地下水路を流れる濁った水が、低く、重たい音を立てていた。
血が混じっている。
肉片が沈んでいる。
腐臭と鉄臭さが混ざり合い、呼吸をするだけで肺の奥が汚れていくようだった。
壁一面に刻まれた魔術陣は既に輝きを失い、青白い燐光だけが、死体のように静かに明滅している。
キャスターは消えた。
あの狂気の魔術師――ジル・ド・レェは、最後の最後で確かに“騎士”として死んだ。
堕ち果てながらも。
狂いながらも。
それでも最後の瞬間だけは、かつて仕えた聖女を想い、涙を流しながら滅びた。
サーベルは、その死を知っている。
だからこそ。
今、目の前に転がる男を見ている隻眼には、別種の冷たさが宿っていた。
龍之介は床へ倒れたまま、血塗れの顔で笑っていた。
片足は既に使い物にならない。
逃げることもできない。
それでも、この男には死への実感が薄い。
まるで現実感が欠落している。
「なぁ……」
龍之介がへらへらと笑う。
「まだ俺、生きてんだなぁ」
返事はない。
サーベル――キング・ブラッドレイは静かに立っていた。
微動だにしない。
軍服の裾が、地下水路を抜ける冷たい風に僅かに揺れている。
まるで処刑台の執行人だった。
だが。
その隻眼には、ただの殺意だけではないものがあった。
観察。
確認。
そして――見定めるような光。
切嗣は離れた位置から、その様子を黙って見ていた。
煙草の火が赤く灯る。
舞弥は子供達の搬送を終え、無言で周囲を警戒している。
誰も口を挟まない。
この空気を壊せなかった。
やがて。
サーベルがゆっくりと龍之介の前へ歩み寄る。
軍靴が血溜まりを踏み締めた。
ぴちゃり、と湿った音。
龍之介が見上げる。
その瞬間。
隻眼が真正面から彼を捉えた。
まるで魂を覗き込むような視線だった。
「キャスターのマスター」
低い声。
静かで。
感情を押し殺した声。
「貴様は、人間か?」
「……は?」
龍之介が間抜けな顔をする。
意味が分からない。
本当に分からない。
サーベルは続けた。
「それとも――」
静寂。
地下空間の空気が張り詰める。
「ただの外道か?」
龍之介の笑みが止まった。
それは責める声音ではない。
怒りでもない。
もっと冷たい。
もっと根源的な問いだった。
お前は何だ、と。
生き物として。
人間として。
何者なのだ、と。
龍之介は数秒、ぽかんとしていた。
やがて困ったように笑う。
「えぇ?」
「なんだよそれ」
「難しいこと聞くなぁ」
頭を掻こうとして、激痛に顔を歪める。
「俺は俺だよ?」
「好きなことして、生きてきただけ」
「人殺すの、綺麗だったし」
「楽しかったし」
「だからやってた」
子供のような答えだった。
悪意ですらない。
快楽のために壊す。
その行為へ、意味を見出してすらいない。
だからこそ。
サーベルの目が、さらに冷えた。
「……空虚だな」
「ん?」
「貴様には、自分がない」
「欲望すら浅い」
「理念も覚悟もない」
「ただ刺激に流され、命を壊しているだけだ」
龍之介は首を傾げた。
理解できない。
だが。
なぜか胸の奥がざわつく。
サーベルは静かに軍帽へ触れた。
そして。
低く、重い声で告げる。
「貴様のサーヴァントは、立派に逝った」
空気が変わる。
キャスター。
ジル・ド・レェ。
狂気に堕ちた怪物。
数え切れぬ命を奪った外道。
だが。
最後の瞬間だけは違った。
あの男は確かに、自らの罪を抱えたまま死んだ。
醜く。
哀れに。
それでも、最後まで足掻いた。
騎士として。
一人の男として。
だからサーベルは、十字を切った。
哀れみを与えた。
敬意を払った。
だが。
龍之介は違う。
何もない。
空っぽだ。
だからこそ。
サーベルは、あえて問いを向ける。
「私に見せてみろ」
龍之介の瞳が揺れる。
初めてだった。
この男は今まで、自分を“見定めようとする人間”に出会ったことがない。
皆、恐怖した。
嫌悪した。
怒った。
だが。
目の前の男は違う。
怪物を見るような目ではない。
もっと厳しい。
もっと深い。
「貴様は人間か」
「それとも、ただの外道か」
「死ぬその瞬間まで抗ってみせろ」
サーベルの隻眼が鋭く細まる。
「恐怖しろ」
「生へ縋れ」
「無様に足掻け」
「それが出来るなら――」
静かに。
本当に静かに。
キング・ブラッドレイは告げた。
「貴様はまだ、人間だ」
龍之介の喉が鳴った。
理解はできない。
だが。
胸の奥に、今まで感じたことのない感覚が広がっていく。
怖い。
違う。
苦しい。
いや。
これは――。
初めて、“死”を想像した感覚だった。
切嗣は煙草を握ったまま、その光景を見つめていた。
(……人間を試しているのか)
理解し難い行為だった。
衛宮切嗣なら撃つ。
即座に。
迷わず。
だがサーベルは違う。
この男は、最後の瞬間に“人間性”を問う。
それは甘さなのか。
あるいは。
戦場を生き抜いた果てに辿り着いた、一種の矜持なのか。
言峰綺礼は暗闇の中で静かに笑った。
微笑ではない。
愉悦に近い歪みだった。
「……面白い」
ぽつりと呟く。
「怪物でありながら、人間を求めるか」
綺礼には理解できない。
だが。
だからこそ惹かれる。
キング・ブラッドレイという男は。
誰よりも多くを殺しながら。
誰よりも“人間”へ執着していた。