冬木市――深夜二時。
雪雲に覆われた空の下、
街は静まり返っていた。
だが、その静寂の裏側では、
聖杯戦争そのものが次の段階へ移行し始めていた。
◆
遠坂邸。
薄暗い工房の中で、
遠坂時臣は静かにワインを揺らしていた。
赤い液体がグラスの中で静かに波打つ。
その背後。
黄金の鎧を纏ったアーチャーが、
退屈そうに玉座めいた椅子へ腰掛けている。
「……なるほど」
時臣は低く呟いた。
「セイバー陣営は動かない、と」
使い魔からの報告。
アインツベルン城。
周辺索敵。
結界反応。
衛宮切嗣は、
籠城と観察を選択した。
それはつまり、
相手がこちらの動きを読んでいるということでもある。
「当然であろう」
アーチャー――英雄王ギルガメッシュは鼻で笑った。
「雑種共が徒党を組み、
あの剣士を恐れている」
黄金の瞳が細まる。
「あれは面白い」
「……」
「怪物でありながら、
未だ“人間”を捨てておらぬ」
ギルガメッシュは笑う。
愉快そうに。
「ゆえに歪だ」
人であるが故に残酷。
理性があるが故に、
躊躇なく殺せる。
狂人ではない。
むしろ、
極めて正常。
だからこそ異常だった。
時臣は慎重に言葉を選ぶ。
「侮るべき相手ではありません」
「無論だ」
英雄王は即答した。
「ゆえに余はまだ殺さん」
その言葉に、
時臣は僅かに視線を上げた。
「興が乗っているのですか?」
「うむ」
ギルガメッシュは笑った。
「あの男、
どこまで“人間”で居続けられるか見てみたい」
◆
ハイアットホテル。
豪奢な一室。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、
苛立たしげに机を叩いた。
「なぜだ……!」
銀色の水銀が床を蠢く。
「なぜ誰も動かん!」
キャスター討伐。
あの戦闘で、
最も危険だったのは誰か。
誰の目にも明らかだった。
セイバー。
あの怪物じみた剣士を、
今ここで始末しなければならない。
なのに。
遠坂は静観。
教会も様子見。
ライダー組は不明。
誰も決定打を打とうとしない。
「腑抜け共が……!」
その時。
背後から声が響いた。
「ならば、我々がが行けば良い」
ランサー――ディルムッドだった。
静かな声。
だがその瞳は鋭い。
ケイネスは振り返る。
「何だと?」
「セイバーを危険視しているのはわかります?」
「当然だ!」
「ならば討つべきだ」
「……」
ケイネスは言葉に詰まった。
ディルムッドは理解していた。
主は恐れている。
真正面から、
あのセイバーと戦うことを。
キャスター戦。
あの光景を見てしまった。
怪物を斬り裂きながら、
一切勢いを落とさず進軍する姿。
まるで戦場そのもの。
あれは一騎の英霊ではない。
“軍勢”だった。
ディルムッドは静かに続ける。
「だが、焦ればこちらが死ぬ」
「……」
「衛宮切嗣もそれを理解している」
ケイネスは舌打ちした。
気に入らない。
全てが。
あのセイバーも。
衛宮切嗣も。
自分が慎重にならざるを得ない現実も。
◆
一方。
冬木教会。
地下。
暗い礼拝堂跡。
言峰綺礼は、
静かに目を閉じていた。
無音。
呼吸すら浅い。
その脳裏に浮かぶのは、
キャスターの工房で見た光景。
首が飛ぶ瞬間。
龍之介は、
最後まで理解していなかった。
死を。
恐怖を。
人間を。
だが、
セイバーだけは違った。
あの男は理解していた。
死も。
恐怖も。
殺人も。
全てを理解した上で、
なお淡々と首を落とした。
綺礼はゆっくりと目を開く。
「……不思議な男だ」
怪物。
だが、
怪物になり切れていない。
むしろ逆だ。
“人間であろうとし続けている”。
だからこそ、
あれほど強い。
綺礼は薄く笑った。
「衛宮切嗣」
あの男もまた、
似た匂いを持っている。
人を救うために、
人を殺し続ける男。
ならば――。
その隣に立つセイバーは何だ?
救済か。
破滅か。
あるいは。
「鏡、か」
綺礼は静かに立ち上がる。
そして。
教会の奥に向かって歩き出した。
次の戦いが近い。
誰もがそれを理解している。
そして同時に、
誰もが理解していた。
もし、
あのセイバーが本気で戦争を始めれば――。
この冬木そのものが、
戦場になる。