暖炉の火が、静かに揺れていた。
ぱち、と薪が爆ぜる音だけが、広いリビングへゆっくり響く。
外はまだ薄暗い。
夜明け前の森は静まり返り、雪こそ降っていないものの、窓の向こうには冬特有の冷えた空気が漂っていた。
テーブルの上には、剥かれたみかんの皮。
甘い香りが、ほんの僅かに部屋へ残っている。
数時間前。
地下水路では血が流れていた。
怪物が蠢き。
人が死に。
サーヴァント達が殺気をぶつけ合っていた。
だが今は、静かだった。
あまりにも静かで。
だからこそ。
次に来る嵐を、より鮮明に感じさせる。
切嗣はソファへ深く腰掛けたまま、火を見つめていた。
煙草は吸っていない。
珍しく。
考え事をしている時の顔だった。
セイバー――キング・ブラッドレイは暖炉の前へ立ち、腕を組んでいる。
軍服姿のまま。
まるで、戦場からまだ完全には戻ってきていないようだった。
やがて。
セイバーが低く口を開く。
「さて」
静かな声。
「どうするかね? 切嗣」
切嗣は目だけを向ける。
サーベルは続けた。
「まだ待機するのか?」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
アイリスフィールも、静かに二人を見る。
それは単なる確認ではない。
“次の局面”についての問いだった。
キャスターは消えた。
共同戦線は終わった。
ここから先は、本格的な聖杯戦争だ。
切嗣はしばらく答えなかった。
暖炉の火だけが揺れている。
やがて、低く息を吐いた。
「……まだ動かない」
隻眼が細まる。
「理由は?」
「今夜、全陣営がお前を見た」
即答だった。
切嗣の声は冷静だ。
既に思考は次の戦いへ移っている。
「ライダー」
「ランサー」
「遠坂」
「綺礼」
「全員がお前を危険視している」
黙って聞いている。
「特に綺礼だ」
切嗣の目が僅かに鋭くなる。
「あの神父は動く」
「確実にな」
アイリスフィールが静かに視線を落とす。
言峰綺礼。
監督役。
だが。
衛宮切嗣は最初から理解していた。
あの男は“ただの神父”ではない。
同類だ。
人を殺す事へ適応した人間。
だからこそ危険だった。
低く問う。
「恐れているのか?」
「警戒している」
切嗣は即答した。
「恐怖とは違う」
セイバーの口元が、僅かに歪む。
「同じだろう」
「違う」
切嗣は火を見つめたまま答える。
「恐怖は判断を鈍らせる」
「警戒は、生存率を上げる」
数秒の沈黙。
小さく鼻を鳴らした。
「合理的だな」
「お前ほどじゃない」
アイリスフィールは、そのやり取りを静かに聞いていた。
似ている。
この二人は。
考え方は違う。
価値観も違う。
だが。
どちらも“戦場”を知り過ぎている。
だから会話が短い。
必要以上に説明しない。
互いに、“何を考えているか”を察してしまう。
セイバーは暖炉の火へ視線を戻す。
「ライダーはどう見る」
「正面から来る」
「うむ」
納得したように頷く。
「ランサーは?」
「騎士道に拘る」
「……あれは面倒だな」
「お前が言うのか」
珍しく。
切嗣の口調に微かな皮肉が混ざった。
平然としている。
「騎士は嫌いではない」
「だが、死に方へ拘る兵士は長生きせん」
切嗣は目を細める。
その言葉には、実感があった。
キング・ブラッドレイは。
理想ではなく、“生存”で戦場を渡ってきた男だ。
だから強い。
だから恐ろしい。
そして。
だからこそ。
時折見せる“人間らしさ”が異様に映る。
切嗣の表情が僅かに硬くなる。
「分かってる」
セイバーは無言。
数秒沈黙した後、小さく息を吐いた。
「気味の悪い男だ」
その声音には、珍しく本音が混じっていた。
「目が死んでいる」
「だが、内側だけ妙に熱い」
切嗣の瞳が細まる。
同感だった。
綺礼は空虚だ。
だが、その空虚の底で何かが燃えている。
あの男は危険だ。
ふと切嗣を見る。
「……ならば尚更、先に斬るべきではないのか?」
暖炉の火が揺れた。
切嗣は即答しない。
長い沈黙。
やがて。
「まだ早い」
低い声。
「綺礼は尻尾を出していない」
「今動けば、遠坂まで敵に回る」
「ライダーとランサーも巻き込まれる可能性が高い」
セイバーは静かに聞いている。
「勝てないとは言わん」
切嗣は続けた。
「だが、消耗が大きすぎる」
「今はまだ、“待つ”方が得だ」
数秒、切嗣を見つめていた。
やがて。
小さく笑う。
「なるほど」
その笑みは薄い。
だが。
どこか愉快そうだった。
「お前は本当に、“狩人”だな」
切嗣は答えない。
否定もしない。
セイバーは暖炉の火へ視線を戻し、静かに言った。
「ならば待とう」
「獣が動くまで」
その声には焦りがない。
戦場を知る者の静けさだけがあった。
そして。
冬木の夜は、ゆっくりと朝へ近づいていく。
束の間の日常。
だがその裏では。
次の殺意が、確実に牙を研いでいた。