地下最深部。
遠坂邸のさらに下。
そこには、“空洞”が存在していた。
否。
空洞に見えるほど、巨大な魔力の奔流だった。
青白い光が、地下空間そのものを照らしている。
大地の奥底から湧き上がる膨大な魔力。
まるで星の血流。
脈動する巨大河川。
それが――霊脈。
冬木全域を巡る、土地の命そのものだった。
「……これが霊脈か。」
セイバー――キング・ブラッドレイが、静かに呟く。
その声音には、純粋な感心が混じっていた。
彼は軍人だ。
戦場。
兵器。
国家。
そういった“人の営み”には詳しい。
だが、これほど巨大な神秘を真正面から見る機会など、本来あり得ない。
眼帯の奥。
“究極の眼”が、霊脈の流れを見ていた。
膨大。
あまりにも膨大。
冬木の山。
川。
土地。
人々。
全てから微弱な魔力が流れ込み、この地下で循環している。
それはまるで、“都市そのものが一つの生命体”のようだった。
ライダー――が豪快に笑う。
「ハッ!これは壮観だな!」
「余の軍勢でも、ここまでの魔力は見たことがない!」
ランサー――も目を細める。
「これほどの土地なら、確かに聖杯降臨も可能か……。」
時臣は霊脈炉を見上げながら低く言った。
「冬木の聖杯戦争は、この霊脈ありきだ。」
「三家が数十年かけて整備した。」
誇り。
本来なら、そう語るはずだった。
だが今の時臣の声にあるのは苦味だけ。
その大霊脈が、今まさに汚染されようとしている。
ブラッドレイは霊脈の奥を見据える。
そして。
その中に混ざる“黒”を見た。
ドス黒い泥。
呪詛。
悪意。
それが血管へ流れ込む毒のように、霊脈内部を侵食している。
「……酷いな。」
その声は低かった。
「まるで病だ。」
切嗣――がアイリスフィールを支えながら答える。
「聖杯は、この霊脈を使って顕現する。」
「つまり、汚染された今は……。」
ブラッドレイが続ける。
「冬木全体が感染源になる。」
静寂。
誰も否定しない。
それほど危険だった。
アサシン――達は既に霊脈周囲へ封印陣を展開している。
だが。
抑え切れていない。
黒泥は生きている。
脈打っている。
まるで霊脈そのものへ根を張ろうとしているように。
その時だった。
ボタリ。
アイリスフィールの腕から、再び黒泥が落ちる。
瞬間。
霊脈が反応した。
ゴォォォォォ……。
地下空間全体が震える。
青白い魔力が、一瞬で黒く濁る。
ライダーの笑みが消える。
「来るぞ。」
究極の眼が捉える。
霊脈内部。
流れの奥。
巨大な“何か”が動いた。
それはまるで。
深海の底で目覚める怪物。
世界の裏側から、こちらへ這い上がろうとしている。
ブラッドレイは静かに剣へ手を掛けた。
「……始まるな。」
地下霊脈炉。
青白い奔流が、巨大な河のように脈打っている。
その中心。
アイリスフィール・フォン・アインツベルンが、苦しげな呼吸を繰り返していた。
彼女の身体には、黒い侵食紋様が走っている。
聖杯との接続。
まだ切れていない。
そして。
その奥では、“何か”がこちらを見返していた。
黒泥。
人類悪。
世界の裏側。
それが、霊脈を通じて這い上がろうとしている。
セイバー――キング・ブラッドレイは、その巨大な奔流を見つめながら、静かに息を吐いた。
「……正直、自信がないが。」
その言葉に。
全員が僅かに目を向ける。
ライダー――ですら笑わない。
それほどの状況だった。
もし失敗すれば。
アイリスフィールは死ぬ。
霊脈は暴走する。
聖杯が完全顕現する。
冬木そのものが地獄へ変わる。
だが。
ブラッドレイは次の瞬間、軍帽を軽く押さえた。
「さて、やるか。」
その声音には、もう迷いが無かった。
戦場へ立つ軍人の声。
恐怖が消えたのではない。
恐怖ごと前へ進む覚悟。
彼はゆっくりと、時臣へ視線を向ける。
「時臣殿。」
時臣が振り返る。
その顔には緊張が刻まれていた。
彼ほど、この行為の危険性を理解している者はいない。
霊脈へ直接干渉し、聖杯接続を強制切断する。
それは例えるなら、“星の血管へ刃を突き立てる”ような暴挙だ。
ブラッドレイは静かに告げた。
「霊脈を使い、アイリスフィールから聖杯を切り離すぞ。」
時臣は数秒沈黙し――やがて頷いた。
「……承知した。」
魔術師としてではない。
冬木を守る者としての返答だった。
その瞬間。
地下工房全体が起動する。
ゴォォォォォ……。
巨大術式が発光。
霊脈制御輪が回転を始める。
無数の魔術刻印が、地下空間を覆っていく。
アサシン―達が即座に配置へ散開。
封印陣。
結界維持。
侵食監視。
ライダーとランサー――は、アイリスフィールを中心に防衛位置へ。
ランスロット――は無言で剣を抜き、霊脈の黒い流れを睨み続ける。
そして。
切嗣――だけは、アイリスフィールの手を握っていた。
その手は震えている。
魔術師殺しではない。
ただ、大切な者を失いたくない男の手だった。
アイリスフィールは、薄く微笑む。
「……大丈夫です、切嗣さん。」
弱々しい声。
だが、その瞳には確かな意志があった。
自分が何なのか。
何を終わらせるべきなのか。
彼女も理解している。
その時。
ギルガメッシュ――が退屈そうに玉座めいた瓦礫へ腰掛けた。
「では始めろ。」
黄金の瞳が細まる。
「人類の愚かさの結末を、余が見届けてやろう。」
ブラッドレイは眼帯へ手を掛ける。
外す。
露わになる、“究極の眼”。
瞬間。
世界が変わる。
霊脈の流れ。
聖杯接続。
呪いの循環。
アイリスフィールの生命線。
全てが視える。
そして。
その奥。
世界の裏側から、巨大な“悪意”がこちらを覗いていた。
「……なるほど。」
ブラッドレイは静かに剣を抜く。
「随分と、しつこい。」
黒泥が脈動する。
霊脈が濁る。
地下空間全体が揺れ始める。
時臣が叫ぶ。
「来るぞ!!接続が逆流する!!」
次の瞬間。
アイリスフィールの身体から、黒泥が爆発的に噴き出した。
「――やれ。」
低く。
短い命令。
だがその一言で、地下霊脈炉の空気が一変した。
轟音。
霊脈制御環が一斉に回転を始める。
青白い魔力光が地下空間を埋め尽くし、遠坂邸全体が震動した。
時臣が両手を広げ、魔術回路を解放する。
「霊脈制御開始――!」
無数の術式が起動。
床の刻印が輝き、巨大な魔力の奔流がアイリスフィールへ収束していく。
それは本来、“聖杯降臨”のためのシステム。
だが今は違う。
降ろすためではない。
引き剥がすための術式。
強引に。
暴力的に。
聖杯との接続を切断する。
アイリスフィールが悲鳴を上げた。
「――ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
黒泥が噴き出す。
爆発的な量。
まるで彼女の身体そのものが“穴”になったかのように。
床が腐る。
空気が濁る。
地下空間全体へ、人類悪の怨嗟が響き渡る。
『死ね』
『苦しめ』
『許さない』
『奪え』
『愛してくれ』
無数の声。
人類の絶望そのもの。
ランサー――が即座に前へ出る。
「押さえ込むぞ!!」
紅槍が閃く。
因果を裂き、泥の流れを断つ。
同時に。
ライダー――の雷が轟いた。
「蹴散らせ、神威の車輪!!」
雷霆が地下を焼き、噴き出した黒泥を蒸発させる。
だが。
止まらない。
聖杯は抵抗している。
器を失うまいと。
霊脈そのものへ根を張ろうとしていた。
アサシン――達が結界杭を撃ち込む。
封印。
固定。
侵食遅延。
しかし次々と腐食される。
黒泥は“概念”そのものを汚染していた。
そして。
地下空間の中央。
ブラッドレイだけが、一歩も動かず“核”を見ていた。
究極の眼。
視えている。
アイリスフィールの内部。
霊脈。
黒泥。
それら全てを繋ぐ、“一本の接続”。
世界の裏側へ伸びる臍帯。
「あれか。」
黒泥が気付く。
瞬間。
地下全域の泥が、ブラッドレイただ一人へ殺到した。
巨大な波。
数万の怨霊。
人類悪そのもの。
だが。
「遅い。」
消える。
神速。
次の瞬間には、ブラッドレイはアイリスフィールの目前へ踏み込んでいた。
剣が抜かれる。
ギィィィィィ――――ッ!!
神剣。
概念断裂。
その刃が、“接続”そのものへ届く。
黒泥が絶叫した。
地下空間が揺れる。
霊脈が暴走する。
そして。
世界の裏側から、“何か”が目を開く。
巨大。
深淵。
悪意。
理解した瞬間、正気が削れるほどの存在。
綺礼――が、恍惚すら浮かべて呟く。
「……これが。」
ギルガメッシュ――の笑みが消える。
「ほう……。」
ライダーですら額に汗を流す。
「化け物め……!」
だが。
ブラッドレイは一切揺るがない。
究極の眼は、“切るべき一点”だけを見ていた。
「――断つ。」
斬撃。
一閃。
世界が、裂けた。
斬撃が走った瞬間。
地下霊脈炉から、“音”が消えた。
否。
世界そのものが、一瞬だけ静止した。
そして――。
ブツリ、と。
何かが切れる音が響く。
アイリスフィールの身体を覆っていた黒い紋様が、一斉に砕け散った。
黒泥が噴き上がる。
絶叫。
断末魔。
世界の裏側から伸びていた“接続”が、完全に切断された。
「――っ!!」
切嗣――が崩れ落ちる彼女を抱き止める。
アイリスフィールの身体から、黒泥が止まっていた。
呼吸。
鼓動。
まだ弱い。
だが、確かに生きている。
聖杯ではなく。
“アイリスフィール”として。
時臣――が呆然と呟く。
「……切り、離した……。」
信じられないという顔だった。
数十年。
三家が積み上げた聖杯降臨術式。
その中核を、“剣で断ち切った”。
本来なら有り得ない。
魔術理論そのものへの冒涜。
だが。
現実として、成功している。
ライダー――が豪快に笑った。
「ハハハハハ!!やりおったぞ軍人王!!」
ランサー―も目を見開いている。
「本当にやるとはな……。」
アサシン――達ですら、僅かに沈黙していた。
ランスロット――は静かに剣を握り直す。
そして。
ブラッドレイは、ゆっくりと剣を下ろした。
その腕は震えている。
概念級の接続を断った反動。
神経。
肉体。
魔力。
全てへ凄まじい負荷が掛かっていた。
だが彼は笑う。
軍人らしい、乾いた笑み。
「成功だ。」
短く息を吐く。
「聖杯を、アイリスフィールから取り除いた。」
その瞬間だった。
ゴォォォォォォォォ――――ッ!!
地下霊脈が、暴走した。
空間が揺れる。
霊脈の青白い光が、一瞬で黒へ染まる。
床の術式が腐敗。
壁が崩壊。
遠坂邸そのものが悲鳴を上げ始める。
切り離された聖杯。
器を失った“人類悪”が、今度は直接顕現しようとしていた。
黒泥が霊脈から噴き出す。
先程までとは桁が違う。
量も。
密度も。
悪意も。
まるで地獄そのもの。
綺礼――が、震えるように笑った。
「……素晴らしい。」
ギルガメッシュ――は黄金の瞳を細める。
「ようやく出てきたか。」
ライダーの戦車へ雷が走る。
ランサーが双槍を構える。
アサシン達が封印陣を最大展開。
時臣は歯を食いしばりながら霊脈制御を続ける。
その中で。
ブラッドレイは、ゆっくり振り返った。
サーヴァント。
マスター。
本来なら殺し合っていた者達。
だが今は、同じ地獄を前に立っている。
彼は軍帽を被り直し、静かに告げた。
「これから本番だぞ?」
地下空間が揺れる。
黒泥が空を埋める。
世界の裏側が開き始める。
それでも。
ブラッドレイは笑った。
「サーヴァントにマスター諸君。」
究極の眼が、“敵”の全貌を捉える。
巨大な悪意。
人類悪。
聖杯の本体。
そして。
その中心にある、“核”。
「精々、足掻いてみようじゃないか。」
次の瞬間。
霊脈が完全に決壊した。