
その光景が胸に刺さる。
誇りを失い。
狂気に堕ち。
それでも最後に、“騎士”として死ぬ機会を与えられる。
残酷なほどの慈悲だった。
切嗣は無言だった。
彼には理解できない感情だった。
敵は殺す。
それだけ。
だが同時に。
ブラッドレイという男が、なぜ人間臭く見えるのかも分かってしまう。
この男は、合理だけではない。
戦場の礼儀を知っている。
人の矜持を知っている。
だからこそ。
怪物になり切れない。
キャスターが震えながらサーベルを掴む。
立ち上がる。
血塗れで。
半ば崩れた肉体のまま。
それでも。
その瞬間だけは。
狂気の魔術師ではなく、“騎士”に見えた。
キャスターが笑う。
涙を流しながら。
「……ああ」
掠れた声。
「私は……騎士、だった」
その瞬間。
ブラッドレイの隻眼が細まる。
「来い」
静かな言葉。
次の瞬間。
キャスターが絶叫と共に踏み込む。
遅い。
あまりにも。
だが。
その剣筋だけは、ほんの僅かに美しかった。
かつての残滓。
騎士だった頃の記憶。
ブラッドレイは真正面から踏み込む。
一閃。
銀光。
次の瞬間。
キャスターの動きが止まった。
静寂。
遅れて。
首が滑り落ちる。
血飛沫。
だが。
今度は再生しない。
キャスターの瞳が、静かにブラッドレイを見上げる。
そこにはもう狂気は無かった。
ただ。
空虚と。
僅かな安堵だけ。
「ジャンヌ……」
最後の呟き。
そして。
キャスター・ジル・ド・レェは、静かに崩れ落ちた。
地下空間が静まり返る。
誰もすぐには動けない。
あまりにも、鮮烈な最期だった。
ブラッドレイは無言でサーベルを拾い上げる。
血を払う。
そして静かに納刀した。
「……終わりだ」
低い声。
だがその言葉には、不思議なほどの静けさがあった。
まるで。
長い戦争を終えた老兵のように。