冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第37話

アインツベルン城へ戻る頃には、空が薄く白み始めていた。

 

 冬木の夜明け前。

 

 最も静かな時間。

 

 雪こそ降っていないが、空気は鋭く冷たく、吐く息が白い。

 

 森の奥に佇む城は、相変わらず現実感の薄い姿でそこにあった。

 

 つい数時間前まで。

 

 地下水路では血が流れ、悲鳴が響き、サーヴァント同士の殺気がぶつかっていた。

 

 だが。

 

 ここには静寂がある。

 

 暖炉の火。

 

 柔らかな灯り。

 

 人の生活の匂い。

 

 戦場とは切り離された、束の間の日常だった。

 

 玄関扉を開けると、暖かな空気が流れ出る。

 

 リビングには灯りが残っていた。

 

 アイリスフィールが、ソファで静かに本を読んでいる。

 

 銀色の髪が暖炉の火に照らされ、柔らかく揺れていた。

 

 彼女は扉の音に顔を上げる。

 

 そして。

 

 二人の姿を見た瞬間、安堵したように微笑んだ。

 

「おかえりなさい」

 

 その言葉だけで。

 

 地下に残っていた血の匂いが、少しだけ遠ざかる。

 

 切嗣は短く答える。

 

「……ああ」

 

 セイバーは片手に持っていた袋を持ち上げた。

 

「みかんを買ってきた」

 

 アイリスフィールが、一瞬きょとんとする。

 

「……みかん?」

 

「うむ」

 

 真顔だった。

 

「切れていただろう」

 

 アイリスフィールは数秒沈黙した後、ふっと笑う。

 

「ふふ……ありがとう」

 

 切嗣はコートを脱ぎながら、そのやり取りを横目で見ていた。

 

 戦場では、あれほど冷徹な男が。

 

 今は本当に、“ただみかんを買って帰ってきた人”の顔をしている。

 

 その切り替えに、未だ慣れない。

 

 セイバーは袋をテーブルへ置くと、軍帽を脱いだ。

 

 ようやく見える額には、僅かな汗。

 

 だが疲労はほとんど感じさせない。

 

「子供達は?」

 

 アイリスフィールが静かに尋ねる。

 

セイバーの表情が、ほんの少しだけ硬くなる。

 

「……助かった者もいる」

 

 それだけだった。

 

 それ以上は語らない。

 

 語る必要もない。

 

 アイリスフィールは、その沈黙から全てを察した。

 

「そう……」

 

 小さく目を伏せる。

 

 切嗣は煙草を取り出しかけて、やめた。

 

 代わりにソファへ深く腰を下ろす。

 

 身体が重い。

 

 精神も。

 

 キャスターは倒した。

 

 だが。

 

 綺礼の事が頭から離れない。

 

 あの男は確実に動き始めている。

 

 そして。

 

 セイバーにも興味を抱いている。

 

 それが妙に嫌だった。

 

 一方。

 

 暖炉の前へ立ち、静かに火を見つめていた。

 

 ぱち、と薪が爆ぜる。

 

 その横顔には、戦場の気配が残っている。

 

 だが。

 

 不思議と空気は穏やかだった。

 

 やがて。

 

 アイリスフィールがみかんを一つ剥き始める。

 

 冬の静かな音。

 

 皮の裂ける匂いが、暖かな部屋へ広がった。

 

「はい、セイバー」

 

 差し出されたみかんを受け取る。

 

「……うむ」

 

 真面目な顔で一房食べる。

 

 数秒。

 

「甘いな」

 

 アイリスフィールが笑う。

 

「当たりだったみたい」

 

 その光景を見ながら。

 

 切嗣は静かに目を閉じた。

 

 束の間だった。

 

 本当に短い時間だけ。

 

 戦争を忘れられる。

 

 暖炉。

 

 みかん。

 

 穏やかな会話。

 

 普通の家庭なら、どこにでもある光景。

 

 だが。

 

 自分達には、その“普通”が酷く遠い。

 

 だからこそ。

 

 今この瞬間だけは、妙に胸へ染みた。

 

 セイバーが、ふと切嗣を見る。

 

「どうした」

 

「……別に」

 

「顔が死んでいるぞ」

 

「元からだ」

 

 即答。

 

 アイリスフィールが思わず吹き出す。

 

 セイバーも僅かに口元を歪めた。

 

 ほんの少しだけ。

 

 本当に少しだけだったが。

 

 それは、戦場では決して見せない表情だった。

 

 暖炉の火が揺れる。

 

 外は寒い。

 

 戦争は終わらない。

 

 明日になれば、また誰かを疑い、殺し合う。

 

 綺礼も。

 

 遠坂も。

 

 ケイネスも。

 

 全員が動き出す。

 

 だが。

 

 今だけは違った。

 

 サーヴァントでも。

 

 魔術師でも。

 

 殺人者でもない。

 

 ただ。

 

 みかんを食べながら暖炉を囲む、奇妙な同居人達だった。

 

 その束の間の日常が。

 

 あまりにも静かで。

 

 あまりにも儚かった。

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