地下工房は崩壊を始めていた。
天井から砂埃が落ちる。
亀裂が走る。
赤黒く脈動していた魔法陣も、既に光を失いつつある。
キャスター消滅。
それによって、この狂気の空間そのものが維持できなくなっているのだ。
だが。
その場にいた誰も、すぐには動かなかった。
視線は自然と、一人の男へ集まっていた。
雨生龍之介。
キャスターのマスター。
大量殺人鬼。
血塗れの床へ座り込んだまま、彼はぽかんとした顔で虚空を見ている。
つい先ほどまで、あれほど楽しそうに笑っていた男が。
今は妙に静かだった。
「……あー」
龍之介が間の抜けた声を漏らす。
「死んじゃった」
軽い。
あまりにも軽い声。
まるで遊び相手を失った子供のような口調。
ウェイバーが顔をしかめた。
「こいつ……」
普通ではない。
狂っている。
人が何十人死のうが、英霊が消えようが、本気で何も感じていない。
その異常性に、本能的な嫌悪を覚える。
龍之介は血塗れの手を眺めながら、少し笑った。
「いやー、でもマジですげぇもん見れたなぁ」
その視線が、ブラッドレイへ向く。
純粋な感動の目。
恐怖ではない。
憎悪でもない。
ただ心底“綺麗なものを見た”という顔だった。
「アンタ超ヤバいね、おじさん」
地下空間が静まり返る。
ブラッドレイは無言で龍之介を見下ろしていた。
その隻眼には感情が無い。
怒りすら無い。
ただ観察している。
目の前の人間を。
龍之介は笑う。
「なんつーかさぁ」
血溜まりへ指を突っ込みながら。
「キャスターの旦那って、“芸術家”だったんだよね」
「人殺しで、美を作る感じ?」
「でもアンタ違うじゃん」
ケラケラ笑う。
「もっとこう……」
言葉を探すように首を傾げ。
そして、嬉しそうに言った。
「自然なんだよなぁ」
その瞬間。
切嗣の目が冷える。
完全に。
この男は危険だ。
理解不能。
快楽殺人鬼ですらない。
もっと根本的に壊れている。
倫理も。
善悪も。
罪悪感も。
最初から存在していない。
龍之介は立ち上がる。
ふらふらと。
まるで散歩でもするように。
「いやーでも困ったなぁ」
頭を掻く。
「旦那いなくなっちゃったし」
その瞬間。
ブラッドレイが静かに口を開いた。
「さて」
低い声。
地下空間へ静かに響く。
「キャスターのマスター」
龍之介が顔を上げる。
ブラッドレイは軍刀へ手を添えたまま、真っ直ぐ彼を見る。
「サーヴァントは消えた」
沈黙。
「貴様はどうする?」
その言葉に。
空気が変わった。
ウェイバーが息を呑む。
ケイネスが目を細める。
切嗣だけは無言。
龍之介は数秒きょとんとしていた。
だが次の瞬間。
吹き出した。
「ぷっ――あははははは!!」
腹を抱えて笑い始める。
「何それ!! 超面白い!!」
涙を浮かべながら笑う。
「普通さぁ!? そこは“死ね”とか言う場面じゃん!?」
ブラッドレイは答えない。
ただ見ている。
龍之介は笑いながら続けた。
「いやー、やっぱアンタ最高だわ」
血塗れの顔で笑う。
「俺さ、人殺しって大好きなんだよね」
ウェイバーが青ざめる。
ディルムッドの殺気が膨らむ。
だが龍之介は気付かない。
いや、気にしていない。
「でもさぁ」
嬉しそうにブラッドレイを見る。
「アンタみたいな人殺し、初めて見た」
ブラッドレイは静かに聞いている。
「キャスターの旦那は、壊れてた」
「俺も多分壊れてる」
「でもアンタ違うんだよ」
龍之介の笑みが深くなる。
「ちゃんと“人間”なのに、人を殺してる」
沈黙。
その言葉は、妙に核心を突いていた。
綺礼が目を細める。
切嗣も無意識にブラッドレイを見る。
龍之介は楽しそうだった。
「それって超キモくない?」
笑う。
「だって普通、人いっぱい殺したら壊れるじゃん?」
「なのにアンタ、“普通のおじさん”みたいな顔してるもん」
その瞬間。
ブラッドレイが少しだけ笑った。
「そうか」
静かな声。
「なら貴様は、壊れ方が浅い」
龍之介の笑みが止まる。
地下空間が静まり返る。
ブラッドレイはゆっくり歩き出す。
軍靴が血を踏む。
一歩。
また一歩。
「本当に壊れた人間はな」
隻眼が龍之介を見据える。
「自分が壊れていることに気付かん」
龍之介の笑顔が、初めて僅かに引き攣った。
ブラッドレイはその目の前で止まる。
「貴様は、まだ自分を楽しんでいる」
低い声。
「つまり半端者だ」
その瞬間。
龍之介の瞳から笑みが消えた。
初めてだった。
理解された。
否。
“見透かされた”。
それが彼には不快だった。
地下空間へ沈黙が落ちる。
そして。
ブラッドレイは静かに軍刀へ手を添えた。
「で?」
隻眼が冷たく光る。
「答えはどうした」
龍之介は数秒黙っていた。
だが。
次の瞬間。
また笑った。
今度は少し静かに。
「んー」
肩を竦める。
「じゃ、逃げる」
その瞬間。
切嗣がコンテンダーを抜いた。
だが。
ブラッドレイの方が速かった。