「――さて。」
崩壊しかけたアインツベルン城を背に。
セイバー――は、静かに服の汚れを払った。
雪が降っている。
黒泥に侵食され、腐臭と呪詛に満ちていた空気も、僅かだが落ち着きを取り戻していた。
だが。
完全に終わったわけではない。
究極の眼には、まだ見えている。
アイリスフィールの内部へ残る、“聖杯への細い接続”。
まるで焼き切れかけた神経のように、微弱な呪いが脈打っている。
放置すれば。
再接続が起こる。
再び、あの黒泥は溢れ出す。
「遠坂邸に向かうかね。」
ブラッドレイの声に、その場の全員が反応した。
切嗣は、眠るアイリスフィールを抱き上げながら頷く。
「ああ……急ぐ必要がある。」
その顔には疲労が刻まれていた。
魔術回路の酷使。
精神的消耗。
そして何より、“聖杯の真実”を知ってしまった重み。
魔術師殺しとして積み上げてきた全てが、根底から腐っていた。
それでも彼は立つ。
守るべきものがあるからだ。
ライダーが豪快に外套を翻す。
「では征くぞ!このまま城ごと潰れては笑えん!」
まるで緊張を吹き飛ばすような大声。
だが、その裏では彼も理解していた。
先程の戦いは、“勝利”ではない。
ただの応急処置だ。
根はまだ残っている。
ランサーは崩れた壁の向こうを警戒している。
「……妙だな。」
「何がだ?」
ブラッドレイは歩きながら問い返す。
「静かすぎる。」
その言葉に。
アサシン達が一斉に気配を広げた。
森。
雪原。
上空。
複数のハサンが、闇へ溶けるように散っていく。
索敵。
監視。
包囲確認。
やがて一人が現れ、低く告げた。
「黒泥反応、沈静化。」
「だが。」
「冬木市中心部に、微弱な霊脈振動あり。」
ブラッドレイの目が細まる。
「……遠坂邸か。」
ギルガメッシュが鼻で笑った。
「当然だ。冬木最大級の霊脈だぞ。あの汚物が惹かれぬ道理もあるまい。」
つまり。
時間がない。
聖杯は本能的に、“最も強い土地”へ繋がろうとしている。
遠坂邸へ辿り着く前に再活性化すれば。
今度こそ、冬木全域が汚染される。
「急ぐぞ。」
ブラッドレイが前へ出る。
その瞬間。
――ズ……。
全員が足を止めた。
地面。
雪の下。
黒い染みが広がっている。
微量。
だが確実に。
まだ生きている。
「チッ……。」
切嗣が舌打ちする。
次の瞬間。
雪原を突き破り、黒泥の槍が一斉に噴き出した。
「散れ!!」
ブラッドレイが叫ぶ。
轟音。
ライダーが即座にアイリスフィールと切嗣を庇い、戦車の雷を叩き込む。
ランサーが双槍で泥槍を弾き飛ばす。
アサシン達は影のように飛び退き、周囲を制圧。
だが。
ブラッドレイだけは動かなかった。
否。
動く必要が無かった。
究極の眼が、“発生前”に全て見切っている。
迫る黒槍。
軌道。
速度。
呪いの流れ。
全て。
「遅い。」
斬撃。
神速。
一歩も動かず、数十の泥槍が空中で断裂する。
だがその直後。
黒泥が、人の形を取った。
巨大な影。
顔のない兵士達。
無数。
まるで戦場の亡霊。
『コロセ』
『ウバエ』
『タスケロ』
『ニクイ』
人類悪の残滓。
核を切られてなお、消えきれていない。
ライダーが低く唸る。
「……しつこい奴よ。」
ブラッドレイは静かに剣を抜く。
「当然だ。」
その声は、妙に冷静だった。
「人間の悪意など、一度斬った程度で消えるものではない。」
かつて無数の戦場を見てきた男の声。
戦争。
憎悪。
復讐。
それらは、絶対に無くならない。
だからこそ。
「――何度でも切る。」
次の瞬間。
ブラッドレイが消えた。
雪原へ黒い斬線が走る。
遅れて。
無数の泥人形が、一斉に崩れ落ちた。
その先で。
彼は振り返りもせず歩いていく。
遠坂邸へ。
聖杯を終わらせるために。