冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第26話

地下水路最奥部。

 

狂気の工房。

 

先ほどまで響いていた絶叫も、異形の咆哮も、今はもう無い。

 

残されているのは。

 

濃厚な血の臭い。

 

崩れ落ちた肉塊。

 

そして。

 

静寂。

 

キャスター――ジル・ド・レェの亡骸は、赤黒い水の中へゆっくり沈みつつあった。

 

魔導書から溢れていた禍々しい魔力も、既に急速に霧散している。

 

空間そのものが崩壊し始めていた。

 

壁に刻まれた血文字が消え。

 

蠢いていた肉壁が腐り落ち。

 

地下工房は、ようやく“死”を迎えようとしている。

 

その中央で。

 

ブラッドレイは静かに立っていた。

 

納刀した軍刀。

 

返り血に染まった軍服。

 

そして隻眼は、沈んでいくキャスターを見下ろしている。

 

誰も声を出せなかった。

 

ウェイバーですら。

 

イスカンダルですら。

 

ディルムッドですら。

 

戦いは終わった。

 

それなのに。

 

地下空間には、まだ何か張り詰めたものが残っていた。

 

その時。

 

ブラッドレイが、ゆっくり右手を胸元へ持っていく。

 

静かな動作。

 

そして。

 

額。

胸。

左肩。

右肩。

 

十字を切った。

 

その瞬間。

 

空気が止まる。

 

ウェイバーが目を見開いた。

 

ケイネスも僅かに眉を動かす。

 

綺礼は、地下入口付近からその光景を見つめていた。

 

ブラッドレイは静かに呟く。

 

「さらばだ、哀れな騎士よ」

 

低い声。

 

だがその言葉には、先ほどまでの冷徹な殺気が無かった。

 

「安らかに眠れ」

 

地下空間へ響く鎮魂。

 

それは皮肉ではない。

 

侮辱でもない。

 

本物の弔意だった。

 

ジル・ド・レェ。

 

狂った魔術師。

 

大量虐殺者。

 

怪物。

 

だが同時に。

 

かつては祖国を守り、聖女と共に戦った騎士でもあった。

 

ブラッドレイは、その“残骸”を見たのだ。

 

最後の最後。

 

狂気の奥底に残っていた、小さな騎士の残滓を。

 

だからこそ。

 

せめて最期だけは、騎士として送った。

 

ディルムッドが静かに目を伏せる。

 

「……見事だ」

 

小さな声だった。

 

騎士として。

 

あの最期を否定できなかった。

 

ジル・ド・レェは救いようのない外道だった。

 

だが。

 

最後に剣を握り、騎士として死んだ。

 

それだけは真実だった。

 

イスカンダルも腕を組みながら低く唸る。

 

「ふむ……」

 

征服王の顔から笑みは消えていた。

 

「貴様、本当に奇妙な男だなセイバー」

 

ブラッドレイは振り返らない。

 

「そうか?」

 

「うむ」

 

イスカンダルは静かに答える。

 

「貴様ほど冷徹で、貴様ほど人間臭い者を余は知らん」

 

その言葉に。

 

ブラッドレイは小さく笑った。

 

「人間だからな」

 

短い返答。

 

だが、その一言が妙に重い。

 

切嗣は無言だった。

 

煙草へ火をつける。

 

紫煙が地下空間へ溶ける。

 

そして彼は、ブラッドレイの背中を見ていた。

 

理解できない。

 

敵へ祈る意味など。

 

殺した相手へ敬意を払う理由など。

 

だが。

 

同時に分かる。

 

この男は、“命の価値”を知っている。

 

数え切れないほど殺してきたからこそ。

 

人の死が、どれほど重いかを理解している。

 

だからこそ。

 

あんな風に祈れる。

 

綺礼は、その光景を静かに見つめていた。

 

胸の奥がざわつく。

 

理解できない。

 

殺しながら祈る。

 

斬り捨てながら弔う。

 

合理と情が同居している。

 

矛盾している。

 

なのに。

 

異様なほど完成されている。

 

(……なぜだ)

 

綺礼は思う。

 

なぜこの男は壊れない?

 

これほど人を殺し。

 

これほど血を浴びながら。

 

なぜ“人間”でいられる?

 

綺礼には分からなかった。

 

だからこそ惹かれる。

 

ブラッドレイは静かに歩き出す。

 

軍靴が血溜まりを踏む。

 

その途中。

 

泣いていた子供の一人が、小さく震えながら彼を見上げた。

 

ブラッドレイは足を止める。

 

返り血に染まった顔。

 

隻眼。

 

軍服。

 

普通なら恐怖しか感じない姿。

 

だが。

 

彼は静かに軍帽を取り、子供へ目線を合わせた。

 

「もう大丈夫だ」

 

低い声。

 

驚くほど穏やかだった。

 

「終わった」

 

子供は震えながら涙を流す。

 

ブラッドレイはそれ以上何も言わない。

 

ただ立ち上がり、再び歩き出す。

 

切嗣がそれを見て、小さく息を吐いた。

 

「……甘いな」

 

その呟きに。

 

ブラッドレイは肩越しに笑う。

 

「そうかもしれんな」

 

「だが」

 

切嗣が続ける。

 

「嫌いじゃない」

 

その瞬間。

 

ブラッドレイは僅かに目を見開いた。

 

そして。

 

珍しく、本当に少しだけ穏やかに笑った。

 

地下深く。

 

怪物の巣は崩れ去った。

 

だが。

 

その場にいた誰もが理解していた。

 

今宵、最も恐ろしかった存在は。

 

キャスターではない。

 

“人間のまま怪物へ至った男”。

 

セイバー――キング・ブラッドレイだったのだと。

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