冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

30 / 39
第30話

地下水路を流れる濁った水が、低く、重たい音を立てていた。

 

 血が混じっている。

 

 肉片が沈んでいる。

 

 腐臭と鉄臭さが混ざり合い、呼吸をするだけで肺の奥が汚れていくようだった。

 

 壁一面に刻まれた魔術陣は既に輝きを失い、青白い燐光だけが、死体のように静かに明滅している。

 

 キャスターは消えた。

 

 あの狂気の魔術師――ジル・ド・レェは、最後の最後で確かに“騎士”として死んだ。

 

 堕ち果てながらも。

 

 狂いながらも。

 

 それでも最後の瞬間だけは、かつて仕えた聖女を想い、涙を流しながら滅びた。

 

 サーベルは、その死を知っている。

 

 だからこそ。

 

 今、目の前に転がる男を見ている隻眼には、別種の冷たさが宿っていた。

 

 龍之介は床へ倒れたまま、血塗れの顔で笑っていた。

 

 片足は既に使い物にならない。

 

 逃げることもできない。

 

 それでも、この男には死への実感が薄い。

 

 まるで現実感が欠落している。

 

「なぁ……」

 

 龍之介がへらへらと笑う。

 

「まだ俺、生きてんだなぁ」

 

 返事はない。

 

 サーベル――キング・ブラッドレイは静かに立っていた。

 

 微動だにしない。

 

 軍服の裾が、地下水路を抜ける冷たい風に僅かに揺れている。

 

 まるで処刑台の執行人だった。

 

 だが。

 

 その隻眼には、ただの殺意だけではないものがあった。

 

 観察。

 

 確認。

 

 そして――見定めるような光。

 

 切嗣は離れた位置から、その様子を黙って見ていた。

 

 煙草の火が赤く灯る。

 

 舞弥は子供達の搬送を終え、無言で周囲を警戒している。

 

 誰も口を挟まない。

 

 この空気を壊せなかった。

 

 やがて。

 

 サーベルがゆっくりと龍之介の前へ歩み寄る。

 

 軍靴が血溜まりを踏み締めた。

 

 ぴちゃり、と湿った音。

 

 龍之介が見上げる。

 

 その瞬間。

 

 隻眼が真正面から彼を捉えた。

 

 まるで魂を覗き込むような視線だった。

 

「キャスターのマスター」

 

 低い声。

 

 静かで。

 

 感情を押し殺した声。

 

「貴様は、人間か?」

 

「……は?」

 

 龍之介が間抜けな顔をする。

 

 意味が分からない。

 

 本当に分からない。

 

 サーベルは続けた。

 

「それとも――」

 

 静寂。

 

 地下空間の空気が張り詰める。

 

「ただの外道か?」

 

 龍之介の笑みが止まった。

 

 それは責める声音ではない。

 

 怒りでもない。

 

 もっと冷たい。

 

 もっと根源的な問いだった。

 

 お前は何だ、と。

 

 生き物として。

 

 人間として。

 

 何者なのだ、と。

 

 龍之介は数秒、ぽかんとしていた。

 

 やがて困ったように笑う。

 

「えぇ?」

「なんだよそれ」

 

「難しいこと聞くなぁ」

 

 頭を掻こうとして、激痛に顔を歪める。

 

「俺は俺だよ?」

「好きなことして、生きてきただけ」

 

「人殺すの、綺麗だったし」

「楽しかったし」

 

「だからやってた」

 

 子供のような答えだった。

 

 悪意ですらない。

 

 快楽のために壊す。

 

 その行為へ、意味を見出してすらいない。

 

 だからこそ。

 

 サーベルの目が、さらに冷えた。

 

「……空虚だな」

 

「ん?」

 

「貴様には、自分がない」

 

「欲望すら浅い」

「理念も覚悟もない」

 

「ただ刺激に流され、命を壊しているだけだ」

 

 龍之介は首を傾げた。

 

 理解できない。

 

 だが。

 

 なぜか胸の奥がざわつく。

 

 サーベルは静かに軍帽へ触れた。

 

 そして。

 

 低く、重い声で告げる。

 

「貴様のサーヴァントは、立派に逝った」

 

 空気が変わる。

 

 キャスター。

 

 ジル・ド・レェ。

 

 狂気に堕ちた怪物。

 

 数え切れぬ命を奪った外道。

 

 だが。

 

 最後の瞬間だけは違った。

 

 あの男は確かに、自らの罪を抱えたまま死んだ。

 

 醜く。

 

 哀れに。

 

 それでも、最後まで足掻いた。

 

 騎士として。

 

 一人の男として。

 

 だからサーベルは、十字を切った。

 

 哀れみを与えた。

 

 敬意を払った。

 

 だが。

 

 龍之介は違う。

 

 何もない。

 

 空っぽだ。

 

 だからこそ。

 

 サーベルは、あえて問いを向ける。

 

「私に見せてみろ」

 

 龍之介の瞳が揺れる。

 

 初めてだった。

 

 この男は今まで、自分を“見定めようとする人間”に出会ったことがない。

 

 皆、恐怖した。

 

 嫌悪した。

 

 怒った。

 

 だが。

 

 目の前の男は違う。

 

 怪物を見るような目ではない。

 

 もっと厳しい。

 

 もっと深い。

 

「貴様は人間か」

「それとも、ただの外道か」

 

「死ぬその瞬間まで抗ってみせろ」

 

 サーベルの隻眼が鋭く細まる。

 

「恐怖しろ」

「生へ縋れ」

「無様に足掻け」

 

「それが出来るなら――」

 

 静かに。

 

 本当に静かに。

 

 キング・ブラッドレイは告げた。

 

「貴様はまだ、人間だ」

 

 龍之介の喉が鳴った。

 

 理解はできない。

 

 だが。

 

 胸の奥に、今まで感じたことのない感覚が広がっていく。

 

 怖い。

 

 違う。

 

 苦しい。

 

 いや。

 

 これは――。

 

 初めて、“死”を想像した感覚だった。

 

 切嗣は煙草を握ったまま、その光景を見つめていた。

 

(……人間を試しているのか)

 

 理解し難い行為だった。

 

 衛宮切嗣なら撃つ。

 

 即座に。

 

 迷わず。

 

 だがサーベルは違う。

 

 この男は、最後の瞬間に“人間性”を問う。

 

 それは甘さなのか。

 

 あるいは。

 

 戦場を生き抜いた果てに辿り着いた、一種の矜持なのか。

 

 言峰綺礼は暗闇の中で静かに笑った。

 

 微笑ではない。

 

 愉悦に近い歪みだった。

 

「……面白い」

 

 ぽつりと呟く。

 

「怪物でありながら、人間を求めるか」

 

 綺礼には理解できない。

 

 だが。

 

 だからこそ惹かれる。

 

 キング・ブラッドレイという男は。

 

 誰よりも多くを殺しながら。

 

 誰よりも“人間”へ執着していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。