先ほどまで城を揺らしていた狂気は消え、中庭には英霊達の気配だけが残っている。
ランスロット――は膝をついたまま、なお呼吸を整えていた。
その姿を見下ろしながら。
セイバー――は困ったように頭を掻いた。
「参ったな」
ぽつり、と零す。
「真に狂っているなら、斬るつもりだったが」
みかんを一房食べる。
「予定が狂ったな」
ライダー――が豪快に笑う。
「ハハハ!!
貴様、“正気なら斬らない”のか!!」
「無意味な殺しは好かん」
即答だった。
「必要なら殺す」
「不要なら殺さない」
切嗣が煙を吐き出す。
「……いつも通りだな」
「そうでもない」
セイバーは静かにランスロットを見る。
「この男は、まだ戦士だ」
「壊れていても、終わってはいない」
その時だった。
セイバーの魔眼が、暗闇へ向く。
城の外壁。
森の奥。
呼吸。
鼓動。
魔力の揺れ。
怯え。
セイバーは視線だけを向けたまま言った。
「ランスロットのマスター」
空気が張り詰める。
ランサー――が槍を構える。
ギルガメッシュ――の背後に黄金の波紋が浮かぶ。
だが。
セイバーは片手を軽く上げた。
「出てくるといい」
静かな声。
「戦う気はない」
沈黙。
吹雪の音だけが響く。
やがて。
森の奥から、ゆっくりと人影が現れた。
黒いコート。
疲弊した顔。
それでも消えぬ気品。
切嗣が目を細める。
「……間桐ではないな」
男は警戒したまま歩み出る。
ランスロットが顔を上げた。
「……マスター」
その声には驚きが混じっていた。
男はランスロットを見る。
狂化の消えた瞳。
理性を取り戻した騎士。
そして。
震えるように息を吐いた。
「本当に……戻ったのか……」
セイバーは静かに答える。
「応急処置だ」
「完全ではない」
「無理をすれば再び狂気に呑まれる」
男はセイバーを見る。
その視線には恐怖があった。
当然だ。
目の前の男は。
狂化という“概念”を斬り裂いた。
英霊ですら理解不能な異常。
セイバーは気にした様子もなく言う。
「安心しろ」
「今は斬らん」
「貴様らは、まだ聖杯を見ていない」
その言葉に。
切嗣が静かに目を細める。
ライダーが腕を組む。
ギルガメッシュが愉快そうに笑った。
「クク……」
「雑種にしては随分と甘いではないか」
セイバーは肩を竦める。
「そうか?」
「敵を減らす前に、“何を壊すべきか”確認したいだけだ」
冬木の空を見る。
その奥。
まだ現れぬ聖杯。
だが。
眼帯の奥の魔眼は、確かに感じていた。
淀み。
腐敗。
何か巨大な悪意。
セイバーは低く呟く。
「もし聖杯が本当に壊れているなら」
静かな声。
だが誰よりも冷たい。
「敵味方をしている場合ではなくなる」
その瞬間。
空気が再び重くなった。
誰も否定できない。
皆、既に感じている。
この戦争は、どこかおかしい。
キャスターの狂気。
異常な召喚。
黒い気配。
まるで。
“願望機”そのものが、人間の願いを喰っているかのように。
空気が凍った。
森から現れたランスロットのマスター。
その男を見た瞬間。
セイバー――の魔眼が、僅かに細くなる。
「……ほう?」
低い声。
だが、その一言だけで場の空気が変わった。
切嗣が即座に気付く。
――何かを見た。
セイバーは男を観察していた。
皮膚。
血流。
神経。
魔力。
内臓。
そして。
“異物”。
無数の蠢く気配。
呪われた生命。
人間の肉体へ無理矢理寄生した、歪んだ魔術。
ライダー――が眉を顰める。
「どうした?」
セイバーは淡々と答えた。
「随分悪趣味な物を体内に飼っているな?」
その瞬間。
男の顔色が変わった。
ランサー――が警戒する。
ギルガメッシュ――は愉快そうに笑っていた。
「クク……見えるか」
セイバーは静かに前へ出る。
男が一歩下がる。
恐怖。
当然だった。
この男の眼は異常だ。
肉体の奥まで見通している。
セイバーは双剣の一本を抜いた。
銀の刃。
静かな殺気。
ランスロットが咄嗟に前へ出ようとする。
「待て!!」
だが。
セイバーは平然と言った。
「安心しろ」
「斬るのは貴様ではない」
次の瞬間。
銀閃。
誰も見えなかった。
風すら遅れて裂ける。
男の身体が硬直する。
切嗣の目が開く。
――速い。
いや。
速すぎる。
斬撃そのものが“認識”を置き去りにしていた。
数秒後。
ぶちぶち、と。
男の全身から何かが弾け飛ぶ。
黒い虫。
無数。
肉へ食い込んでいた刻印虫が、雪の上へ落ちていた。
まだ蠢いている。
ライダーが目を見開く。
「な……!?」
ランサーが絶句する。
「内部だけを……」
ギルガメッシュですら笑みを深めた。
「フハハ……」
「人体を傷付けず、寄生虫のみを斬ったか」
セイバーは当然のように剣を納めた。
「簡単だ」
「動きが遅い」
切嗣が額を押さえる。
「基準がおかしい……」
男は膝をついた。
苦しそうに咳き込む。
だが。
その顔には、驚愕が浮かんでいた。
身体が軽い。
長年まとわりついていた異物感。
腐臭のような魔力。
それが消えている。
セイバーは静かに言った。
「間桐の魔術か」
「趣味が悪い」
ランスロットの表情が歪む。
理解した。
自分のマスターは、利用されていたのだ。
蟲蔵。
外法。
肉体改造。
人間を部品のように扱う魔術。
セイバーは冷めた目で雪の上の虫を見る。
そして。
容赦なく踏み潰した。
ぐしゃり、と。
「虫は嫌いだ」
ライダーが吹き出した。
「理由が単純すぎるだろうが!!」
「不快だからな」
セイバーは本気でそう言っていた。
ギルガメッシュは腹を抱えて笑っている。
ランサーも苦笑した。
だが。
切嗣だけは静かにセイバーを見ていた。
――この男は。
本当に、どこまで見えている?
魔力。
人体。
精神。
呪い。
まるで。
“構造そのもの”を理解して斬っている。
セイバーは空を見上げた。
眼帯の奥。
魔眼が、遥か先を見ている。
「……ますます嫌な予感がする」
低い声。
「この戦争、“人間の悪意”が濃すぎる」
その言葉に。
誰も反論できなかった。