『アインツベルンの朝』
翌朝。
アインツベルン城は静かだった。
外では雪が降り続けている。
分厚い雲に覆われた空。
白銀の森。
凍りつく風。
だが城内だけは、不自然なほど暖かい。
廊下を歩くブラッドレイは、無言で周囲を見回していた。
高級絨毯。
巨大なシャンデリア。
磨き抜かれた大理石。
「……落ち着かんな」
ぽつりと呟く。
その姿は完全に場違いだった。
黒い軍服。
鋭い眼光。
軍刀二振り。
豪奢な城にいるというより、“戦場から帰ってきた軍人”が迷い込んだような雰囲気がある。
そんな彼へ。
後方から小さな声が飛んだ。
「……おじさん?」
ブラッドレイが振り返る。
そこには、小さな少女が立っていた。
銀髪。
赤い瞳。
白いワンピース。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
彼女は眠そうな目を擦りながら、じっとセイバーを見上げている。
「……ふむ」
ブラッドレイは僅かに目を細めた。
「貴様がイリヤか」
「知ってるの?」
「切嗣から聞いている」
イリヤは首を傾げる。
そして。
「こわいひと?」
と、無邪気に聞いた。
普通なら返答に困る質問だった。
しかしブラッドレイは真顔で考え込む。
「……恐らくは」
「えぇ……」
イリヤが困った顔をする。
その反応に、ブラッドレイは少しだけ笑った。
「安心しろ。少なくとも、子供を斬ったことはない」
「“少なくとも”ってなに?」
「大人はある」
「わぁ……」
完全に引いていた。
だが。
イリヤは逃げない。
むしろ興味津々だった。
「ほんとうにサーヴァントなの?」
「そうらしい」
「パパのおともだちだったんでしょ?」
「腐れ縁だ」
「ふーん」
イリヤはブラッドレイの周囲をぐるぐる回る。
観察。
まるで珍しい動物を見るような目だった。
「おじさん、ほんとに強いの?」
「それなりには」
「どれくらい?」
ブラッドレイは少し考えた。
「熊より強い」
「すごい!」
「昔、戦車も斬った」
「もっとすごい!」
「城も壊したことがある」
「パパよりひどい!」
後ろから聞こえた咳払い。
切嗣だった。
「朝から何を教えてる」
「事実しか言っていない」
「教育に悪い」
「お前よりは健全だ」
「否定できないのが腹立つな……」
切嗣は深く溜息を吐いた。
イリヤは楽しそうに笑っている。
その光景を見て。
ブラッドレイは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……どうした?」
切嗣が問う。
「いや」
セイバーは静かに答える。
「こういう光景は、慣れていなくてな」
イリヤが不思議そうに見上げる。
「おじさん、家族いなかったの?」
「居なかった」
「さみしくない?」
即答だった。
「分からん」
その答えに、切嗣が視線を向ける。
ブラッドレイは本当に分かっていない顔をしていた。
「私は戦場に居る時間の方が長かった」
淡々と語る。
「朝起きれば銃声がして、人が死ぬ」
「……」
「それが普通だった」
イリヤは黙る。
幼いながらに。
その言葉が重いことは分かった。
だから彼女は、小さく言った。
「じゃあ、いまは?」
ブラッドレイが視線を落とす。
少女と目が合う。
赤い瞳。
まっすぐな眼。
彼は、ほんの数秒だけ沈黙し。
「……悪くない」
と呟いた。
その声は、驚くほど穏やかだった。
⸻
食堂。
長いテーブルには朝食が並んでいた。
パン。
スープ。
卵料理。
ベーコン。
極めて普通の朝食。
だが。
その光景は異様だった。
なにせ。
埋葬機関番外次席が、無表情でトーストを食べている。
シュール極まりない。
「……」
ブラッドレイは黙々と食べていた。
切嗣が煙草を吸いながら聞く。
「どうだ」
「美味い」
「そうか」
「特にこれが良い」
セイバーはジャムを持ち上げる。
イチゴジャムだった。
「……お前、甘党だったのか」
「悪いか?」
「いや、意外すぎる」
「戦場では糖分が貴重でな」
妙な説得力があった。
イリヤが笑う。
「おじさんかわいい!」
「やめろ」
真顔だった。
だが耳だけ僅かに赤い。
切嗣は思わず吹き出しかける。
「お前でもそういう顔するんだな」
「殺すぞ」
「娘の前だぞ」
「……」
ブラッドレイは黙ってジャムを塗り始めた。
イリヤはケラケラ笑っている。
その様子を、アイリスフィールが静かに見つめていた。
彼女は柔らかく微笑む。
「素敵ですね」
「何がだ」
ブラッドレイが問う。
「切嗣が、こんな風に笑うなんて久しぶりです」
切嗣が露骨に嫌そうな顔をした。
「やめろ、調子が狂う」
「ですが本当でしょう?」
「……」
否定できない。
ブラッドレイは静かにコーヒーを飲む。
そして。
「切嗣は昔から笑わん男だった」
「お前にだけは言われたくない」
「違いない」
二人同時に笑う。
アイリスフィールは少し驚いた。
息が合っている。
長い戦場を共に生きた者特有の距離感。
言葉が少なくても通じる。
それは、彼女の知らない衛宮切嗣だった。
「……切嗣」
アイリスフィールが小さく呟く。
「なんだ」
「この人、本当にあなたのお友達だったのね」
数秒の沈黙。
切嗣は煙草を咥え直し。
「……まあな」
とだけ答えた。
それだけで十分だった。
⸻
昼。
ブラッドレイは城の中庭にいた。
雪景色。
静寂。
彼は軍刀の手入れをしている。
その動作は恐ろしく丁寧だった。
一本一本。
刃を確認し。
油を塗り。
布で磨く。
まるで宝石でも扱うような手つき。
「綺麗ですね」
声。
アイリスフィールだった。
白い吐息を漏らしながら近付いてくる。
「……見ていて面白いものではない」
「そんなことありません」
彼女は隣へ座った。
ブラッドレイは少しだけ眉を動かす。
「貴様は物好きだな」
「よく言われます」
アイリスフィールは笑う。
雪が舞う。
静かな時間。
やがて彼女は、ぽつりと聞いた。
「怖くないんですか?」
「何がだ」
「また戦うことが」
ブラッドレイの手が止まる。
しばらく沈黙。
やがて。
「怖いさ」
と、意外な言葉が返った。
アイリスフィールは目を見開く。
ブラッドレイは刀身を見る。
そこに映る自分を。
「私は、自分が人間でなくなるのが怖い」
低い声だった。
「戦い続ければ、人は壊れる」
「……」
「私もそうだった」
彼は笑う。
自嘲気味に。
「気付けば、人を斬る感触でしか生を実感できなくなっていた」
アイリスフィールは何も言えなかった。
ブラッドレイほどの男ですら。
壊れている。
いや。
壊れたまま、立ち続けている。
「だが」
彼は空を見る。
白い雪。
静かな空。
「こういう時間は嫌いではない」
「……はい」
「平和というのは、存外悪くないものだな」
その言葉に。
アイリスフィールは静かに微笑んだ。
彼女は思う。
この男はきっと。
本当は、とても不器用なのだと。
戦うことしか知らない。
剣でしか生きられない。
それでも。
人間であろうとしている。
だからこそ。
こんなにも寂しそうなのだと。
雪は降り続ける。
聖杯戦争は、まだ始まらない。
だが。
冬木の運命は、確実に変わり始めていた。