冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第35話

地下水路に満ちていた緊張が、一瞬だけ止まった。

 

 誰もが、セイバーの次の言葉を警戒していた。

 

 乱戦か。

 

 奇襲か。

 

 あるいは、ここで誰かの首が飛ぶのか。

 

 ライダー陣営も。

 

 ランサー陣営も。

 

 言峰綺礼ですら、次の一言を待っていた。

 

 だが。

 

 キング・ブラッドレイは、静かに軍帽を被り直し。

 

 まるで今思い出したかのように、低く言った。

 

「さて、今日はお開きだ」

 

 沈黙。

 

 ウェイバーがぽかんと口を開ける。

 

「……は?」

 

 地下空間の空気が、妙な方向へ崩れた。

 

 構わず続ける。

 

「切嗣」

 

 衛宮切嗣が視線だけを向ける。

 

 平然と言った。

 

「みかんを買って帰るぞ」

 

 数秒。

 

 本当に数秒、誰も反応できなかった。

 

 地下には龍之介の死体が転がっている。

 

 血の臭いが充満している。

 

 つい先程まで怪物達との死闘が繰り広げられていた。

 

 聖杯戦争の均衡が崩れ。

 

 追加令呪が与えられ。

 

 誰もが次の殺し合いを警戒していた。

 

 その空気の中で。

 

 セイバーは、“みかんを買って帰る”と言った。

 

 イスカンダルが最初に吹き出した。

 

「ぶはっ――ははははははは!!」

 

 征服王の豪快な笑い声が地下空間へ響く。

 

「貴様、本当に面白いな!」

 

 腹を抱えて笑っている。

 

「その流れでみかんとは何だ!」

「戦場の空気を全部壊しおったぞ!」

 

 ウェイバーは呆然としていた。

 

「いや、え?」

「今そんな話!?」

 

 一方。

 

 ディルムッドは数秒真顔を保った後、僅かに視線を逸らした。

 

 笑うまいとしている。

 

 だが完全に耐え切れていない。

 

 ケイネスは露骨に顔をしかめた。

 

「……なんなんだ貴様は本当に」

 

 心底理解不能だった。

 

 数分前まで、あれほど冷徹な処刑人の顔をしていた男が。

 

 今は平然と夕飯帰りのような事を言っている。

 

 その落差が異常すぎる。

 

 だが。

 

 誰よりも奇妙な顔をしていたのは、衛宮切嗣だった。

 

「……みかん?」

 

 当然のように頷く。

 

「イリヤと私が食べ尽くした」

 

「冬場だ、風邪予防にもなる」

 

 あまりにも真面目な声音だった。

 

 冗談ではない。

 

 本気だ。

 

 切嗣は数秒沈黙した後、深く煙草の煙を吐いた。

 

「……こんな状況でよく覚えていたな」

 

「必要な事は忘れん」

 

 即答。

 

 サーベルを腰へ戻しながら、平然と続ける。

 

「それに、戦場帰りに甘味を買うのは悪くない」

「気分が切り替わる」

 

 その言葉に。

 

 綺礼の目が僅かに細まった。

 

(なるほど)

 

 言峰綺礼は理解する。

 

 この男は、本当に異常だ。

 

 戦場と日常を完全に切り分けている。

 

 何百人殺そうと。

 

 どれほど血に塗れようと。

 

 その直後に、“帰宅後のみかん”を自然に考えられる。

 

 普通の兵士なら壊れている。

 

 普通の殺人者なら狂っている。

 

 だが。

 

 キング・ブラッドレイは、その両方を成立させている。

 

 怪物でありながら。

 

 異様なほど生活感がある。

 

 それが綺礼には、奇妙に映った。

 

「ふ……」

 

 神父の口元が、僅かに歪む。

 

「貴様は本当に、不思議な男だなセイバー」

 

 セイバーはちらりと綺礼を見る。

 

「そうかね?」

 

「少なくとも、今この空気でみかんの話を始める英霊は初めて見た」

 

 イスカンダルがまた大笑いする。

 

「違いない!!」

 

 地下空間の空気が、少しだけ緩む。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 殺し合いを忘れるように。

 

 だが。

 

 切嗣だけは理解していた。

 

 これは単なる気分転換ではない。

 

 セイバーなりの“終了宣言”だ。

 

 これ以上は戦わない。

 

 今日はここまでだと。

 

 だからあえて、くだらない日常の話を口にした。

 

 空気を切るために。

 

 戦場を終わらせるために。

 

 衛宮切嗣は小さく息を吐く。

 

「……分かった」

 

 コートを翻し、出口へ歩き出す。

 

「帰りに寄るぞ」

 

「うむ」

 

 満足そうに頷いた。

 

 そのまま二人は地下通路の出口へ向かう。

 

 背中を見せている。

 

 普通ならありえない。

 

 聖杯戦争で、敵へ背を向けるなど自殺行為だ。

 

 だが。

 

 誰も動かなかった。

 

 いや。

 

 動けなかった。

 

 今ここで斬りかかれば。

 

 間違いなく地下空間は再び血の海になる。

 

 誰もそれを望んでいない。

 

 少なくとも今夜は。

 

 出口へ向かいながら、ふと思い出したように言う。

 

「切嗣」

 

「なんだ」

 

「みかんは箱で買うか?」

 

 切嗣は額を押さえた。

 

「……好きにしろ」

 

 そのやり取りを聞きながら。

 

 言峰綺礼は静かに二人の背を見送っていた。

 

 怪物。

 

 殺人者。

 

 だが。

 

 あの背中には奇妙な“日常”があった。

 

 それが綺礼には、どうしようもなく理解できない。

 

 そして。

 

 理解できないからこそ、興味深かった。

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