冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第56話

黒い泥が、脈動していた。

 

暖炉の火は既に黒く染まり。

 

部屋の温度すら狂い始めている。

 

アイリスフィール――の背後から溢れる“それ”を見ながら。

 

セイバー――は静かに頷いた。

 

「ああ」

 

眼帯の奥。

 

魔眼が、黒泥の奥底を見通している。

 

「人類の怨念」

「悪意」

「負の感情」

 

「その塊だ」

 

黒い腕が蠢く。

 

まるで、人の形を真似しようとしているように。

 

だが、その本質は“否定”だった。

 

人間を憎み。

人間を呪い。

人間を壊すためだけに存在する何か。

 

ライダー――が険しい顔で低く呟く。

 

「……こんなものを“願望機”として扱っていたのか」

 

ランサー――も槍を握る手へ力を込める。

 

「聖杯を手にした者の願いが歪む理由か……」

 

切嗣はアイリスフィールを支えながら、黒泥を睨んでいた。

 

彼は理解してしまった。

 

自分が追い求めた奇跡。

 

世界平和。

 

救済。

 

その全てが、この“悪意”を通して叶えられるという事を。

 

つまり。

 

最悪の形で。

 

セイバーは静かに言った。

 

「間違いなく、地獄になるな」

 

淡々とした声。

 

だが。

 

それは確信だった。

 

「願いを叶えるのではない」

 

「願いを“利用する”」

 

「人間の絶望を拡大する形でな」

 

ギルガメッシュ――が不快そうに鼻を鳴らした。

 

「反吐が出る」

 

黄金の王の声には、明確な嫌悪があった。

 

「人の欲望を喰らい肥大化する器だと?」

「下らん」

 

ライダーが豪快な顔を歪める。

 

「英雄の夢を叶えるどころか、人間を破滅へ導くか」

 

「随分趣味の悪い聖杯だ」

 

その時だった。

 

黒泥の中から、無数の声が響く。

 

怨嗟。

 

泣き声。

 

呪詛。

 

『たすけて』

『ころして』

『どうして』

『ゆるさない』

 

空気が震える。

 

ランサーが顔をしかめた。

 

「……これは……」

 

セイバーの魔眼が細くなる。

 

「取り込まれた人格の残滓か」

 

黒泥は、ただのエネルギーではない。

 

人間そのものだ。

 

絶望し。

壊れ。

憎悪に染まり。

 

最後には、泥へ呑まれたもの達。

 

セイバーは静かに双剣を構える。

 

「切嗣」

 

低い声。

 

「結論は出た」

 

切嗣は無言で頷く。

 

迷いはもう無かった。

 

長年追い続けた願望機。

 

その正体がこれなら。

 

答えは一つだ。

 

セイバーは黒泥を見据える。

 

「聖杯は破壊する」

 

その瞬間。

 

黒い腕が、一斉に蠢いた。

 

まるで。

 

その言葉へ反応したかのように。

 

黒い泥が、脈打つ。

 

まるで心臓のように。

 

暖炉の火は完全に黒へ染まり、部屋そのものが異界へ侵食され始めていた。

 

アイリスフィール――を中心に、空間が軋む。

 

人類の悪意。

 

呪詛。

 

怨念。

 

願望機の正体。

 

その全てを見届けた後。

 

セイバー――は、静かに双剣を下ろした。

 

「……聖杯戦争どころでは無いな」

 

その声には、もはや戦争への執着は無かった。

 

あるのは、災厄への警戒だけ。

 

ライダー――も笑みを消したまま頷く。

 

「うむ」

「これは最早、英雄同士の争いではない」

 

ランサー――が低く呟く。

 

「放置すれば、冬木そのものが滅びる……」

 

ギルガメッシュ――は不愉快そうに黒泥を見下ろしていた。

 

「雑種共の悪意を濃縮した結果がこれか」

 

「くだらんな」

 

その時だった。

 

セイバーの魔眼が、部屋の隅を捉える。

 

誰も居ないはずの暗闇。

 

だが。

 

呼吸。

殺気。

気配遮断。

 

完璧に近い隠密。

 

しかし。

 

セイバーの眼からは逃れられない。

 

「……アサシン」

 

静かな声。

 

部屋の空気が張り詰める。

 

切嗣が即座に銃へ手を伸ばす。

 

ランサーが槍を構える。

 

だが。

 

セイバーは平然としていた。

 

「居るのだろう?」

 

沈黙。

 

次の瞬間。

 

部屋の隅。

 

影が揺らいだ。

 

そこから現れたのは、黒衣の英霊。

 

アサシン――

 

その姿を見ても、誰も驚かなかった。

 

既に全員、死の偽装を疑っていた。

 

ギルガメッシュが愉快そうに笑う。

 

「クク……」

「隠れる意味はあったか?」

 

アサシンは沈黙したまま、黒泥を見ている。

 

仮面越しですら分かる。

 

動揺。

 

そして恐怖。

 

セイバーは淡々と言った。

 

「教会に報告しろ」

 

静かな声。

 

だが絶対だった。

 

「これは聖杯戦争の範疇を超えている」

 

「監督役にも知らせるべきだ」

 

アサシンが低く問う。

 

「……信用出来ると?」

 

その問いに。

 

セイバーは数秒沈黙し。

 

やがて。

 

冷たく答えた。

 

「出来ん」

 

即答だった。

 

切嗣が苦笑する。

 

ギルガメッシュは笑っている。

 

だが。

 

セイバーは続けた。

 

「それでも動かす必要はある」

 

「放置すれば、全員死ぬ」

 

黒泥が脈動する。

 

空気が腐る。

 

『ころして』

『たすけて』

『ゆるさない』

 

無数の声。

 

アサシンですら、一歩下がった。

 

セイバーの声が低くなる。

 

「言峰綺礼にも伝えろ」

 

「これは“聖杯”ではない」

 

魔眼が黒泥を見据える。

 

「人類悪に近い何かだ」

 

その瞬間。

 

黒泥の奥で。

 

“何か”が笑った。

 

無数の怨嗟。

 

人間の悪意そのもの。

 

その中心で。

 

セイバー――は、静かにアサシンを見据えた。

 

「教会に伝えろ」

 

低い声。

 

もはや戦争中の敵へ向ける口調ではない。

 

災害対策の指示だった。

 

「最悪、焦土になっても良い場所を用意しろ」

 

アサシン――の仮面が僅かに揺れる。

 

セイバーは続けた。

 

「もしくは、広く強固な魔術工房だ」

 

魔眼が黒泥を睨む。

 

「ここで暴れさせる訳にはいかん」

 

その瞬間。

 

黒い腕が壁へ触れた。

 

じゅううう、と音を立て。

 

アインツベルンの強固な結界が腐り落ちる。

 

ランサー――が険しい顔になる。

 

「結界を侵食している……!」

 

ライダー――も真顔だった。

 

「時間が無いぞ」

 

切嗣はアイリスフィールを抱き寄せながら、黒泥を睨む。

 

「移送中に暴走したら?」

 

セイバーは即答した。

 

「私が抑える」

 

その言葉に、一切の迷いは無かった。

 

ギルガメッシュ――が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「当然のように言うな、雑種」

 

「これを抑え込む気か?」

 

セイバーは黒泥から視線を逸らさない。

 

「可能か不可能かではない」

 

「やるしかない」

 

その瞬間。

 

黒泥の奥で、“何か”が脈動した。

 

空気が震える。

 

部屋中の窓ガラスが砕け散る。

 

アイリスフィールが苦しそうに呻いた。

 

「っ……!」

 

黒い筋が、彼女の首筋まで侵食している。

 

セイバーの表情が初めて険しくなる。

 

「急げ」

 

声が低い。

 

殺気すら混じっていた。

 

「完全に繋がれば、冬木が終わる」

 

アサシンが数秒沈黙し。

 

やがて、静かに頷いた。

 

「……承知した」

 

その姿が影へ溶ける。

 

気配遮断。

 

一瞬で消える。

 

ライダーが腕を組む。

 

「さて、どうする?」

 

切嗣が冷静に答える。

 

「候補は二つ」

 

「冬木港」

「もしくは、遠坂の地下工房」

 

ランサーが目を細める。

 

「遠坂が協力するか?」

 

「するしかない」

 

切嗣は即答した。

 

「これはもう、“聖杯戦争”じゃない」

 

その時。

 

黒泥の中から、ゆっくりと“顔”のようなものが浮かび上がる。

 

人間。

 

いや。

 

人間だったもの。

 

絶望に歪みきった無数の貌。

 

ライダーが険しい顔で呟く。

 

「……地獄そのものだな」

 

セイバーは静かに双剣を構えた。

 

「だからこそ」

 

眼帯の奥。

 

魔眼が赤く光る。

 

「ここで止める」

 

黒泥が脈動する。

 

空間が軋み。

 

壁が腐り。

 

暖炉の火すら呪詛へ染まり始めていた。

 

アイリスフィール――の背後から伸びる黒い腕。

 

その一本一本が、世界へ悪意を撒き散らしている。

 

セイバー――は、それを見据えたまま静かに言った。

 

「英雄王」

 

黄金の王――が赤い瞳を向ける。

 

「なんだ、雑種」

 

セイバーは双剣を軽く見下ろした。

 

現代製の軍刀。

 

人を斬るには十分。

 

英霊すら殺せる業物。

 

だが。

 

眼帯の奥の魔眼は理解していた。

 

「あれは、人類悪に近い」

 

黒泥を見る。

 

「私のサーベルでは、あれは切れん」

 

静かな声。

 

初めてだった。

 

この男が、自分の武器不足を認めたのは。

 

ライダー―が真顔になる。

 

ランサー――も息を呑む。

 

セイバーは黄金の王を見た。

 

「剣を二振り貸してくれないかね?」

 

沈黙。

 

次の瞬間。

 

ギルガメッシュが、ゆっくり笑った。

 

「……ほう」

 

黄金の波紋が広がる。

 

『王の財宝』。

 

神代の武具が無数に姿を現す。

 

部屋そのものが悲鳴を上げた。

 

空気が重い。

 

神秘の密度が違う。

 

ギルガメッシュは愉快そうに言う。

 

「王の財を借りるか、雑種」

 

セイバーは平然としている。

 

「必要だからな」

 

「今は意地を張っている場合ではない」

 

その返答に。

 

ギルガメッシュの笑みが深くなる。

 

「クク……」

 

「良い」

 

「実に良い」

 

黄金の王は、初めて本気で愉快そうだった。

 

「力を誇示せず」

「必要を理解し」

「勝つために最善を選ぶ」

 

「実に人間らしい」

 

次の瞬間。

 

二つの波紋が、ゆっくり開く。

 

そこから現れたのは。

 

黒と白。

 

対になる神剣。

 

片方は漆黒。

 

もう片方は白銀。

 

どちらも、ただ存在するだけで空間を裂いていた。

 

ランサーが息を呑む。

 

「これは……!」

 

ライダーが目を見開く。

 

「神代級か……!」

 

ギルガメッシュは不敵に笑う。

 

「一本は“概念を断つ剣”」

 

「もう一本は“神秘を固定する剣”だ」

 

「雑種の技量なら扱えるだろう」

 

セイバーは静かに二振りを受け取る。

 

その瞬間。

 

空気が変わった。

 

黒泥が、明確に反応する。

 

まるで。

 

“危険”を察知したように。

 

黒い腕が一斉に蠢いた。

 

『■■■■■■■■■■』

 

人の声ではない。

 

怨念の集合。

 

それが。

 

初めて“恐怖”を滲ませる。

 

セイバーはゆっくりと構える。

 

神代の双剣。

 

その姿は、まるで処刑人だった。

 

眼帯の奥。

 

魔眼が限界まで開く。

 

見る。

 

黒泥の構造。

流れ。

核。

呪い。

 

そして。

 

“斬れる場所”。

 

セイバーは低く呟いた。

 

「……見えた」

 

切嗣が息を呑む。

 

ギルガメッシュが笑う。

 

ライダーが獰猛に笑みを浮かべる。

 

そして。

 

セイバーは一歩前へ出た。

 

「少しばかり」

 

神代の双剣が、低く唸る。

 

「地獄を切り開くぞ」

 

 

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