冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第65話

崩壊する地下空洞。

 

 天井が割れ、霊脈の光が断続的に瞬いている。

 

 先ほどまで世界を覆っていた黒泥は、灰のように舞い、静かに消えていった。

 

 あれほど濃密だった悪意の気配も、もう無い。

 

 残っているのは――。

 

 焼けた大地の臭いと、疲弊しきった者達の荒い呼吸だけだった。

 

「……終わった、か」

 

 ライダーが、崩れた岩へ腰を下ろす。

 

 神威の車輪は半壊し、牛達も限界だった。

 

 それでも征服王は笑っていた。

 

「ハハ……まったく、とんでもない戦だったぞ」

 

 ランサーは槍を杖代わりに立っていた。

 

 全身が罅割れ、霊体化すら安定しない。

 

「聖杯戦争の最後が、これとはな」

 

 遠坂時臣は崩壊する術式を見上げ、静かに目を閉じる。

 

「……根源への道などでは、なかったか」

 

 その横で。

 

 言峰綺礼は、何も言わなかった。

 

 ただ、黒泥が消えた空間を見続けている。

 

 己が求め続けた“答え”もまた、あの闇の中にあったのかもしれない。

 

 ギルガメッシュだけは、変わらず不遜に笑っていた。

 

「雑種共にしては、よくやった」

 

 だが。

 

 その黄金の鎧は砕け、霊格も大きく削れている。

 

 王ですら、無傷では済まなかった。

 

 そして――。

 

 空洞の中心。

 

 そこに、二人がいた。

 

 セイバーと、ランスロット。

 

 ランスロットは既に片膝をついていた。

 

 霊基は限界。

 

 身体は黒く崩れ始めている。

 

 だが、その顔には狂気は無かった。

 

 穏やかな騎士の顔だった。

 

「……王よ」

 

 セイバーは静かに振り返る。

 

「何だ、ランスロット」

 

「最後に……貴方の背を守れた」

 

 ランスロットは、少しだけ笑った。

 

「それだけで……充分だ」

 

 沈黙。

 

 崩落音だけが響く。

 

 やがて。

 

 ブラッドレイは、ゆっくり頷いた。

 

「ああ」

 

 短い言葉。

 

 だが、それだけだった。

 

 それだけで。

 

 ランスロットは救われたように目を閉じる。

 

「……光栄、でした」

 

 その身体が、粒子となって消えていく。

 

 まるで灰のように。

 

 静かに。

 

 穏やかに。

 

 誰よりも狂い、誰よりも苦しんだ騎士は、最後にようやく“騎士”として消えた。

 

 セイバーは、その消滅を最後まで見届けた。

 

 敬礼も。

 祈りも。

 涙もない。

 

 ただ静かに立っていた。

 

 それが、彼なりの弔いだった。

 

 その時。

 

 ぐらり、と。

 

 セイバーの身体が揺れる。

 

「……セイバー!」

 

 切嗣が駆け寄る。

 

 見ると、ブラッドレイの全身は酷い有様だった。

 

 黒泥による侵食。

 神剣使用の反動。

 霊核損傷。

 

 既に、サーヴァントとして成立していること自体が奇跡だった。

 

 それでも。

 

 彼は笑った。

 

「ふむ……どうやら、私もここまでらしい」

 

「馬鹿を言うな、まだ――」

 

「いや」

 

 ブラッドレイは静かに首を振る。

 

「充分だ」

 

 そして。

 

 崩れゆく地下空洞を見上げた。

 

 黒泥は消えた。

 

 聖杯は無い。

 

 冬木は救われた。

 

 ならば。

 

 もう戦う理由は無い。

 

「……切嗣」

 

「……何だ」

 

「人間は、愚かだ」

 

 切嗣は黙って聞く。

 

「だが」

 

 ブラッドレイは、少しだけ笑った。

 

「最後まで足掻く」

 

 それが――。

 

「人間の、美しさでもある」

 

 霊基が崩れ始める。

 

 身体が光へ変わっていく。

 

 キング・ブラッドレイ。

 

 最強の眼を持つ王。

 

 ただ人間として生きたかった、一人の剣士。

 

 その最後は――。

 

 静かだった。

 

「ではな、諸君」

 

 次の瞬間。

 

 セイバーの身体は、光となって消えた。

 

 後に残ったのは。

 

 二振りの神剣と。

 

 焼け焦げた軍帽だけだった。

 

 そして地上では。

 

 長い夜が、ようやく明け始めていた。

 

――夜明け。

 

 崩壊した遠坂邸の地下から、巨大な光柱が立ち昇った。

 

 黒ではない。

 

 泥でもない。

 

 純粋な“神秘”だった。

 

 聖杯が砕け散った、その中心。

 

 完全に壊れたはずの器から、最後の現象が溢れ出していた。

 

 それは願望機ではなかった。

 

 呪いでもない。

 

 ただ、余剰となった莫大な魔力。

 

 第三魔法に極めて近い、“魂の物質化”。

 

 切嗣が目を見開く。

 

「……これは」

 

 遠坂時臣も、息を呑んだ。

 

「聖杯が……最後に、溜め込んだ神秘を放出している……」

 

 霊脈全域が発光する。

 

 冬木中の魔力が逆流し、空へ昇っていく。

 

 まるで世界そのものが、深呼吸しているようだった。

 

 そして。

 

 消えたはずの光が、再び集まり始める。

 

 地下空洞。

 

 崩壊した戦場。

 

 そこに、粒子となって消えた英霊達の残滓が漂っていた。

 

 ランスロット。

 

 ライダー。

 

 ランサー。

 

 アサシン。

 

 そして――セイバー。

 

 壊れた聖杯は、その全てを掴み上げる。

 

 通常なら、英霊は座へ還る。

 

 だが今、この瞬間だけは違った。

 

 冬木の霊脈。

 聖杯に蓄積された膨大な魔力。

 第三魔法に酷似した現象。

 

 それら全てが奇跡的に噛み合った。

 

 魂が、固定される。

 

 肉体が、編まれる。

 

 骨。

 血。

 皮膚。

 呼吸。

 

 英霊だった存在が、“人間”として世界へ縫い止められていく。

 

 最初に現れたのは、ランスロットだった。

 

 黒い騎士は瓦礫の中へ膝をつき、自らの手を見る。

 

「……これは」

 

 温かい。

 

 血が流れている。

 

 鼓動がある。

 

 狂化も無い。

 

 ただ、一人の男としてそこに居た。

 

 次に。

 

 雷鳴と共に、ライダーが現れる。

 

「ハハハハハ!!」

 

 征服王は大声で笑った。

 

「肉体だ!! しかも現界ではない、生身ではないか!!」

 

 ランサーもまた、自らの胸へ手を当てる。

 

「……心臓、か」

 

 静かな鼓動。

 

 失われていた“生”の感覚。

 

 アサシン達ですら、一つの個として立っていた。

 

 そして最後に。

 

 最も強い光が集束する。

 

 静寂。

 

 全員が、その中心を見た。

 

 光の中から、一人の男が現れる。

 

 軍帽。

 

 軍服。

 

 鋭い眼光。

 

 そして、右眼に宿る“最強の眼”。

 

 キング・ブラッドレイ。

 

 セイバーは、静かに地へ降り立った。

 

 その瞬間。

 

 彼は理解した。

 

 霊体ではない。

 

 幻想でもない。

 

 今の自分は、“生きている”。

 

「……ほう」

 

 彼は、自らの掌を見た。

 

 血管がある。

 熱がある。

 呼吸がある。

 

 あまりにも久しく忘れていた感覚。

 

 切嗣が、呆然と呟く。

 

「受肉……」

 

 ギルガメッシュですら、僅かに目を細めた。

 

「完全受肉だと……?」

 

 それは本来、不完全な形でしか起きない。

 

 だが今、壊れた聖杯は最後の力で“奇跡”を起こした。

 

 呪いではなく。

 

 悪意でもなく。

 

 世界を救った英雄達への、最後の報酬のように。

 

 崩壊していた霊脈が、ゆっくり安定していく。

 

 黒泥は消えた。

 

 汚染も止まった。

 

 世界に穿たれていた穴は閉じ始めている。

 

 長い戦争が、終わったのだ。

 

 ライダーが豪快に笑いながら、ブラッドレイの肩を叩く。

 

「ハハッ!! 貴様、本当に人間になりおったぞ!!」

 

 ブラッドレイは小さく笑った。

 

「……皮肉な話だ」

 

 かつて。

 

 ただ普通の人間として死にたかった男。

 

 その願いが。

 

 世界を救った最後に、叶ってしまった。

 

 地下空洞の崩落は止まり始める。

 

 朝日が差し込む。

 

 焼けた冬木の空に、ようやく青が戻り始めていた。

 

 誰も、しばらく言葉を発さなかった。

 

 ただ。

 

 終わった世界の静けさだけが、そこにあった。

 

朝日が、崩壊した遠坂邸を照らしていた。

 

 黒泥に覆われていた空は既に晴れ始め、冬木を包んでいた重苦しい圧力も消えている。

 

 終わったのだ。

 

 聖杯戦争は。

 人類悪との戦いは。

 

 そして今、この場にいる者達は――。

 

 英霊ではない。

 

 生きていた。

 

 その事実が、あまりにも異様で。

 あまりにも現実感が無かった。

 

 だが。

 

「……ハ」

 

 静かな笑い声が漏れる。

 

 次第に大きくなり。

 

「ハハ……」

 

 やがて。

 

「ハハハハハハハハ!!」

 

 キング・ブラッドレイは、心底愉快そうに笑った。

 

 それは戦場で見せる冷笑ではない。

 

 誰かを威圧する笑みでもない。

 

 純粋な笑いだった。

 

 生きている。

 

 ただそれだけが可笑しかった。

 

 ライダーが豪快に笑い返す。

 

「ようやく貴様も年相応に笑ったな、セイバー!!」

 

「何、歳を数えるには少々長く生き過ぎた」

 

 ブラッドレイは肩を竦める。

 

 だが、その目には確かな生気が宿っていた。

 

 ランスロットは少し離れた場所で、静かに空を見上げている。

 

 狂気は無い。

 

 黒い鎧も既に崩れ、今の彼はただの騎士だった。

 

 彼は自分の手を握り締める。

 

「……温かい」

 

 その言葉は、あまりにも小さかった。

 

 ディルムッドは苦笑する。

 

「受肉など、伝承の中の奇跡だと思っていたが……」

 

 言いながら、自らの脈を確かめる。

 

 鼓動。

 

 血流。

 

 肉体。

 

 英霊では不要だったもの。

 

 だが今は、それが確かにある。

 

 アサシン達もまた沈黙していた。

 

 “群体”ではない。

 

 一人一人が独立した存在として、そこに立っている。

 

 それはハサン達にとって、ある意味で最大の奇跡だった。

 

 遠坂時臣は、瓦礫の中で静かに息を吐く。

 

「……壊れた聖杯が、最後に奇跡を起こしたか」

 

 切嗣は煙草を取り出しかけ、やめた。

 

 代わりに、疲れ切ったように座り込む。

 

「皮肉だな」

 

「ああ」

 

 ブラッドレイが頷く。

 

「呪われた願望機が、最後に人を救った」

 

 その時。

 

 ギルガメッシュが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「フン。雑種共が揃いも揃って受肉とは」

 

 だが、その黄金の王も完全には否定しなかった。

 

 むしろ。

 

 どこか退屈が終わったような顔をしていた。

 

「まあよい。少なくとも、今しばらくは退屈せずに済みそうだ」

 

 ブラッドレイは笑う。

 

「違いない」

 

 崩壊した地下空洞。

 

 死屍累々だったはずの戦場。

 

 だが今は、不思議と穏やかだった。

 

 誰もが傷だらけで。

 疲弊しきっていて。

 それでも、生きている。

 

 そして。

 

 キング・ブラッドレイは、ゆっくり空を見上げた。

 

 青空だった。

 

 久しく見ていなかったほど、静かな空。

 

「……思いがけない贈り物だな」

 

 その呟きには。

 

 王でも。

 兵士でも。

 英雄でもない。

 

 ただ一人の男としての感情が滲んでいた。

 

 普通に老いて。

 普通に生きて。

 普通に死ぬ。

 

 それだけを望みながら、それを得られなかった男。

 

 だが今。

 

 ようやく、その未来が目の前にある。

 

 ライダーが笑う。

 

「さて!! ではその“第二の人生”とやらをどうする、セイバー!!」

 

 ブラッドレイは少し考え――。

 

 軍帽を深く被り直した。

 

「まずは」

 

 その口元が僅かに吊り上がる。

 

「腹が減った」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして。

 

 戦場だった地下空洞に、笑い声が響いた。

 

 それは、この戦争で初めて響く――。

 

 本当の意味で、平和な笑い声だった。

 

 

 

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