アインツベルン城――深夜。
雪は止み、冬木の夜には異様な静寂が満ちていた。
暖炉の火だけが赤く揺れ、広間には煙草の匂いが薄く漂っている。
衛宮切嗣は無言で机に広げた地図を見ていた。
冬木市全域。
港湾部、深山町、新都、教会周辺。
そこには赤い印がいくつも増えていた。
監視地点。
結界反応。
使い魔の痕跡。
そして――サーヴァントの接近予測。
「……」
その沈黙を破るように、重い扉が開いた。
雪を軽く払いながら、セイバーが戻ってくる。
黒い外套を羽織り、片手には紙袋。
まるで夜の散歩帰りのような気軽さだった。
「戻ったぞ、切嗣」
「ああ」
「みかんを買ってきた」
そう言って、机に紙袋を置く。
ころり、と橙色の果実が転がった。
この男は本当に戦場帰りなのか――。
切嗣は煙草を咥えたまま、目だけを向けた。
「……それで?」
セイバーはコートを脱ぎ、暖炉の前に立つ。
「徐々に囲まれて来ているぞ」
淡々とした声だった。
しかし、その言葉の意味は重い。
「具体的には?」
「まず監視だ」
セイバーは指を折る。
「遠坂の使い魔。
教会側の監視。
それと――ランサー組の索敵結界」
「ライダーは?」
「直接は見ていない。
だが、あの征服王は隠れる性格ではない。
おそらく、“いつでも戦える位置”にいる」
切嗣は静かに地図を見た。
想定通り。
キャスター討伐によって、
一時的な協力体制は終わった。
今や全陣営が再び互いを敵として見ている。
そして――。
最大の脅威として浮上したのは、
間違いなくセイバーだった。
キャスターの怪物群を正面突破し、
ジル・ド・レェを斬殺。
雨生龍之介を処刑同然に斬首。
しかも、消耗が少ない。
あまりにも強すぎた。
「……当然だな」
切嗣は呟く。
「奴らから見れば、お前は危険すぎる」
セイバーは小さく笑った。
「そうか?」
「自覚が無いのか」
「私は普通に戦っただけだ」
その言葉に嘘はない。
だからこそ恐ろしい。
普通に戦って、
英霊を圧倒し、
怪物を虐殺し、
なお平然としている。
その在り方は、
他陣営から見れば“化物”そのものだった。
だが――。
切嗣は知っている。
この男は単なる怪物ではない。
龍之介を斬る直前。
あの狂人に対して、
最後まで“人間として死ね”と語りかけていた。
尊厳を捨てるな、と。
誇りを持て、と。
殺す直前まで。
それが余計に異様だった。
人間性を持ったまま、
躊躇なく殺せる。
言峰綺礼が興味を抱くのも理解できる。
「……で、どうする切嗣?」
セイバーは暖炉の火を見ながら聞いた。
「囲まれているのだろう?
なら、先に潰すか?」
その声音は穏やかだった。
まるで、
明日の天気でも聞くように。
切嗣は即答しない。
代わりに煙を吐く。
「焦って動けば包囲網に乗る」
「ほう」
「今、相手は“共闘の可能性”を探っている段階だ」
遠坂。
ケイネス。
教会。
互いを信用していない。
だが、
“セイバーを放置する危険性”だけは共有し始めている。
だからこそ、
今はまだ様子見だ。
「こちらから動けば、
奴らは安心して連携できる」
「なるほど」
セイバーは納得したように頷いた。
「つまり、怯えさせ続けるわけか」
「……そういうことだ」
恐怖は連携を鈍らせる。
誰が先に動く?
誰が囮になる?
誰がセイバーと戦う?
押し付け合いが始まる。
それが切嗣の狙いだった。
沈黙。
暖炉が爆ぜる。
その時だった。
セイバーが、不意に笑った。
「だが、面白いものだな」
「何がだ」
「昼間は怪物退治で肩を並べ、
夜には殺し合いの準備か」
「聖杯戦争だ」
「人間らしい」
その言葉に、
切嗣は僅かに目を細めた。
人間らしい、か。
合理。
裏切り。
恐怖。
疑念。
確かにそれは、
どこまでも人間的だった。
セイバーはみかんを一つ剥きながら続ける。
「だが切嗣」
「ん?」
「もし本当に全員で来るなら――」
薄皮を丁寧に剥がしながら。
セイバーは静かに言った。
「それはそれで、悪くない」
その瞬間。
暖炉の火が揺れた。
切嗣は理解していた。
この男は虚勢で言っているのではない。
本気だ。
全陣営を相手にしても、
勝つつもりでいる。
そして――。
それが決して不可能ではないと、
切嗣自身も思ってしまっていることが、
何より危険だった。