アインツベルン城の談話室。
暖炉の火が静かに揺れていた。
外では雪が降り続いている。
だが、この部屋の空気はそれ以上に重かった。
卓上には、ギルガメッシュが無造作に出した神代の杯。
ライダーの豪快な酒瓶。
剥かれたみかん。
そして。
聖杯戦争そのものを揺るがす話。
セイバー――は、静かにアイリスフィールを見た。
アイリスフィールは、その視線を真っ直ぐ受け止める。
彼女は理解していた。
この男が、今から危険な事を言おうとしている事を。
セイバーは淡々と口を開く。
「アイリスフィール」
静かな声。
「かなり危険な賭けだが、信じてくれ」
部屋が静まり返る。
切嗣――が煙草を持つ手を止めた。
セイバーは続ける。
「聖杯が本当に“器”なら」
「アイリスフィールを核にしている以上、外部から神秘を流し込めば反応する可能性がある」
アイリスフィールの表情が僅かに曇る。
ライダー――Iが腕を組む。
「つまり、疑似的に聖杯を刺激する気か」
「そうだ」
セイバーは頷いた。
「危険性は高い」
「最悪の場合、“中の何か”が表に出る」
その瞬間。
暖炉の火が小さく揺れた。
切嗣の目が細くなる。
「……成功率は?」
「分からん」
即答だった。
「だが、確認せずに最後まで進めば、もっと危険だ」
静寂。
その現実的な言葉が、逆に重い。
セイバーはアイリスフィールを見る。
「だから確認したい」
「貴女が壊れる前に」
その言葉に。
アイリスフィールの瞳が僅かに揺れた。
彼女は理解している。
自分が“器”である事を。
最後には、聖杯そのものへ変わっていく存在である事を。
切嗣が低く尋ねる。
「……お前は、何をするつもりだ」
セイバーはギルガメッシュを見る。
黄金の王は、既に面白そうに笑っていた。
「王の財宝の神秘を利用する」
「英霊の魂に近い神代の財を、少量だけ流し込む」
ランサー――が険しい顔をする。
「そんな事をして、器が耐えられるのか?」
セイバーは少し考え。
それから静かに答えた。
「普通なら無理だ」
「だが、アイリスフィールは特別製だ」
アイリスフィールが苦笑する。
「嬉しくない褒め言葉ね」
ライダーが豪快に笑った。
「ハハハ!
違いない!」
しかし。
切嗣だけは笑わなかった。
彼はセイバーを見ている。
この男は、本気だ。
本当に。
聖杯の正体を暴こうとしている。
たとえ、その結果が絶望でも。
セイバーは静かに言った。
「切嗣も良いかね?」
その問い。
それは確認だった。
マスターとして。
夫として。
そして、願いを追い続けた男として。
切嗣は長く沈黙した。
暖炉の火だけが揺れる。
やがて。
彼は煙を吐き出し、低く呟いた。
「……やれ」
アイリスフィールが彼を見る。
切嗣は目を伏せたまま続ける。
「ここまで来て、正体不明のまま進む方が危険だ」
「もし災厄なら」
「俺達が止める」
セイバーは静かに頷いた。
「そうか」
その時だった。
ギルガメッシュが酒杯を掲げ、愉快そうに笑う。
「フハハハハ!!」
「良いぞ雑種共!」
「願望機の解体実験とは、実に余興らしい!」
ライダーも立ち上がる。
「面白い!
余も見届けよう!」
ランサーは静かに槍を握る。
「……何が起きても対応出来るようにしておく」
部屋の空気が変わる。
停戦ではない。
信頼でもない。
だが。
今この場だけは。
全員が同じ方向を見ていた。
――聖杯の正体。
その瞬間。
セイバーの魔眼が、僅かに細くなる。
眼帯の奥。
何かが、“向こう側”からこちらを見返していた。
暖炉の火が揺れる。
部屋の空気は、既に戦場以上に張り詰めていた。
アイリスフィール――は静かに椅子へ座っている。
白い指先が、僅かに震えていた。
だが、その瞳に恐怖はない。
覚悟だけがあった。
セイバー――は、その前へ立つ。
眼帯の奥。
魔眼が、既にアイリスフィールの内部構造を見抜いていた。
聖杯の器。
人造人間。
英霊の魂を受け入れるための“空洞”。
そして、その奥に沈む、黒い淀み。
セイバーは静かに口を開く。
「英雄王」
黄金の王――が愉快そうに笑う。
「なんだ、雑種」
セイバーは淡々と言った。
「サーヴァント二騎分の財を、アイリスフィールへ」
その瞬間。
部屋の空気が凍った。
ランサー――が目を見開く。
「二騎分だと……!?」
ライダー――ですら真顔になる。
切嗣が低く唸った。
「……一気にやる気か」
セイバーは頷く。
「小出しでは意味がない」
「聖杯が“魂”を求めているなら、中途半端な神秘では反応しない可能性がある」
眼帯の奥。
魔眼が細くなる。
「ならば、限界まで揺さぶる」
ギルガメッシュは数秒沈黙し。
やがて。
腹の底から笑った。
「フハハハハハハハ!!」
黄金の波紋が空間へ広がる。
『王の財宝』。
神代の秘宝が次々と姿を現す。
部屋そのものが悲鳴を上げた。
空気が重い。
神秘の密度が異常だ。
まるで古代神殿の中心にいるような圧迫感。
ギルガメッシュは愉快そうに言う。
「良かろう」
「雑種にしては大胆だ」
「二騎分程度なら、余の蔵には塵にも等しい」
ライダーが苦笑する。
「毎度思うが、規模がおかしいぞ英雄王……」
セイバーはアイリスフィールを見る。
「始める」
アイリスフィールは静かに頷いた。
「ええ」
切嗣が彼女の肩へ手を置く。
その表情は険しい。
だが止めない。
もう、ここまで来たのだ。
真実を見るしかない。
セイバーは双剣を抜く。
銀の刃。
その切っ先が、空中へ静かに向けられる。
「英雄王」
「流せ」
次の瞬間。
黄金の波紋から、二つの財が現れる。
一つは、神代の聖杯。
もう一つは、脈動する赤い宝石。
どちらも、下級宝具を遥かに超える神秘。
ギルガメッシュが嗤う。
「壊すなよ、器」
そして。
神秘が解放された。
轟音。
否。
音ではない。
“概念”が流れ込む。
部屋の空気が歪む。
アイリスフィールが息を呑む。
白い身体へ、黄金の光が流れ込んだ。
瞬間。
セイバーの魔眼が、限界まで開く。
――来る。
アイリスフィールの内部。
空洞だった器が、急速に満たされていく。
神秘。
魂。
情報。
そして。
その奥。
黒い“穴”が、反応した。
ぞぶり、と。
何かが動く。
切嗣の顔色が変わる。
ランサーが槍を構える。
ライダーの笑みが消える。
ギルガメッシュだけが、愉快そうに細めた目で見ていた。
アイリスフィールが苦しそうに胸を押さえる。
「っ……!」
黒い泥。
影。
呪詛。
器の奥から、“何か”が溢れようとしている。
セイバーが低く呟く。
「やはりか」
魔眼が、その本質を捉える。
願望機ではない。
もっと古い。
もっと醜悪な。
人類の悪意そのもの。
セイバーの声が、静かに冷えた。
「……これは聖杯ではない」
その瞬間。
アイリスフィールの背後から。
黒い腕が、ゆっくりと現れた。
暖炉の火が、黒く揺れた。
空気そのものが腐敗していく。
アイリスフィール――の背後から現れた“黒い腕”。
それは腕の形をしているだけだった。
泥。
呪詛。
悪意。
人間の負の感情を無理矢理固めたような、悍ましい何か。
見た瞬間、本能が理解する。
――これは、この世に存在してはいけない。
ライダー――ですら笑みを消した。
「……おいおい」
ランサー――が槍を構える。
「なんだ……これは……」
切嗣は即座にアイリスフィールの前へ出る。
その顔から血の気が引いていた。
ギルガメッシュ――だけが、静かに目を細めている。
黄金の王ですら、愉快そうな笑みを消していた。
そして。
セイバー――は、その“黒”を真正面から見据えたまま、低く呟いた。
「最悪のパターンだな」
静かな声。
だが、そこには明確な殺意があった。
魔眼が、黒泥の本質を暴いていく。
怨嗟。
憎悪。
嫉妬。
絶望。
殺意。
人間が生み出した負の感情。
それを際限なく濃縮した“穴”。
セイバーの顔から、いつもの余裕が消える。
「……願望機ではない」
「これは、“悪意の集合体”だ」
黒い腕が、ゆっくりと空中を掴む。
その瞬間。
床が腐った。
石が溶ける。
魔力が悲鳴を上げる。
ランサーが歯を食いしばる。
「触れるだけで侵食するのか……!」
ライダーが険しい顔で呟く。
「冗談ではないぞ」
「こんなものが聖杯だと言うのか?」
切嗣はアイリスフィールを抱き支える。
彼女の白い肌へ、黒い筋が浮かび始めていた。
侵食。
聖杯との接続が進んでいる。
セイバーの眼が細くなる。
「英雄王」
ギルガメッシュが静かに応じる。
「分かっている」
黄金の波紋が展開される。
今度は遊びではない。
純粋な殺意。
神代兵装が一斉に黒泥へ向けられる。
だが。
セイバーは片手を上げた。
「待て」
空気が止まる。
ギルガメッシュが不機嫌そうに眉を顰めた。
「何だ」
セイバーは黒泥を見たまま言う。
「刺激するな」
「今は“覗いただけ”だ」
「下手に攻撃すれば、完全に繋がる可能性がある」
切嗣が低く問う。
「……閉じられるのか?」
数秒の沈黙。
セイバーは静かに答えた。
「分からん」
その現実的な返答が、逆に絶望的だった。
しかし。
次の瞬間。
セイバーは双剣を構える。
眼帯の奥。
魔眼が赤く光る。
「だが」
静かな声。
「斬れない類ではない」
その言葉に。
全員の背筋へ冷たいものが走った。
ギルガメッシュが低く笑う。
「クク……」
「本当に貴様は狂っているな」
人類悪に近い何かを前に。
なお、“斬れるかどうか”で判断している。
ライダーが豪快に笑った。
「ハハ……!」
「気に入ったぞ貴様!!」
「こんな化け物を前にして、その発想が出るか!」
セイバーは黒泥から視線を逸らさない。
「問題は量だ」
「今の状態なら抑え込める」
「だが聖杯が完成した場合――」
その時だった。
黒い腕が、ゆっくりとセイバーへ伸びた。
瞬間。
セイバーの魔眼が“奥”を見る。
そして。
初めて。
ほんの僅かに。
表情が険しくなった。
「……なるほど」
低い声。
切嗣が気付く。
「何を見た?」
セイバーは静かに答えた。
「向こう側だ」
雪より冷たい声。
「この泥、“人間を理解した上で壊そうとしている”」