冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第48話

冬の夜風が静かに吹き抜ける。

 

酒の香り。

 

みかんの甘い匂い。

 

そして、

聖杯という言葉だけが、

その場に妙な重みを落としていた。

 

セイバーは黄金の杯を軽く揺らしながら、

ぽつりと続ける。

 

「私は、埋葬機関に入る前は、

軍人として戦場を渡り歩いていた」

 

ライダーの眉が僅かに動く。

 

ギルガメッシュは静かに耳を傾ける。

 

「魔力など無い。

純粋な剣士だった」

 

セイバーは自嘲気味に笑った。

 

「だから正直、

魔術というものは今でも理解出来ん」

 

ケイネスの眉がぴくりと跳ねる。

 

「……何だと?」

 

「理論は分かる。

原理も聞いた。

だが感覚として理解出来ん」

 

セイバーは平然としていた。

 

「見えんものは見えん」

 

魔術師達からすれば、

常識外れもいい所だった。

 

魔術回路も、

神秘への探究も、

根源への渇望も。

 

この男には根本的に馴染んでいない。

 

それなのに。

 

英霊として成立している。

 

それが異常だった。

 

セイバーは酒を一口飲み、

静かに続ける。

 

「正直今更だが――」

 

黄金の杯を見つめる。

 

「万能の願望機、

聖杯というのは……

本当にまともな物なのか?」

 

沈黙。

 

空気が変わる。

 

それまで談笑していた空気が、

僅かに冷えた。

 

切嗣の目が鋭くなる。

 

ケイネスは不快そうに眉を顰め。

 

ウェイバーは戸惑い。

 

ディルムッドは静かに考え込む。

 

そして。

 

ギルガメッシュが、

最初に笑った。

 

「クク……」

 

低い笑い。

 

「今更そこを疑うか、セイバー」

 

「疑問には思う」

 

セイバーは淡々と言った。

 

「人類史において、

“万能”を名乗る物で、

碌な結末を見た覚えが無い」

 

ライダーが豪快に笑う。

 

「違いない!」

 

「大体そういう物は、

国を滅ぼすか、

人を狂わせる」

 

セイバーの目は静かだった。

 

「ならば聖杯も、

似たような物ではないのか?」

 

その問いに。

 

誰も即答出来なかった。

 

何故なら――。

 

その疑問は、

あまりにも本質だったからだ。

 

ケイネスが低く言う。

 

「聖杯は第三魔法に至る器だ」

 

「ふむ」

 

「奇跡そのものだ。

疑う余地など無い」

 

だが。

 

セイバーは静かに首を傾げた。

 

「なら聞くがロード・エルメロイ」

 

「……何だ」

 

「貴様は、

それを見たのか?」

 

ケイネスが黙る。

 

「本当に願いを叶えた者を?」

 

「……記録には残っている」

 

「つまり実際には見ていない」

 

その言葉に、

ケイネスの顔が僅かに険しくなる。

 

だが反論は出来ない。

 

魔術師達にとって、

聖杯は悲願。

 

到達点。

 

だが。

 

“実在を証明した者”は居ない。

 

少なくとも、

この場には。

 

セイバーは雪空を見上げる。

 

「私は戦場で、

“奇跡”という言葉を何度も聞いた」

 

静かな声だった。

 

「だが大抵の場合、

それは誰かの死体の上に成り立っていた」

 

風が吹く。

 

「だから私は、

奇跡というものを信用していない」

 

その言葉に。

 

切嗣の指が、

僅かに止まった。

 

……似ている。

 

衛宮切嗣もまた、

奇跡を信じ切れなくなった男だった。

 

理想を抱きながら。

 

現実に擦り潰され続けた。

 

だから、

犠牲を選ぶようになった。

 

一方。

 

ライダーは腕を組み、

楽しそうに笑う。

 

「だがそれでも、

人は夢を見る!」

 

「否定はせん」

 

セイバーは頷く。

 

「願わねば、

前へ進めん時もある」

 

「うむ!」

 

「だが私は、

願望機より自分の剣を信用する」

 

その瞬間。

 

ギルガメッシュが、

心底愉快そうに笑った。

 

「クハハハハハ!!」

 

黄金の王は杯を掲げる。

 

「良い!!

実に良いぞセイバー!!」

 

その紅い瞳が細まる。

 

「奇跡を疑い、

己の力だけを信じるか!」

 

ギルガメッシュは笑う。

 

まるで、

極上の酒でも味わうように。

 

「やはり貴様、

英雄というより兵士だな」

 

セイバーは薄く笑った。

 

「ああ」

 

そして静かに言う。

 

「私は最後まで、

ただの人間の兵士だったよ」

 

その言葉が落ちた瞬間。

 

庭園の空気が、

僅かに変わった。

 

雪が静かに舞う。

 

酒を飲んでいたライダーの手が止まり、

ウェイバーが顔を上げる。

 

ケイネスは眉を顰め。

 

ディルムッドは静かにセイバーを見る。

 

そして――。

 

ギルガメッシュだけが、

薄く笑った。

 

セイバーは黄金の杯を見つめながら、

静かに続ける。

 

「仮に聖杯が、

穢れたもので――」

 

風が吹く。

 

「厄災をもたらす物だとしたら、

どうする?」

 

沈黙。

 

それは冗談ではない。

 

戦場を知る者の、

極めて現実的な疑問だった。

 

万能の願望機。

 

そんな都合の良い物が、

本当に無害で存在するのか。

 

もし違ったなら?

 

もしそれが、

人類にとって災厄そのものだったなら?

 

誰が、

どう責任を取る?

 

最初に口を開いたのは、

ケイネスだった。

 

「……あり得ん」

 

低い声。

 

「聖杯は冬木の大聖杯。

三家によって構築された魔術体系だ」

 

だが。

 

セイバーは静かに視線を向ける。

 

「それは“安全だ”という証明にはならん」

 

「……」

 

「兵器も宗教も理想も、

作った側が制御出来るとは限らない」

 

ケイネスが黙る。

 

その言葉には、

妙な説得力があった。

 

戦争を知る者の言葉。

 

理想が、

どれだけ簡単に暴走するか知っている声だった。

 

ライダーが腕を組む。

 

「ふむ……」

 

征服王は珍しく真面目な顔をしていた。

 

「確かに、

余も万能など信用しておらん」

 

ウェイバーが驚く。

 

「えっ」

 

「当然だ坊主!」

 

ライダーは笑う。

 

「人の夢に“完全”など無い!

故に面白いのだ!」

 

そして。

 

少しだけ目を細めた。

 

「だがもし、

その聖杯が世界を焼く災厄なら――」

 

征服王は豪快に笑う。

 

「余は真正面から叩き潰す!」

 

雷鳴のような声。

 

「夢とは!

人が生きる為のものだ!

人を滅ぼす夢など認めん!」

 

その言葉には、

王としての覇気があった。

 

ギルガメッシュは鼻で笑う。

 

「青臭いな征服王」

 

「貴様は違うのか黄金王!」

 

すると。

 

ギルガメッシュは静かに杯を置いた。

 

紅い瞳が、

僅かに冷える。

 

「もし聖杯が、

余の所有物として相応しくない“汚物”なら――」

 

空気が軋む。

 

「この世から消す」

 

ウェイバーが息を呑む。

 

その声音には、

一切の冗談が無かった。

 

英雄王は続ける。

 

「財とは、

王の庭を飾る物だ」

 

黄金の瞳が、

夜空の先を見据える。

 

「庭へ泥を撒く塵など、

踏み潰すだけよ」

 

その瞬間。

 

切嗣は窓の奥で、

静かに目を細めた。

 

……似ている。

 

やり方も、

思想も違う。

 

だが。

 

“必要なら破壊する”。

 

その一点だけは、

自分と同じだった。

 

そして。

 

全員の視線が、

自然とセイバーへ戻る。

 

セイバーは少し黙り――。

 

やがて、

静かに笑った。

 

疲れたような、

乾いた笑み。

 

「そうか」

 

それから、

黄金の酒を飲み干す。

 

「なら安心だ」

 

「何?」

 

ライダーが聞き返す。

 

セイバーは静かに言った。

 

「もし本当に、

聖杯が厄災なら――」

 

雪が降る。

 

その瞳が、

一瞬だけ戦場の色へ変わった。

 

「私は迷わず斬る」

 

空気が止まる。

 

ウェイバーの背筋に寒気が走った。

 

その言葉には、

覚悟があった。

 

願いを捨てる覚悟。

 

奇跡を壊す覚悟。

 

自分の望みすら、

切り捨てる覚悟。

 

だから恐ろしい。

 

この男は本当にやる。

 

必要だと判断すれば、

聖杯だろうが、

奇跡だろうが、

躊躇なく破壊する。

 

ギルガメッシュは、

そんなセイバーを見て笑った。

 

心底愉快そうに。

 

「クク……」

 

黄金の王は目を細める。

 

「貴様、

つくづく英雄らしくないな」

 

セイバーもまた、

薄く笑う。

 

「ああ」

 

静かな声。

 

「私は最後まで、

英雄には向いていなかった」

 

雪が降る。

 

静かな夜だった。

 

酒の香りも、

笑い声も、

みかんの甘い匂いも。

 

その一言が落ちた瞬間、

全てが僅かに遠のいた。

 

セイバーは黄金の杯を静かに置く。

 

そして、

右目を覆う黒い眼帯へ、

ゆっくりと触れた。

 

「私のこの眼帯の下には――」

 

風が吹く。

 

「全てを見るだけの魔眼がある」

 

沈黙。

 

ライダーの笑みが止まり。

 

ディルムッドの瞳が細まり。

 

ケイネスは反射的に警戒姿勢を取る。

 

そして。

 

ギルガメッシュだけが、

興味深そうに目を細めた。

 

「……ほう?」

 

セイバーは淡々と続ける。

 

「未来視でもない。

精神干渉でもない。

呪いでもない」

 

指先が、

静かに眼帯を叩く。

 

「ただ“見える”だけだ」

 

その声音には、

誇示も自慢も無かった。

 

むしろ。

 

どこか疲れている。

 

「視線。

筋肉。

呼吸。

殺気。

重心。

魔力。

癖。

感情。」

 

雪が静かに舞う。

 

「全てが線のように繋がって見える」

 

ウェイバーが息を呑む。

 

「それって……」

 

「戦場では便利だった」

 

セイバーは静かに笑う。

 

「銃弾も、

剣筋も、

砲撃も、

大体分かる」

 

ケイネスの額に、

冷たい汗が流れた。

 

……だからか。

 

キャスターの怪物群。

 

あの異常な乱戦の中で、

この男だけが一切迷わなかった理由。

 

全て見えていた。

 

戦場全体が。

 

敵も。

味方も。

死角も。

殺意も。

 

ギルガメッシュが、

愉快そうに笑う。

 

「クク……

なるほど」

 

黄金の瞳が細まる。

 

「だから貴様、

あれほど正確に殺せるのか」

 

「まあな」

 

セイバーはあっさり認める。

 

「慣れれば、

相手が何秒後に死ぬかも何となく分かる」

 

ウェイバーの顔が引き攣った。

 

“何となく”で言う台詞ではない。

 

ライダーですら、

僅かに真顔になる。

 

「……それは、

随分と孤独な眼だな」

 

その言葉に。

 

セイバーは少しだけ黙った。

 

そして。

 

「そうかもしれん」

 

静かに答える。

 

「見え過ぎるというのは、

案外疲れる」

 

雪空を見上げる。

 

「戦場では、

死ぬ者が先に分かる」

 

風が吹く。

 

「誰が恐怖しているかも、

誰が覚悟を決めたかも見える」

 

その声は、

どこか遠かった。

 

「……だから、

人間を嫌いになれなかった」

 

沈黙。

 

ギルガメッシュの笑みが薄れる。

 

ライダーも、

静かに耳を傾けていた。

 

セイバーは続ける。

 

「どれほど醜くても、

どれほど愚かでも――」

 

眼帯へ触れる。

 

「死ぬ瞬間の人間は、

案外綺麗だ」

 

その言葉には、

数え切れない死を見送った者だけが持つ重みがあった。

 

ディルムッドが静かに問う。

 

「……その眼で、

今の我々はどう見える?」

 

セイバーは少し考え――。

 

そして小さく笑った。

 

「酒臭いな」

 

一瞬の静寂。

 

次の瞬間。

 

ライダーが腹を抱えて笑い出した。

 

「ハッハッハッハッハ!!」

 

ウェイバーも吹き出す。

 

ケイネスは頭を抱え。

 

ギルガメッシュですら、

堪え切れずに笑った。

 

だが。

 

その笑いの奥で。

 

誰もが理解していた。

 

この男は、

本当に戦場を見過ぎてしまったのだと。

 

見え過ぎる眼で、

地獄を渡り歩き過ぎたのだと。

 

だからこそ。

 

普通に生きて、

普通に老いて、

普通に死ぬ。

 

そんな当たり前の願いに、

これほど執着しているのだと。

 

 

 

 

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