『冬木の静かな狂気』
アインツベルン城の夜は静まり返っていた。
吹雪だけが、白い世界を埋め尽くしている。
召喚陣の残光が消えた後も、空気には未だ強烈な魔力の残滓が漂っていた。
久宇舞弥は、無意識に銃へ手を伸ばしていた。
目の前に立つ男。
黒衣の剣士。
その存在感は、サーヴァントというより――。
巨大な猛獣。
少しでも気を抜けば喉笛を食い破られるような、圧倒的威圧感。
しかし。
その男は極めて静かだった。
「……変わらんな、切嗣」
セイバー――キング・ブラッドレイは、薄く笑った。
「あの頃より目が死んでいる」
「余計なお世話だ」
切嗣は短く返す。
だが、その声には僅かな揺れがあった。
死んだはずの男。
自ら墓標代わりの弾丸を供えた相手。
それが今、目の前にいる。
しかも。
サーヴァントとして。
「ふむ」
ブラッドレイは部屋を見渡した。
豪奢な石造りの室内。
アインツベルンの紋章。
高純度の霊脈。
そして。
城そのものを覆う、濃密な結界。
「相変わらず金のかかる連中だ」
「嫌いか?」
「嫌いではない。落ち着かんだけだ」
彼はコートを翻し、窓際へ歩く。
外は吹雪。
暗い雪原。
その背中を見ながら、切嗣は静かに煙草へ火をつけた。
「……本当に、お前なんだな」
「なんだ、その確認は」
「夢でも見ている気分だ」
「安心しろ。私もだ」
ブラッドレイは肩を竦める。
その仕草が、生前と全く同じだった。
だからこそ。
切嗣は、逆に現実感を失いそうになる。
舞弥が静かに口を開いた。
「サーヴァント・セイバー。確認します。あなたは聖杯戦争について、どこまで理解していますか」
ブラッドレイは振り返る。
その視線だけで、空気が張り詰めた。
「大凡は理解している」
低い声。
軍人の声だった。
「七騎の英霊による殺し合い。最後の一騎が聖杯を得る」
「その通りです」
「……で?」
ブラッドレイは笑う。
「今回は誰を殺せばいい」
あまりにも自然に。
あまりにも平然と。
まるで明日の天気を尋ねるように。
舞弥は一瞬だけ言葉を失った。
だが切嗣は、静かに煙を吐く。
「まだだ」
「ほう?」
「まずは情報収集を行う」
「慎重だな」
「死にたくないだけだ」
「違いない」
ブラッドレイは喉で笑った。
その笑い方を見て、切嗣は不意に過去を思い出す。
⸻
中東。
瓦礫の街。
銃声。
炎。
若い頃の切嗣は、まだ今ほど冷え切っていなかった。
理想を信じていた。
正義を信じていた。
世界は救えると思っていた。
そして。
その幻想を、徹底的に壊した男がいた。
『切嗣』
戦場跡。
ブラッドレイは血塗れの軍服で煙草を吸っていた。
周囲には死体。
数十。
いや、数百。
吸血鬼も。
傭兵も。
民兵も。
全て斬殺されていた。
『お前は何故、人を救おうとする』
『……何だ急に』
『理解できんのでな』
彼は本当に不思議そうだった。
『人間は醜い。愚かだ。争い続ける』
『それでも人間だからだ』
『ふむ』
ブラッドレイは笑った。
『やはりお前は甘い』
『悪かったな』
『いや』
静かに。
少しだけ優しい声音で。
彼は言った。
『私は、そういう人間が嫌いではない』
⸻
「切嗣」
現実へ引き戻される。
気付けば、ブラッドレイが目の前に立っていた。
「……どうした」
「何を考えている」
「昔を少しな」
「やめておけ」
セイバーは淡々と言う。
「過去は、人を鈍らせる」
「お前が言うのか」
「私だから言う」
一瞬。
その眼に、ほんの僅かな陰が差した。
切嗣は気付く。
この男もまた。
過去を引き摺っている。
死徒二十七祖との戦い。
殉職。
無数の戦場。
無数の死。
英雄などではない。
ただ戦い続けた男。
その果てに、“剣”へ成り果てた存在。
「……聖杯に願いはあるのか」
切嗣が問う。
ブラッドレイは沈黙した。
窓の外を見る。
白い雪。
静かな夜。
「無い」
短い返答。
だが。
切嗣には分かった。
嘘だ。
「お前は嘘が下手だな」
「ほう?」
「昔からそうだ」
セイバーは少しだけ笑った。
「願い、か」
その声は、どこか遠かった。
「もし叶うなら――」
彼は右目の眼帯へ触れる。
黒い布。
その奥に眠る、怪物の眼。
「普通の人生を知ってみたかった」
切嗣は黙る。
セイバーは続ける。
「朝起きて、働いて、家へ帰る」
「……」
「家族がいて、老いて、死ぬ」
その言葉には。
戦場の王ではなく。
ただの男の寂しさが滲んでいた。
「私には、それが最後まで理解出来なかった」
吹雪が窓を叩く。
静寂。
長い沈黙。
やがて切嗣が煙草を揉み消す。
「イリヤには会うな」
「何故だ?」
「怖がる」
「……私が?」
「お前、自覚ないのか」
ブラッドレイは僅かに考え込む。
「無いな」
「ある意味幸せだな」
「お前ほどではない」
切嗣は小さく鼻で笑った。
それは、この数年で初めて見せた自然な笑みだった。
舞弥はその光景を静かに見つめる。
信じ難いことだった。
あの衛宮切嗣が。
“魔術師殺し”が。
こんな顔をするなど。
セイバーはソファへ腰を下ろす。
そして、ふと問うた。
「アイリスフィールはどうした」
「休んでいる」
「体調か」
「ああ」
切嗣の声が僅かに硬くなる。
ブラッドレイは察した。
深くは聞かない。
代わりに。
「……守りたいか」
とだけ問う。
切嗣は即答した。
「ああ」
迷いの無い声。
ブラッドレイは静かに目を細める。
「なるほど」
そして。
ゆっくり立ち上がる。
軍刀の鍔へ手を置き。
まるで誓うように。
「ならば安心しろ、切嗣」
その声は低く。
重く。
絶対的だった。
「貴様が守れないものは、私が斬る」
その瞬間。
空気が変わった。
殺気。
否。
戦場そのもの。
久宇舞弥ですら、本能的に息を呑む。
この男は危険だ。
余りにも。
余りにも強すぎる。
だが同時に。
頼もしすぎた。
「……相変わらずだな、お前は」
切嗣が呟く。
「変わらんさ」
セイバーは笑う。
「死人になってもな」
雪は降り続ける。
静かに。
冬木へ向けて。
第四次聖杯戦争は、まだ始まっていない。
だが。
運命は既に動き出していた。
かつて死徒二十七祖を葬った黒剣。
その刃が再び現界したことで。
冬木の戦場は。
本来とは全く異なる地獄へ変わろうとしていた。