冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第32話

地下水路に満ちる空気は、既に“戦闘”のものではなかった。

 

 キャスターは消滅した。

 

 召喚された異形達も斬り伏せられ、血塗れの魔術工房は沈黙している。

 

 残っているのは。

 

 崩れた肉塊。

 

 冷え始めた死体。

 

 そして。

 

 終わりを待つ、一人の男だけだった。

 

 龍之介は床へ這いつくばっていた。

 

 血で濡れた指先が、石畳を掻く。

 

 逃げたい。

 

 生きたい。

 

 だが脚は動かない。

 

 視界は滲み、呼吸は乱れ、心臓だけが異様なほど大きな音を立てていた。

 

 怖い。

 

 ただ、それだけが頭を埋め尽くしている。

 

 ほんの数十分前まで。

 

 この男は人の死を笑っていた。

 

 子供の悲鳴を音楽のように聞き、流れる血を芸術と呼んでいた。

 

 だが今。

 

 その全てが自分へ向けられる側になった瞬間、龍之介は初めて理解し始めていた。

 

 死とは、終わりだ。

 

 恐怖だ。

 

 生を奪われることだ。

 

 セイバー――キング・ブラッドレイは、その姿を静かに見下ろしていた。

 

 軍刀を構えたまま。

 

 微動だにせず。

 

 地下の薄暗い燐光が、刃に鈍く反射している。

 

 その姿は、まるで処刑人だった。

 

 いや。

 

 もっと静かで、もっと完成されている。

 

 “殺す”という行為を極め切った者だけが持つ、異様な静謐さ。

 

 切嗣は壁際で煙草を咥えたまま、その背中を見つめていた。

 

 サーヴァント。

 

 怪物。

 

 戦場の兵器。

 

 その認識は間違っていない。

 

 だが。

 

 目の前の男は、それだけではなかった。

 

 この男は、人を殺す瞬間ですら、“人間”を見ている。

 

 それが衛宮切嗣には理解できない。

 

 同時に。

 

 理解できないからこそ、目を離せなかった。

 

 龍之介が、震える声を漏らす。

 

「……なぁ」

 

「俺、怖ぇよ」

 

 返事はない。

 

「すっげぇ怖ぇ」

 

「死ぬの、嫌だ」

 

 涙と鼻水で顔が崩れている。

 

 無様だった。

 

 醜かった。

 

 だが。

 

 その姿から目を逸らさなかった。

 

 隻眼が静かに細まる。

 

 そして。

 

 キング・ブラッドレイは、明確な殺意を宿した声で告げた。

 

「貴様は、人間だ」

 

 その言葉は。

 

 断罪ではなかった。

 

 許しでもない。

 

 まして救済などではない。

 

 ただ。

 

 冷徹な事実として告げられた言葉だった。

 

 龍之介の瞳が揺れる。

 

「……ぇ」

 

「恐怖している」

 

「生へ縋っている」

 

「死を拒絶している」

 

 サーベルが、ゆっくりと龍之介へ向けられる。

 

「それこそが、人間だ」

 

 龍之介の喉が震えた。

 

 理解できない。

 

 自分は外道だ。

 

 怪物だ。

 

 そう呼ばれてきた。

 

 そう笑われ、恐れられてきた。

 

 だが。

 

 目の前の男だけは違う。

 

 この男は、自分を怪物とは呼ばなかった。

 

 最後の最後で。

 

 “人間”だと告げた。

 

 それが何故か。

 

 どうしようもなく胸へ刺さった。

 

 静かに息を吐く。

 

 その顔には、怒りも憎しみもない。

 

 あるのは、ただ静かな覚悟だけだった。

 

「さて――」

 

 軍靴が一歩、前へ出る。

 

 ぴちゃり、と血溜まりを踏む音。

 

 龍之介がびくりと震える。

 

 隻眼が、鋭く細まった。

 

「つまらん話は終わりだ」

 

 空気が凍った。

 

 瞬間。

 

 龍之介の本能が理解する。

 

 来る。

 

 死が。

 

 絶対的な終わりが。

 

 ゆっくりとサーベルを構え直した

 

あまりにも自然な動きだった。

 

 長年の鍛錬。

 

 幾千幾万の殺し合い。

 

 その果てに辿り着いた、“最短で命を奪うため”だけの構え。

 

 美しさすら感じるほど完成されている。

 

 龍之介は床を掻いた。

 

「ま、待っ――」

 

「断る」

 

 即答。

 

 一切の情がない。

 

「貴様はここで死ぬ」

 

 静かな宣告。

 

「だが、悪くない最期だった」

 

 龍之介の瞳が揺れる。

 

「え……?」

 

 セイバーは答える。

 

「貴様は最後に、恐怖した」

 

「生へ縋った」

 

「無様に足掻いた」

 

「それでいい」

 

 その声音には、奇妙な静けさがあった。

 

 まるで。

 

 ようやく役目を終えた兵士へ向ける言葉のように。

 

 龍之介の呼吸が震える。

 

 涙が零れる。

 

 怖い。

 

 死にたくない。

 

 まだ生きたい。

 

 その感情だけが、ぐちゃぐちゃに胸を満たしていた。

 

 サーベルを振り上げる。

 

 鋼が地下の光を反射する。

 

 切嗣は黙って見ていた。

 

 止めない。

 

 もう終わりだ。

 

 これは処刑。

 

 そして。

 

 キング・ブラッドレイなりの、“弔い”だった。

 

 言峰綺礼は暗闇から静かにその光景を眺めていた。

 

 口元が僅かに歪む。

 

「……なるほど」

 

 愉悦とも、感嘆とも違う声。

 

「最後の最後で、人間として認めるか」

 

 綺礼には理解できない。

 

 だが。

 

 だからこそ興味深い。

 

 キング・ブラッドレイは、怪物だ。

 

 だが。

 

 その怪物は、誰よりも“人間”へ執着していた。

 

 そして。

 

 軍刀が、静かに振り下ろされた。

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