冬木の夜は、
いつの間にか静かに更けていた。
雪は止み。
雲の切れ間から、
淡い月光が庭園へ差し込んでいる。
アインツベルン城の中庭。
そこでは本来あり得ない光景が広がっていた。
聖杯戦争の英霊達が、
酒とみかんを囲んで談笑している。
誰が予想しただろう。
数時間前まで、
互いの首を狙っていた連中が。
今は酒を飲み、
雪景色を眺めているなど。
◆
「ハッハッハ!!
それでその魔獣を素手で殴り殺したのか!?」
ライダーが腹を抱えて笑う。
セイバーは黄金の杯を揺らしながら、
淡々と答えた。
「急所を潰しただけだ」
「十分おかしいわ!!」
ウェイバーが思わず叫ぶ。
ギルガメッシュですら、
少し口元を吊り上げていた。
「貴様、
本当に人間か?」
「失礼な。
戸籍上は人間だ」
「戸籍という問題ではない」
ケイネスは頭を抱えていた。
何故だ。
何故こんな空気になる。
自分は乱戦を想定して来たはずだ。
それが今では、
征服王がみかんを五個目に突入している。
しかも、
英雄王まで普通に酒を飲んでいる。
聖杯戦争とは何だったのか。
その横で。
ディルムッドだけは、
静かにセイバーを見ていた。
「……セイバー」
「何だランサー」
「貴殿は、
本当に不思議な男だ」
セイバーは小さく笑う。
「よく言われる」
「いや」
ディルムッドは首を振った。
「これほど自然に、
敵同士を同じ場へ座らせる者を私は知らない」
普通なら有り得ない。
英霊同士が集まれば、
誇りがぶつかる。
殺気が生まれる。
だが今夜は違う。
中心にいるセイバーが、
妙に自然体なのだ。
構えていない。
威圧していない。
それなのに。
誰も軽率に動けない。
まるで、
“戦う必要が無い”と全員が無意識に理解させられている。
ライダーが豪快に頷く。
「うむ!
貴様は戦場の空気を支配する!」
「褒めているのか?」
「当然だ!」
征服王は酒を飲み干した。
「だが分からんなぁセイバー!」
「何がだ」
「何故そこまで強くなって、
未だに“普通”へ戻りたがる?」
ウェイバーも少し気になっていた。
セイバーほどの存在なら。
神になりたい、
王になりたい、
世界を支配したい。
そういう欲望があってもおかしくない。
だが。
この男は違う。
セイバーは少し考え――。
それから静かに言った。
「疲れるのだよ」
沈黙。
「……は?」
ウェイバーが間抜けな声を出す。
セイバーは真顔だった。
「強過ぎると、
普通に生きられん」
「……」
「店で絡まれても、
軽く払えば相手が死ぬ」
ウェイバーが絶句する。
「加減を誤れば建物が壊れる」
ライダーが吹き出す。
「クク……!」
「目が良過ぎて、
戦場では常に全てが見える」
ギルガメッシュが静かに笑う。
「なるほど」
「普通に老後を過ごしたかったのだがね」
セイバーはみかんを一房食べる。
「縁側で茶を飲み、
たまに畑でも弄りながら、
静かに寿命で死ぬ」
その言葉に。
全員が一瞬黙った。
あまりにも、
普通だったからだ。
怪物じみた力を持つ男の願いが。
あまりにも小さい。
ギルガメッシュが低く笑う。
「クハ……」
黄金の王は杯を傾ける。
「欲が薄いなセイバー」
「そうか?」
「余なら世界を退屈させぬ」
「貴様はそういう男だろう」
「当然だ」
ライダーが豪快に笑う。
「だが余は嫌いではないぞ!
そういう生き方もな!」
ディルムッドも静かに頷いた。
「……理解は出来る」
ケイネスだけが、
どこか複雑そうな顔をしていた。
魔術師は根本を目指す。
超越を求める。
だがこの男は、
逆だ。
強くなり過ぎた果てに、
“普通”へ帰りたがっている。
それは、
ある意味で魔術師とは真逆の存在だった。
その時。
セイバーがふと、
夜空を見上げた。
「しかし妙だな」
「何がだ?」
ライダーが聞く。
セイバーは静かに目を細める。
「こうしていると、
本当に戦争中なのか分からなくなる」
雪が静かに降る。
酒。
みかん。
笑い声。
それはまるで、
ただの冬の夜だった。
だが。
誰も忘れてはいない。
この場にいる全員が、
いずれ互いを殺す。
明日かもしれない。
数時間後かもしれない。
それでも今だけは。
誰も剣を抜かなかった。
その束の間の静寂を、
誰よりも深く味わっていたのは――。
きっと、
セイバー本人だった。
雪は弱まり、
月明かりが白い庭園を照らしている。
酒瓶は半分ほど空き、
みかんの皮が段ボールの脇へ積まれていた。
ライダーは豪快に笑い、
ウェイバーは半ば呆れ、
ケイネスは未だ納得していない顔をしている。
ギルガメッシュは静かに酒を傾け、
ディルムッドは雪景色を眺めていた。
そして――。
その空気の中で。
セイバーが、
唐突にぽつりと呟く。
「……聖杯に何を願う?」
静寂。
風の音だけが響く。
誰もすぐには答えなかった。
それは、
この戦争において最も本質的な問いだったからだ。
聖杯。
万能の願望機。
命を懸け、
英霊を召喚し、
殺し合いまでして求める奇跡。
その願いを、
互いに真正面から聞く。
本来なら、
有り得ない。
だが。
今夜だけは、
誰もその問いを拒絶しなかった。
最初に笑ったのはライダーだった。
「ハッハッハ!
愚問だなセイバー!」
征服王は杯を掲げる。
「余は世界を欲する!」
雷鳴のような声。
「見知らぬ土地!
未知の海!
果て無き征服!
生きて、生きて、生き抜き!
世界の果てまで駆け抜けたい!」
ウェイバーが苦笑する。
「アンタらしいよ……」
「当然だ坊主!」
ライダーは笑う。
「人は夢を見る生き物だ!
ならば余は、
最も大きな夢を見る!」
その言葉には、
一点の迷いも無かった。
ギルガメッシュは鼻で笑う。
「相変わらず騒がしい男よ」
「では貴様はどうだ黄金王!」
ライダーが問う。
ギルガメッシュは静かに酒を飲み――。
「願いなど無い」
全員の視線が向く。
英雄王は退屈そうに続けた。
「世界は既に余の庭だ」
傲慢。
圧倒的な自負。
だが、
それを口に出来るだけの格があった。
「聖杯など、
余の宝物庫へ加える財の一つに過ぎぬ」
ウェイバーが小声で呟く。
「スケールがおかしい……」
「当然だ雑種」
ギルガメッシュは笑う。
「王とはそういうものだ」
その時。
セイバーの視線が、
ランサーへ向く。
「ランサーは?」
ディルムッドは少し沈黙した。
雪が肩へ積もる。
そして静かに答える。
「……忠義だ」
「ほう」
「私は主君へ全てを捧げた」
ディルムッドの目は、
どこか遠くを見ていた。
「だが最後は裏切りと破滅だった」
ケイネスが僅かに眉を動かす。
「だからこそ今度こそ、
騎士として正しく主へ尽くしたい」
その声には、
深い後悔が滲んでいた。
セイバーは小さく頷く。
「騎士らしい願いだ」
ディルムッドは苦笑した。
「貴殿に言われると、
妙に重いな」
そして。
自然と視線が、
セイバー自身へ向く。
ライダーが笑った。
「では貴様はどうだセイバー!」
ギルガメッシュも、
静かに興味深そうな目を向ける。
切嗣は城の窓から、
黙って見下ろしていた。
セイバーは少し考え――。
そして。
「……大した願いではない」
静かな声。
「普通に死にたいだけだ」
誰も喋らない。
セイバーは続ける。
「人として老い、
人として寿命で死ぬ」
雪が降る。
「それだけだ」
あまりにも小さい願いだった。
世界征服でもない。
万能でもない。
栄光でもない。
ただ、
静かな人生の終わり。
それだけ。
ギルガメッシュが静かに目を細める。
「やはり妙な男だ」
「そうか?」
「強者ほど、
永遠を欲する」
英雄王は言う。
「だが貴様は逆だ。
終わりを求めている」
セイバーは薄く笑った。
「終わりの無い戦場など、
地獄だからな」
その言葉に。
その場の誰もが、
少しだけ黙った。
戦場を知る者達だけが分かる。
終われない戦いが、
どれほど人を摩耗させるか。
ライダーが静かに酒を飲み。
ディルムッドは目を閉じ。
ギルガメッシュだけが、
愉快そうに笑った。
「クク……」
黄金の王は杯を傾ける。
「ならばセイバー。
もし聖杯が、
貴様の願いを叶えられぬ代物だったらどうする?」
冬の風が吹く。
その問いに。
セイバーは静かに答えた。
「その時は――」
黄金の瞳を真っ直ぐ見返し。
「自分の足で、
人間として死ぬ場所を探すだけだ」
その声音には、
一切の迷いが無かった。