雪の庭園。
静寂。
みかんの皮の香りが、
妙に冬の空気へ混じっていた。
そんな中。
セイバーは静かに、
黄金の王へ視線を向けた。
「黄金の王よ」
ギルガメッシュが目を細める。
「……ほう?」
「貴様は無数の財が自慢なのだろう?」
セイバーは淡々と続けた。
「美味い酒は無いのかね?」
沈黙。
ウェイバーが固まる。
ケイネスも固まる。
切嗣は城の上で、
とうとう頭痛を覚え始めていた。
――何故、
そんな自然に英雄王へ酒を要求できる。
だが。
次の瞬間。
ギルガメッシュは――笑った。
「クハハハハハハハハ!!」
冬木の夜に響く、
王の大笑。
黄金の魔力が揺れる。
「言うではないかセイバー!」
その瞳は、
心底愉快そうだった。
「この我に酒を求めるか!
しかも当然のようにな!」
セイバーは平然としている。
「持っているのだろう?」
「無論だ!」
空間が裂ける。
王の財宝――ゲート・オブ・バビロン。
黄金の波紋の中から、
一本の酒瓶が現れた。
古い。
あまりにも古い。
瓶そのものが、
神秘を放っていた。
ライダーの目が輝く。
「おお!!」
ギルガメッシュは酒瓶を片手で掲げる。
「神代の葡萄酒だ。
雑種共が一生かけても口に出来ぬ代物よ」
「ほう」
セイバーの目が僅かに細まる。
興味を持った。
その反応を見て、
ギルガメッシュはさらに愉快そうに笑う。
「良い。
気に入ったぞセイバー」
黄金の杯が出現する。
三つ。
「今宵だけは許す。
我の酒を飲む栄誉をな」
「気前が良いな、英雄王」
「王だからな」
ライダーが豪快に笑った。
「ハッハァ!!
ならば余も頂こう!」
「貴様は図々しいな征服王」
「酒の席で細かいことを言うな!」
ウェイバーは頭を抱えていた。
なんなんだこの状況。
数時間前まで、
全員殺し合う気だっただろ。
だが。
ディルムッドだけは、
静かにセイバーを見ていた。
不思議だった。
この男がいると、
場の空気そのものが変わる。
戦場になりかけた場所が、
いつの間にか“ただの夜”へ変わっていく。
だが同時に。
誰よりも危険なのも、
間違いなくこの男だった。
セイバーは黄金の杯を受け取る。
酒の香りを静かに嗅ぎ。
そして。
「……良い香りだ」
小さく呟いた。
その姿は、
まるで長い戦争から帰還した老兵のようだった。
ギルガメッシュはそんなセイバーを見つめる。
そして、
ふと問う。
「セイバー」
「何だ」
「貴様、
何故そこまで人間に拘る?」
雪が降る。
誰も喋らない。
ライダーも、
ケイネスも、
ウェイバーも。
静かに答えを待った。
セイバーは黄金の酒を一口飲み――。
ゆっくりと息を吐く。
「簡単だ」
その声は静かだった。
だが。
どこまでも重い。
「私は、人間として生きたかった」
雪が落ちる。
「人間として老い、
人間として死にたかった」
その瞬間。
ライダーの笑みが消えた。
ギルガメッシュの瞳が細まる。
そして。
誰も、
軽口を叩けなくなった。
雪は静かに降り続けていた。
白い吐息が夜へ溶ける。
アインツベルン城の庭園。
本来なら、
英霊同士が殺し合うはずの場所。
だが今は、
みかんの段ボールと、
神代の酒瓶が置かれている。
異様な光景だった。
そしてその中心で。
セイバーは黄金の杯を片手に、
静かに空を見上げていた。
「私は、誰よりも人間らしく居たかっただけだ」
その声に、
誰も口を挟まない。
「環境が、
そうさせてくれなかったがな」
雪が肩へ積もる。
セイバーは気にも留めない。
「生前は、
人間でありながら――」
そこで僅かに笑った。
自嘲にも似た笑み。
「死徒二十七祖を道連れに出来る程、
強くなってしまったがね」
沈黙。
その場の空気が変わる。
ケイネスの表情が凍った。
ディルムッドの目が細まる。
ウェイバーは意味を理解し切れていない。
だが、
ギルガメッシュとライダーだけは違った。
二騎とも、
その言葉の重さを理解していた。
“人間のまま”。
それがどれほど異常か。
死徒二十七祖。
人を超えた怪物達。
災害。
神秘。
長命種。
本来なら、
人間が真正面から戦う存在ではない。
まして。
“道連れにした”?
それはつまり。
この男は、
怪物と刺し違える場所まで辿り着いたということだ。
人間のまま。
ギルガメッシュが静かに口を開く。
「……なるほど」
その声音から、
いつもの嘲笑が消えていた。
「だから貴様は、
そこまで歪なのか」
セイバーは肩を竦める。
「歪か」
「当然だ」
英雄王は断言した。
「普通の人間は、
そこまで戦えば壊れる」
黄金の瞳が、
セイバーを射抜く。
「憎悪に狂う。
力に酔う。
あるいは、
己を怪物として受け入れる」
だが。
「貴様は違う」
ギルガメッシュは笑った。
静かに。
興味深そうに。
「強くなるほど、
逆に“人間へ執着している”」
ライダーも腕を組み、
深く頷く。
「うむ」
征服王の声は低かった。
「余も多くの英雄を見て来た」
王。
暴君。
救世主。
怪物。
だが。
「貴様ほど、
“人であろうとする怪物”は見たことが無い」
ウェイバーが息を呑む。
怪物。
その言葉に、
セイバーは否定しなかった。
ただ静かに酒を飲む。
そして。
「怪物でも構わん」
ぽつりと呟く。
「だが私は、
最後まで人間でいたかった」
雪が降る。
静寂。
その言葉には、
途方もない重みがあった。
切嗣は二階の窓から、
その光景を見下ろしていた。
……理解できる。
いや。
理解してしまう。
衛宮切嗣もまた、
理想の為に人を殺し続けた。
救済の為に、
犠牲を選び続けた。
人間を守る為に、
人間性を削り続けた。
だからこそ分かる。
このセイバーは、
自分より遥かに危うい。
この男は、
壊れていない。
壊れないまま、
地獄を歩き続けている。
それがどれほど異常か。
その時だった。
ケイネスが低く呟く。
「……理解出来んな」
全員の視線が向く。
ロード・エルメロイは、
セイバーを睨んでいた。
「そこまでの力を持ちながら、
何故そこまで人間に拘る」
「簡単だ」
セイバーは即答した。
「人間だからだ」
「……」
「人間だから、
人間でありたい」
ケイネスは眉を顰める。
「下らん感傷だ」
その瞬間。
空気が僅かに冷えた。
ディルムッドが気付く。
ギルガメッシュも。
ライダーも。
セイバーの目。
それが一瞬だけ、
鋭利な刃へ変わった。
だが。
本当に一瞬だった。
セイバーはすぐ、
静かに笑った。
「そうかもしれんな」
そして。
黄金の杯を見つめながら、
ぽつりと言う。
「だが――」
その声は、
どこか疲れていた。
「人間である事を捨てた瞬間、
私は本当に“終わる”気がした」
沈黙。
誰も笑わない。
風だけが吹く。
その時。
ライダーが、
豪快に酒を飲み干した。
「ハハッ!」
大声が、
重苦しい空気を吹き飛ばす。
「実に良いではないかセイバー!」
「……何がだ」
「人間臭い!」
征服王は笑う。
「覇道だの神だの、
そんなものはどうでもいい!」
拳で胸を叩く。
「最後まで人で在ろうとする!
それこそ英雄よ!」
ギルガメッシュは鼻で笑った。
「青臭いな征服王」
「貴様は傲慢過ぎる黄金王!」
「当然だ」
「ハッハッハ!」
笑い声。
その中心で。
セイバーは静かに、
小さく笑った。
本当に僅かに。
戦場では決して見せない、
人間らしい笑みだった。