地下空間に満ちていた殺気は、未だ消えてはいなかった。
キャスター陣営は壊滅した。
その事実に疑いはない。
だが。
聖杯戦争そのものが終わったわけではない。
むしろ今この瞬間こそが、本当の意味での“再開”だった。
共闘という名の猶予期間。
異常事態への一時休戦。
それが終わりを迎えた以上、ここにいる全員が再び敵へ戻る。
ライダー陣営。
ランサー陣営。
監督役である言峰綺礼。
そして衛宮切嗣とセイバー。
誰もが互いを警戒していた。
地下水路の冷気が流れる。
血の臭いは消えない。
龍之介の亡骸は、既にただの肉塊へ変わっていた。
その死を惜しむ者は誰もいない。
セイバー――キング・ブラッドレイは静かに周囲を見回した後、ゆっくりと言峰綺礼へ視線を向けた。
軍帽の影。
鋭い隻眼。
その視線を受けながら、綺礼は微笑ともつかぬ表情を浮かべている。
神父は理解していた。
この男は今、戦える。
しかも万全に近い状態で。
キャスターとの戦闘直後にも関わらず、息一つ乱れていない。
地下空間にいる全員を相手取っても、本気で戦闘を開始しかねない圧力があった。
そして何より。
セイバー自身が、それを理解した上で平然としている。
だからこそ恐ろしい。
沈黙を破ったのは、セイバーだった。
「神父」
低い声。
綺礼が静かに目を向ける。
一歩だけ前へ出た。
「約束の令呪を、マスターへ」
その言葉と共に。
地下空間の空気が、再び静かに張り詰めた。
聖堂教会が提示した報酬。
キャスター討伐への協力者へ与えられる追加令呪。
前代未聞の特例。
それを受ける権利は、間違いなく今ここにいる陣営にある。
だが。
問題は、その“価値”だった。
令呪は絶対命令権。
サーヴァントを縛る最後の楔。
それが増えるという事は、この戦争における主導権そのものが変わる。
綺礼は数秒、沈黙した。
まるで試すように見た。
「随分と率直だな」
「必要なものを要求しているだけだ」
即答。
一切の遠慮がない。
綺礼の口元が僅かに歪む。
「他の陣営の前で、それを口にするか」
「構わん」
セイバー声に迷いはなかった。
「欲するなら奪いに来い」
その瞬間。
ウェイバーの背筋に冷たいものが走る。
イスカンダルは豪快に笑った。
「ははははは!」
「良いぞ! 実に良い!」
征服王は愉快そうに肩を揺らす。
「そうでなくては戦争は面白くない!」
一方で。
ランサー陣営。
ケイネスの表情は険しかった。
追加令呪。
それは無視できない。
特に、ディルムッドという優秀なサーヴァントを持つ以上、戦力維持のためにも欲しい。
だが。
今ここで動けばどうなるか。
理解できないほど愚かではない。
ケイネスは苛立たしげに舌打ちした。
「……化け物め」
ディルムッドは静かにセイバーを見ていた。
騎士として。
戦士として。
先程の戦いを見届けた彼には分かる。
この男は今、最も危険な状態にある。
戦闘直後。
血の熱を残しながら、精神だけは異様なまでに静まり返っている。
戦場で最も恐ろしい兵士の状態だった。
切嗣は無言だった。
だが、その視線は綺礼から外れていない。
言峰綺礼。
監督役。
そして恐らく、自分と同種の男。
切嗣は理解していた。
この神父は“今”を楽しんでいる。
均衡。
緊張。
誰が最初に動くのか。
誰が誰を殺すのか。
それを見ている。
綺礼は静かに息を吐いた。
「……無論、約束は守る」
そう言って、黒衣の神父はゆっくりと前へ出る。
地下空間へ、靴音が響く。
「監督役として、私は公平でなければならない」
その言葉に。
切嗣の目が僅かに細まった。
嘘だ。
あるいは半分だけ本当。
公平など、この男の本質ではない。
だが今は、それを演じている。
綺礼は続けた。
「キャスター討伐への貢献を認めよう」
「追加令呪は、衛宮切嗣へ与えられる」
その瞬間。
地下空間に再び静かな緊張が走る。
ライダー陣営。
ランサー陣営。
双方が、切嗣を見た。
令呪が増える。
つまり。
セイバーという怪物への拘束力がさらに強化されるという事だ。
それは脅威だった。
綺礼はゆっくりと切嗣の前へ立つ。
黒鍵を構えるでもなく。
敵意を見せるでもなく。
ただ静かに。
「右手を」
切嗣は数秒、沈黙した。
罠か。
挑発か。
あるいは。
ただの儀式か。
だが。
ここで拒絶する意味はない。
ゆっくりと右手を差し出す。
綺礼の指先が、令呪の痕へ触れた。
瞬間。
赤い光が浮かび上がる。
熱。
魔力。
神経へ直接刻み込まれるような痛み。
切嗣は眉一つ動かさない。
そして。
新たな紋様が、右手へ刻まれた。
追加令呪。
聖杯戦争における、新たな力。
地下空間が静まり返る。
綺礼はゆっくりと手を離した。
「これで契約は果たした」
切嗣は自らの右手を見下ろす。
増えた令呪。
その意味を理解している。
そして。
セイバーは静かにそれを見ていた。