冬木の空気が、変わり始めていた。
それは爆発的な変化ではない。
誰かが突然死んだわけでも。
大規模な戦闘が起きたわけでもない。
だが。
確実に。
ゆっくりと。
聖杯戦争そのものの“流れ”が変質し始めていた。
⸻
最初に異変へ気づいたのは、言峰綺礼だった。
教会地下。
薄暗い礼拝堂。
蝋燭の火だけが揺れる空間で、綺礼は静かに報告書を読んでいた。
アサシン達から集まる情報。
各陣営の移動。
監視記録。
魔力反応。
通常なら、戦争はここから停滞する。
互いを警戒し。
様子を窺い。
誰かが焦れて動くのを待つ。
だが。
違った。
「……動きが早い」
綺礼が小さく呟く。
ライダー陣営。
ランサー陣営。
双方が明らかに準備を急いでいる。
特に問題なのは、“連携”だった。
本来なら有り得ない。
敵同士であるはずの陣営が、互いを強く意識し始めている。
原因は明白だった。
セイバー。
キング・ブラッドレイ。
あの男の存在が、全陣営の危機感を異常な水準へ引き上げている。
綺礼はゆっくり目を閉じる。
(均衡が崩れ始めている)
誰もが理解してしまった。
一対一では危険だと。
真正面からぶつかれば死ぬと。
だからこそ。
“複数で対処する”という発想が、各陣営へ自然に芽生え始めている。
それは聖杯戦争において、極めて異常な事態だった。
⸻
一方。
衛宮切嗣もまた、変化を察知していた。
アインツベルン城地下。
作戦室。
机の上には、新たな監視記録が並んでいる。
ホテル周辺の使い魔増加。
港湾地区の異常な魔力反応。
教会周辺での隠密監視。
切嗣は煙草を咥えたまま、静かに地図を見つめる。
「……来るな」
低い呟き。
久宇舞弥が視線を向ける。
「どこが動きますか」
「全員だ」
即答だった。
「ただし、同時じゃない」
切嗣は冷静に分析していた。
ケイネスは焦っている。
ライダーは動く理由を探している。
遠坂はまだ静観。
だが。
綺礼だけは別だ。
あの男は、“待つ側”ではない。
切嗣には分かる。
言峰綺礼は今、“楽しみ始めている”。
それが最悪だった。
⸻
その頃。
セイバー――キング・ブラッドレイは、城の外へ出ていた。
単独行動。
切嗣は止めなかった。
止めても無駄だからだ。
冬木市の街並み。
昼。
人々は何も知らずに歩いている。
学生。
会社員。
買い物袋を抱えた主婦。
普通の日常。
その中を、軍服姿の男が静かに歩く。
異様な光景だ。
だが。
この男は気にしていない。
その隻眼は、街そのものを観察していた。
(空気が変わった)
兵士の勘だった。
人の流れ。
視線。
気配。
戦場へ変わる前兆。
それを感じ取っている。
そして。
知っていた。
自分自身が、その原因の一つである事も。
地下水路で見せすぎた。
力を。
殺意を。
だから敵は変わる。
単独で来ない。
罠を張る。
消耗を狙う。
“戦争”として正しい方向へ進み始める。
小さく笑う。
「それでいい」
むしろ歓迎していた。
生温い探り合いより遥かにマシだ。
そして。
真正面から殺意を向けてくる敵の方が、理解しやすい。
⸻
ライダー陣営でも変化が起きていた。
ウェイバーは驚いていた。
「……え?」
机に広げられた地図。
その上へ、イスカンダルが次々と印をつけていく。
「待ってライダー」
「何これ」
「包囲網だ」
あまりにも自然に答える。
ウェイバーが目を見開く。
「誰の!?」
「セイバー」
沈黙。
ウェイバーは絶句した。
「い、いや待って」
「共闘なんて無理だろ!?」
「無論、正式にはやらん」
イスカンダルは笑う。
「だが、皆考える事は同じだ」
真正面から戦いたくない。
それが今の全陣営共通認識だった。
つまり。
誰かがサーベルへ仕掛ければ。
別陣営も、“漁夫の利”を狙って動く可能性が高い。
結果として。
半ば自然発生的な連携が起きる。
イスカンダルは豪快に笑った。
「ははは!」
「面白くなってきたではないか!」
だが。
その目は鋭い。
征服王は理解している。
これは既に、“普通の聖杯戦争”ではない。
⸻
そして。
最も危機感を強めていたのは、ランサー陣営だった。
ケイネスは苛立っていた。
「何故こうなる!」
机を叩く。
ソラウが顔をしかめる。
「うるさいわね」
「うるさくもなる!」
ケイネスの焦燥は限界に近づいていた。
セイバーが強すぎる。
しかも。
他陣営まで動き始めている。
このままでは埋もれる。
聖杯へ届く前に消耗させられる。
ディルムッドは静かに窓の外を見ていた。
「……嵐になります」
ぽつりと呟く。
ケイネスが睨む。
「何だと?」
「もう、誰も静観できない」
ディルムッドは理解していた。
キング・ブラッドレイの存在が、戦争を加速させている。
強すぎる存在は、均衡を壊す。
だから皆、動かざるを得ない。
⸻
そして。
言峰綺礼は、静かに笑っていた。
教会の窓から冬木市を見下ろす。
夜。
街の灯りが広がっている。
平和な街。
だがその裏側では、殺意が連鎖し始めていた。
綺礼は小さく呟く。
「……なるほど」
「貴様が、戦争を動かすか」
キング・ブラッドレイ。
怪物。
兵士。
王。
そして。
人間。
その存在そのものが。
冬木の聖杯戦争を、静かに狂わせ始めていた。