アインツベルン城の中庭。
雪を踏み砕く、重い音が響いた。
――否。
それは“足音”などという生易しいものではない。
空気そのものが軋み、魔力が悲鳴を上げていた。
黒い嵐。
狂気を纏った漆黒の騎士が、城壁の上からゆっくりと降り立つ。
全身を覆う闇の鎧。
視認すら拒絶する呪われた魔力。
そして、その奥から漏れ出る、獣のような殺意。
バーサーカー。
その姿を見た瞬間、場の空気が一変した。
ライダー――が豪快な笑みを僅かに消し。
ランサー――が槍を構え直す。
衛宮切嗣は無言で煙草を踏み消し、即座に退路と射線を計算していた。
その中で。
ただ一人。
黄金の王だけが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
アーチャー――
「……雑種風情が」
赤い瞳が、バーサーカーを睨む。
すると。
バーサーカーの黒い兜の奥から、獣の唸りにも似た声が漏れた。
「■■■■■■■■―――!!」
瞬間。
爆発。
地面が抉れた。
バーサーカーの巨体が、砲弾のようにギルガメッシュへ突撃する。
「ほう」
ギルガメッシュの背後に、黄金の波紋。
『王の財宝』。
無数の宝具が展開される。
だが。
「……っ!?」
切嗣の目が細まった。
バーサーカーは避けない。
真正面から宝具の雨へ突っ込んだ。
剣が刺さる。
槍が貫く。
斧が砕ける。
普通の英霊なら、その時点で消滅している。
しかし。
黒い騎士は止まらない。
まるで痛覚すら存在しないかのように。
「狂っているな」
静かに呟いたのはセイバーだった。
片目の眼帯の奥。
“魔眼”が、黒騎士の全てを解析していく。
筋肉。
呼吸。
重心。
視線。
癖。
魔力循環。
そして。
執着。
「……なるほどな」
セイバーは、みかんを一つ剥きながら言った。
「英雄王、明らかに貴様を狙っているぞ?」
場が、一瞬静まる。
ギルガメッシュは数秒沈黙し。
次の瞬間、愉快そうに笑った。
「フハハハハハハハハ!!」
黄金の王は心底楽しげに嗤う。
「面白い!!」
「狂犬風情が、王を敵として認識しているか!」
ライダーが豪快に肩を揺らす。
「征服王としては嫌いではないぞ、その執念は!」
「笑っている場合ではない」
切嗣が低く言った。
「セイバー、どう見る」
セイバーは静かにバーサーカーを見つめた。
魔眼が、黒い鎧の奥を穿つ。
その瞬間。
僅かに。
ほんの僅かに。
“理性”が見えた。
狂気の海の底に沈んだ、人間の残骸。
誇り。
怒り。
憎悪。
そして―――羨望。
セイバーはみかんを一房口へ放り込み、淡々と言った。
「完全な狂人ではない」
「理性が残っている」
ランサーが眉を動かす。
「……何?」
「奴は、誰かを憎んでいる」
「いや」
セイバーの魔眼が、ギルガメッシュを捉える。
「“届かなかった相手”を見ている」
ギルガメッシュの笑みが、僅かに細くなる。
「ほう?」
その時だった。
バーサーカーが再び吠えた。
空気が裂ける。
次の瞬間。
バーサーカーは城壁を蹴り、真上からギルガメッシュへ襲い掛かった。
凄まじい速度。
だが。
セイバーが動く方が速かった。
銀の残光。
斬撃。
ガギィィィィィン!!!
凄まじい衝撃波。
セイバーの双剣が、バーサーカーの一撃を正面から受け止めていた。
地面が陥没する。
雪が吹き飛ぶ。
狂戦士の怪力を受けながら。
セイバーは微動だにしない。
ただ静かに、バーサーカーを見ていた。
「……貴様」
バーサーカーの奥。
狂気の底に沈んだ“何か”へ向けて。
「まだ、人間を辞めきれていないな」
一瞬。
バーサーカーの動きが止まった。
まるで。
その言葉だけは、届いてしまったかのように。
しかし次の瞬間。
黒い咆哮が夜を裂いた。
吹き荒れる黒風。
バーサーカーの斬撃が城壁を砕き、石片が雪の庭へと降り注ぐ。
黄金の鎖。
漆黒の剣。
紅い火花。
Gilgameshは愉快そうに嗤いながら、なお一歩も退いていなかった。
「フハハハハ!!
雑種の分際で、王へ牙を剥くとは見上げた狂気よ!!」
『王の財宝』から放たれた宝具が、夜空を埋め尽くす。
だがバーサーカーは止まらない。
叩き落とし。
掴み。
砕き。
宝具そのものを“武器”として奪い取りながら突き進む。
その異様な光景に、ライダー――ですら目を見開いた。
「ほう……!
宝具を支配しておるのか、あの狂戦士!」
切嗣の目が細まる。
「触れた武装を自分の宝具として扱っている……
厄介極まりないな」
その時。
セイバーが、静かに前へ出た。
雪を踏む音すら静かだった。
片手には、剥きかけのみかん。
まるで散歩の途中のような気軽さ。
だが。
眼帯の奥から漏れる気配だけが、絶対的な死を告げていた。
「さて」
セイバーはバーサーカーを見据えながら言った。
「探す手間が省けたな」
双剣を抜く。
銀の刃が、月光を反射した。
そして。
黄金の王へ視線だけを向ける。
「英雄王、助太刀はいるかね?」
空気が止まった。
誰もがギルガメッシュを見る。
すると。
黄金の英霊は数秒沈黙し。
やがて、口元を吊り上げた。
「……フン」
不遜。
傲慢。
世界全てを見下す王の笑み。
「本来なら不要だ、雑種」
王の財宝がさらに展開される。
空間を埋める神代の輝き。
「だが」
赤い瞳が細くなる。
「その狂犬、少々鬱陶しい」
ライダーが豪快に笑った。
「ハハハ!
英雄王が助力を認めるとはな!」
「勘違いするな征服王」
ギルガメッシュは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「これは共闘ではない」
「余興だ」
「そういう事にしておこう」
セイバーは淡々と返した。
その瞬間。
バーサーカーが咆哮する。
「■■■■■■―――!!」
黒い魔力が爆発した。
来る。
切嗣が即座に判断する。
「セイバー!!」
だが。
セイバーは動かない。
否。
既に“視えていた”。
眼帯の奥。
魔眼が、バーサーカーの全身を読み切っている。
筋肉の収縮。
重心移動。
呼吸。
殺意の向き。
次の踏み込み。
未来予測に近い領域。
そして。
「左上から落下、その後右脚で踏み込み、首を狙う」
セイバーは静かに言った。
次の瞬間。
全てが、その通りになった。
轟音。
バーサーカーが上空から襲い掛かる。
だが。
セイバーは紙一重で回避。
同時に。
銀閃。
斬撃が黒鎧の脇腹を切り裂いた。
火花と呪詛が飛び散る。
バーサーカーが咆哮する。
しかし。
セイバーは追撃しない。
冷静だった。
異常なほどに。
「……なるほど」
魔眼が、さらに深く見る。
バーサーカーの動き。
その癖。
その戦い方。
その根底。
そして。
「貴様―――」
セイバーの声が、僅かに低くなる。
「騎士か」
その瞬間。
バーサーカーの動きが止まった。
ほんの一瞬。
狂気の奥で。
“何か”が反応した。
ギルガメッシュの笑みが消える。
ライダーも真顔になる。
ランサーが息を呑む。
切嗣だけが、静かにセイバーを見ていた。
――視えたのか。
狂気の下に沈んだ真名を。
バーサーカーが、低く唸る。
黒い兜の奥。
そこにあるのは憎悪だけではない。
届かなかった理想。
王への執着。
崩れた誇り。
そして。
救われなかった忠誠。
セイバーは静かに双剣を構えた。
「……ならば尚更だ」
眼帯の隙間から、魔眼が赤く光る。
「中途半端に狂うな」
「騎士なら、最後まで騎士でいろ」
その言葉に。
バーサーカーが、絶叫した。
夜空を揺るがすほどの咆哮。
同時に。
漆黒の魔力が城全体を覆い尽くす。
そして。
狂戦士は。
真っ直ぐ。
セイバーへ向き直った。
吹雪が止んだ。
否。
正確には。
その場にいる全員が、“動くこと”を忘れていた。
中庭の中央。
黒い狂戦士と対峙したまま、セイバーが静かに言った。
「私が代わろう」
双剣を下ろす。
殺気すら消える。
だが逆に、その静けさが異常だった。
ライダー が眉を上げる。
「おいおい、何をする気だ?」
セイバーはバーサーカーを見たまま、淡々と答えた。
「哀れだな」
「無理矢理、狂化させられている」
その言葉。
狂戦士の身体が僅かに震えた。
まるで。
聞こえてはいけない言葉を聞いてしまったように。
「……ほう?」
ギルガメッシュの赤い瞳が細まる。
切嗣も無言でセイバーを見る。
そして。
セイバーは、ゆっくりと眼帯へ手をかけた。
「よほど高貴な騎士なのだろう」
パチリ。
静かな音。
眼帯が外れる。
瞬間。
世界が変わった。
赤黒い魔眼。
あまりにも鋭利な“視線”。
視られた瞬間、魂の奥底まで解体されるような圧迫感。
ランサー――が息を呑む。
「あれは……」
ライダーの笑みすら消えていた。
「……なんという眼だ」
その眼は見る。
肉体だけではない。
精神。
魂。
呪い。
因果。
狂気。
全てを。
セイバーはバーサーカーへ歩み寄った。
黒い魔力が吹き荒れる。
普通の英霊なら近づくだけで精神を侵される狂化の瘴気。
だが。
セイバーは止まらない。
「どれ」
静かな声。
「狂化を解いてやる」
その瞬間。
バーサーカーが絶叫した。
「■■■■■■■■■■!!」
狂気が爆発する。
黒雷。
呪詛。
凄まじい殺意。
だが。
セイバーは避けない。
真正面から、その瞳でバーサーカーを見据えた。
そして。
“視た”。
狂化の核。
外部から無理矢理ねじ込まれた呪い。
人格を焼き潰し、理性を封じる楔。
セイバーの魔眼が、それを暴き出す。
切嗣の顔色が変わった。
「……まさか」
理解してしまった。
セイバーは今、“狂化そのもの”を斬ろうとしている。
英霊に付与された概念を。
理性を縛る呪いを。
技術ではない。
神秘への暴力。
ギルガメッシュが低く笑った。
「クク……」
「なるほどな」
「貴様、本当に“化け物”だ」
セイバーは答えない。
ただ。
バーサーカーへ歩く。
一歩。
また一歩。
狂気が吹き荒れる。
それでも止まらない。
やがて。
至近距離。
バーサーカーが剣を振り上げた。
だが。
セイバーの左手が、その黒剣を掴む。
轟音。
地面が割れる。
普通なら腕ごと吹き飛ぶ怪力。
しかし。
セイバーは微動だにしない。
赤い魔眼が、真正面からバーサーカーを貫いた。
「……苦しかっただろう」
その瞬間。
バーサーカーの動きが止まった。
静寂。
雪が落ちる音だけが響く。
セイバーは静かに告げる。
「眠れ」
魔眼が輝いた。
赤い光。
それは破壊ではない。
看破。
暴露。
強制解除。
狂化の呪いが、軋み始める。
黒い鎧から呪詛が噴き出した。
バーサーカーが絶叫する。
「■■■■■■■■―――!!」
その声は。
先ほどまでの獣の咆哮ではなかった。
苦悶。
悲鳴。
壊された人間の声。
そして。
バキリ、と。
何かが砕けた。
黒い瘴気が吹き飛ぶ。
夜空へ霧散する狂気。
その奥から。
一人の騎士が現れる。
漆黒ではない。
白銀に近い鎧。
湖のような青い瞳。
あまりにも痛ましい、誇り高き英霊。
ランサーが目を見開く。
ライダーが絶句する。
そして。
ギルガメッシュだけが、静かに笑った。
「……なるほど」
「貴様か、湖の騎士」
解放された騎士――バーサーカーは、震える呼吸のままセイバーを見た。
狂気が消えた瞳。
そこに残っていたのは。
深い後悔と。
王へ向ける、壊れるほどの忠誠だった。
静寂。
先ほどまで城を揺らしていた狂気は消え失せ、中庭には冷たい風だけが流れていた。
黒い瘴気の消えたその場所で。
解放された騎士は、膝をついていた。
荒い呼吸。
砕けかけた鎧。
それでもなお失われぬ気品。
まるで王の前に立つ騎士そのものだった。
セイバー――は静かにその姿を見下ろしている。
眼帯を外したままの魔眼が、相手の全てを見通していた。
ライダー――が低く呟く。
「湖の騎士……?」
ランサー――の表情が強張る。
彼は騎士である。
故に理解してしまった。
その名の重さを。
そして。
最初に答えたのは、黄金の王だった。
ギルガメッシュが愉快そうに口元を吊り上げる。
「まさか?」
「フハハ……今更気付いたか」
赤い瞳が、解放された騎士を見下ろす。
「そうだ」
「そやつは円卓の騎士」
「アーサー王伝説における最強の一角」
「王を最も敬愛し―――」
「そして最後には王国を破滅へ導いた男よ」
その言葉に。
騎士の肩が僅かに震えた。
切嗣が静かに目を細める。
「……ランスロットか」
雪が舞う。
その名は、まるで呪いだった。
湖の騎士。
円卓最強。
忠義と裏切り。
愛と破滅。
数多の伝承に語られる、悲劇の騎士。
ランサーが苦々しく呟く。
「円卓の……ランスロット卿……」
ライダーは腕を組み、深く息を吐いた。
「なるほどな」
「これほどの武威、納得だ」
だが。
セイバーだけは、何も言わない。
ただ静かにランスロットを見ている。
その視線には侮蔑も憐憫もない。
あるのは理解だけだった。
やがて。
ランスロットが、ゆっくり顔を上げる。
青い瞳。
そこに宿るのは激しい苦悩。
彼はセイバーを見る。
震える声。
掠れた言葉。
「……王……」
その瞬間。
空気が凍った。
切嗣の目が動く。
ライダーがセイバーを見る。
ギルガメッシュだけが、面白そうに嗤った。
「ククク……」
「そうか」
「貴様、その立ち位置で“王”なのだな」
セイバーは静かにため息を吐いた。
「生前の話だ」
淡々とした返答。
だが。
ランスロットは苦しそうに頭を下げた。
「……申し訳、ありません……」
その声には。
狂気ではなく。
深い悔恨だけがあった。
「私は……あなたを……」
最後まで言えない。
誇り高き騎士は、言葉を失っていた。
セイバーはしばらく黙っていたが。
やがて。
ゆっくりと、みかんを一つ放った。
ぽすっ。
ランスロットの胸元へ転がる。
「食え」
全員が一瞬黙る。
セイバーは当然のように続けた。
「腹が減っていると、碌な判断をしない」
ライダーが吹き出した。
「ハハハハハ!!
この状況でみかんを渡すか貴様!!」
ランサーも思わず苦笑する。
切嗣だけが額を押さえていた。
ギルガメッシュは腹を抱えて笑っている。
「フハハハハ!!
なるほど、貴様は本当に変わった王だ!!」
しかし。
ランスロットは震える手で、そのみかんを拾った。
呆然と。
信じられないものを見るように。
セイバーは静かに眼帯を戻す。
「過去は過去だ、湖の騎士」
カチリ、と眼帯が閉じる。
「今は聖杯戦争だ」
「ならば貴様は敵だ」
冷徹。
だが。
その直後。
セイバーは僅かに口元を緩めた。
「……だが、正気に戻った貴様なら、話くらいは出来る」
その言葉に。
ランスロットの瞳が、大きく揺れた。
まるで。
救われる資格など無いと思っていた男が。
初めて許しを与えられたかのように。
雪が静かに降っていた。
砕けた中庭。
崩れた石壁。
戦いの熱だけがまだ空気に残っている。
その中心で。
セイバー――King Bradleyは、何事もなかったかのように新しいみかんを剥いていた。
ぱちり、と皮が裂ける音。
その異様な日常感に、誰もすぐには言葉を返せない。
やがて。
セイバーは、呆然と自分を見つめるランスロットへ淡々と言った。
「私は、ただの人間の剣士だ」
静かな声。
だが、その場の誰よりも重かった。
「生憎、王などではない」
風が吹く。
ランスロットの青い瞳が揺れた。
「……っ」
その言葉は、彼にとって救いであり。
同時に、あまりにも残酷だった。
かつて仕えた王。
完璧で。
孤高で。
誰よりも人間であろうとして壊れていった存在。
だが今、目の前にいるこの男は。
英雄でも。
聖人でも。
理想の王でもない。
ただ。
血塗れの戦場を歩き続けた、一人の剣士。
ライダー――Iskandarが腕を組み、愉快そうに笑う。
「ハハハ!
そういうところだぞ貴様は!」
「王でありながら、王を否定する!」
「だから余は嫌いではない!」
セイバーはみかんを一房口へ放り込みながら答えた。
「違うな征服王」
「私は“人間でいたかった”だけだ」
その瞬間。
空気が静まった。
切嗣が煙草へ火をつける手を止める。
ランサー――Diarmuid Ua Duibhneが目を伏せる。
ギルガメッシュ――Gilgameshだけが、静かにセイバーを見ていた。
王とは何か。
英雄とは何か。
彼らは皆、それに人生を喰われた者達だ。
だからこそ分かる。
その願いが、どれほど異常か。
「クク……」
黄金の王が低く笑う。
「貴様ほどの怪物が、人間を望むか」
「滑稽だな」
セイバーは即座に返す。
「そうかもしれんな」
否定しない。
誇りもしない。
ただ受け入れている。
それが逆に、ギルガメッシュには面白かった。
「だが」
セイバーはランスロットを見る。
「怪物になったままでは、死ぬ時に困る」
ランスロットの肩が震える。
「私はな」
セイバーは空を見上げた。
降り続ける雪。
白い夜。
「最後くらいは、人間として死にたい」
その言葉に。
誰も笑わなかった。
それは願望だった。
英雄ではなく。
伝説でもなく。
怪物でもなく。
ただの人間として終わりたいという、あまりにも静かな祈り。
切嗣が煙を吐き出す。
「……だから聖杯か」
セイバーは小さく頷く。
「本物かどうか確かめたい」
「願いを叶える器なのか」
「それとも」
眼帯の奥。
魔眼が僅かに細まる。
「ただの呪いか」
その場の空気が再び重くなる。
聖杯。
全ての願いを叶える奇跡。
だが彼らは既に感じ始めていた。
あれは何かがおかしい。
キャスターの狂気。
異常な魔力。
戦争そのものの歪さ。
まるで。
“何か”が、人間の願いを利用しているような。
ギルガメッシュが酒杯を揺らしながら笑う。
「もし聖杯が腐っていたらどうする?」
セイバーは即答した。
「斬る」
静寂。
迷いが一切無かった。
「災厄なら壊す」
「それだけだ」
ライダーが豪快に笑った。
「ハハハ!!
実に単純だ!」
「だが嫌いではないぞ!」
ランサーも静かに頷く。
「……同感だ」
そして。
ランスロットが、震える声で呟いた。
「あなたは……」
「本当に、変わられないのですね……」
セイバーは少し考え。
それから苦笑した。
「変わろうとはした」
みかんをもう一つ放る。
今度はランサーへ。
「だが、生来の性分らしい」
ランサーが困惑しながら受け取る。
ライダーが大笑いする。
ギルガメッシュは呆れたように肩を竦めた。
切嗣だけが、小さく笑っていた。
ほんの僅かに。
戦場では決して見せない、人間らしい笑みだった。
雪が静かに降り積もる。
アインツベルン城の中庭。
狂化を解かれたランスロット――なお膝をついたままだった。
その視線は、セイバー――から離れない。
まるで亡霊を見るように。
いや。
“失った王”を見ているように。
その空気に、ライダー――ですら口を閉ざしていた。
そして。
セイバーは、剥いたみかんを一房口へ放り込みながら、淡々と言った。
「ランスロット」
低い声。
静かな問い。
「私を誰と勘違いしている?」
ランスロットの肩が震える。
答えられない。
だが。
セイバーの魔眼は、その反応を既に読み切っていた。
視線の揺れ。
呼吸。
瞳孔。
筋肉の硬直。
全てが示している。
――“王”。
セイバーは小さくため息を吐いた。
「私はアーサー王ではない」
その名が出た瞬間。
ランサー――が息を呑む。
ライダーが腕を組む。
ギルガメッシュ――だけが愉快そうに笑っていた。
「ククク……」
「やはりそうなるか」
ランスロットは苦しそうに俯く。
「ですが……」
「あなたは、あまりにも……」
言葉が続かない。
似ている。
在り方が。
孤独が。
背負い方が。
誰より合理的で。
誰より冷徹で。
それでも最後まで“人間”であろうとする姿が。
あまりにも。
セイバーは静かに首を振った。
「買い被りだ」
「私は、ただの軍人だった」
雪の中。
黒い外套が揺れる。
「戦場を渡り歩き」
「多くを殺し」
「多くを切り捨てた」
「それだけの男だ」
ランスロットは震える声で言った。
「違う……!」
初めて感情が漏れる。
「あなたは、あの方と同じ目をしている……!」
空気が止まる。
切嗣が静かに目を細めた。
セイバーは数秒黙り。
やがて。
眼帯へ触れる。
「この目か?」
ゆっくりと眼帯を外す。
現れる“最強の眼”。
赤黒い魔眼。
戦場の全てを見通す、異形の視線。
ランスロットが息を呑む。
だが。
セイバーは静かに言った。
「残念だが、これは呪いに近い」
「人の悪意も」
「恐怖も」
「殺意も」
「諦めも」
「全部見えてしまう」
風が吹く。
雪が舞う。
セイバーは空を見る。
「だから分かる」
「貴様が見ているのは、私ではない」
その言葉に。
ランスロットの顔が苦痛に歪んだ。
セイバーは続ける。
「貴様は“許されたかった”のだ」
「王に」
「自分自身に」
ランスロットの瞳が大きく揺れる。
核心。
誰にも触れられなかった傷。
狂化の奥底で腐り続けていた後悔。
セイバーは静かにみかんをもう一つ投げた。
ぽす、とランスロットの膝へ落ちる。
「だが生憎だ」
「私はその王ではない」
淡々と。
残酷なほど現実的に。
「だから許しは与えられん」
ランスロットが俯く。
だが。
次の瞬間。
セイバーは僅かに口元を緩めた。
「……ただし」
その場の全員が見る。
「同じ人間としてなら、話は別だ」
静寂。
ランスロットが、ゆっくり顔を上げる。
セイバーはみかんを食べながら続けた。
「後悔くらい、誰にでもある」
「私も大概だ」
「だから、そんな顔をするな」
その言葉は。
英雄の救済ではなかった。
王の赦しでもない。
ただ。
同じ地獄を歩いた“人間”からの言葉だった。
だからこそ。
ランスロットは、初めて小さく震えた。
まるで。
ようやく狂気の底から、帰って来られたかのように。